@海上の森は、2005年国際博覧会の開催地としてふさわしくありません(1997.5.8)
<NACS−J 海上の森・万博問題小委員会>
委員長 金森正臣(愛知教育大学/動物生態学・環境教育)
委員 大野正男(東洋大学/動物地理学・昆虫)
小笠原昭夫(愛知県自然環境保全審議会専門委負/鳥類)
中村俊彦 (千葉県立中央博物館/植物生態学)
八田耕吉(名古屋女子大学/環境生物学・昆虫)
広木詔三(名古屋大学/森林生態学)
森山昭雄(愛知教育大学/自然地理学・地形)
日本政府と愛知県は、2005年の国際博覧会の会場として、愛知県瀬戸市にある通称「海上の森」を選び、自然科学的な検討を十分しないまま、BIEに対して開催申請を行いました。また、万博会場の跡地構想として、高層建築物を含む住宅地建設と大規模な道路建設が予定されています。
私たちは、NACS−J保護委員会/海上の森・万博問題小委員会の委員として、このような構想の是非について検討を重ね、1997年5月に報告書をまとめました。この文書は、小委員会の報告書を要約したものです。
(結論)
1,海上の森は、伝統的農村・里山の景観が残る、生物の多様性が豊かな土地であり、 2005年の万万博会場としてはふさわしくありません.万博を開催するならば、別の場所で開催すべきです。
2,万博後の土地利用策として予定されている宅地開発や道路計画は、万博計画以前の高度経済成長期に計画されたものであり、自然との共生の必要性や地震・土砂災害の危険性などが十分考慮されていません。
(理由)
1,愛知万博は、基本理念として「新しい地球創造:人類の叡智」を掲げています。しかしその実施計画は、現在も残る伝統的農村・里山の自然景観を失わせるものであり、理念との間に極めて大きなギャップがあるからです。
2,愛知万博では、自然豊かな海上の森を,「地球創造の実験場」にするとしています。しかし、自然の復元などの実験は人為によってすでに自然が壊された場で行うべきであり、現在ある豊かな自然の中で行うことではないからです。
3,万博会場のゾーニングでは、動植物の生息地や里山の生態系の保全、そしてそれらの連続性を保つことの重要性が極めて軽視されているからです。
4,海上の森を縦断する高規格道路が計画されていますが、これは地形を改変し東西方向の水系を分断するばかりでなく、動植物の生息生育地に大きな影響を与えることが予測されるからです。
5,海上の森は活断層上にありますが、計画において地震災害・土砂災害の危険性が軽視されているからです。
A<愛知万博の自然保護上の問題点>(1997.5.19)
1,愛知万博は、基本理念として「新しい地球創造:人類の叡知」を掲げています。しかしその実施計画は、現在も残る伝統的農村・里山の自然景観を失わせるものであり、理念との間に極めて大きなギャップがあるからです。
愛知万博構想は、「新しい地球創造:自然の叡知」というテーマを掲げていますが、その実施計画をみていくと、このような理念とは全くかけ離れたものとなっています。
この実施計画の実態は、数千年にわたって人々がくらしつつ、さまざまな文化を培ってきた田や畑、神社や道祖神を含む「海上の森」の伝統農村・里山の景観と、そこにはぐくまれる多様な野生動植物の生息地を、巨大な幹線道路で分断し、またパビリオンやイベント施設、バスターミナル等の管理施設を構築し、わずか540haの土地に6ケ月間に2500万人もの人々を集めるというものになっています。
また万博後の土地利用計画としては、全国総合開発計画の一環として、高層建築物を含む新しい住宅地開発が計画されています。この計画は万博構想よりさらに前に計画されたものであり、自然との共生については考慮されていません。
2,愛知万博では、自然豊かな海上の森を「地球創造の実験場」にするとしています。しかし、自然の復元などの実験は人為によってすでに自然が壊された場で行うべきであり、現在ある豊かな自然の中で行うことではないからです。
