■あま市の暴れん坊将軍・松下あきのり web site

■将軍が想う「松下雑感録」
■自分のことは占えない?!
  先日、某喫茶店で、全国規模の会社を経営している友人と雑談をしていた。もう、10年以上のつきあいがあるのだが、彼が手相・人相・姓名判断・四柱推命と、ありとあらゆる占いを勉強し、免許を持っていることを初めて知った。彼曰く、長年の経験から、出会った人のことや将来については、おおよその見当がつくとのこと。ためしに、手相を見てもらうと、私は非常に長生きをする相だと言う。以前、別の占いでもそう言われたことがあったので、「ほお、さすがだ」と感心をしていた。  彼と別れてから、思い出した。彼は、ある男=詐欺師に引っかかって、長期間にわたり、結構なお金をつぎ込んだ経験があるのだ。手相・人相etc.が見られると言うのに、そいつの悪だくみは、見抜けなかったのか。気になったら、すぐに解決をしたい私。即、彼に電話をした。電話口からは「うーん…そうだよなあ。そうだったよなあ」とうなる彼の声が。自分が関わることについては、占い師の目も曇るのだ、ということにしておこう。(2018/8/13)
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■七宝焼アートビレッジの軽トラ市
 3年ほど前、あるNPO団体から、七宝焼アートビレッジで、軽トラ市を開催したいとの申し出があった。地元農家の人たちが、軽トラで野菜を持ってきて、自分たちで売る青空市だ。消費者にとっては、新鮮な地元野菜が安く手に入り、農家の人たちには、ちょっとした副収入に、そして、お荷物施設と言われていた七宝焼アートビレッジの活性化にもつながるだろうと、市長に進言して、実施することにした。
 最初は、軽トラが6台くらい。集まる人もボツボツだったが、回数を重ねるにつれ、少しずつ定着をしてきていた。  ところが、去年の夏、某テレビ番組で紹介されたとたんに大ブレイク。毎週大勢のお客さんで賑わうようになった。当然、店を出したい人も増え、軽トラも、軽く20台を超えるようになった。
 マスコミの力の大きさを実感するとともに、小さな青空市が、地域の活性化につながったと喜んでいる。互いの顔が見える売買は、やはり良いものだ。
◆結構、ひんぱんに軽トラ市に、顔を出しています。私に会いたい人でも会いたくない人でも、一度覗きにいらしてください。毎週日曜日、朝8時から10時半ごろまで、七宝焼アートビレッジで、開催しています。(2016/10/1)
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■マイブームは、帽子
 その昔、聖徳太子の肖像画にあるように、帽子をかぶる風習は日本にもあった。だが、和装に帽子は、あまりいただけない。  日本で帽子が本格的に、ファッションとして認められたのは、西洋風の文化が入ってきた明治時代。おしゃれな紳士は、こぞって帽子をかぶった。  そんなわけで、私も、帽子を愛用しはじめた。ちょっとおしゃれだし、冬は防寒、夏は日よけ、ついでに言うと、セットした髪を守る役目も担っている。  色や形が違う帽子をいくつか持っているので、お会いしたときは、ぜひ頭の上にも目をとめてみて欲しい。(2016/9./30)
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■甲子園は、やっぱり遠かった
 中学・高校・大学と、常に野球と関わってきた私だが、夏の高校野球・甲子園へ行ったことがなかった。ところが、今年は、常葉菊川に七宝町出身の選手がいた。そして、その子の祖父に頼まれ、応援バスに乗り込んで、甲子園へと行くことになった。
 試合開始予定は15時40分だったが、七宝体育館前を8時半に出発。試合の進み具合に合わせて、バスは高速道路をちんたらと走ったあげく、エキスポランドの駐車場で、最終の時間合わせをし、ようやっと球場近くの駐車場へと到着した。ところが、そこから球場までは、徒歩20分。炎天下を歩いたあと、アルプス席入口で、前の試合が終わるまで30分待った。うんざりだった。だが、駐車場から一緒に歩いてきた対戦相手は熊本県代表のチームだ。彼らは、前日、夜中の12時に出発したと言う。応援団にとっても選手にとっても、甲子園球場は、つくづく遠いところだ。(2016./8/30)
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■まじか!弥富市議会議員選挙
  先の弥富市議会議員選挙で、懇意にしている議員が落選をした。弥富町議会議員、弥富町長を務め、県議会議員まで歴任した大物だ。81才と高齢ではあるが、議会で、しっかりと自分の意見を述べ、問題があると思えば、行政とバトルを繰り広げる骨のある議員だった。私とも、協力し合って海部地域の発展に力を尽くそうと、誓い合った仲だ。まさかの落選に、驚いたのは私だけではないだろう。
敗因を追及すればきりはない。ただ、言えるのは、若さが立候補者にとって、大きな武器になると言うことだ。若いというだけで、有権者は期待を抱く。実績や実力よりも、若さを選ぶことがあるのだ。彼は、有権者の気持ちを読み損なったのだろうか。
私の初出馬は39才。若い私に、期待して票を入れてくれた人もいただろう。4年の休みを頂いて、通算7期目。もう、私に若さはない。ただ、長く議会に関わってきたからこそできることがある。その実績を買い、私に期待してくれるみなさんのため、3年後、あと1期は、選挙戦に名乗りをあげたいと考えている。(2016/3/15)
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■議会とは何だ。そして、議員とは何だろう
 間もなく、4年に一度の統一地方選挙が行われる。今回は、あま市議会議員24人の枠に、31人の候補者が立ち、大激戦の様相を呈している。  もともと、私が議員に立候補をしようと思った理由は単純で、「このまちを良くしたい」と思ったからである。そして、必要だと思った住民の要望については、誰よりも強く推し進めてきたと自負している。  そして、もうひとつ、議会は、行政の諮問機関としての役割を果たすべきだと強く考えている。市民の税金で立てられる予算が適正かどうか、提案が適切かどうかを判断するのが、我々議員たちの大切な使命だ。  ところが、今回、市長を守り、助けるために立候補をすると公言をしている候補者がいると聞く。あま市に、小泉ならぬ市長派チルドレンが現れたらしい。  もし、当選をすると、あま市議会の与党に組み入れられる市長派チルドレンたちは、行政=市長が提案することに、すべて賛成するのだろう。これでは、あま市議会は、まるで、政党に自分の意見を左右されるミニ国会になってしまう。こんな小さな市のちっぽけな議会である。自分の意見が言えずにどうする。行政=市長の提案かどうかに関わらず、正しいことは正しい、違うことは違うと、是々非々で、はっきりと自分の意見を表明できるあま市議会であってほしい。(2015/3/20)
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■新聞社は中立?
