里山の指標となるハッチョウトンボの保護

 

八田耕吉1・広木詔三2

1名古屋女子大学環境生物学研究室・2名古屋大学 森林生態学研究室

 

The preservation of Nannophya pygmaea Rambur which becomes the index of Satoyama.

 

Kokichi HATTA1 and Syouzou HIROKI2

 

1 Laboratory of Environmental Biology, Nagoya Women’s University,

 2 Laboratory of  Forest Ecology, Nagoya University

 

要旨:ハッチョウトンボの羽化は5月中旬から9月下旬まで続く。羽化は特に雨の影響を受けやすいため、梅雨の時期には一時的に減少するが、梅雨後再び個体数は増加する。調査は標識再捕法(マーキング調査)で行い、次回の調査日に出現しなかったハッチョウトンボの割合は約3050%を占めていた。新規個体数全体の75%が1日から14日間までに姿を消している。これは若い個体は外敵による捕食や病気、気象変化(雨、風、低温)などの影響を受けやすいためと考えられる。平均生存日数は8.2日、最高生存日数は46日であった。

 2002年ではメスよりオスの方が早く発生していたが、2001年と2003年では発生のズレが見られなかった。発生率、最長生存日数、平均生存日数のすべてにおいて縄張りを持つオスの方が多かった。

2001年から2003年までの青少年公園の新規個体数を比較すると、2003年では2001年と2002年の新規個体数の約半分に減少していた。海上の森の個体数も青少年公園の個体数とあまり変わらなかった。3年間の気象を比較してみると、2003年は2001年と2002年に比べて降水量も多く、日照時間も少なく、平均気温も低かった。個体数が減少した理由に気象の変化が考えられる。また、調査地の愛知青少年公園内のささ池では湧水量の減少など調査地の環境が変わっていることも個体数減少の理由と考えられる。

キーワード:発生消長、環境影響評価、湿地の保全、標識再捕法、愛知万博

 

Abstract: : The World Exposition in Aichi was planned with the theme, ‘symbiosis of human life and nature’, focusing on Satoyama.  It is an outcome of wisdom and knowledge we learned from nature in dealing with it and co-existing with various living creatures. But now, many kinds of fauna and flora listed on the Red Data Book live on the outskirt of big cities recently being developed. 

 We study, through our investigations of Nannophya pygmaea (Hachotonbo and Luehdorfia japonica(Gifuchou) in the Aichi Youth Park, on the measures to preserve Satoyama ecosystem and how to understand and appreciate Satoyama as a place for symbiosis of human life and nature

  The method of investigation of Nannophya pygmaea  put small spits in the ground at intervals of each meter, mark the wings of larvae in each square, and record the numbers of larvae, marked and re-caught, on each investigation date. One week after hatching, about half of them seem to die or move, and are not found in their original square.  Once they establish their territory, it seems to be hard for another individual to enter it, and population in the swamp does not increase.  Male dragonflies hatched early are gone in about one month (the longest, 37days).  We estimated the population by Jolly Sever Method.

   We will continue the investigation of movement of the populations of Nannophya pygmaea and Luehdorfia japonica in Seto-shi and Nagakute-cho, and will study the measures of avoidance, reduction and compensation in order to preserve the nature. 

Key Worlds: Seasonal prevalenceAssessment of the Environment influenceConservation of WetlandMark and  recapture Method, The World Exposition in Aichi

 

 

「愛知万博」は瀬戸市「海上の森」を始め日本固有の自然である「里山」に焦点をあて、「人と自然の共生」をテーマに計画された。「里山」は、人が自然と上手に付き合ってきた知恵の産物であり、多くの生物達と共存してきた「自然への叡智」でもある。里山の重要性については、現在、レッド・データ−・ブックに記載されている絶滅が危惧されている動・植物の多くが、都市近郊の開発が進んできたところにいたとされる種であることは良く知られている。

1999年6月に環境アセスメント法が施行されたが、依然として日本中において自然の保全と人間生活の権利とが相反した形で議論されている。「自然との共生」のテーマのもとに2005年に開催された愛知万博も、オオタカ保護をはじめ自然の保全に対して疑問が出され、大幅な会場の縮小と主会場の変更がなされた。新アセス法は生態系保護という新しい観点が入り、環境大臣意見が出されるなどの環境重視型に変わり始めようとしている。

事業および工事が及ぼす環境への影響の予測と評価が、従来型の「環境への影響が少ない」から、「実行可能な範囲で低減できる」、「適切な保全措置(代償措置)を講ずる」など、「環境への影響は明らか」とされた時には、人工干潟のような代償措置が問われるようになった。ただし、名古屋の藤前干潟においては、今ある干潟とマコモなどの海草や小型の生物が生息する浅海を壊して、新たに予測不能な人工の干潟を造ることについて、環境省はNO()という判断を下した。このように生態系の保全の方法については、新アセス法においては回避、低減、代償の順で考慮することになっているが、どれも決められた手法がなく相変わらずの貴重種の保護の名のもとに代償措置としての移植が主流である。

現在、日本における貴重な財産として注目を浴びている里山生態系の保護について、東海地方においても環境アセスメントが実施されている愛知万博では、主会場が海上の森から愛知青少年公園に移され、それに向けて環境アセスメントが実施、2002年7月に修正評価書の確定がなされたが、里山の重要性を評価するシステムが確立されているとは言い難い(八田 1998;日本自然保護協会 1998)。愛知万博における環境影響評価に伴うアセスメント調査およびモニタリング調査ではハッチョウトンボは「注目すべき昆虫類」としてギフチョウとともに扱われているが、月に1回の成虫(数)確認のみである。