万博構想は、海上の森を「来るべき時代への実験場とする」と述べています。しかし、「海上の森の伝統的農村・里山の生態系は、人と自然との長いかかわりの歴史の中ではぐくまれたものであり、緻妙な自然のバランスの上に維持されているものです。この場所は、巨大な道路や施設を建設し、短期間に数多くの人が訪れるような形での実験に耐えられる空間ではありません。もし「新しい地球創造の実験」を責任をもって実施しようとするならば、過去の人間の行為によって自然が失われてしまったところこそ、その実験の場としてふさわしいと考えます。
愛知万博の実施計画の中では、自然の創造・復元に関する言葉が数多く使われています。しかし、海上の森の伝統的農村・里山の景親とそこにすむ生物の多様性は、一度失われれば「創造」したり「復元」することは極めて困難なものです。「創造」は人の技術で行いうるものではなく、「復元」も決して現在残された自然の保全に先んじるものではありません。これまで人が知り得た自然の知識はわずかにすぎず、いかに科学技術を駆使しても、復元できる自然にはおのずと限界があることを正しく認識すべきです。
3,万博会場のゾーニングでは、動植物の生息地や里山の生態系の保全、そしてそれらの連続性を保つことの重要性が極めて軽視されているからです。
愛知万博の土地利用計画では、海上の森は、Aゾーン(主要施設・緑地区域/約150ha)、Bゾーン(自然とのふれあいゾーン/約100ha)、Cゾーン(森林・林業体験ゾーン/約290ha)の3ゾーンに区分されています。しかし、このゾーニングは愛知県万博対策局の土地利用上の都合を優先した分け方となっています(Pl18,図10)。
Aゾーンの中心部にあたるところは「海上の里」とよばれ、伝統的農村・里山の景観、およびそれを構成する代表的な生物の生息地となっている所です。この森は、日本で繁殖し東南アジアまで渡りをするサンコウチョウの繁殖地ともなっています。また、日本自然保護協会と世界自然保護基金日本委員会が発行した「我が国における保護上重要な植物種の現状(植物種のレッドデータブック,1989年)」に掲載されている絶滅危惧種や危急種の生育地でもあります。それにもかかわらず、愛知県は「相対的にみれば湿地や貴重種の分布が少なく、地形も比較的平坦であり、施設整備等を行う区域と考えます」とこの地域の自然の価値を過小評価しています。
またBゾーンには、固有の生物種を含む極めて重要な東海地方特有の湿地生態系があります。しかし基本計画では、これらの湿地を支える水系を無視して人為的な境界線が引かれ、上流のAゾーンに主要施設が計画されています。このようなゾーニングによって生態系が分断されれば、それを構成する動植物に大きな影響が出ることは明らかです。
4,海上の森を縦断する高規格道路が計画されていますが、これは地形を改変し東西方向の水系を分析するばかりでなく、動植物の生息生育地に大きな影響を与えることが予測されるからです。
現計画では、万博予定地を南北に縦断する域内幹線道と高規格の名古屋瀬戸道路が予定されています(p118,図10)。高規格道路は、森林への影響を少なくするために高架型にすると説明されていますが、道路を支える橋脚の建設が地形を変化させるとともに、植生に大きな悪影響を及ぼすことが容易に予測されます。また、名古屋瀬戸道路の南側開口部で駐車場予定地とされる地域は、現在最高の状態で自然植生が維持されている場所です。
この計画のまま道路が建設されれば、地形改変による東西方向の水系の分断、建設工事による植生の破壊のほか、動植物の生息地の分断を免れません。
5,海上の森は活断層上にありますが、計画において地震災害・土砂災書の危険性が軽視されているからです。
