広木チーム研究報告3

「里山の指標としてのトンボ」

−「海上の森」におけるトンボ相の特徴を例として−

 

八田 耕吉(はった こうきち)名古屋女子大学家政学部 教授 

(略  歴)1943年生まれ、愛媛大学農学部農学科卒業、同大学院農学研究科修士課程修了、名古屋女子大学助手、講師、助教授を経て、1989年より現職

(専  攻)環境生物学

(所属学会)日本昆虫学会、日本陸水学会、日本生態学会

(著  書)「長良川河口堰事業の問題点」日本自然保護協会

      「2005年愛知万博構想を検証する」日本自然保護協会

      「日本人の忘れもの−海上の森はなぜ貴重か」名古屋リプリント

      「中国貴州省の少数民族をたずねて」名古屋女子大学生活科学研究所

里山の動物相における主要な構成者である昆虫の中でも、特にトンボ類は環境指標として、主に次のような理由から適していると考えられる。

@ トンボは古くから広く国民に親しまれており、生物の専門家でない一般の人々に対する自然環境の説明材料としても理解されやすい。

A 本邦(日本産)記録種は偶産種を含み220種弱と種類数が少なく、大型で比較的同定(種名の確定)が容易であり、分類、生態ともに研究が進んでいる分類群である。

B 幼虫(ヤゴ)は水中、成虫は陸上と、水域、陸域の両方の評価に利用できる。

これらの環境指標種としての利点を持ったトンボ類を材料として、名古屋市東郊に位置する東海地方固有な東海丘陵要素を基盤とした尾張平野東部丘陵地帯(長久手町も含む)のトンボ相について述べる。

.里山に棲むトンボ

それぞれの地域における生物の集団としての生態系は、その地域独特な地形、水系、気候などに影響を受けて生息し、遷移の段階に応じて移動・定着する。トンボの成虫は移動能力が強く、適した環境を求めて分布の拡大をはかるが、幼虫は卵から孵化するとその水域からの脱出は困難であるため、水質などの生息環境の悪化により死滅することもある。それゆえ産卵習性を含め、幼虫や成虫の生息環境などへの影響は直接的に受け、環境指標性が高い。

1)多様な水域

里山の深い谷筋上部では、滲出した雨水が徐々に集まり林床の細流となる。細流は水量を増しつつ緩傾斜を流下し、やがて渓流と呼ばれる形態になる。緩傾斜には小湿地や小水溜りを伴うことが多い。渓流の途中には砂防ダムが築かれ滞水し、ため池状になったり、大きい場合には、小規模なダム湖状になったりする。これらの滞水の上端流入部には砂泥の流入により湿地が形成され、遷移が進んだところでは、挺水自然草原化する。渓流は麓に達し、林を出て水田を潤す。

大規模な谷筋には谷戸水田(谷津田)が作られていることが多い。谷頭には後背集水域から集められた水を貯めた湿地か、ため池があり、それらから水は田越し又は側溝を伝って順番に下方の水田に供給される。

不透水層断面からの滲出水で、林内の斜面や、露出した崖の下に湿地が形成される。さらに、里山山脚部にはため池が散在し、渓流から中河川と大きくなった川が流れ、水田や畠が広がる。

2)生息環境

羽化直後の成虫は、羽化ポイントから周りの草地や林縁へ、まだ光沢の強い柔らかな翅を弱々しく羽ばたかせ移動し、体がしっかりするのを待つ。成虫に必要な生活空間の第一は、この羽化直後の柔弱な時期を過ごすための水辺周辺の植生である。次いで、アオイトトンボ科、サナエトンボ科、ヤンマ科、トンボ科アカネ属などは林で、イトトンボ科、トンボ科の多くの種などは草原や潅木帯で双翅目などを捕食し、成熟していく。例えば初夏林縁の日溜り空地でフタスジサナエの集団が、夏季林内でコノシメトンボ、マイコアカネ、ノシメトンボ、マユタテアカネなどアカネ類多種が見られる。イトトンボ科は水辺至近の草木に拠って成熟するが、周知のようにアキアカネは夏季山地に、遠く移動して成熟する。種により要する時期はまちまちであるが、やがて成熟した成虫は水域へ戻り生殖活動を行う。

トンボの生活の本拠は水辺であるが、羽化直後の休息の場と、成熟のための食の場としての水辺後背の草地、林の存在は重要である。

.里山のホットスポット(危機地帯)としての「海上の森」

名古屋市東郊に位置し、愛知県瀬戸市及び長久手町の万博予定地を含む尾張平野東部丘陵地帯(丘陵性山地)の里山の各環境に棲むトンボは表1の通りである。この里山は地勢的には標高数十mから400m程度の丘陵地から低山地にあり、トンボの種類の多い地域である。このような地勢から、当然のことながら、沿海の低湿地帯に多い種や、平地の中・大河川を主たる生息地とする種、標高数百m以上の山地急流に産する種は少ないかこれを欠く。この東部丘陵地帯で現在見ることのできる種は70種強で、愛知県の既知定着種89種の約80%に当たる。

本州各地の里山にあっても、種構成は若干異なるところもあるがこの数字に大差ない。

講演要旨B

研究報告3

「里山の指標としてのトンボ」

−「海上の森」におけるトンボ相の特徴を例として−

 

名古屋女子大学家政学部 教授 八田耕吉

 

「指標種としてのトンボ」

@ トンボは古くから広く市民に親しまれ、生物の専門家でない一般の人々に対する自然環境の説明材料としても理解されやすい。

A 日本産記録種は偶産種を含み220種弱と種類数が少なく、大型で比較的同定(種名の確定)が容易であり、分類、生態ともに研究が進んでいる。

B 幼虫(ヤゴ)は水中、成虫は陸上と、水域、陸域の両方の評価に利用できる。

 

「里山に棲むトンボ」

里山には、湿地や、田んぼ、小川、ため池など多様な水辺があり、それぞれの水域に適したトンボの幼虫や成虫が生息している。幼虫時代だけでなく、トンボの生活の本拠は水辺であるが、羽化直後の休息の場や成熟のための食の場としても重要である。

愛知県の東部丘陵地帯で現在見ることのできる種は70種強で、愛知県の既知定着種89種の約80%に当たる。本州各地の里山にあっても、種構成は若干異なるところもあるがこの数字に大差ない。

 

「里山のホットスポットとしての「海上の森」

愛知県全体のわずか0.1%のこの地域に、県内の在来植物2,200種の約半分にあたる1,077種が、鳥類では県全体で376種確認されているうち、海・干潟をもたないのに約1/3133種が、昆虫類は6,063種(愛知県)の約1/3を越える2,301種以上が海上の森で確認されている。

モートンイトトンボ、ムカシヤンマ、サラサヤンマ、エゾトンボ、ハネビロエゾトンボ、ルリボシヤンマ、コシボソヤンマ、ミヤマアカネ、マダラナニワトンボなど適応の幅が狭い各種の存在は、かなり環境が多様性に富むことを示唆するが、普通種といえども多数の種が存在することは、総合的に里山の環境が良好であると評価できる。万博による破壊が当初懸念されていた「海上の森」では2000年現在67種が記録されており非常に自然状態が優れた里山である。