台湾国立中興大学 2008.3.26
日本の公害と自然保護
名古屋女子大学八田耕吉
1.日本の公害史
1)1960年以前
明治時代(1868年)〜
足尾銅山、佐渡金山、三池炭鉱など各地の鉱山で鉱毒被害発生
その後、亜硫酸ガス、水銀、砒素などの流出被害が各地で拡がる
大正時代(1913年)〜
化学工場より出る亜硫酸ガスなど煤煙被害、工場廃水汚染が拡がる
各地で公害紛争が起き、見舞金、補償金などで可決
昭和時代(1925年)〜
漁業被害にまで拡がる
1939年に「公害無過失賠償制度」が立法化される
窒素工場と水俣の漁民などの漁業被害交渉が始まるが、水俣病との因果関係なしと判断 1963年熊本大学が「原因物質は工場廃水中に含まれるメチル水銀である」と公表
4大公害裁判(新潟・熊本水俣病、イタイイタイ病、四日市公害)
スモン病(キノホルム)、サリドマイド、森永砒素ミルク事件、カネミ油症事件(PCB)
典型7公害(大気、水質、騒音、振動、悪臭、地盤沈下、土壌汚染)、新幹線公害
2)公害の時代(1960年代後半から1980年ごろ)
高度経済成長に伴い工場排水、煤煙による水質汚濁、大気汚染が拡がる
1967年 公害対策基本法、公害に関わる健康被害の救済に関する特別措置法
1970年 水質汚濁防止法と大気汚染防止法が制定
その後、環境基準、上乗せ排水基準、総量規制など法の整備が進む
3)企業型から市民型(排出源)
1980年 水質の富栄養化(トイレの水洗化)、自動車公害、ごみ(焼却場、埋め立て)
1988年 長良川河口堰本体工事着工
大型公共事業(ダム、高速道路、空港)の再燃
1991年 再生資源の利用の促進に関する法律(リサイクル法)、容器包装法
4)地球環境
1992年 地球サミット(リオ宣言、アジェンダ21)
1997年 地球温暖化防止京都会議(COP3)
1999年 環境影響評価(アセスメント)法
2.自然保護
1)貴重種保護(天然記念物カモシカ、希少種キリシマミドリシジミ)
1970年頃 湿地保護(尾瀬沼)から自然保護運動が始まる
1971年 環境庁発足
山岳道路(富士スバルライン、乗鞍スカイライン、鈴鹿スカイライン)
河川改修(治水対策) 三面張り工法、ショート・カット)
農水省 干拓(児島湾、鍋田干拓)、淡水化(宍道湖・中海)
建設省 河口堰(利根川、筑後川、芦田川)
2)生物多様性
1993年 生物多様性条約、レッドデータブック
1999年 環境影響評価法(新アセス法)施工 生態系の保全、情報公開、市民参加
3.名古屋における環境問題
長良川河口堰 汽水域(アユ)、止水化・ヘドロの堆積(シジミ)、富栄養化(アオコ)
徳山ダム 滞水、水量の減少、土砂の堆積、クマタカ
設楽ダム 利水、治水、自然破壊と費用対効果
藤前干潟 浄化作用、渡り鳥の休憩地、リサイクル
中部空港 浅海(アマモ)、閉鎖水系(赤潮)
愛知万博 里山、生態系の頂点(オオタカ)、典型性(ギフチョウ、ハッチョウトンボ)
木曽崎干拓地(旧鍋田干拓) 農地、米余り
4.市民の取り組み
公害裁判から自然保護運動へ
地域(川、池、公園)の自然保護団体 海上の森を守る会、自然観察会、探鳥会
住民運動 愛知の住民一斉行動、三河湾流域ネットワーク
青空裁判 工場煤煙から自動車排気ガス、地域再生
環境影響評価(アセスメント) 科学者会議、アセスメントに意見する市民の会