万博予定地は、猿投北断層と呼ばれる活断層の南西端にあります。この断層は猿投山の東側から南西の境川低地に至る、長さ30kmにわたる地域最大の活断層です(P121,図13)。
万博跡地には、住宅地の開発計画が立てられていますが、もし猿投北断層が動けば、震度X以上の地震にみまわれることは確実で、この地域を恒久的な建造物区域や居住空間として利用することはきわめて危険です。
また本地域は、風化しやすい花崗岩類と土岐砂礫層からなる山地・丘陵地であり、花崗岩類はもろいため、植被を失うと集中兼雨等で表層崩躾を起こしやすくなります。海上の森の広葉樹を中心とする森林が、かろうじて斜面の安定を保ち、崩躾の多発を防止してきましたが、万博開催及びその後の都市開発で自然林を失ったり、地形の改変が行われれば、尽大な土砂災害の生じることが考えられます。これらの危険性に対して、現在の万博計画は十分な注意を払っていません。
ここで、意見書の中にゾーニングの問題点としてあげた項目で、如何に海上の森が豊かな自然環境にはぐくまれているかを述べているので引用する。
Aゾーン:主要施設・緑地区域
Aゾーンは、コナラ−アベマキの二次林を主とした吉田川沿いの地域と、シデコブシ(危急種)群落を含む海上川流域からなる。林床にはクサナギオゴケ(危急種)、スミレサイシン、オオヒキヨモギ(危急種)、ヒメコヌカグサ(絶滅危惧種)などの貴重な植物も確認されている。比較的明るい林床をもつコナラ−アベマキ林には、スズカカンアオイが多く見られ、それを食草とするギフチョウ(危急種)の多産地となっている。林内には、アオゲラなどのキツツキ類やヒタキ類も多く、林床にはミミズや昆虫の幼虫などを食べるオサムシ類やサワガニが見られる。ほ乳類では、食虫目のヒミズや、げっし目のムササビ、食肉目のタヌキ、キツネ、イタチ、テンなどが生息し、餌となる生物の豊富を物語っている。
このような里山を代表するAゾーンに、万博の会場施設や道路を作れば、野生動植物の生息生育地が失われ、生物多様性の低下・生態系の劣化につながる。
また、里山文化の中心である「海上の里」が消失することは、伝統的農村・里山の景親保全にとって致命的である。
Bゾーン:自然とのふれあいゾーン
Bゾーンは、尾根部にアカマツーコナラ林、中腹にコナラーアベマキ林が広がり、沢沿いには貴重なシデコブシやサクラバハンノキの群落が維持されている。沢沿いには、サギソウ(危急種)、イシモチソウ(危急種)、カザダルマ(危急種)などが育つ東海地方特有の湿地が見られる。谷底や斜面の下部に分布するこれらの湿地には、低温で酸性度の高い貧栄養な親水が診み出し、腐植が堆積せず赤土が露出している。このような湿地には、ムカシヤンマ、ハッチョウトンボ、ヒメタイコウチなど、他の環境では見られない昆虫が生息している。
Bゾーンを流れる川の上流部・尾根部に手が加えられると、このような環境に依存している生物や希少種のカワバタモロコなどに、大きな悪影響が及ぶと考えられる。
Cゾーン:森林体験ゾーン
Cゾーンの大部分は、物見山を中心としたスギ・ヒノキの人工林となっている。篠田川流域にはコナラーアベマキ林を主とした自然林が広がっており、ところどころにシデコブシやサクラバハンノキの群落が見られ、サギソウ、ヒメコヌカグサ、カザグルマなどが見られる湿地も点在する。
海上砂防池と篠田池の間の林は海上の森で最も成熟した天然林であり、百年近いツプラジイ、ヤマモモ、アベマキ、コナラなどの大木が残されている。この地域にはエンシュウムヨウランやキイムヨウランなどの貴重な植物も見られる。
この地域は森林体験ゾーンとして、林業体験を行なうとされているが、多くの人たちがむやみに踏み荒らせば、これらの植物が消滅する危険がある。さらにこのゾーンには名古屋−瀬戸道路のトンネル建設も予定されているが、水系への悪影響が強く懸念される。
植物種・植生からの検討(広木詔三・名古屋大学)
1. 植物相から見た海上の森の特徴
