会員レポート2(環境と創造 No.27)

定年を目前にして

八田耕吉(名古屋女子大学)

 5年前に、私は新しい研究室への移動をすることになり、研究室を片づけていて重大なことに気づいた。かねてから、我が家に本などを持ち込むたびに、家内から「これ以上増やさないで」と言われ続けてきた。新しく家を建てたときに、標本室と書庫を造ったことをいいことに本が増え続け、もはや、標本や本は寝室や他の部屋にまで進出してきた。新しい研究室にも、これ以上スペースも望めないだけでなく、定年後には大学の研究室にある本をいれるスペースを我が家に確保することも望めない。それだけでなく、「あなたが死んだ後、この本や標本はゴミとして捨てるだけ」と言う、家内のきついお言葉。定年後の、本や昆虫標本の行き先を考えるきっかけとなった。
 研究室の引越しの際に思い切って整理することとしたが、私たちの世代ではなかなか本は捨てられずにたまる一方である。研究分野によっては古い学会誌や研究書などは適当に時間の経過により処分されていると思われるが、昆虫学のように自然誌的な分野では、戦前の文献や記録が必要になるなど、新種の記載や記録などが記載されている古い学会誌や文献、雑誌、同好会誌にいたるまで集め、完全に揃っていないと満足しないという収集癖を持っている。
 現在、大学の図書館では、定年退官される先生の本で一杯になり、学会誌や雑誌、少額の図書(出版物)などは引き取らないだけでなく、野積みされている状態である。ある大学では、1冊100円で売るなどの有効利用も考えているようであるが、多くは倉庫に眠るか、捨てられる運命にある。現在、私立大学図書館協会では、重複などによる除籍、廃棄された資料を海外の大学にダンボール箱(規程の大きさ)30個までを寄贈する事業を行なっている。今回、私の所蔵している環境アセスメント関係の資料は韓国に送っていただいた。
 定年を間近に控える諸氏に、本や標本などの行き先を考える参考にと、私の今回台湾の大学に寄贈する経過をお話したい。
 現在、私たち大学研究者においても後継者問題は、大学の研究室、研究内容の継続にも大きな課題となっている。一部の大学を除いては、研究内容の専門領域を絞り込んでの後任者選びが出来る環境とはいえない。多くは、開かれた形での公募制での教員選考が行なわれているため、必ずしも前任者の専門性を踏襲した形になるとは限らない。特に、私学では研究内容での専門領域でなく、担当科目による候補者選びが先行し、むしろ専門領域の偏りをなくすほうが良いとされる。国立大学法人も専門領域の細分化が進み、研究者独自の専門性が重視され、他大学や専門分野との交流が進み、かつてあった大講座制的な考え方をする研究室も少なくなったと聞く。
 私が、40年もの間に私学でこつこつと個人的にためてきた昆虫標本や本なども、そのまま研究室で継続されることを望む状況でもなく、出身大学の研究室などに託すことも負担になると考えられる。最近昆虫標本などでは、アマチュア研究者も含め、公立の博物館に寄贈される事例が増えているが、寄贈標本の管理が大きな負担になり、財政的に圧迫しているとも聞く。多くの標本が集まることは、博物館としても喜ばしいことであり、それに十分答えるよう努力している博物館、研究員もいる。愛知県にも豊橋市自然史博物館には、優秀な昆虫専門の学芸員もおり、収集も熱心に行なっている。最近も、私の知人も含め大学の研究者を始め、アマチュア研究者の標本が多く収蔵されている。しかし、昆虫部門は一人であり、専門も全般にわたってみていくのには限界もあろう。ましてや、日本の大学や博物館には標本管理の専門員がいるなど恵まれた環境は殆どない。
 私が今回、台湾の大学(台中市にある国立中興大学)に寄贈することを考えたきっかけは、5年ほど前から台湾の大学(台北市の師範大学)との共同研究を行なっている中で、学生時代に昆虫採集で訪れたことのある台湾の真ん中に位置する昆虫の村で知られる埔里市の木生昆虫研究所(2代目館長余清金)を訪ねたことにある。日本の昆虫学の創始時代に南方系の昆虫研究者の多くは戦前、戦後を通じて台湾に行き、採集人余清金を伴って採集を行っている。台中市にある国立中興大学は日本時代(戦前)の農業学校を継承しており、昆虫学系には教授4名、副教授7名、助理教授3名の大所帯で、2名の標本管理者もいる。標本収納庫も見せていただいて驚いたことには、私の大学の恩師である石原保先生の1937年の標本を始め、加藤睦夫、中條道夫先生などそうそうたる日本における昆虫学の創始者たちが採集した標本が残されていたことである。
 定年後の生活をどう生きていくかは、定年を迎えるものにとっては大きな転機であり、第二の人生の目標を決めるものでもある。大学を卒業後進学、就職と現在の職場での40年余りの人生を大きな転機もなく送ってきたものにとっては一遇のチャンスでもある。
  大学受験まで生物部を通して、ハトや熱帯魚の飼育、昆虫採集で野山を駆け巡っていた青春時代、ハナムグリ(コガネムシ)の地理的分布を研究するといっては琉球列島や洞窟での昆虫採集をしていた大学の探検部時代での自由な行動も、就職してからの研究・調査での自然との付き合い方とは大きなギャップがあり、ある意味では不満が残る生き方でもあったのかもしれない。
  今回、昆虫の標本を大型標本箱にして230箱、本は段ボール箱にして350箱(1/3は埔里市の図書館)を台湾の大学に送り出した。私の第二の人生は、今までに出合った多くの友人たち(日本や台湾などの)と台湾の野山を歩きながら、ゆったりした気分で花や野鳥と接し、きれいな蝶やコガネムシとの出会いを楽しみたい。今まで以上に生き生きとした表情で、蝶々を追っかけている自分を夢見て。

(はったこうきち:名古屋女子大学、環境生物学)