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桶狭間古戦場まつり(平成15年度)

日時:平成15年6月7日(土)・8日(日)
場所:史跡 桶狭間古戦場伝説地一帯、高徳院雲上ホール、戦人塚、沓掛城祉、二村山

URL:http://www.city.toyoake.aichi.jp/info/shoko/kosenjo/kosenjo.html


史跡「桶狭間古戦場」がある愛知県豊明市では、毎年6月第一週目の土・日の両日、「桶狭間古戦場まつり」が開催されております。
一日目は主に慰霊祭、二日目は武者行列と、「桶狭間の戦い」の再現劇が行われます。
梅雨の時期ですが、ノヴナガサマのご威光の前に梅雨入りも遠慮がちに。天晴れな祭日和となりました。

メイン会場とも言うべき「桶狭間古戦場公園」「高徳院」は、名鉄本線「中京競馬場前駅」下車、徒歩数分。
高徳院の敷地内には、葬祭場と「桶狭間合戦資料館」(有料)があり、山門入ってすぐに「今川義元公本陣跡」の石碑が見られます。

桶狭間古戦場公園 香華山高徳院(真言宗高野山派)

高徳院雲上ホール駐車場では、地元商工会の出店やフリーマーケットが。

左奥がフリマ会場 「栄発展会」出店の「今川義元公しのぶ酒処」

以前来た時(七年程前)よりかなり立派になっていました。この会場の反対側に資料館があり、そこの駐車場(芝生だったものが舗装されていた)で合戦劇も行われたのですが。
写真からは判別できませんが、一帯は丘陵部で自然の多い土地柄です。この場所はまさに丘の上ですし。
あとで録音したテープを聞いて気になったのは野鳥の声!うるさいのなんの。
で、武者行列がやって来るまでまだ時間があるので、一通り史跡を見てみたんですが、オートフォーカスのくせに手ブレを起こすという才能がイカンなく発揮されたため、写真が揃いません(笑)。紹介はいずれ…(泣)。

いよいよ武者行列の到着。

まずやって来たのは鉄砲隊(上高根警固隊の皆さん) 独特のスタイルでの火縄銃発砲実演

続いて今川軍、織田軍が。

堂々の今川義元 なかなかの貫禄
豊明市キャンペーンガ−ル扮する三姫 粛々と織田信長

行列が終わり、会場へ移り再現劇の開始。今年で15回目とのこと。
講釈師がナレーションとセリフを担当し、劇参加者は動作のみという方式であります。
以前見た合戦劇では、「桶狭間(窪地)で休息中の義元を、情報網を駆使して発見、地元住民の歓待を受け油断していたところを、豪雨にまぎれて迂回奇襲、見事義元を討ち取った」という、一分のスキも無い定説を頑なに再現しておりました。
さて、昨今膾炙しはじめた新説の影響はあるのか…。

会場の様子 講釈の人

講釈師「さて、これまで天下を狙う今川義元公、大軍を率いて上洛するおり。行く手を阻む信長を倒そうといたしましたが、信長はこれを切り抜けるためには、今川義元本陣を倒す以外に策は無いと考えました。奇襲を計画し、合戦当日桶狭間において休息をとる義元公本陣へひそかに接近、あたり一面暗雲立ち込める中、奇襲を掛けたのでございます。
…という風に、今まで皆さまが良く知られておりますような歴史の本の流れの中では、このような桶狭間の合戦の顛末となってるわけでございます。」


と、定説における桶狭間合戦の概略をかいつまんで述べたあと…、

講釈師「ところが、このいま申し上げたお話というものはフィクションでございます。江戸時代、山瀬甫庵というこの作者がございまして、この人が書いた『信長記』という小説がございまして、それから取ったお話が、後の歴史学者に伝わりまして、それが今までまことしやかに真実のようだと伝えられて。ですから本当のところというのは現在もうわかっていない、というのが真実なのではないかと思います。」

と、きっぱり定説を否定いたしました。
…ところで山瀬甫庵ってダレですか(笑) 原稿の書き間違いか?

※小瀬甫庵/おぜ・ほあん(1564〜1640)。豊臣秀次、堀尾吉晴、前田利常らに仕えた儒医。築城技術者でもあり、多芸をこなす才人であった。慶長16(1611)年『(甫庵)信長記』刊行。江戸時代のベストセラーであり、のちの世の信長関連書物に(悪い意味で)多大な影響を及ぼした。
「天下のご意見番」(フィクション)でお馴染みの大久保彦左衛門忠教の著書『三河物語』によればこの『(甫庵)信長記』、「三分の一は実際あったろう、もう三分の一もまああってもいいが、残りの三分の一はデタラメじゃー」というシロモノ。

でも上洛説は譲れないらしく、
講釈師「永禄3年、今川義元公は京に上って天下に号令を発しようと大軍を発しました。」

鷲津砦が朝比奈泰能、丸根砦が松平元康によって陥落させられ、

義元「上洛は磐石じゃ。松平元康には大高城の守りを命ずる。」
重臣「織田軍など虫けら同然、ホゾをかむ信長の顔を見たいものじゃ。はっはっはっはー。」
義元「これ、信長を侮るでない。信長はいつ何時どこに現れるか計り知れぬ、いやもしや現れぬかもしれん。信長の謀りごと、常人にはとてもとても予測はつかぬもの、油断は禁物じゃ」