@
レッドデータブックに記載された種が多いこと
A
東海丘陵要素植物群に属する種が多く分布すること
B
氷期の遺存的な種の個体群が多数分布していること
C
北方寒地系植物と南方暖地系植物が混成していること
D
日本海要素植物群に属する種が分布していること
E
腐生植物が多産すること
2. 植生から見た海上の森の特徴
3. 「万博を記念する公園検討調査委員会報告書」の問題点
4. ゾーニングと開発計画の問題点
昆虫相からの検討(八田耕吉・名古屋女子大学)後述
鳥類相からの検討(小笠原昭雄・愛知県自然環境保全審議会専門委員)
1.鳥類生息地としてみた海上の森の特徴
@海上の森は、県内でも1級の野鳥生息地である
A11種の猛禽類の生息も維持されている
Bこの種構成の多様さは、どこから来るのか
C一般の人々の利用しやすさでも、海上の森は特に優れている
2.愛知県が行なった調査の問題点
@渡り区分の曖昧さ
A生息環境の間違い
B本文第4章の誤った記述
3.ゾーニングと野鳥との関係
@予測されるサンコウチョウの消失
A付帯事業とみられる矢田川河川工事にみる懸念
4.海上地区鳥類目録
哺乳類相からの検討(金森正臣・愛知教育大学)
1.海上の森の哺乳類相の特徴
2.現行調査の問題点
@開発計画が、全く「共生」の内容ではないこと
A保護対策とされていることが、自然保護に役立つものではないこと
生態系からの検討(大野正男・東洋大学)
1.海上の森の生態系的特性
2.生態系の保全と多様性
3.多様性−自然史的な多様性と人為的多様性
4.生態系保全のための調査
5.既存データから、万博開発の「海上の森生態系」への影響がよみとれるか
ヒトの教育の場としての検討(金森正臣・愛知教育大学)
1.教育の場としての海上の森の特徴
2.海上の森を開発する計画の問題点
@里山の精神文化を否定していること
Aこどもの成長に不可欠な自然環境を誤解・曲解していること
3.いろいろな意見への反論
筆者の担当部分については、「昆虫相からの検討」として述べた部分を引用する。
第2章 昆虫相からの検討(1997.5.9) 八田耕吉・名古屋女子大学
1.海上の森の昆虫相の特性
海上の森の自然は里山を代表する自然の一つであり、人々の生活により創り出された落葉広葉樹やアカマツなどの常緑針葉樹で代表される二次林、ヒノキなどの人工林、農耕地などが入り組み、稜線、斜面、川、湿地などの地形的変化と合わさり複雑な植生環境を生み出している。その複雑な植生環境を反映して、多様な昆虫相をも生み出している。
愛知県が行った現地調査(瀬戸市南東部地区環境影響調査)で確認された種は1,028種と、「名古屋市及び近隣に生息する動物に関する調査報告(文献記録による目録と1991年度の網査)」(名古屋市環境保全局)の1,695種の約6割を占めている。私たちが行った1996年の調査では県の調査で確認されていない種が157種あり、ものみ山自然観察会の調査(718種)をも含めるとかなり多くなると思われる。
たとえばトンボ相で比較してみると、県(1991年度から1994年度まで)の調査では47種、ものみ山自然観察会の調査では47種(1993−94年度)、私たちの調査(1996年)では46種と調査期間や時期などの調査方法は違うが、記録された種類数はほぼ同じぐらいである。
私たちの調査により、県の調査でわかったトンボ類に新たに9種が加わり、ものみ山自然観察会の記録を合わせると全体で62種になった。比較的目につきやすいトンボでさえ、このように採集時期の違いや天候などの条件によって違いがでてくる。
生態系の評価において、しばしば鳥類における食物連鎖の頂点で代表される猛禽類の重要性が注目される。昆虫類においても肉食性のオサムシやトンボ類が多いことは、餌となる小昆虫や鱗翅類(チョウ・ガ類)などの幼虫の豊富さが予測される。