新しいアセスメントの精神に沿った調査を行うためにも、貴重種の保全のみにとらわれた調査ではなく、バックボーンとなる周辺地域と一体となった生態的な視点に立った調査が必要となる。愛知青少年公園は都市公園として長く整備されてきたため、自然度が低いように一般的に評価されているが、30年程前にこの公園がつくられる時(1970年開園)から手をつけられずに残されている雑木林が南部地域に大きく残され、ギフチョウの産卵地域として重要な地域でもある(八田

印刷中)。

長久手町「愛知青少年公園」において、2001年から2004年にその基礎資料となるハッチョウトンボの個体群動態についての調査をおこない、瀬戸市「海上の森」においては2003年と2004年におこなった調査と併せて検討をおこなった。里山型の生物の共存のあり方を探ることにより、個体群の維持できる大きさ、保全すべき地域全体の面積や方法、保全のための回避、低減、代償措置のあり方について検討するための資料とした。

 

調査方法

調査地域は愛知県愛知郡長久手町「愛知青少年公園」 (以下、青少年公園とする)内の面積約150平方メートルの湧水湿地(図1)、および愛知県瀬戸市海上町にある「海上の森」(以下、海上の森とする)にある面積約300平方メートルの湧水湿地(図2)でおこなった。

上記の青少年公園内の湧水湿地は丘陵のすその斜面から平坦地にかけて位置している。この湿地の中央を水路が走り、流水はこの湿地に接する「ささ池」に流下する。この湿地で優先する植物は、ヤマイとイトイヌノハナヒゲで、流水域周辺の湿潤な湿地にはホシクサが多く見られる。東海丘陵要素のひとつであるトウカイコモウセンゴケが湿地のやや裸地状の立地に分布している。その他に出現する草本としては、ミミカキグサ、イヌノハナヒゲ、コイヌノハナヒゲ等が見られる。海上の森の湧水湿地は、中央部の湿潤な部分はミミカキグサ、トウカイコモウセンゴケが見られるが,乾燥化が進み、やや乾燥した周辺部はヌマガヤ、カモノハシがみられる(愛知県農地林務部 1998)。

調査期間は青少年公園では2001年から2004年の5月中旬(2001年と2004年の調査は許可がおりるのが遅れたため開始が10日ほど遅れた)から9月下旬にわたって、朝10時から約2時間調査をおこなった。青少年公園では2001年にはほぼ週1回、2002年と2003年では週2回、2004年は立ち入り制限がおこなわれたため月2回になった(前田 2005)。海上の森では2003年、2004年に週1回の間隔で調査した。なお、2005年は万博開催中のため、両調査地ともに調査許可は下りなかった。

青少年公園での調査は、調査地域に1メートル間隔に竹串を立て、ビニールテープで旗を作り、マジックで番号をいれ、各コドラート(方形枠)の南西角の番号を確認地点のコドラート番号とした。各コドラート内に入ったハッチョウトンボを捕獲し、カラーペン(油性ペイントマーカー)で新規マーク表にそって翅にマーキングして放った(図3)。放たれた個体は元の位置に戻り、マーキングなどの影響は椿らの報告と同様に、飛翔行動などにはみられなかった(Tsubaki 1986)。そのとき、捕獲した場所の番号と雌雄を記録した(1)

次回からの調査では、すでにマークがついているものを捕獲した場合、どの翅に何色がマークされているかを記録した。その後、新規マーク表と照らし合わせ、何番のハッチョウトンボかを明らかにし、確認した場所のメッシュ番号を記録した。新しくマークしたものを新規個体、すでにマークされていたものを既存個体とした。ハッチョウトンボの生存が見られなくなるまで、この操作を繰り返しおこない、記録した。

 

結果

T.発生の消長
ハッチョウトンボの羽化は5月ごろから8月初旬までに多く見られ、確認個体数は増え続け、その後羽化数は減るが9月下旬頃まで生存している。ハッチョウトンボの羽化時期のピークは2002年の調査では晩春の5月中旬から6月中旬の初夏にかけてと、梅雨明けの7月中旬から盛夏の8月上旬にかけてのふた山分布で、発生、飛翔のピークは梅雨明け後で3週間ほどと思われる。

昆虫では一般的にオスが羽化し、その数日後からメスが羽化し始めると言われている。それは、オスはメスが羽化する前に縄張りを作り、メスを迎える準備をするからと考えられている。2001年〜2004年のオス・メスの発生のずれを比較した(図 4)。旧青少年公園の2001年では、5月中旬の1回目のピーク時ではオスの発生より数日遅れてメスが発生していることが読み取れる。2002年、2003年も2001年と同様にメスが遅れて発生していた。2004年はこのような発生のずれが見られなかった。それは、調査回数が少なかったため、正確にオス・メスの発生のずれを確認することができなかったためと考えられる。

海上の森では2003年は、調査の開始時期が6月の下旬と遅かったため、発生のずれは確認されなかった。2004年は、ピークが予想されていた5月31日の調査が雨のため中止になったので、1回目のピークが確認されなかっただけでなく、発生のずれも確認されなかった。

 一般的にハッチョウトンボのオスと、メスは半分ずつの割合で発生すると考えられている。旧青少年公園において、2001年〜2004年のオス・メスの数を比較した。2001年はオス:メス1.3:1.0、2002年はオス:メス1.0:1.0、2003年はオス:メス1.1:1.0、2004年はオス:メス1.2:1.0であった。旧青少年公園はオスの発生割合がわずかに多かったがほぼ1:1の割合で発生していた。

