東海地方の水生昆虫相(第1報〜第4報) 抄録
この抄録では,第1報から第4報までの要約を載せています.各種類の分布,特徴等については省略しています.
名古屋女子大学 紀要 第35号(家政・自然編)145〜155 1989
東海地方の水生昆虫相(第l報)
八田耕吉
Fauna
of Aquatic Insects in the Major Rivers
of
the Tokai District,Central Japan(I)
水質汚濁の現状把握の一環として生物学的水質判定法(津田,1964;津田・森下,1974など)がとり入れられるようになって,約20年が経過した.その間,自治体を始めとして各種の水質調査が多く行われてきたが,その多くは河川における水質汚濁調査だけを目的としているため,それらの地域における底生動物相を知る上では不十分であった.陸上性昆虫類における生物相の調査は,各種同好会を中心とした活動により,地方誌によくまとめられている.その反面,水生昆虫のリストづくりは,陸上性昆虫と比較して非常に少ない(岐阜県環境部保全課,1982;須甲,1964;谷田,1974;内田,1986).近年,環境が大きく改変されるにつれ,古くから生息していた昆虫類の生息地が失われてゆくことと共に,環境の現状把握の面から,その必要性が省みられている.特に東海地方における水生昆虫類に関する報告は,水質汚濁と関連づけた報告(愛知県水資源対策室,1977;建設省木曽川上流工事事務所,1976;建設省庄内川工事事務所,1975など)が多く見られるのに対して河川の生態的特質などと関連づけた水生昆虫類の基礎的研究報告は皆無に等しい.また,その多くは水質調査として行われているために,同様な意味合いからも,中・下流部および汚濁河川が中心となっていることは否定できない.
さらに次の間題点は,現在水生昆虫の同定が幼虫のみで行われており,それも「水生昆虫検索図説」(川合編,1985)および過去には「水生昆虫学」(津田,1962)の単行本にのみ頼って行われていることがあげられる.すなわち,両書が完全に出来上がった教科書として使われており,水生昆虫の大半が成虫と幼虫の関係が付かないままに分類されている事に気付かないまま利用されているといってよい.また,成虫などの分類学的な基礎知識なく単なる生息幼虫だけの知識として処理されている点にも問題がある.いっぼう,河川の水質汚濁の進行や,上・中流域の関発を考え合わせると,地域水生昆虫相の解明は早急の課題と思われる.同時に,水生昆虫を使った指標種の選定や,生物学的水質判定などの水質汚濁との関係で種の同定を行う場合,地域性や生態的分布を無視して行っている例が多く,例えば北海道, または沖縄でしか分布しない種や,河川では見られない種などが誤同定されて,東海地方の報告書などに現れてびっくりさせられることがある.分布や生息環境,季節的消長などを加えた生態的な知見での水生昆虫類に関する把握をしていれば,河川環境との関係が明白なばかりか同定上大きな補足知識になると考えられる.少なくとも一般の素人達による同定の上で余分な検索を強いることが少なくなるであろう.そこで,筆者はこれらのことを同様に間題として抱えている各分類群の専門研究者と共同でその分類群ごとに地域的な生物相の取りまとめを行ってみた.筆者は,1970年より岐阜県・愛知県を貫流する主要河川,豊川,矢作川,庄内川,木曽川,長良川,揖斐川などにおいて水質汚濁の調査を行ってきたが,その際に得られた採集データーを整理し,さらに前述した様な不備な点を補うために1988年の春季を中心に成虫の採集を行い,また成虫と幼虫の関連づけのための飼育をもおこなった結果を併せて報告したい.本報(第1報)では,この調査の方法および調査地点の概要を述べ,各分類群における調査結果は第2報以下順次発表していく予定である.