 多くの人は、新聞は中立の立場で記事を書いていると信じていることだろう。だが、某新聞社の記事は、行政側にばかり都合良く書かれているように、私には思えるのだ。
 議員定数を2人減らす削減案が可決をされた翌日、あま市の議員が、案に賛成・反対を一覧にされ、あげく与党だの野党だのと、色をつけて報道されていた。だいたい、国会でもないのに、与党・野党と、新聞が明言をすることにビックリした。そして、野党側とされた私たちが主張をしていた「議員定数の4人減」は掲載されず、「議員定数の2人減に反対」とされた。おまけに、前回選挙の得票数から、次回の選挙で、落選するのは、野党議員だとし、まるで、野党議員たちが、自分の身を守るために、定数削減にむやみに反対をしていると言わんばかりだった。
 人が書いている以上、記事に、主観が入るのは仕方がない。だが、読者は、記事を疑いはしない。偏った考えで書かれるのは、不愉快きまわりない。(2014/6/30)
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■住みよいまちへ
「嫁いで来てから40年余り。夏場に、家の前で立ち話ができるようになったのは、この夏が、初めてです」。
そう私に話かけてくださったのは、旧美和町の南、某大字に住む女性だ。
 以前、彼女の家の前は、乗用車1台がやっと通れるくらいの道に、幅1.5mにもなる広い側溝があった。救急車や消防車は入れず、曲がり角では、脱輪する車が続出。おまけに、夏場は蚊のたまり場となり、ひどい悪臭にも苦しめられていたと言う。美和町時代から、区長や議員に整備を訴えてきたものの、なぜか、いつも、後回し。この女性も、大字の人たちも、あきらめていたそうだ。
 このままではいけない。私は、水路改修を行政に働きかけた。それから4年。トータルで250mほどの側溝にふたができ、前述の彼女の言葉になったのだ。市の予算には、限りがある。その予算をいつ、どこに使うのか。あま市の議員として、目を光らせてゆきたい。(2014/7/15)
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■正月早々の手術
 正月早々、手術を受けるという、とんでもない事態に陥った。中学、高校から大学の途中まで、長い年月にわたる野球人生で、キャッチャーをしていたからだろうか、椎間板ヘルニアとは、40年あまりの付き合いである。10年ほど前に、一度手術を受け、以来、かなり改善されてはいたが、ここしばらく、腰に嫌な痛みを感じていた。
 家族と過ごしていた正月も、もう終わろうとする1月3日の夜、いきなり激痛に襲われた。その日は、病院で痛み止めを射ってもらい、翌日には、MRIを撮って、医者の手配。1月5日に手術を受けた。手術といっても、皮膚の上から針を刺し、レーザーを照射するので、メスを入れることがない外来手術であった。とりあえず、ひと息つけたが、完治ではない。まだ、この病とはつきあい続けねばならない。そのためにも、ひとつ誤解を解いておこう。以前から、よく「偉そうに座っている」という目で見られる私だが、実は、この椎間板ヘルニアが痛むため、ああいう座り方にならざるをえないのだ。偉そうにしたいわけでも、偉そうにしているわけでもないことを、この際、ご了解願いたい。(2013/1/15)
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■ふるさとへ
 人は、どこを自分のふるさとと言うのだろう。生れたところか、育ったところか、はたまた、結婚をして家族とともに住みついたところだろうか。
 私の母が亡くなって3ヶ月が過ぎようとしている。昨年、12月30日の夜、家族とともに食事をし、これなら来年も元気で過ごせるねと話をした。それが最後の会話となった。その夜、家族が知らないうちに、寝床でくも膜下出血を発症。3日後に帰らぬ人となった。
 愛媛県松山市出身の母は、地元で結婚をし、私を産み、24才のときに、家族で京都府舞鶴市へと移り住んだ。それから31年を舞鶴で過ごし、老齢にさしかかる頃、私が住むあま市に来て29年のときを生きた。
その母が亡くなる少し前、母のタンスを覗くと、値札がついたままの服がいっぱい詰め込まれている。あきれた私が「どうして、こんなにたくさんの服がいるんや?」と聞くと、「いつか、松山に着て帰るんや」と言っていた。体も弱っており、あんなにたくさんの服を、着て帰れるはずなどなかっただろうに…。
 それでも、やっと母の願いをかなえてやることができた。先日、松山で納骨をすませた。今は、あの碧い瀬戸内海が見える墓地で、父と母のふるさとで、私の両親は静かに眠っている。(2012/3/28)
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■タカラジェンヌ
 スポーツ系を得意とする私だが、先日、ちょっとキャラの違う出会いをいただいた。近い将来、宝塚を担うだろうタカラジェンヌにお会いをしたのだ。というのも、中学の同窓会で、仲の良かった友人が、姪っ子が宝塚に入ったので、ぜひ、応援をしてやってくれと、ブロマイドを配っていた。それが、宙組で娘役を演じる伶美うららさんだった。早速、彼女の出身地である大阪へと出向き、友人夫妻を交えて彼女と会食をした。さすが、宝塚。お会いしたとたん、思わずうーんとうなってしまった。肖像権の問題があり、写真を掲載できないのが、いかにも残念だが、ぜひとも応援をさせてもらおうと思っている。ちなみに、次期、宝塚宙組娘役ホープは、ビックリするほど食欲旺盛であった。(2012/1/20)
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■対等合併?