うわっ、油断しない義元なんて義元じゃないやーい(笑)。
でも真っ当な解釈なんだが、義元非凡説。イメージに反して。

一方、織田方清洲城では重臣たちが恭順か徹底抗戦か話し合い、信長は決断を迫られる。
信長が「もう夜も更けた」と軍議の解散を命じたところ、鷲津・丸根両砦の陥落の報が届く。
重臣たちが衝撃を受けている中、信長は顔色一つ変えないでいた。
そこへ「今川義元、桶狭間にて休息中」の報入る。

信長「お濃、鼓を持てィ!」

軍議の席 敦盛を舞う信長

敦盛を舞い終わった信長は陣触れを発し、ここに今川軍への攻撃が決定された。

講釈師「ここで、血気盛んな信長の心意気を、舞踊をもって表したいと思います。」

いらーん(怒)。
地元舞踊同好会有志による舞踊披露。
観客三分の一減(笑)
反省するべきだ実行委員会。

桶狭間でくつろぐ義元 陣頭指揮を執る信長

清洲城をわずかな小姓と出陣した信長は、熱田神宮で戦勝祈願、軍勢の集まるのを待って桶狭間へ。
熱田神宮戦勝祈願説も残った模様。

講釈師「いやいや、その前に今川軍の前軍が立ちはだかっております。まずそこを突破せねば桶狭間どころではございません。それゆえ、今川義元公本人と相まみえることになろうとは、とても考え及ぶはずもございませんでした。義元公がどこにいるのか知るはずも無かったというのが、正直な所でございます。
信長はただただ、中島砦を起点に、桶狭間の本陣を背後に控えた今川の前軍を攻め落とすことだけが狙いでございました。」


義元首級目的説の否定です。

「いかなる手で持って攻めてくるかわからない」と、油断していない義元は、前軍を配置し織田軍を迎え撃つ態勢を整えていた。
そして家臣たちに休息をとらせる義元。
講釈師「では、ここで今川義元公上洛に際し、舞踊を持って景気付けといたしましょう。舞ますは…」

…またかよ!
途中で音が落ちてやり直ししてるし。
曲自体は桶狭間その他地元を題材にしたご当地ソングなんですが。
今回の件、厳重に抗議させてもらいますぞ!(心の中で)

講釈師「一方信長は今川軍に間者を送り込み、動向を逐一把握しておりました。」
信長「今川の武者どもは鷲津丸根の砦の陥落に手を焼き、すこぶる疲れきった様子。わが軍はとてもかなわぬ軍勢とはいえ、新手の武者たち。いかに堅固な前軍とは言え、けして攻めきれぬ相手ではあるまい。今をおいてその機会は無い!」


講釈師「今川軍が桶狭間で疲れを癒している間、中島砦から意表をついて今川軍の前軍に攻め入った織田の軍二千の兵。まっしぐらに桶狭間へと向かって参ります。信長自ら陣頭指揮をとる織田の軍勢が目前にいるとも知らぬ今川の本陣。突然桶狭間一帯に暗雲が立ち込め、嵐のような夕立が落ちてまいりました。時は午後2時、昼の真っ只中でございます。」

今川の前軍を突破したあと、義元本陣を発見、余勢を駆って攻め掛かり、服部小平太、毛利新介の手によって義元は討たれたのでありました。

激突混戦模様 討たれる義元

講釈師「桶狭間の戦いは終わりました。信長軍は今川義元公を、当初より狙っていたわけではございませんでした。
結果論を申し上げれば、信長にとってはあまりにも幸運な戦であったと言えましょう。
しかし、桶狭間の戦いは、決して信長の思ったとおりに運んだわけではなかったのでございます。
また義元公というお方は、京の公家に習い鉄漿をつけた戦国武将ではございましたが、けして文弱な大名ではございませんでした。むしろ冷徹な戦略家であったと言うべきでございましょう。
なぜなら背後を脅かす武田北条両氏と三国同盟を結んで、上洛に対して敢然と立ち向かおうとする信長に対して、徹底的に叩き潰そうとしたこの策略は東海の雄のみならず、まさに天下人たらんとする姿そのものでございました。」

と、珍しい義元弁護の間、ずっと討たれた姿勢で静止していました。
義元の中の人も大変だ(笑)

本日のオールスターキャスト 逆転サヨナラホームランを打った織田信長選手(27)

従来の説を否定して、新解釈を取り入れた再現劇。いつから取り入れたのかわかりませんが、提唱者には心当たりがあります。
それは、迂回奇襲説否定の先駆けであらせられる藤本正行氏。
「『甫庵信長記』からの定説否定」「鷲津・丸根砦を落とし疲れきった今川の軍勢に、こちらの新手をぶつけ限定的な勝利を収める」等は、藤本説が元になっていると思われます。
おそらく、藤本氏の著書である『信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学』(講談社学術文庫)を、関係者が読み、取捨選択をして再現劇に反映させた結果と考えられます。

さて、この調子で、一年毎に更新箇所を増やして行ってくれれば、大変おもしろいことになるのですが。
もしくはワイヤーや火薬や流水を取り入れ、派手な演出をウリにするとか(笑)。
名づけて「スーパー再現劇『桶狭間』」
信長が実は女だったとか、トンデモ設定になりそうな予感(笑)。

追記。
ところで最近の武者行列に外国人参加は当たり前のようになっています。
フツーは白人さんが多いのですが、今回朝比奈泰能はタイの人が演じていました。
また、柴田勝家は、大阪から参加の女性の方で、なんと自前で衣装を用意してきたとの事。なぜにそこまで勝家ラヴなのか。
自分もいつか参加してみるか。毎年募集しているようですので。

「何の役で?」
「兀突骨。」
「出ねえよ!」


(平成15年6月15日作成)

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