名古屋女子大学紀要 第35号(家政・自然編)157〜169 1989
東海地方の水生昆虫相(第2報)
東海地方のカワゲラ類
八田耕吉・内田臣一
Fauna
of Aquatic Insects in the Major Rivers
of
the Tokai District , central Japan(II)
Plecoptera
in the Major Rivers of the Tokai District
Koukichi
HATTA and Shigekazu UCHIDA
は じ め に
束海地方のカワゲラ類に関する報告は,その大半が水質汚濁調査もしくは地域生物相に伴っての報告である.その多くは水生昆虫すべてを扱った調査の一部で,幼虫を対象に報告されている.しかし,カワゲラ目を幼虫のみで,しかも「水生昆虫検素図説」(川合編,1985)や「水生昆虫学」(津田編,1962)のみに頼って同定することは充分に信頼に足りうるとは思えない.現時点で,カワゲラ類の既知種は約150種であるが,その内約40種しか幼虫と成虫の関係が判明していないため,ほとんどの種の幼虫では属もしくは科までしか分類上の同定ができない場合が多いのが日本の現状である.そのためには出来うる限りはやく地域生物相の解明をすることがカワゲラ相解明の一助になるひとつの課題ともいえる.
種 類 数
本調査で得られたカワゲラ目の種類数は,分類学的に間題のある群が多いので確定できにくいが,少なくとも34種を数えることが出来た.この数は,幼虫のみによる調査としては充分に多く(幼虫中心の調査例:川合,1958,御岳山周辺,少なくとも31種;内田,1986,房総丘陵,同13種),東海地方が豊かなカワゲラ相を持つことを示している.しかし,成虫を含めて調査した多摩川の例(内田,1987,少なくとも87種)よりはるかに少なく,今後成虫が調査されれば,さらに多数の種を追加することが充分に予想される.
カワゲラ相の特徴
この度得られたカワゲラ類の種の多くは,日本の低地帯に広く分布することが知られている種(Kawai,1976;内田,1984,1987)である.その理由は,ひとつには本調査の重点的な目的が生物学的水質判定にあったので,人家に近い標高の低い調査地点が多かったためと考えられる.いっぽう,東海地方での一部の標高の高い調査地点での採集記録に対応させて,奥多摩,丹沢山地での垂直分布(内田,1984,1987)結果と比較すると,低地性の属種(7.アミメカワゲラモドキの一種,20.オオヤマカワゲラ属,23.カワゲラ,24.カワゲラ上野型)がより高い標高(奥多摩,丹沢山地,約600m;東海地方,約700−800m)まで豊富に分布する傾向が認められる.いっぼう,奥多摩,丹沢山地の標高約500m以上で極めて普通に多数採集されるモンカワゲラ種群(16.)は,本調査地域ではわずか3地点で少数採集されたのみである.これらのことから,東海地方ではカワゲラの垂直分布が奥多摩,丹沢山地よりやや高い方向にずれていて,そのことが低地性の種が多く得られた原因のひとつとも考えられる.
水質汚濁に対する耐性
この地方における河川の水質汚濁において特徴的なのは,陶磁器産業による陶土の流入である.その汚濁に対する耐性を推定した結果,すでにカワゲラ相の項に記したようにヤマトアミメカワゲラモドキ(6),フタスジミドリカワゲラモドキ(11),カワゲラ(23)は耐性が強く,オオヤマカワゲラ属(20),クラカケカワゲラ属(21)は弱いらしい.ここで耐性が強い種はすべて1年1化(磯辺,1984;内田,1987),弱い種は2−3年に1化(Isobe,1981;内田,1987)である.これと同様の関係(年1化の種は耐性が強く,2−3年に1化の種は弱い)は,全く違う種の河床の不安定に対する耐性において,多摩川水系でもみられる(内田,1987).したがって,陶土の流入はカワゲラ類に直接には河床の不安定として影響を与え,幼虫期間の長い種がすみにくくなっている可能性がある.しかし,この関係を利用して,逆にl年1化の種の相対的な多産を陶土流入の指標とするには,より詳細な分布調査と陶土流入がカワゲラ類に与える機構の解明が望まれる.
名古屋女子大学 紀要36(家・自)167〜178 1990
東海地方の水生昆虫相(第3報)
東海地方のマダラカゲロウ類
八田排吉・石綿進一*
Fauna
of Aquatic Insects in the Major Riversf the Tokai District,Central Japan(III)
Ephemerellidae(Ephemeroptera) in the Major Rivers of the Tokai District
は じ め に
マダラカゲロウ科はコカゲロウ科,ヒラタカゲロウ科とともに多くの種を包含した分類群である.その分類はカゲロウ目のなかでは比較的整埋が進んでいるものの(御勢,1985),多数の未記載種やシノニム(同物異名)が存在すること,近縁種間の相違点が不明瞭なこと,同一種間での変異が多いことなどから,他の分類群と同様に間題点の多いのが現状である(石綿,1986,1987,1989).そのためマダラカゲロウ科をはじめとする多くの分類群について信頼性の高い種のリストは公表されていないようである.