海上の森では、2003年はオス:メス1.8:1.0、2004年はオス:メス1.8:1.0であった。海上の森でメスが少なかった結果となったのは、メスの外見はオスの赤色に比べて茶褐色であるため見つけにくいこと、縄張りから離れて一定の場所に留まらないこと、オスより低い位置に止まること、あまり飛ばないでじっとしていることが多いこと(椿 1994;山本 1998)、旧青少年公園と比べて調査範囲が広いことなど、見つかりにくい要因が影響していると考えられる。

 

II.天気・気温の変化と個体数の関係

ハッチョウトンボの羽化は、特に雨の影響を受けやすいため、羽化個体数は梅雨の時期に一時的に減少する(図5)。梅雨が終わり、雨が少なくなると、再び個体数は増加する。旧青少年公園の2002年の調査結果では、ハッチョウトンボの発生は2回のピークがあることが顕著にわかる。2002年の発生では、6月はじめと7月はじめに新規個体の発生ピークが見られたが、2001年の結果では顕著にピークが見られなかったのは調査頻度が週1回と少ないことによるものか、2001年の8月の雨が多かったせいなのかは明らかにされないが、調査後半の個体数の急激な減少と、生存率の低いことからと思われる。同様なことは2003年にも見られ、ふた山分布は見られたが7月、8月の天候が悪かったために二つ目のピークが小さくなっていることにより、総個体数も2002年の半分になっている。

2001年から2003年の5月から9月までの天候(図5)を比較して見ると、2002年は降水量(月平均93mm)が少なく、日照時間(同179時間)は長く、平均気温(同24.3℃)も高い。それに比べて2001年は降水量(178mm)が多いが、日照時間(同181時間)、平均気温(24.5℃)はほぼ同じである。2003年は降水量(226mm)がさらに多く、日照時間(124時間)は少なく、平均気温(23.2℃)も少し低くかった。特にハッチョウトンボの発生のピークを迎える7月の気温は2001年は28.5度、2002年は27.6度と比較して2003年では23.3度と3〜5℃も低く、同様に降水量も2001年は29mm2002年は150mmと比較して380mm2003年では非常に多かった。2003年のハッチョウトンボの個体数が少なかった原因として、2003年は例年より降水量が多く、日照時間も少なく、平均気温も低なかったことが原因として考えられる。

旧青少年公園の2004年は、「降水量・日照時間・平均気温の年次比較」のグラフ(図6)からも分かるように、2003年より、7月から8月にかけて晴れの日が多く、降水量が少ない。特に7月は日照時間が長く、気温も少し高めだったため、旧青少年公園では新規のハッチョウトンボの個体数が多かった。また、既存の個体数は2003年に比べて減少した。これは、2004年は2003年に比べて雨が少なかったため羽化しやすい環境であったと考えられる。逆に、2004年では7月の終わりから8月に台風が続いて襲来したため、雨が続くとハッチョウトンボの個体数は減少してしまう。これは、羽化したばかりの成虫は飛ぶために濡れている翅を乾かさなければならないが、雨が降っていると翅を乾かすことができないため飛ぶことができないことなどが考えられる。さらに雨が降っていると、たとえ羽化しても十分翅が固まらず、えさを捕りに行くことができない。また、避難場所でのクモなどの外敵に狙われやすくなる。同様に、海上の森では、2004年には相次ぐ台風の襲来による影響と出水による土砂の堆積による地形の変化と乾燥化で、2004年は2003年に比べて総個体数が減少している。

 

III.経年変化

両調査地での2001年から2004年までの、各年度の調査結果をマーキングした個体数(新規個体数)、マーキングした個体を次回以降の調査で確認した個体数(既存個体数)、調査期間中に記録された延べ個体数(総個体数)であらわして比較した(表2)

旧青少年公園で調査を開始した2001年は、調査間隔がほぼ週1回の間隔であったために、天候による影響(雨のために新規個体のマーキングができないなど)が顕著に表れる結果となった。2002年以降は、2001年の結果に天候の影響などのばらつきが高かったことを考慮して、調査回数を週2回に増やした。その結果、それぞれ新規個体数、既存マーク個体確認延べ数、総記録延べ数ともに、2002年はほぼ各値が倍増していたが、2003年では2001年とほぼ同じであった。1回の平均新規個体数で表すと、2001年(調査回数22回)では18.9匹、2002年(同38回)は21.9匹と、2001年とほぼ同じであるのに対し、2003年(同32回)では、1回の平均新規個体数は11.4匹と、約半分に減少していた。同様に、3年間の総個体数を比較しても、2001年では1回の平均総個体数は42.5匹、2002年では51.0匹であるのに対し、2003年では26.0匹と、約半数に減少していた。

2004年の調査結果は立ち入り制限による調査の間隔が2週に1(同7回)と調査回数が大幅に少ないために単純に比較することができないが、既存マーク個体確認延べ数が単純に1/4回分とすれば、総記録延べ数1,091個体となり新規個体数の2週間後の生存率を25%から15%と考えれば、2003年とほぼ似た数字になると思われる。その理由として、他の年に比べ、2003年、2004年では羽化のピーク時に雨が多かったことや、特に2004は後で述べるように台風の当たり年であったことを考えると妥当な数字であろう。ただし、調査の精度から考えれば週2回の調査回数は確保する必要があると思われる。

2003年に個体数が減少したのは、2003年の異常気象(雨の日が多かった)のためなのか、又は愛知万博のための工事の影響もあるのかなどを比較するために、2003年から海上の森でも急遽1ヵ月ほど遅れて6月中旬から調査を行った。海上の森における2003年と2004年の総個体数の比較では(図7)、2004年は2003年と比べて2回目のピークがなく総個体数が減るのが半月程度早かった。その理由として青少年公園と同様、2004年は7月下旬から台風が何度も接近し、この年は5個の台風が上陸したためだと考えられる。

 