この地域においては、マイマイカブリを含めてオサムシ類は7種記録されている。5月に半日歩いて道路上を歩いているオサムシを20〜30匹見つけることができる程多く、餌となるミミズなどの土壌性動物をも含め豊富な結果と思われる。
昆虫ではないが、川にはかつて多くの里山で普通に見られたサワガニやプラナリアも非常に多い。サワガニはイタチやキツネなどの重要な餌ともなっている。
2.現行調査の問題点
@調査方法が不明確であること
現地調査によって確認された昆虫類は1,028種とされているが、1991年からの調査を含んでおり、1994年度の調査では445種である。名古屋市2,163種、愛知県6,063種と比較して少なく感じられるが、今までの地方誌や環境調査などで見られるリストづくりと比べて植生別の動物相調査が行われているなど、精度の高い調査であろう。
1994年度の調査は7月、8月、10月の3回の調査であるため、ルツキング調査を含めて季節的な落としが多い。たとえばライト・トラップ調査は8月の2日間のみであるため、早春のころに羽化するカゲロウ、カワゲラ、トビケラなどの水生昆虫、秋から冬に発生するガ類などに抜けているものが多いと思われる。
今回までに発表されたリストでは520種(1992年度)、753種(1993年度)、1,028種(1994年度)と、調査を重ねていくほど記録された種類数が増えている。1994年度の調査によって記録された445種のうち275種が新たに加えられた種(リスト中に@マークがある)で、1994年度全体の62%を占めている。同じ地域の調査において採集時期や方法の違いによって半数以上の違いが出ていることは、まだまだ調査回数を増やすことで記録は増えるものと思われる。
しかし、ただ採集回数を増やせばよいのではなく、レベルの低い調査でも採集時期や方法によっては充分その地域の特性は把握できる。県、ものみ山自然観察会、私たちの調査をあわせて記録された1,416種のうち、3調査で共通する種はわずかに141種(全体の10%)と採集条件の違いが調査結果の大きな差となってあらわれている。
このことは、昆虫類を含めて生物の棲息には多様な環境があり、海上の森にはその多様な環境が集まった独自の自然環境を長い時間をかけて創り出しており、人間の模倣によって簡単に作ることのできない自然であることが伺える。
リストの中にはナミアゲハとアゲハ、ヤマトシジミとシジミチョウ、ナミテントウとテントウムシなどの重複が見られることや、ルッキング調査がどの程度含まれているのかなど各調査の個々の詳細な採集データがわからない。リストだけでなく、1991〜93年にかけて行われた調査も含めて、明らかにされていない調査の方法や日程などを含む詳細な内容の公表が必要である。
A「点」でとらえた調査ですまされていること
私たちは3月の下旬から11月の中旬までの毎週木曜日に、素人でもわかる生態観察の指標になる生物の調査に出かけた。調査の方法はあえてベーツ・トラップなどの特殊な採集法を使わずに、目にみえたものだけをとらえることにした。もちろん取り逃がすことのほうが多いが、専門家がいかに珍品を採集するかという場合とは異なり、素人が下手な採集をしてどれだけの精度でカバーできるかの目安にもなる。計36回の調査期間中は幸いに雨で採集のできなかった日はなかったが、天気が悪かったり、風が強かったり、低温で昆虫の飛翔が少なかった日が何度かあった。36回の調査のうち、その日だけしか採集されなかった種は全体の種の61.4%を占めた。同じ種が3回以内しか採集されなかったのは全体の種の81.7%であった。毎週採集された種のうち前週、または次週に採集された種との比較(類似度)では、8月の安定した時期で約半分の種が入れ替わっており、4月から7月にかけては70〜90%は入れ替わっている。