また一方では,生物学的な水質判定法の手段としての河川底生動物の現況把握が広く行われるようになり,数多くの調査データが発表されている.しかしその調査結果には,先に述べたように分類上の問題から誤同定が少なくなく,地域間での調査データの互換性に多くの混乱を招いている.この現状から分類学的な整理とそれに基づく地域生物相の解明は急務と考えている.
筆者の一人は国内に分布する各種マダラカゲロウを調査し,その全容をほぼ明らかにすることができた.この分類の詳細については別稿で論じるが,本報では東海地方で採集されたカゲロウ目マダラカゲロウ科の種リストについて報告する.またおもな種については本調査や文献で得られた幼虫の分布,生活史などの知見を付記した.
種類相および生態
本調査で採集されたマダラカゲロウの種類数は16種であった.この数は神奈川県の20種(石綿,未発表)と比較すると少ない.これはこの調査の目的の一つが生物学的水質判定にあったため,瀬での採集に偏ったことが原因して特異なハビタートに生息する種や緩流性の小型種が採集されなかったためと推察される.さらに今後の調査が進展するに伴いより多くの種のマダラカゲロウが記録されるであろう.
次に各属の主な種について,それらの種の分布傾向などを述べたい.
シリナガマダラカゲロウ属Acerellaでは, シリナガマダラカゲロウA.longicaudata1種が採集された.本種は流速の緩やかな川岸,淵さらに湖岸にも生息している(Ue’no,1928;今西,1945;石原,1982;石綿,1989).本調査では平地河川に多く分布していた.年1世代で3−4月ごろに羽化する(御勢,1985).
トウヨウマダラカゲロウ属Cincticostellaでは,クロマダラカゲロウC.nigra,オオクママダラカゲロウC.okumai及びチェルノバマダラカゲロウC.tshernovaeの3種が採集された.これら3種は,幼虫の形態が類似しているため過去に同定上の誤りが少なくなかった.特にクロマダラカゲロウC.nigra,オオクママダラカゲロウC.okumaiの2種が酷似している.従来の分類方法では明確な識別は困難であるが,同所的に分布している場合は各種の発育ステージの相違を利用することによってある程度の識別は可能である.それぞれの種の生活環は年1世代を示し,“季節的なすみわけ”が認められるからである(石綿,1989).つまりオオクママダラカゲロウC.okumaiが4月ごろ,チェルノバマダラカゲロウC.tshenovaeが5月ごろ,クロマダラカゲロウC.nigraが6月ごろそれぞれ羽化する(石綿,1989).これら3種については,オオクママダラカゲロウC.okumaiが上流域から中流域かけてかなり広範囲に分布するのに対して,クロマダラカゲロウC.nigraはより上流域に,チェルノバマダラカゲロウC.tshernovaが中流域にそれぞれ分布するようである.
トゲマダラカゲロウ属DrunellaではオオマダラカゲロウD.basalis,ミツトゲマダラカゲロウD.trispina,コオノマダラカゲロウD.kohnoae,フタマタマダラカゲロウD.bifurcata,ヨシノマダラカゲロウD.cryptomeria,ムコブトゲマダラカゲロウD.sp.の6種が採集された.これらトゲマダラカゲロウ属の中では,ミツトゲマダラカゲロウD.trispina,コオノマダラカゲロウD.kohnoae,フタマタマダラカゲロウD.bifurcata,の3種が類似していているが,これら3種も前属同様,各種の発青ステージの相違を利用することによって識別が可能である.つまり,コオノマダラカゲロウD.kohnoaeが4−5月ごろ,ミツトゲマダラカゲロウD.trispinaが5−6月ごろ,フタマタマダラカゲロウD.bifurcataが6−7月ごろそれぞれ順に羽化するからである(石綿,1989).ミツトゲマダラカゲロウD.trispinaを除くトゲマダラカゲロウ属各種は上流域から中流域にかけて広く分布していたが,ヨシノマダラカゲロウD.cryptomeriaの分布はさらに
広範囲に及ぶようである.