IV.海上の森と旧青少年公園の個体数の比較

新規個体数の平均は、旧青少年公園24.0匹、海上の森64.1匹であった。既存個体数の平均は、旧青少年公園23.1匹、海上の森22.3匹であった。総個体数の平均は、旧青少年公園47.1匹、海上の森86.3匹であった。

 海上の森の新規・総個体数は旧青少年公園に比べて多かったが、既存個体数はほとんど変わらなかった。これは、調査回数や調査地域の環境条件などが同一でないので単純に比較はできないが、海上の森は青少年公園の約2倍の面積であることと調査回数などを相殺するとほぼ総個体数・新規個体数ともに良く似た傾向と思われる。しかし、既存個体数では青少年公園のほうがやや多く、湿地面積を考慮すると海上の森での個体数が減少していることがうかがえる。この原因がただ単に面積や寿命だけでなく、周りにハッチョウトンボの生息に適した環境が広がっていることによる分散の可能性が示唆される。

 

V. 生存日数

オス、メスの平均生存日数を比較してみると、2002年はオス8.5日、メス8.7日と、ほぼ同じであった。2001年はオス10.8日に対してメス8.8日、2003年はオス9.7日に対してメス6.6日と、オスの方が長かった。2004年の旧青少年公園の平均生存日数は、調査回数が月2回と少ないためオス3.4日・メス3.5日と非常に短いが、2001年から2003年と同様オスのほうが長かった。2002年と2004年はほぼ同じであるがややメスのほうが長かった。海上の森の平均生存日数は、オス4.3日・メス3.6日でオスのほうが長かった。オス・メスの平均生存日数の差はあった。

青少年公園における2001年から2004年の最長日数をオスとメスとで比較してみると、2001年では37日以上生存しているオスが10匹、メスは3匹であった。2002年では天候が良かったために46日以上生存したオスが2匹と長生きしており、39日以上ではオス8匹、メス4匹であった。2004年では調査回数がつき2回と少なかったために22日以上の生存固体は確認できなかった。また、最長日数の上位を比較してみると、2003年では39日以上生存したオスとメスが1匹づつ、36日以上生存したオスとメスが1匹づつ、33日以上生存したオスとメスが1匹づつの同数であったが、2001年では37日以上生存したオスが10匹、メスは3匹で、2002年では46日以上生存したオスが2匹、43日以上生存したオスが5匹、メスは1匹と、天候に恵まれた2001年と2002年ではオスが長生きするものが多かった。

羽化直後の危険率は高く、多くの個体は成熟する前に死ぬと思われ、単純に平均寿命を出すことはできない。しかしながら、縄張りに入り込むと非常に安定している半面、必ずしも同じ縄張りに留まっているとは限らなかった(小野 )

2001年の新規マーク日以降(1週間後)、再度発見されなかった個体は33.7%と約1/3を占めている。最長生存期間は37日以上で、30日以上生存していた個体は7.7%であった。調査後半では生存日数が短く、新規マーク後未発見個体の比が高く、30日以上生存する個体は6月13日までに集中しており、その後は2個体しかなかった。

同様に、2002年の新規マーク日以降未発見の個体は41.5%と2001年と比して多かった(図 7)。同様に、新規マーク後未発見個体は、調査後半(特に7月中旬以降の盛夏時)に多く見られたが、2002年は前半にも多く見られた。これは、調査頻度が週2回と多いために、未成熟個体の確認頻度が高いことが考えられる。最長生存期間は46日以上、30日以上生存していた個体は3.8%と、2001年と同様に割合が少なかったが、40日以上の個体が8個体も見られた。調査後半は生存日数が短く、30日以上生存する個体は2001年と同様6月14日までに集中しており、その後は3個体しかなかった。2003年は新規個体数全体の約75%が14日以下の未成熟のまま死んでおり、15日以上生存できた成熟成虫はわずか25%ほどであった。ハッチョウトンボ成虫も外敵による捕殺や病気、気象変化(雨、風、低温)を受けやすいため未成熟のまま死ぬものが多かったと思われる。2002年と比較して、2003年は冷夏の影響で次世代に繋げることのできる成熟した成虫が少なかった。

2004年の旧青少年公園では、すべての月において次回の調査以降(月2回の調査のため、15日以降)には見つからなかったハッチョウトンボの割合は65%以上を占めている。海上の森では、すべての月において次回の調査以降(8日以降)には見つからなかったハッチョウトンボの割合は65%以上を占めていて、15日以降では75%以上を占めている。

 

考察

I.個体数推定 

「2005年国際博覧会に係る環境影響評価書」のハッチョウトンボの調査では、モニタリング調査を含めて、年に3〜5回での延べ個体数を比較して監視目標の「会場およびその周辺において、生息が確認されること」を達成されているとしている。このような調査では、「注目すべき動物種」としての環境影響評価の予測・評価、保全措置の資料には不十分である。愛知県および国際博覧会協会に対して、調査方法の改善を求めたが、過去の調査と同じでなければ比較ができないとの理由で従来の年4回の個体数確認のみの調査であった。モニタリング調査も含め、何匹いたかでは湿地の保全を含めハッチョウトンボの保護のための資料としては不十分である。

 

青少年公園では標識再捕法のジョリー・セーバー法により個体数を推定したが、海上の森では青少年公園と調査方法が異なり個体番号がわからなかったため、下記に示すziを求めることができないので、最もシンプルな標識再捕法であるペテルセン法(リンカーン法)で求めた(今井・石井 1998)。

【ジョリー・セーバー法】

 標識、放逐、再捕の手順を繰り返すことにより、ある一時点における個体数の推定をする。

 NiMii/mi

 Mi=zisi/ri+mi

 Φi=Mi+1/Mimi+si

  Bi=Ni+1−φi(Nini+si)

