「海上の森にオオタカの営巣が」のもつ意味
八田耕吉(名古屋女子大学環境生物学教授)
愛知万博が予定されている海上の森にオオタカの営巣が確認されたことが報道され、オオタカの保護と開発について、「オオタカの保護と人の生活と、どちらが大切なのか」、「オオタカはどこにでもいるのに、なぜ大騒ぎするのか」と言う議論がなされていることについて、考えてみることにしよう。
第1番目の議論がでてくるのは、レッドデータブックによる貴重主義への反発であろう。オオタカの保護は、「人の生活とオオタカの命を比べる」といったものでもなく、「貴重な生物の命が大切であるといった、命の軽重について」でもない。むしろ、海上の森などで見られる多様な生態系の頂点にあるオオタカの重要性にある。
第2番目は、里山に対する無理解であろう。レッドデータブックの編集にかかわった自然保護協会も絶滅危惧種などの貴重種の選定により、珍しい種がどれだけいるかといったことに目を奪われていることに、注意を促している。最近レッドデータにリストされたメダカやホトケドジョウ、カワバタモロコ(海上の森にもいる)のように、オオタカはホタルやギフチョウなどと一緒に、最近までごく身近にいた里山を代表する生き物たちである。そのごくありふれたとされる里山、海上の森には、植物で47種、動物で43種を越える希少種などの注目種が生育・生息している。そして、オオタカは多くの失われていこうとしている里山生態系の頂点に立つていることにこそ、大きな意味を持つている。頂点の欠落が底辺の生物に与える影響や、底辺の生物の多様性や豊富さが上位種の生存にかかわっていることはいまさら説明をする必要がないほど知られた事実である。
このことを海上の森におけるオオタカの生息で、あえて説明すると。
オオタカはイヌワシやクマタカのような山地性の種と違って平地性で、広大な森林の続く環境よりも、森林とオープンランドがパッチ状に存在する環境を好む里山の典型種である。餌も人里に昔からいたカラスやヒヨドリ、ムクドリ、キジバト、ドバト、キジなど、多くは鳥類である。その他に、わずかながらネズミやヘビも採食している。その多くの鳥類の生息を支えているのは、多様な食性をもつ鳥類の餌となる昆虫を含む小動物や、草や木の実などの豊富さと、土岐砂礫層の特徴としてあげられる小さな湿地の点在や、海上川をはじめとした縦横に張り巡らされた小さな川など、小鳥たちが冬でも毎日のようにおこなう水浴びをするためにも、この海上の森の水辺の豊富さが挙げられる。さらにこの地域の夏鳥の多さは、繁殖地としての餌の豊富さを証明している。
海上の森の里山がもつ多様性は、原生林などで見られる個々の植生環境内の多様性の高さではなく、貧栄養湿地など特殊性の高い、43ものタイプをもつ多様な植生環境の集まりであり、その多様な環境がパッチ状に入り組んでできた植生環境の駆け引きの結果として、いくつもの遷移の過程をもっていることであろう。
海上の森の重要性に関して、上記のような生態的多様性と生物の豊富さを説明すればご理解いただけるであろう。すなわち、海上の森はこの地域にわずかに残された典型的な里山で、里山特有な多様な生態系(雑木林や農耕地、池、人工林)をもつ豊かな自然である。それに加え、愛知県全体のわずか0.1%のこの地域に、県内の在来植物2,200種の約半分にあたる1,077種が、鳥類では県全体で376種確認されているうち、海・干潟をもたないのに約1/3の133種が、昆虫類は6,063種(愛知県)の約1/3を越える2,301種以上が海上の森で確認されている。さらに昆虫では種レベルまで特定できない種が200種以上あり、クモ類が194種、今回明らかにされていないが土壌性動物のダニなど、底辺を支える小動物の種の多さである。
最後に、土地の造成や改変が自然に与える影響として表れた例を示しておこう。海上の森の中に「瀬戸の大正池」として親しまれた砂防ダムがある。このダムの水抜きが、昨年の秋に行われたが、下流の北海上川の川底が押しながされてきた土砂で埋められ、水生昆虫の生息に大きく影響を与えた。私たちの調査では、川底の石に付く付着藻類を食べるカゲロウ類や、石の裏などに潜み小昆虫類などを食べるカワゲラ類が壊滅状態になっていることがわかった。このことは、海上の森の水系を分断しておこなう万博や新住宅計画による土地の造成が、如何に下流部を自然保全地域として残しても、中央の部分を開発によって大きく改変すれば、底に棲む水生昆虫の生息に影響を与えることの一例であろう。それは水生昆虫などを餌にしている鳥などの小動物に影響を与え、さらにオオタカなどの上位種の生息までをも危うくする可能性も含まれている。自然の保全は部分的な貴重種が生息する地域のみの保全ではなく、大きなその生態系がセットされた地域にまで広げて考えなければならない。オオタカの生息には営巣地だけでなく、餌の採取場所や繁殖行動を行う広い大空が必要であり、オオタカという種の維持ができる最低限の個体数が育まれる森や里の広がりが必要である。現在中国から借りてきて人工ふ化をさせているトキのように、種を維持できない数になっては、如何に飼育などによって種の維持を図っても、あるいは自然に戻す環境がなくなってからでは、もはや自然の回復は望めない。
現在海上の森では、調査と称して200本を越すボーリング調査(高規格道路の橋脚になる地点)や測量、ギフチョウなどの注目すべき種を中心とした調査の影響がでている。オオタカの調査も繁殖や生息に影響が出ないことを望む。もう、オオタカが生息できる環境条件がそろっていることは、今回の営巣によって証明されたのであるからオオタカを追い出すような調査は止めて、代替地の検討をすることが「自然との共生」をめざす万博にふさわしいと思うのは私だけでないでしょう。現在、名古屋市の藤前干潟の代替地探しが難航しているのも、このような市民の意見を聞かずにきたツケでしょう。