陸上性の昆虫は水生昆虫と違い、このようなわずかな季節の変化に加えて、気象条件の違いによっても大きく左右されているといえる。このことは月に1回もしくは季節ごとに行う調査では、季節の違いだけでなく天候やその年の気象変化によっても、大きく調査結果が左右されると考えられる。事業アセスと称する大金を使って行う年何回かの調査が、いかに専門家を動員した大がかりな調査を行っても、その地域の多様な生物環境をどれだけ把握できるだろうか。
このことはいかに精度の高い調査を行っても、それはあくまで点でとらえているにすぎず、線あるいは面でとらえたことにはなっていないということである。
市民グループや日本自然保護協会(NACS・J)の自然観察指導員、野鳥の会支部などが行う自然観察会の活動は、毎週変わる季節や気候の変化、1996年の春の低温や7月の猛暑などを実感し、その環境の変化をより早く、より詳しく知ることにもつながってくる。自然の現況把握にあたっては、これらの活動で得られた記録・資料が活用されなければ、調査の精度は上がらないであろう。
3.「多様性保全策」にみられる勘違い
「自然環境の保全と創出」の「ゾーニングと保全の基本的な考え方」のなかでは、レッドデータブックの危急種について扱っている。「土地利用に関する危急種等の保全策」でも同様に特定種への対策が記述されている。しかしこれらの対策の立案者は、生息環境の創出ということを保全と勘違いしている。
里山は多様な生態系の集まりであるという認識のうえで「植生別動物相調査結果から見た生物多様性」を分析しているが、里山の構成要因としての個々の生態系の多様性を認識するためには植物群落に依存する昆虫相の特徴をとらえることは必要である。しかし、ここでの生物群集の多様度の大きさの比較はあまり意味をもたない。
里山はいくつかの生態系の寄り集まりで構成されていることが重要であって、どの植生が多様性があるのかはあまり必要ではない。生物群集の多様度を見るために「シンプソンの多様度指数」を使っているが、定量的な採集法を使っていない陸上性昆虫の評価には不適切な評価法である。土壌動物や水生昆虫などの定量採集が可能なものには使えるかもしれないが、生物多様性の評価に有効であるかどうかについて疑義を持つ人も多い(鷲谷・矢原)。
その上、少ない採集個体数に比して種類数が多いので数値の持つ意味があまり反映されていない。むしろ種類数だけでも十分であろう。里山は多様な生態系の集まりであるという観点からは、「昆虫類の地点別出現種数」の中の「各地点でのみ確認された種数」に書かれている植物群落の違いによる特異性の高さ(40%から60%)の方に、より着目すべきであろう。
里山生態系の多様度の認識は、「特異性の高い集団が環境の変化を容易に受けてこわされる」ことであり、そのような「多くのこわされやすい集団の集まり」であると共に、その集団が「いくつもの遷移の過程をもっている」ことであろう。そして、そのモザイク状に入り組んだ植生環境の駆け引きの結果として、その境界に生物多様性を高める「林縁環境」も生み出されるのである。
これらは、新たに人工的に創出されるものではない。
4.水城の保全策の誤り
万博計画では、「篠田川、海上川、吉田川の3つの水系の保全」をうたい、湿地および水辺林の重要性を説きながら、愛知県の調査報告書類をみる限り、河川の水生昆虫を主体とした調査は行われていない。
県の調査資料にリストされているのはカグロウ目4種、トビケラ目6種、カワゲラ目0種と非常に少ない。ものみ山自然観察会による1996年度の調査で行われた水生昆虫の調査では、70種をこえた種の確認があったと聞く(未発表)。私たちの調査(夜間採集)においては、3目あわせて30種以上が記録された。
基礎的な調査なしに、「河川改修にともなうトンボ類やゲンジボタルの生息に配慮した多自然型工法」の導入や、「レクリエーション利用を考慮した親水空間の創出」を「水域の保全策」と考えているのが現計画のすすめ方であり、このようなあり方は誤りである。