Ni:時点iにおける総個体数

Mi:時点iにおける既標識個体の総数

i:時点iでの捕獲個体数

mi:niの中の標識個体(過去1回以上捕獲されたことがある個体)の数

i:時点iで存在した標識個体のうち、時点iでは捕獲されず、時点i+1以降の調査で捕らえられた個体数

φi:時点iでの生存個体が時点i+1まで生き残る確率

Bi:時点iからi+1までの間に新規加入した個体の時点i+1での個体数

 

【ペテルセン法(リンカーン法)

この法は連続して調査を行い、1回目で捕獲した個体(M個体)にマークして放し、2回目に捕獲した際に捕獲した個体(n個体)中のマーク虫(m個体)の比率から個体数Nを推定する。次の式により求める。

N=Mn/m

    この式で求めた推定個体数は標識放流から再捕獲までの間で出生、死亡などがないものとした場合の数値である。

 

旧青少年公園においては、2001年から2003年の個体数推定グラフ(図8)からわかるように、私達の調査で確認した確認個体数とジョリー・セーバー法で求めた推定個体数との差が青少年公園の2001年から2003年では小さい(平均6.8個体)のに対し、青少年公園の2004年と海上の森の2003年と2004年(図8-5,6)では平均258.3個体と差が大きかった。また最大の差、最小の差を比較してみても、旧青少年公園では最大の差が48個体、最小の差が0個体であるのに対し、海上の森では最大の差が1266個体、最小の差が4個体であることからも海上の森では大きな差があった。この理由は調査回数が少なく、調査間隔が空いていたことも考えられるが、海上の森では拡散できる良好な生息環境が周りにたくさんあるのに対して、青少年公園では周辺が開発されてしまったために調査地域以外では近くに良好な生息環境がないためと思われる。マーキングしてから他の場所に移動したと思われる個体も、1ヶ月ほどして確認されるなど、戻ってきたとみられる個体が発見されるなどより、周辺の湿地が壊されれば、青少年公園のハッチョウトンボの生息は危うくなると考えられる。

 

II.生息域

ハッチョウトンボの成虫の生活史によると羽化後第1日は羽化場所又はその付近の繁みで過ごし、やがて乾燥した草原に移動し、ここで成熟するまでの約10日間を摂食期間として過ごすことが報告されている(山本・1998)。ささ池においてもヤマイなど、地上2050cm程の草木の葉や茎に静止し、ときおり移動するだけで活発な行動は見られなかった。その後、成熟するとオスの場合は主要な生殖水域へ移動し、ここで縄張りをつくって交尾相手を待ち、メスの場合は草原を中心として拡散移動を行い湿地全域に分散し、その後、生殖機能をもつようになると産卵可能な湿地に飛来していく。又、オス・メスともに老化現象が現われる羽化後25日以降の個体は一定の場所に定着し、没姿するまでの期間を水辺で終日静止して過ごすようになる(Y.Tsubaki et.)

私達の調査結果では、旧青少年公園の調査地域での羽化は湧水が出ている周辺の湿地の中心域で、調査前半では温度が低いためか12時ごろまで翅が乾かずに、アリノトウグサなどの低いイネ科の草本に止まっていることが多かった。その後なわばりの水域に出るまでの間は、周辺(西側及び南側の池沿い)のやや背の高いヤマイなどに多く見られた、2003年の新規個体は池周辺の背丈の高いヤマイなどに静止しているなどに広く分布しており、羽化場所やその付近、又は草原で成熟までを過ごしていると思われる。既存個体は、湧水路付近に個体が密集していることがわかる。これは生殖水域に縄張りをつくって交尾の機会を待つオスや、産卵するために湧水路に集まるメス個体と考えられる。又、池や林の隅の方に分散している個体は老化現象の現われ始めた羽化後25日以降の個体や羽化後間もない個体であると考えられる。発生地点及び羽化直後の個体の静止場所、なわばりなどについては、観察により一定の傾向が認められたが、今後データを解析して明らかにしたい。

海上の森の2004年は2003年に比べて調査期間と発生パターンが違うので単純に比較することはできないが、1回あたりの確認個体は2003年の90.6個体に対して2004年は81.6個体と約1割少なかった。両調査地域ともに総個体数が減少したのは、2004年の8月に連続してきた台風により降水量が多かったために8月後半にはほとんど見られなくなり、2003年では923日まで観察されたのが2003年では96日には1個体しか見られなかった。もうひとつの原因として考えられるのは、調査区域12では少し多かったにもかかわらず、調査区域34では2割から3割少なくなっている(図 3)。この区域は台風のような出水時には上流からの土砂や堆積物が流れ込むことにより、池が埋まり浅くなるなど、さらに乾燥化が進み、緑藻などの繁茂により、生息環境が悪化したために個体数が減少したためと考えられる。今後さらに環境の変化が、著しくなることが予想されるため、ハッチョウトンボの生息域が脅かされることが考えられる。

環境の変化がハッチョウトンボの生息に影響を与える要因を見るために、青少年公園での「発生個体分布図」を作成して検討をした。2002年では羽化直後の新規個体は池周辺の草丈の高いヤマイの葉上で静止している個体が多く見られた。その後、成熟個体は湧水部や周辺の湿地へと移動して縄張りを形成することが知られている(小野 )。本研究においても2001年から2004年にかけてハッチョウトンボの発生個体の分布図で見ると池周辺から湧水路付近に移動してきていることがわかった(図9)。その理由として以前ハッチョウトンボが多く分布していた池周辺(図の左上のエリア)の草丈が短くなってきたことと、林床部からの侵食が進んできたことなど、乾燥化したために棲みにくくなり湧水路周辺に移動したと考えられる。