 1年前の3月に、対等合併を目指した旧三町だが、ここに来て、吸収合併ではないかとの憶測が飛びかっている。某部長など、臆面もなく「この合併は、吸収合併である」と、言いふらしているそうだ。市民のみなさんには、目に見えないところもあろうが、職員たちはひしひしとそれを感じている。その典型的なものが、公共施設における公共下水接続方針予定だ。旧三町のうち、甚目寺町は平成23年〜25年の間に9ヶ所、七宝町は1ヶ所、美和町は、なんと0ヶ所である。また、4月の人事では、旧甚目寺町を中心に、左遷をされた職員が昇格をしたり、部長級を独占的に占めているなど、かなりの偏りがあらわになった。また、行政的な手法は、何の協議もすり合わせもなく、すべて甚目寺町に統一されようとしているそうだ。市長が甚目寺長出身だからこのような事態が起こるのか?行政の求められるものは、万人のための公平さだと思う。今一度、あま市としての原点に立ち返ってもらいたい(2011/3/22)
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■新生あま市に天下り副市長?!
 昨日の議会で市長から承認を求められたあま市の副市長。県の職員で、旧甚目寺町の参事や旧三町の合併協議会事務局参事をこの3月まで務めていた。つつがなく承認されるだろうと思っていたが、「副市長として来てくれるからには、あま市に骨を埋めるつもりですよね」と、ある議員から質疑が出たことからもつれにもつれた。50歳の副市長予定者は、県の職員を退職し、あま市副市長を任期の4年務めた後、また、県の職員にもどることができるのだそうだ。これぞ、県職員の天下りでなくて何と言えよう。しかも、50歳で、県の職員をやめることができる彼のポジションは、いったい何なんだ。
 それにも増して腹が立つのは、質疑では副市長の登用に反対をしてしていた議員たちが、採決の時には、市長に賛成をしたことだ。国会でもあるまいし、こんなちっぽけなまちの議会で、会派やしがらみに縛られ、自分自身の意見さえ通せない議員たちこそ、何なんだ。自分を支持してくれている後援者に対して恥ずかしくないのだろうか。もの言えぬ議員たちに、ほとほとあきれはてている。(2010/9/16)
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■報道って何だ?!
最近の政治ネタを扱う報道には、少々嫌気がさしている。テレビ番組では、政治のことなぞ興味があるんだろうかと疑問に思われるタレントたちが、それぞれ自分の意見をぶちまけている。司会者が、独断と偏見で自分の意見を政治家に押し付けているような場面さえある。一般の人たちが政治に関心を持ってくれるのはありがたいが、いつの間にか、政治は面白おかしいワイドショーとして、扱われるようになった。また、何かと言うと政党支持率を、あたかも天気予報のように日々提示をし、政治家の一言一句に対して突っ込みを入れてくる。もちろん、漢字を読み誤る政治家もどうかとは思う。だが、劇場型政治を仕掛けた誰ぞのように、マスコミを味方につけないことには、政治家はつぶされてしまう。これでは、落ち着いて政などには、携われない。もし、私だったら、とっくにマスコミと大げんかをしているだろう。マスコミが相手にもしないちっぽけなまちの政治家で、つくづく良かった。(2010/8/20)
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■清水投手がんばれ!
昔ながらの友人のお嬢さんが、中日ドラゴンズの清水昭信投手と結婚をした。友人はと言うと、血液型はタイガーズ型、「六甲おろし」が子守唄と豪語する大のトラキチである。彼のお嬢さんと清水選手は、大学生の頃から恋愛をし、おつきあいをしていたところ、まさかのドラフト指名。タイガースのファンだからと、結婚反対を主張するわけにもゆかず、親戚・知人たちの「この、裏切り者!」という電話攻勢にも耐え、めでたくお嬢さんたちは、ゴールインした。
その話を聞きつけた私は、せっかくだから、清水選手の激励会をしようと提案をした。もちろん、くだんの友人にも出席をしてもらい、あま市内で、楽しいひとときを持った(写真参照)。清水選手は、気持ちの良い青年で、集まった大勢のメンバーとの記念撮影やサインにも、快く応じてくれていた。今年、彼が、一軍でバリバリ活躍をした折には、市内有名ホテルで、盛大なパーティを開くつもりでいるので、楽しみにしておいて欲しい。(2010/5/30)
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■新生あま市誕生!