このことは、特定種の保全と称する栽培飼育的な発想が創り出す「ビオトープ」や「多自然型河川づくり」を、自然の再生と位置づけていることのあらわれと思われる。
公園的な発想でいかに素晴らしいビオトープや多自然型河川を造っても、そこに生物たちがやって来て棲みつき、産卵し、世代交代を繰り返せなければ、水槽に水草などをレイアウトして熱帯魚を飼っているのと同じである。個々の棲息環境をいかにレイアウトしても、周囲の環境から孤立していては水辺の保全として全く意味がない。
水生昆虫の多くは成虫になると羽化して陸上に分散し、適当な場所を見つけて産卵する。
広い空間を好むいくつかのトンボ類を除いて、多くの水生昆虫にとっては回りの環境に溶け込んだ水域が必要であり、芝生公園や遊歩道が配置される疑似自然に戻ってくるとは考えられない。
海上川の入り口で県の土木事務所が現在おこなっている「多自然型河川工法」で河川環境の多様化をいかに図っても、流水面をおおうものがなければプールのような広い水面でも棲めるコイかオイカワしか生息しないであろう。階段状の親水護岸や遊歩道が配置されているような公園では、いかに木や抽水植物などを植栽しても多くの魚や水生昆虫などの生息は望めないのである。
5.里山の生態系に関する認識について
@疑問が残るギフチョウ食痕調査
「生物多様性保全策の検討」といっているにもかかわらず、特定動物種生態調査結果ではギフチョウ、ハッチョウトンボ、ゲンジボタルのみが扱われており、相変わらず危急種等の特定種のみの保全策と結びつけている。
ギフチョウの調査では食痕調査が行われているが、カンアオイを食する昆虫には、ギフチョウの他にもキイロマルノミハムシや8種類以上の蛾類(倉田忠)が知られている。調査期日が「1995年6月8日:調査区域の概況把握、6月18日:調査地点の選定及び写真撮影等予備網査、1996年2月15日:各調査地点における植生調査及び写真撮影」となっており、調査日が特定できないが、若齢中における食痕はある程度区別できると思われるが、2月はもちろん幼虫が分散した遅い時期ではいずれの時期においてもギフチョウの食痕と特定することはかなり難しいと思われる。
食痕調査による分布域には、ものみ山自然観察会で行われた卵の調査で確認されていない地域も含まれている。また、必ずしも食草のスズカカンアオイの分布と一致しておらず、食草のより好みか環境の選択かはわからないがかなり選択性があるとおもわれる(中西元男、大谷・広木)。両調査結果のすりあわせの必要がある。
A発想そのものの誤り
「造成による影響の検討」の中では「生息地の移動、代替しうる環境の整備、近自然工法の採用、植生の維持、管理等、人為的な保全策を含めて検討する必要があると考えられる。」などと述べ、特定種の保全を野外でおこなう飼育と勘違いしている。
多くの里山は一様でなく、多様な環境の多様な組み合わせによりできた多様な里山を形成してきた。個々の環境も変化をし(遷移)、今後も変化をする生きた自然である。しかし、里山の自然を「遷移を人為的に抑制することが必要となる。」などという認識のもとに「自然環境の保全と創出を行う」とすることは、自然は管理できるという発想とつながっている。このことは、ゲンジボタルなどの特定種だけの保全という考え方にもつながるが、自然はいうまでもなく特定の貴重種のみで形成されているのではなく、多様な種の集まりによって形成されるものである。
ゲンジボタルの本来の生息地では、家庭生活により生み出された生活雑排水(台所より流れてくるご飯粒や野菜くず)がホタルの餌になるカワニナやモノアラガイなどの貝類を育て、その貝類を食べるホタルも含め多くの底生動物が見られる。ホタルを養殖して放すことはできても、ホタルの餌となる貝類の育つ川を作り出すことは難しく、河川の浄化と共に貝類の養殖のために与えられる餌による富栄養化を抑えるための高度な管理が必要となる。