1999年の「東部丘陵線環境影響評価書」と,2004年の「環境影響追跡調査(モニタリング)報告書」の湿地湧水量測定結果とを比較してみると、1998年から1999年にかけての1年間の最小流量が0.5リットル/分であったのが、2003年度で0.2リットル/分、2004年度で0.1リットル/分に減少している。簡単に比較することはできないが、年12回の観測日の合計が、1998年、1999年では37.0リットル/分に対して、2003年で14.8リットル/分、2004年で15.3リットル/分と半分以下に減少していることからも湿地の乾燥化が類推できる。

 

III.生存期間

「生存日数割合」(図7)のグラフに見られるように、2003年もすべての月において次回の調査以降に見つからなかったハッチョウトンボの割合(以下生存個体とする)は全体の約3050%を占めている。2002年と2003年を比較すると個体数が少ないほど短命(3日以内)なハッチョウトンボの割合が増加する傾向がみられる。それは、天気・気温の変化と個体数の関係からもわかるように,晴れの日に飛び抜けて多くの新規個体が発生し、晴天が続くと長命になることは容易に想像がつくとおり、このような結果になったためと考えられる。2003年の平均生存日数は8.2日であり、生存日数割合が3日以内48%、8日以内56%と短命にも関わらず予想以上に比較的長生きである。その理由は、15日以上生存している個体の中で25日以上生存している個体(30.6%)も多く、成熟後は長命で最高で39日生きた個体はオス・メスともに1匹づつ確認した。このことから、ハッチョウトンボは生まれてから3日以内で死んでしまうものはたくさんいるが、一定期間をすぎれば縄張りを持つためか比較的長生きすることがわかった。2003年は7,8月の長雨による影響、2004年は、調査期間のうち6月中旬に1回、7月下旬に1回、8月下旬に2回、9月初旬に1回の計5回も台風が接近し雨風が強かったため、気象変化(雨、風、低温)を受けやすいハッチョウトンボは未成熟のまま死ぬものが多かったことも推測される。

海上の森では次回の調査以降(8日以降)の生存日数割合は、2003年25%・2004年27%であり、生存日数の差は見られなかった。また海上の森での15日以降の生存率は2003年8.9%、2004年11.5%と低かったのは、海上の森地区では、旧青少年公園と違い、周辺に林が多いためにハッチョウトンボが周辺の林などに避難したのではないかとも考えられる。海上の森の生存日数割合は、海上の森での過去の詳しいデータがないために単純に比較することはできないが、旧青少年公園では先に述べたように3日から4日でいなくなるものは全体の約3050%であり、7日以内でいなくなるものは約60%であったが、海上の森では75%とほとんどのハッチョウトンボが7日以内で見られなくなる。平均生存日数も旧青少年公園は8.2日であるのに対し、海上の森では3.3日である。これは、海上の森では私たちが見る限りでもクモや大きいトンボなどの外敵が多いことも考えられるが、湿地が広いので他の場所に飛んでいって再び確認することができなかったためとも考えられる。2001年には旧青少年公園のささ池でマーキングした個体が直線距離で1.1km離れたカメの池で確認された例もあり、どれだけの移動能力があるか今後、追跡していく必要がある。

ハッチョウトンボの成虫のオス・メスの寿命について観察した報告では、羽化後25から26日程経過した個体は翅の周辺部が白く濁りはじめ老化現象が認められるようになり、このような老化現象が現れてからの生存日数はオスよりもメスのほうが長生きすることが報告されている(山本・1998)。旧青少年公園の2001年から2004年と海上の森の2003年、2004年の成熟個体(15日以上)と老化現象(25日以上)の♂・♀の生存割合を比較した(表3)。羽化後15日以上経過した成熟個体のオス・メスの比較では、2001年の青少年公園と2003年の海上の森以外ではオスのほうが多い結果となった。しかし、25日以上経過した老化現象個体と羽化後15日以上経過した成熟個体のうち25日以上生存した個体の割合は2004年の両調査地をのぞきオスが長生きしている結果となった。しかし、長生きするメスが少ないのは、メスはオスと比較して発見されにくい体の色をしていること、縄張りから離れてどこかへいってしまうこと、オスより低い位置に止まること、あまり飛ばないでじっとしていることが多いことなど、見つかりにくい要因も影響していると考えられる。

青少年公園(2004年は調査回数が月2回と非常に少ないために新規個体の中に古い個体が含まれるために除外)では新規個体数よりも既存個体の確認数が多いのに対して、海上の森では2003年、2004年ともに既存個体は新規個体の約13と少ない。海上の森のように広くハッチョウトンボが生息することができる湿地が広がっている地域では、羽化後生息域を分散拡大する可能性を持つことになる。青少年公園のような管理された公園では、適正環境を維持し特定種の保護に努めても,環境の変化や天候の不順などにより絶滅の危険性を持っている。湿地の遷移が進んでハッチョウトンボの生息環境が悪くなっても、よい生息地を求めて移動する広い範囲で、生態系を含めた保護・保全に取り組まなければならない。

 