2010年3月22日、無事、七宝・甚目寺・美和が合併をし、新しい市となった。とりあえずの1年は、それぞれの町の事業などが、そのまま引き継がれることになっている。おかげさまで、議長としての公務が超多忙になった。何せ、すべてが3町分。1日に会議が3回とか、日々あいさつとか。ここから先1年が、思いやられるが、「初代」は、1回限り。精一杯、勤めてゆこうと思っている。(2010/4/20)
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■成敗!
健康は、無くしてみないとそのありがたみがわからない。どれだけビールを飲んでも、どこも悪いところが無いと豪語していた私だが、飲んで帰った翌日、胸がぎゅんと痛んだ。病院でCTを受けたところ、冠動脈に若干、閉塞の兆候が見つかったとの診断。後日、入院し、カテーテル検査をすることになった。 ここまで読んで、「やった!松下もこれで終わったな」と喜ぶ御仁が、たくさんいるだろう。ちょいと待て、こんなことでは、倒れやしない。まだまだ、地域発展のために、やらねばならぬことがある。カテーテルで、閉塞が収まり、血のめぐりが良くなれば、さらにでかい声も出ようと言うもの。もの言わぬ議員たちに成り代わり、行政の膿を、切って切って切りまくろうぞ。成敗は、暴れん坊将軍のお家芸だ。次回、パワーアップした松下に、乞うご期待あれ。(2009/7/15)
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■使えないおじさん
還暦を過ぎてからの同窓会では、退職をした友人たちと顔を合わす。友人たちの中には、毎日をどう過ごそうかと、頭を悩ませている人も多いようだ。 
 最近、リタイア後の生きがい探しのため、NPO法人のインターンシップ(一定の期間、そのNPO法人で研修生として働くこと)に参加をする人がいるそうだ。利益を追求しないNPOでは、ボランティアの力に頼ることが多く、体質も考え方も、事業の進め方も、企業とは大きく異なる。NPO側に言わせると、インターンシップで使えないのは、先生と呼ばれていた御仁や大企業のエライさん。体が動く前に、ついつい口が動いてしまう。そして、人の話に耳を傾けずに、がんこに自己主張をするのだと言う。せっかく、生きがいを見つけに来ているのに、結局煙たがられる存在となってしまうのは、何とも哀れなものだ。 
 そして、どう考えても、私はその「使えない」部類に属するだろう。だが、ありがたいことに、現職には、年齢制限はない。いつまで続けられるかはわからないが、「使えないかわいそうなおじさん」になるより、もうしばらく「うるさい議員」でいられたらと思っている。(2008/9/22)
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■お父さんって
 つい先日は、妻の誕生日だった。前にも書いたが、妻の誕生日には、外へ出て行った娘や息子たちも含め、子どもたちが、次々に「おめでとう」の言葉と、プレゼントを持ってくる。どうやら、今年は、みんなで昼ごはんを食べに行こうと言う事になったらしい。そして、外出の支度が済んだ御一行。「それじゃあ、行って来るから、お父さんは適当に食べておいてね」との声とともに、行ってしまった。仕方がないので、ひとりで、ごはんに味噌汁をかけて、昼食にした。
 そして、まもなくやってくる私の誕生日。今度は、妻も含めて、子どもたちが一緒に焼肉を食べに行くと言っている。なんかだか変だと思いつつ、そんなもんかなと、無理無理、自分を納得させている。(2008/5/16)
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■誰のための政治か 
 某大先輩から、年賀状をいただいた。今年は、旧海部郡の大掃除をしようではないかと。今の僕には、それほどの力はないが、今の行政には、がっかりしている。政治をつかさどると自負する人たちには、もう少し考えてもらいたいと思う。
 そして、先輩の賀状にもあったが、最近の政治家を見ていると、主権者が誰かを完全に忘れてしまっている。選挙のときは、国や国民のためと声を張りあげるくせに、当選後は、自分のためだけの政府に様変わりをする。数のおごり・数の暴挙が、どんな日本国を創り上げるのか。
 郡内を見渡しても、まさに国政の縮図だ。各々の議員たちは、役が欲しいがために、非常識なことでも、見ざる・言わざる・聞かざるの精神を貫く。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というところか。職員にいたっては、尾っぽを振ってついてゆく輩が多く、まるで○○チルドレンを見ているようだ。彼らの頭の中には、昇進、配置転換、そんな思惑しかないのだろうか。全く情けない話である。
 そして、そんな実態を、知ろうとする町民が少ないのは、悲しいことである。関心を持ってもらうことも大切だが、情報源の確保も重要だ。政治の舞台から降りている僕だが、情報にはまだまだ敏感だ。美和町のご意見番として、是は是、非は非、厳しく追及をしたい。 (2006/01/04)
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■年末の買出し
 大晦日の日、養老にある某肉屋へと、買い物に行く予定をしていた。本店は岐阜県の高山にあり、レストランも経営している、結構有名な店だ。ココからは、片道約40分。年末だけは、8時開店なので、家を8時頃に出て9時には買い物を済ませてと考えていた。ところがだ。あらぬところから情報を入手した。
 29日に会う約束をしていた知人が、約束の時間の1時間前になって、少し遅れると連絡をしてきた。会ってから事情を聞いてみると、例の肉屋へ行っていたとのこと。なんと、100人以上の人の列で、しばらく待っていたが、埒が明かない。やむなく引き上げてきたとのことだった。
 いつもアンテナは高くしておかねばならない。おかげさまで、僕は、並ぶものと覚悟を決めて、31日は、朝7時に出発。到着したときには、やはり、100人以上の人が行列を作っていたが、心構えは万全。ゆったりした気分で並ぶことができた。おまけに、帰るころに、行列は、200人以上に。早起きは、3文の得とは、こんなことを言うのだろう。