マダラカゲロウ属Ephemerellaでは,キタマダラカゲロウE.aurivillii,ホソバマダラカゲロウE.denticula,クシゲマダラカゲロウE.setigera,マダラカゲロウ属の1種E.sp.の4種が採集された.キタマダラカゲロウE.aurivilliiは今西(1940),大沢(1980),石綿(1989)が指摘しているように,本調査でも標高の高い水域で採集された.ホソバマダラカゲロウE.denticulaの多くは山問部の渓流に分布していたが,キタマダラカゲロウE.aurivilliiと比較するとより標高の低い地点で採集されていた.クシゲマダラカゲロウE.setigeraの採集された氷域は,上流域に多いものの前者2種と比較してさらに広範囲であった.
エラブタマダラカゲロウ属Torleyaでは,エラブタマダラカゲロウT.japonica1種が採集された.本種は中流域から下流域にかけて分布しているようである.
アカマダラカゲロウ属Uracanthellaでは,アカマダラカゲロウU.rufal種が採集された,本種は中流域から下流域にかけて広く分布していた.
上流域に分布していると思われる種
クロマダラカゲロウC.nigra,キタマダラカゲロウE.aurrivillii,
ホソバマダラカゲロウE.denticula
上流域から中流域に分布していると思われる種
オオクママダラカゲロウC.okumai,オオマダラカゲロウD.basalis,
フタマタマダラカゲロウD.bifurcata,ヨシノマダラカゲロウD.cryptomeria,
クシゲマダラカゲロウE.setigera
中流域に分布していると思われる種
チェルノバマダラカゲロウC.tshernovae
中流域から下流域に分布していると思われる種
シリナガマダラカゲロウA.longicaudata,エラブタマダラカゲロウT.japonica,
アカマダラカゲロウU.rufa
名古屋女子大学 紀要 37(家・自)197〜206 1991
東海地方の水生昆虫相(第4報)
東海地方のトビケラ類
八田耕吉・野崎降夫*
Fauna
of Aquatic Insects in the Major Rivers of the Tokai District,Central Japan(IV)
Caddisflies(Tricoptera) in the Major Rivers of the Tokai District
は じ め に
トビケラ類はカゲロウ類・カワゲラ類とあわせて水生昆虫類のなかでは,非常に大きな分類群である.トビケラ類も他の水生昆虫類と同様に幼虫による種の決定は非常に困難である.特にシマトビケラ科・ナガレトビレラ科などにおいては,近縁種間における区別点などに問題点が多い。現在日本におけるトビケラ類は成虫で200余種が確認されているが,谷田(1985)によると成虫と幼虫が結びついているのは80種ほどである.それゆえ河川底生生物相を扱った調査資料の信頼性は低く,地域生物相の比較などの互換性に多くの混乱をまねいている.今後,調査データを比較検討するには,地域生物相の解明が急務だと思われる.そのためには幼虫の飼育などによる成虫との結びつきを明らかにすることなどの分類学的な整理が必要と思われる.
本報では主に成虫による種の決定をおこない,幼虫は近似種間の区別が明確でない種については,飼育により確認された種以外は幼虫の記録を省略し,成虫の記録のみにとどめた.
本文をまとめるにあたり,一部の標本について同定ならびに助言をいただいた大阪府立大学谷田一三博士と,採集に同行して種々の助言をいただいた旭技術研究所,小林紀雄氏に厚く御礼申し上げます.
種 類 数
東海地方の主要な河川において,1974年から1990年に採集されたトビケラ類を主に成虫による分類を行い,幼虫は近似種間の区別が明確でない種は省いた.各科,属,種群間における幼虫の種決定に関する間題点をそれぞれの種群で扱った.東海地方におけるトビケラ類の現在までに判明したのは19科61種である.著者の一人,野崎が神奈川県の西丹沢(野崎,1988)で,灯火採集を行なった結果1地点で55種を記録している.今後成虫の採集と源流や緩流域の幼虫の精査により,種類数が増加することが予測される.