【まとめ】

ハッチョウトンボは体も小さく、小さいエサ(ユスリカ、ハエ、ヌカカ成虫)を食べているため、貧栄養な湿地にも生息できる。そのことは、競争相手が少なく、他の同様な水辺環境に生息する生物に比べてエサが少ないなどの非常に厳しい環境にも生息できる。東海地方の湿地は平坦な谷に成立し、浸透性の悪い土岐砂礫層の上に形成されているので常に湧き水がある。しかし、湧き水が安定してもたらされる一方で溶出物質が乏しい。このような、貧栄養な湿地がたくさんあることが東海地方の湿地の特色である。東海地方にはハッチョウトンボが生息する小規模湿地がたくさんあるが、小規模湿地は環境の変化を受けやすく、すぐに壊れてしまう。ハッチョウトンボは生息していた湿地が壊れてしまったら、新たに湿地を探さなければならない。海上の森はハッチョウトンボの生息に適した湿地がたくさんあるため、生息していた湿地が壊れてしまっても近くの湿地に移動できる。このことは、現在生息する湿地だけを保護してもハッチョウトンボは守れないことを意味する。ハッチョウトンボの個体を保護するのでなく、多くの湿地を含んだ広い地域を守っていくなどの生態系保護がハッチョウトンボの保全につながっている。

崖が崩れるなどの小さな撹乱や遷移の段階を守ることは多様な生態系を生み出すこととなるが、開発などの大きなかく乱では規模が大きく、生態系そのものを破壊してしまう。人工的に創作した自然空間に特定種を放つビオトープや移植は、疑似自然や人為的な生息環境を創造できても、長い時間をかけてつくられたその地特有の生態系を作り出すことはできない。生態系は多くの集まりがいくつもの遷移の過程を持つことで成り立っている。素晴らしい疑似自然を創っても、時間や環境など状況の異なるその地特有の生態系を再現することはできない。里山はさまざまなハビタートから構成されており、湿地を含む広い生態系を守ることは生態系の多様性にもつながり、自然も残っていくなど他の生物の保全にもつながる。

ハッチョウトンボの個体保護ではなく、ハッチョウトンボが生息する環境を守ることが本当の意味での環境保全である。

 

<謝辞>

調査および、本稿をまとめるにあたり、金城学院大学の小野知洋教授、「ため池の自然研究会」の高崎保郎さんにハッチョウトンボの生態調査について資料ならびに御助言をいただきました。測量と調査を手伝っていただいた愛知工業大学内田臣一助教授ならびに河川環境研究室および名古屋女子大学環境生物学研究室、佐藤敦子さん、半田多美子さんをはじめ「長久手自然クラブ」のみなさんに厚くお礼申し上げます。なお、本研究の一部は日本自然保護協会とWWF(世界野生生物保護基金)の助成金の支援でおこなわれました。ここに記して感謝の意を表します。

 

引用文献

愛知県農地林務部(1998)瀬戸市南東部地域自然環境保全調査(水辺・湿地)128pp

八田耕吉(1998)東海地方の里山の自然史−万博アセスに生態学的視野を.科学68(8)、620-627

八田耕吉・高崎保郎(2002) トンボ−里山の指標として.「里山の生態学−その成り立ちと保全のあり方」(広木詔三編)pp124143.名古屋大学出版会、名古屋

八田耕吉(2006)里山の指標となるギフチョウの保護,蝶と蛾(日本燐翅学会)(投稿中)

前田栄作(2005)虚飾の愛知万博、光文社

森山昭雄 梅沢広昭編(2000)日本人の忘れ物−「海上の森」はなぜ貴重か?.名古屋リプリント

日本環境動物昆虫学会(編)(1998)標識再捕法.(夏原由博)チョウの調べ方、文京出版、大阪市

椿宜高(1986) ハッチョウトンボの縄ばり制.インセクタリウム、23212220

Y.Tsubaki,Ono(1994)

山本悠紀夫(1968)ハッチョウトンボ成虫の生活史.TOMBO34XI:18-24

(財)2005年日本国際博覧会協会(1998) 2005年日本国際博覧会に係る環境影響評価書日本国際博覧会協会

(財)日本自然保護協会(1998)環境影響評価法を骨抜きにする実施計画書.

 

 

<Summary>.

1. Occurrence rise and fall.

Emergence of Dragonnflies (Nannophya pygonea Ramber) lasts from mid May until late September. The peak of the emergence time in 2003 years was late June from mid May which it spent on early summer from late spring. The number of individuals increases again after the rainy season though it decreases temporarily in the time of the rainy season because emergence often takes the rainy influence specially. The 2nd peak didn't appear because the time of the rainy season was long for 2003 years and it was put on August from July and there was much rain. But, it is only the number of new individuals that is decided by rain, and it doesn't think that it is decided by rain the imago which matured to have an influence very much.

2. Survival days.

The rate of Dragonflies which didn't appear on the next investigation day occupied about 30-50%. Many rates of the short life show a tendency of being as much as there are a few individuals. It is dead as 75% of the whole of the number of new individuals hasn't matured from 1 until 14 days. It can think that there was many this because it is sick, prey by the foreign invader and an influence such as a weather change (rain, wind, a low temperature) is often taken. Moreover, average existence days in 2003 years were 8.2 days, and the highest existence days were 39 days. As for the individual which existed for more than 15 days and which matured, it was found out that it lived long comparatively.

3.The comparison of males and females.

Though males occurred earlier than females at 2002 years, the deviation of the occurrence wasn't seen for 2001 years and 2003 years. There were more male which had a territory in all occurrence rates longest existence days average existence days. It can think that it is hard to find, too, that there were a few females because it leaves a territory in comparison with males and has the color of the body that it is hardly discovered with going ** somewhere. And, males occur regardless of the weather on the average. But, females found out that an occurrence was outstanding in the rainy day,and in the day when there were a few occurrences and which cleared away and there were many. When it matures, it is moved to the important reproduction (mate, ovipositing) waters in the case of males, and a diffusion movement is done around the plain in the case of the females, and it disperses around the whole of the swamp. Moreover, it takes root in the fixed place, and the individual after emergence rest 25 days that the phenomena of aging appear with males and females spends the period until it has die figure the final day standing in the water side. It never crowds in the especially fixed place, and the new individual which hasn't matured from. It is created, and a male is waiting for the opportunity of the copulation in the reproductive the territory. Females gather in spring waterway to lay eggs. It was found out that the individual which matured crowded in spring waterway.