 お正月は、うまい焼肉を肴にビール。往復3時間の対価としては、満足している。(2006/01/04)
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■愛知万博
 愛知県は、万博一色。テレビのニュース番組には、必ずと言っていいほど、万博特集が盛り込まれている。あまり興味はないが、せっかく愛知県で開催されている。一度は、足を運んでみたいと思っていた。
 そして、6月半ばの月曜日、あるイベントに参加するため、家内ともども行く機会に恵まれた。風はあったが、陽射しは夏。おまけに、13万分の1人と言う、結構な混雑日にあたってしまった。
 暑いし、人は多いしで、結局は目的だったイベントに参加し、リトアニア館の地ビールを飲み、たこ焼きを食べただけで、さっさと帰ってきた。家内は、もう一度行っても良いと言っているが、僕はもう充分。家で冷えたビールを飲みながら、テレビで万博見物をしている。(2005/09/01)
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■小さな決意…健康のために
 2年前のクリスマスに、ヘルニアの手術をした。選挙前の大切な時期だったが、立ち上がることもできないほどの痛みに耐えられなかったのだ。その後も、痛む腰をだましだまし、今日に至っている。
 そんな状態を少しでも改善しようと、1/3から、毎朝2.5kmほど歩くことにした。意志だけは固い僕である。すでに、日課として定着をしている。しかし、そんな僕も、2/1の朝だけは、あまりの雪に、やむなく挫折しかけた。が、それでは男がすたってしまう。代わりに、その日の夕方は、ばっちりと飲み歩いた。(2005/2/7)
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■悩み
 フツーのおじさんになって、はや1年。みなさんにご心配をおかけしながらも、どうにかこうにか、日々、暮らしております。
 後頭部をつくづく眺めて、「先生薄くなったね」と言われるようになって長い。何とかならないものかと、僕は多くの努力を重ねてきた。薬・マッサージ・食生活の改善。どれをとっても、コレという決め手にはならなかった。 だが、昨年、この悩みから開放される秘策を見つけた。現在実践中である。効果のほど?それは、数年後、僕がみなさんの前に現れたときに、ご自分の目で確認して頂こけるだろう。(2004/6/23)
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■お詫びをひとこと〜議長辞職〜
 この20日に、議長職を辞任する。七宝町議に対する名誉毀損事件が新聞で報道された件で、責任を取った形となる。七宝町長選挙の応援演説でウソをついたわけではないが、くだんの報道で、僕と美和町に対するイメージが、地に落ちたことは否めない。申し訳なく思っている。
 だが、今回のことでは、僕よりも某七宝町議のほうが、窮地に陥るに違いない。もともとよからぬ噂があった彼のことだ。この事件を見て「やはり」と思った人も多かろう。
間もなく、統一地方選挙だ。きっと彼は、出馬をするだろう。はてさて、七宝町民がどんな判断を下すか。楽しみだ。(2003/2/10)
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■成人式にて
 2年前の成人式で、高知県知事・橋本大二郎氏が、野次を飛ばした新成人を一喝した話は、有名である。
 ここ数年、美和町でも、成人式中のおしゃべりや携帯電話には、手を焼いていた。だが、昨年は、「大二郎効果」が波及したのだろうか、式は平穏に滞りなく遂行できた。
さて、今年はいかがかと、式に臨んだが、一部の新成人から始終嬌声が巻きあがり、会場全体もざわざわしていた。これじゃあ、僕の祝辞もまともには聞いてくれないだろうと、覚悟を決めていたのだ。
 ところがだ。町長が式辞を読み上げている最中に、なんと、ご両親の席から「おまえら、静かに聴かんか!」と怒声が響き渡った。会場が水を打ったように静まり返ったのは言うまでもない。鶴の一声とは、まさしくこういうことを言うのだろう。おかげさまで、次の僕の祝辞は、コチラが気恥ずかしくなるくらいに静かだった。
 成人式とは、日頃会えない友人たちと、旧交を温める場でもあるのはわかっている。だが、できることなら、互いにせっかくの式典を気まずい雰囲気で終わらせたくはない。人に教えを説くほど、僕の人間が出来ているわけではないが、少なくとも、誰かが怒鳴らねばならないような事態は、避けてもらいたいと望む。(2003/1/13)
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■このまちが好き!?
 ちまたでは、町村合併の話が、再燃しつつある。この3月までに、国から決断を迫られているのだから仕方のないことだ。もちろん、美和町も同様。間もなく、東部四町で、第2回目の研究会が開催される。へんてこな例えではあるが、もし、名古屋市の人間に他町村と合併したいかとアンケートで尋ねたら、「ノン」という返事が返ってくるのではないだろうか。
 名古屋市に住む人が、自分たちの暮らしに満足していると、僕は思わない。だが、彼らの心のどこかには、「名古屋市」に住んでいることを、誇りに思う気持ちがあるのではないか。「名古屋市は、他町村と合併なんてしなくたって、やっていけるさ」、そんな自負を持っているように感じるのだ。さて、海部・津島の住民は、どうだろう?
 一概には言えないが、「このまちは、住みにくい」、そんなつぶやきを耳にすることが多い。その裏には、「合併をすれば、もっと住みやすくなるかもしれない」、そんな気持ちが見え隠れしているように感じるのだ。もしも、この美和町でアンケートを採ることになったら・・ちょっぴり背筋を寒いものが走る。
 こうしてみると、町村合併は、そのまちに対する住民の気持ちまでもさらけ出させる、罪な案件なのかもしれない。(2002/12/7)
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■政治家ってそんなに良いか?