しかし、自然により作り出された川は、長い歳月を経て多種類の生物や生物的な環境を生み出し、微妙な調和を創り出しているのである。「管理や創造」といった発想を安易に持ち出すのは誤りである。
6.「今後の課題」とされたことについて
@安易なビオトープへの言及
「保全の目的とする種の生存のためには、その環境を維持する工夫と努力が必要」と述べている中で、「最近の水族館などは、近代的なハイテクな手法を活用した屋内の庭園として機能していると考えられ、日本庭園などは伝統的な手法に基づいた屋外施設であるといえる。これに対して、自然の状態を伝統的な手法によって管理するのが里山であると考えられる。」と水族館における飼育展示水槽を生態系と錯覚している。
このような貧弱な自然思想が「近年ビオトープと呼んで造成が試みられているトンボ池の例にならって、ハッチョウトンボが生息できる要件を満たす新しい湿地を創出することによって保全を図ることも必要であろう。」などと箱庭的な発想で里山の管理を容易にできると考える素地を生み出しているのであろう。
里山は計算づくで生み出したものではなく、人の生活により自然に生み出された多様な環境の集まりである。“自然を管理できる”という発想は、「自然環境の保全と創出」の中の「遷移を人為的に抑制することが必要となる」などという記述に一貫して表れている。
このことは、「環境を考える(2005年国際博覧会)」(通産省)でも同様であり、「生物多様性の保全に配慮しつつ自然に対する積極的な管理と創造を図ることが必要です」という記述がみられる。
また、「これらの植生は平面的な配置のうえでもモザイク状となっており、林縁効果によって動物相に多様性をもたらしているものと考えられる」と「自然環境(動物相)の現況と特性」では書いておきながら、次の項で「個々の生態系の創造と管理をおこなう」ことを計画しているのでは、街の中でホタルの養殖をして、そこをホタルのいる川ですと説明するのと同じことであろう。
A移入・移植の危険性
今までに多くのギフチョウ移植が各地で行われているが、いくつもの失敗例も聞く(藤沢正平)。それだけでなく、ギフチョウを他の地域からもってくることにより遺伝子の撹乱が発生する問題が生じる。たとえばホタルがおこなう雌雄のコミュニケーションとしての光りの点滅が地域によって異なっていることや、養殖アユの累代飼育により天然アユに比して生存率や縄張り行動が低下していること、イネなどの栽培植物の野生種の保存の難しさなどが知られている。
特定な植物(個体)の栽植は技術的には可能であるが、動物はその環境が気に入らないと我慢するより逃げていくであろう。逆に気に入った環境があると自然に棲みつく。「自然との共生」のために保全、創出されるという人工の疑似自然(公園)に昆虫たちが残り、あるいは集まってくるだろうか。もしそれができると考えているのであれば、まったくの更地でそれをやり実証してみてはいかがか。
あるものを壊して創るのは実験ではない。新たに生み出すことでこそ「実験場」としての価値が見いだされるのである。
B現在ある里山に安易な開発の手を入れてはならない
里山が特殊な環境にならないうちに、そして今までにいくつものよい環境が「調査対象範囲の周辺にも良好な生息環境境が分布していることから、種ないしは個体群の維持という観点からの影響は少ない」と根拠もなく次々と壊されて、気がついたときにはもはやそのような環境がなくなっていた、ということをくり返さないためにも、現在ある良好な里山には開発の手を入れるべきではない。
ごく普通の生物たちのごく普通な生活が見られる海上の森を開発することは、貴重種の生息にばかり目がいき、気がついたらそれまでの普通種が貴重種になっていたということを、再度生み出すだけであろう。