4. Individual number estimation.

As for the Youth park, there was no difference very much by the number of estimated individuals found by the individual confirmed by our investigation, and Jolly method. But, as for the Kaisho forest on the sea, that difference was big. There are many good inhabiting environments in the Kaisho forest which can spread in this cause, and it can think about a circumference with the benefit that there is no good inhabiting environment except for Sasa-Ike pond in the Youth park because it was developed. It can be imagined as inhabiting of Dragonflies of the Youth park being in danger in the  youth park if the individual which it is returned from after it is marked when it for one month is seen, too, and it can be folded and a swamp around Sasa-Ike pond is destroyed.

5,The comparison of the Kaisho forest and Youth park. When the number of new individuals of the Youth park until 2003 years was compared from 2001 years, it was decreasing to about the half of 2001 years and 2002- years number of new individuals at 2003 years. It can think that there is an occurrence of Dragonflies from the number of individuals of the Kaisho forest didn't change with the number of individuals of the Youth park very much, influences the weather . Though average existence days were smaller than a Youth park, it can think that this is because there were many foreign invaders such as Spider and a swamp was wide in the Kaisho forest.

6.The comparison of the investigation result in 2003 years from 2001 years.

When it tried to compare the number of total individuals for 3 years, it was decreasing to about the half in comparison with 2001 years and 2002 years for 2003 years. When it tried to compare the weather for 3 years, there was much precipitation in comparison with 2001 years and 2002 years for 2003 years, and there were a few daylight hours, and average temperature was low, too. It can think about a change in the weather in the reason why the number of individuals decreased. And, it can think about Sasa-Ike pond inside Youth park of the investigation area that the environment of the investigation area changes, too, with the reason of the individual number decrease in 2003 at 2001 years and 2002 years, 2003 years.

 

 

1、    <要約>
発生消長
ハッチョウトンボの羽化は5月中旬から9月下旬まで続く。2003年の羽化時期のピークは晩春から初夏にかけての5月中旬から6月下旬であった。羽化は特に雨の影響を受けやすいため、梅雨の時期には一時的に減少するが、梅雨後再び個体数は増加する。2003年は梅雨の時期が長く、7月から8月にかけて雨が多かったため、2回目のピークが現われなかった。しかし、雨に左右されるのは新規個体数のみであり、成熟した成虫にはあまり影響がないと思われる。

2、    生存日数

 次回の調査日に出現しなかったハッチョウトンボの割合は約3050%を占めていた。個体数が少ないほど短命の割合が多い傾向がある。新規個体数全体の75%が1日から14日間までの未成熟のまま死んでいる。これは外敵による捕食や病気、気象変化(雨、風、低温)などの影響を受けやすいために多かったと考えられる。また、2003年の平均生存日数は8.2日であり、最高生存日数は39日であった。15日以上生存した成熟した個体は比較的長生きすることがわかった。

3、    オスとメスの比較

 2002年ではメスよりオスの方が早く発生していたが、2001年と2003年では発生のズレが見られなかった。発生率、最長生存日数、平均生存日数のすべてにおいて縄張りを持つオスの方が多かった。メスが少なかったのは、オスと比較して縄張りから離れてどこかへ行ってしまうことと、発見されにくい体の色をしているので見つけにくいことも考えられる。また、オスは天候に関わらず平均的に発生する。しかし、メスは雨の日に発生が少なく、晴れた日に発生が飛び抜けて多いことがわかった。 成熟するとオスの場合は主要な生殖(交尾・産卵)水域へ移動し、メスの場合は草原を中心として拡散移動を行い、湿地全体に分散する。また、オスとメスも老化現象が現われる羽化後25日以降の個体は一定の場所に定着し、没姿するまでの期間を水辺で終日静止して過ごす。調査結果から未成熟の新規個体は特に一定の場所に密集することもなく広く分布。雄は生殖水域に縄張りを造って交尾の機会を待っている。雌は産卵するために湧水路に集まる。成熟した個体が湧水路に密集していることがわかった。

4、    個体数推定

青少年公園においては、私達の調査で確認された個体とジョリー・セーバー法により求めた推定個体数とではあまり差がなかった。しかし、海上の森においてはその差が大きかった。この原因は海上の森では拡散できる良好な生息環境が多く、青少年公園では周辺が開発されてしまったためにささ池以外に良好な生息環境がないためと考えられる。青少年公園ではマーキングしてから1ヶ月たって戻ってくる個体もみられたため、ささ池周辺の湿地が壊されれば、青少年公園のハッチョウトンボの生息は危うくなることが想像できる。

5、    海上の森と青少年公園の比較

2001年から2003年までの青少年公園の新規個体数を比較すると、2003年では2001年と2002年の新規個体数の約半分に減少していた。海上の森の個体数も青少年公園の個体数とあまり変わらなかったことから、ハッチョウトンボの発生は天候に関係あると考えられる。海上の森では青少年公園より平均生存日数が少なかったが、これはクモなどの外敵が多く、湿地が広かったためだと考えられる。

6、2001年から2003年の調査結果の比較

3年間の総個体数を比較してみると、2003年は2001年と2002年に比べて約半数に減少していた。3年間の気象を比較してみると、2003年は2001年と2002年に比べて降水量も多く、日照時間も少なく、平均気温も低かった。個体数が減少した理由に気象の変化が考えられる。また、調査地の愛知青少年公園内のささ池は、2001年および2002年、2003年とでは調査地の環境が変わっていることも2003年の個体数減少の理由と考えられる。