 議員生活を15年も続けてきた松下あきのりです。
 小泉純一郎、田中真紀子、石原伸晃、麻生太郎、河野洋平、小渕優子、橋本龍太郎、鳩山由紀夫、鳩山邦夫、後藤田正純、竹下亘、梶山弘志、・・・・・・・・・・・まだまだ、多くの名前をあげることができるだろう。いずれも二世議員と呼ばれる輩だ。
 もちろん、自身は望まなくとも、世間のしがらみにガチガチに縛られ、しょうことなしに立候補を決意した御仁もいるだろう。だが、すべてとは言わないまでも、いくばくかは、政治家になって欲しいという、親たちの意思も反映されているのだと感じる。そんなに、政治家がいいのだろうか?
 選挙ともなれば、家族や友人に迷惑をかけ、我が身を削る思いをせねばならない。おまけに「態度がでかい」と言われる僕でも、選挙中はもとより、選挙後だって、始終あちらこちらで頭を下げて歩かねばならない。下手な言動は、バシバシに、たたかれるもとになる。全くもって、不自由な生活だ。
 もちろん、この人生を後悔はしてはいない。だが、僕だって時には、「バッカヤロウ」とぶちかまして、政治家なんてスパッとやめてしまいたいと思うこともあるのだ。(2002/11/17)
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■長崎 〜家内との思い出〜
 島国日本の玄関口、長崎を久しぶりに訪れることとなった。高校の修学旅行以来だから、もう38年になる。
 高校2年の修学旅行。この言葉を聞くと、恥ずかしながら、今でも胸の奥がキュンと鳴る。長崎は、決して忘れることのない家内との思い出の地でもあるのだ。
 家内と僕は、東舞鶴高校で知り合った。テニスが上手くて活発だった家内は、よくもてた。そして、悔しいことに僕と同じ野球部のやつと付き合っていた。かわいいとは思っていたが、所詮は人の彼女。僕には、どうすることもできなかった。
 だが、修学旅行のとき、どうしたことか、家内はやつからふられてしまったのだ。人目をはばかって泣いていた家内。かわいそうで愛しくて、思わず守ってやりたくなった。
 そして、異国の香りがする長崎のまちで、今で言う、僕は家内に「告った」のだ。それから偕老同穴の契りを結ぶまで6年、ドウケツエビとなって32年が流れた。
 今更、面映い言葉ではあるが、僕にとって、家内と出会えた幸せは、なにものにも代えがたい。6人のも子宝に恵まれて、ここにこうしていることが出来るのは、ひとえに家内のおかげである。
 ただ、悲しいかな、僕らが40の坂にさしかかったとき、家内は、脳梗塞で高校時代の記憶を失ってしまった。もう、当時の思い出を分かち合うことはないだろう。だが、あの日の長崎は、きっと家内の頭のどこかに刻み込まれているはずだ。
 もしも、来世があるのなら、生まれ変わることができたなら、もう一度家内とともに歩みたい。ただ、今度こそは健康に、それだけが僕の願いである。(2002/10/13)
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■やったね!杉山ジュニア
 野球には、ちとうるさい、松下あきのりです。東舞鶴高校で野球をしていた頃、お隣の西舞鶴高校の1年先輩に、杉山と言う選手がいた。彼は、その後東舞鶴高校の僕の同級生と結婚をし、市役所に勤めている。
 そして、この春、彼らの子ども・杉山直久が、Max150`の剛腕を手土産に、ドラフトの自由獲得枠で阪神入をする。東舞鶴高校野球部創部以来、初めての快挙だ。
 龍谷大学で活躍する彼は、高校時代から、プロの呼び声が高かった。メジャーリーグからの勧誘も、半端ではなかったようだ。決まったのが、中日ではなかったことが、ちょっぴり残念だが、彼が日本の球団を選んでくれたことは、喜びに堪えない。
 10/9のスポニチの一面を飾る、杉山ジュニアの笑顔を見ていると、ちょうど時計の針が8時20分をさしているような、ハの字型の眉をした彼の父親の顔が、オーバーラップをした。彼のプロ野球人としての活躍に、大いに期待をしている。おめでとう!(2002/10/17)
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■彼岸の頃 〜七宝町・会社社長強盗殺人事件〜
 真紅の曼珠沙華が、目に付く季節になった。シビトバナとも言われるこの花を、嫌う人は多い。彼岸の頃に、ひときわ映えわたる紅色は、鬼籍に入った人を思い起こさせるからだろうか。
 悲しいかな、先日、弔辞を読むはめになってしまった。新聞やテレビを騒がせた七宝町、桐壽商事・鷲見(すみ)社長の葬儀だった。彼とは、知り合って数年にしかならないが、互いに感じるところが似ていたのだろう。たまーに食事をし、意見を交換していたものだ。
 そして、あの8月31日、事件の起きる数時間前にも、僕は彼と会っていた。早とちりなぞして下さいますな。僕は、彼を恨んだこともないし、金が必要なわけでもない。間違っても、犯人なんぞじゃありえませんぞ。
 実は、少し以前から、腰の調子が思わしくないと、僕は彼に愚痴をこぼしていたのだ。彼は、あの日、なんと一抱えもの湿布薬を持って、僕の事務所を訪ねてくれた。健康には、人一倍関心がある彼らしい気配りだ。ちょっと多すぎやしないか、口には出さぬが、そう思いつつ、「ありがとう」と受け取った。彼とは、それほど、頻繁に会うわけでもない。だが、これも何かの縁だったのだろう。結局、家族以外で、最後に彼の姿を見たのは、僕だった。
 手元に残った彼からの湿布薬。この白い湿布薬を見るたびに、僕は、彼のあの時の笑顔をそして、検視係の手で、きれいに整えられてはいたが、苦しさと悔しさがにじんでいた彼のなきがらを思い出すのだろう。
 今日現在、犯人は、まだ逮捕されていない。残されたご家族の悲しみが癒えるわけではないが、1日もはやい事件の解決を願うばかりだ。合掌。(2002/9/10)
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■占い
 美和町の夏祭りで、占いをしてもらった。全体の運勢は、絶好調とのことだったが、金運悪し、浮気は厳禁、交通事故には気をつけるべし、とのこと。ちょっと、ムッとしていた。
 それから、1ヶ月。はからずも当たってしまったのは、車と占い。ぶつけてきたのは、相手だったが、しばらく車は、おあずけ状態、不便をした。残っているのは、金運と浮気・・当たらないようにと、ヒヤヒヤしながら暮らしている。
 教訓)自分の運勢は自分で決めよう。もう、占いはこりごりだ。(2002/9/1)
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■高校野球考
  〜なぜ愛知県勢は、優勝旗を持ち帰れないか〜
 高校球児なら、一度は踏みしめてみたい甲子園の土。その甲子園で、間もなく全国約4000校の頂点に立つ高校が決まる。
 今年、愛知県からは、野球の名門・東邦が出場。残念なことに、早くも2回戦で姿を消した。愛知県に住む高校野球ファンには、さみしい話であるが、あれほど甲子園を沸かせた愛知県勢が、最近は、トンと振るわない。往時の中京商業や東邦の目覚しい活躍は、どうなったのかと、いぶかしく思っている方も少なくないだろう。
 中・高はもちろん、名古屋商科大学へは野球推薦で入学し、野球三昧の日々を送っていた僕は、野球については、ちとうるさい。はてさてこの野球王国・愛知の衰退はどうしたことか。某高校の野球部監督とも話をし、僕なりに考えた。
 愛知県は、高校野球連盟に加盟している高校数が、神奈川・大阪についで、3番目という超激戦区だ。今年も約180校が甲子園を目指した。計算をすればわかるが、同じ甲子園出場校でも、愛知県勢は、より多くの関門を越えねばならない。勢い、甲子園のグランドに立つ頃は、選手の士気も高まり、足並みが揃った一皮むけたチームとなるはずだった。
 だが、愛知県では、甲子園への足がかりとなる、大切な春と秋の公式戦が、地域別に一次リーグ、二次トーナメント(もしくは、リーグ)と2段階に分けて行われ、優秀な成績を収めたチームが県大会へ出場する、他府県とは若干異なった方式を採用している。
 しかも、一次リーグは、なぜか球場設備が整った高校のグランドを用い、当の高校はというと、必ず自校のグランドで試合に臨む。球場設備が完備している高校=野球に力が入った強豪校、と言う図式が成り立つとともに、強豪校同士が、一次リーグで対戦する可能性は、皆無である。
 早い話が、強豪チームたちは、実力もさることながら、楽々と二次トーナメント(もしくは、リーグ)に進出することができるのだ。また、春の大会でのベスト8は、スライド式に夏の大会のシード校となる。つまるところ、甲子園に姿を見せる愛知県勢は、初戦から、どこと対戦するのかわからない他府県チームに比べ、どうしても緊迫感に欠けるのだ。
 僕が思うに、甲子園で勝ち抜くためには、地方大会での切磋琢磨も、必要ではないだろうか。この試合に負ければ終わる、そんな切迫感が、若く柔軟な精神を、強く逞しく成長させるのではないか。
 これがすべてではないだろう。だが、愛知県高校野球連盟には、春と秋の公式戦の対戦システムを再考していただき、かつての野球王国・愛知の名を、全国にあまねく知らしめてもらいたいと思う。(2002/8/16)
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■「昭憲」という名前
 「立」つ「木」を「見」ると書いて「親」。僕は、寡黙だったが、強い信念を持ち、しかと大地に根を張って生きていた父を見て育った。「昭憲」は、そんな父がつけてくれた名前だ。
 戦争が終わってまだ間もない、昭和22年。僕は、松山で生を受けた。戦前の価値観はいともたやすくくつがえされ、何を信じて良いのか、人々は、戸惑い迷っていた時代だったろう。
 そんな人々の前に提示された「日本国憲法」は、主権在民、戦争放棄を声高らかに謳い、海外のきらびやかな文化の香りを運んできた。人々は、新しい憲法に、今まさに生まれ変わろうとする日本の胎動を感じたに違いない。
 職業軍人だった父もまた、終戦後は心の拠り所を失っていた。だが、彼は「日本国憲法」なら、日本の未来を託せる、もう一度ひたむきに生きた日々を取り戻せると信じたのだろう。
 昭和22年5月3日に、「日本国憲法」が施行され、その15日後、僕は父の第一子として生まれた。「昭和」に生まれた「憲法」で『昭憲』。人々の期待と祈りが込められた「日本国憲法」を掲げて、甦ろうとする日本の気概を、彼は僕の名前に刻み込んだ。(2002/8/15)
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■飲んだら乗るな!?
「飲んだら、乗るな!」というわけで、自転車を借りて帰ろうと思った。さあ、走ろうと意気込んだものの、あれ、あれれ!?危うく田んぼに突っ込みそうになった。酔っ払っていたからか、はたまた?
 車のハンドルを握って帰ったほうが、ずーっと安全で確実だったと、自転車を押して歩きつつ、そう思った。ちょっと人には見せられない、ある夏の夜のワンシーンでした。 (2002/8/15)
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■悪いうわさはこんな風に・・
 初めて会った人に、「遊び人風だね」と言われることがままある。暴れん坊将軍・新さんを気取っているわけではないが、「ま、ビール一本つきあえや」と気軽に誘うからだろう。飲みながら、話が弾んでくると、相手が聞きたそうにしていることを、ついつい言ってしまう。「女?女なら5人はいるよ」。
 相手は、一瞬驚いたような顔をするものの、不思議とそのまま納得をしてしまう。「しまった」と思っても、あとの祭り。かくして、「松下には、どうやら女が5人いるそうだ」というウワサが、まことしやかにささやかれることになるのだ。(2002/7/15)
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■ちょっとさみしいお父さんのお話
 暴れん坊将軍メールマガジン・創刊準備号を発行した5月18日は、僕の55回目の誕生日だった。期待をしていたわけではないが、僕にしては、はやく帰宅し夕食をとっていた。だが、待てど暮らせど、誰も何にも言わない。実は、僕の誕生日の12日前、5月6日は妻の誕生日だ。その日は、嫁いで行った娘をはじめ、6人の子どもたちが、それぞれ妻に「おめでとう」の言葉をかけていたはずなのに。
 今更誕生日を祝って欲しいとは思わないが、この違いは、なんなんだ。どこの家でも、同じなんだろうか?暴れん坊将軍のちょっとさみしいお父さんのお話でした。(2002/6/14)
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■ITの波がやってきた!
 松下あきのりです。美和町に来て、25年。町議会議員のバッジをつけさせて頂き、15年が過ぎようとしています。
 町会議員に初当選したとき、「若手」と呼ばれた僕も、4期目を迎えて、いつしか「古参」という言葉が似合うようになった。まだまだ、若い議員たちに負けてはいないつもりではあるが、パソコンを自由自在に使いこなし、自らHPを開設、メールを駆使している彼らとは、残念ながら世代が違うことを実感している。彼らの口から飛び出すなじみのないIT言葉を耳にするたび、取り残されたような気持ちになったものだ。
 時代は着実に動いているのだろう。新しい世代がメールやHPから、あたりまえのように情報を仕入れ、活用しているのを見るにつけ、僕もインターネットでの情報発信に挑戦したいと思った。だが、いかんせん、ITに関する知識が乏しい僕には、何から手をつけていいのかさえわからない。
 そんな時、ある女性と出会った。彼女は、私設版ながら自分でHPを開設、メールで友人たちとコミュニケーションを取りあっているそうだ。
 「よかったら、僕のHP開設を手伝ってはもらえないだろうか」。そう彼女に相談を持ちかけたのは1ヶ月前。しばらく考えていた彼女だったが、自己流の知識しかない自分は、もっとHP作成のノウハウが知りたい、ついては、数人でチームを組み、時には講師を呼び、学びながらHPを作らせて欲しいと言う。願ったりかなったりとは、こんな場合に使うのだろう。早速、パソコンを購入、クローバーTVでアドレスを取得し、HPを開設できる環境を整えた。
 その日以来、僕の事務所では、パソコンを中心に、HTML、GIFファイル、転送ソフトなど、今までにないIT用語が飛び交うようになった。彼女たちのおかげで無事にHPも開設できた。僕はまだ、キーボードさえぽつぽつとしか打てないが、確実に新しい世界に一歩近づいたと感じている。(2002/5/15)
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■自分のことは占えない?!(2018/8/13)
■七宝焼アートビレッジの軽トラ市(2016/10/1)
■マイブームは帽子(2016/9/30)
■甲子園はやっぱり遠かった(2016/8/30)
■まじか!弥富市議会議員選挙(2016/3/15)
■議会とは何だ。そして、議員とは何だろう(2015/3/20)
■新聞社は中立?(2014/6/30)
■住みよいまちへ(2014/7/15)
■正月早々の手術(2013/1/15)
■ふるさとへ(2011/3/22)
■タカラジェンヌ(2012/1/20)
■対等合併?(2011/3/22)
■新生あま市に天下り副市長!?(2010/9/16)
■報道って何だ?(2010/8/20)
■清水投手がんばれ(2010/5/30)
■新生あま市誕生!(2010/4/20)
■成敗!(2009/7/15)
■使えないおじさん(2008/09/22)
■お父さんって(2008/05/16)
■誰のための政治か (2006/01/04)
■年末の買出し(2006/01/04)
■愛知万博(2005/09/01)
■小さな決意…健康のために(2005/2/7)
■悩み(2004/6/23)
■お詫びをひとこと(2003/2/10)
■成人式にて(2003/1/13)
■このまちが好き!?(2002/12/7)
■政治家ってそんなに良いか?(2002/11/17)
■長崎 〜家内との思い出〜(2002/10/13)
■やったね!杉山ジュニア(2002/10/17)
■彼岸の頃(2002/9/10)
■占い(2002/9/1)
■高校野球考(2002/8/16)
■「昭憲」という名前 (2002/8/15)
■飲んだら乗るな!?(2002/8/15)
■悪いうわさはこんな風に・・(2002/7/15)
■ちょっとさみしいお父さんのお話(2002/6/14)
■ITの波がやってきた!(2002/5/15)
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