For 3939hit's getter Kazumasa Arai







『もう、いいっ!』
 そんな捨て科白を残し悟空が出ていったのは、つい最前のことである ── 。



「……あのバカザルが」
 三蔵は独りになった部屋で、ゆっくりタバコを味わっていた。静かに吐き出す煙が、白く流れていく。
 その先は、夕日の傾きかけた、開け放たれた窓。
 ついさっき、悟空が飛び出していったからだ。
 外は、雨。陰鬱に降り注ぐそれは、残暑がいまだ厳しい季節とはいえ、夜に近づくばかりのこの時、冷たさを与えるだけのものだろう。
(まあ、頭が冷えるには、ちょうどいいか)
 一本目のタバコを押しつぶし、三蔵は雨粒の降りこむ窓辺へと近づいていった。

「どうして、言ってくれないんだよ!」
 三蔵がいつもどおり相手の言葉を聞き流しつづけて、しばらくののち。
 いきなり悟空の掌は、仕事用の机をたたきつけた。
(またかよ……)
 この内容で絡まれることも、そろそろ慣れてきていたのだろう。三蔵は舞い落ちた書類を拾いながら、視線だけで相手を黙らせようとした。
 けれど悟空のいきおいは、もう止まらなかった。
「三蔵が好きなのは、オレじゃないんだっ」
「じゃあ、誰だってんだよ」
 雨のせいで、イラついていたのかもしれない。
 三蔵が発した冷ややかな声は、ほんの一瞬だけだが、悟空の動きを封じた。
 単に言いよどんだのか、怯んだのか。ともかく小さく息を吸う音をさせた後。
「……三蔵のなかにいる、オレ」
 ぽつりと呟いた悟空は、胸のあたりを強く押さえ込んでいる。
「三蔵が好きなのは、三蔵のなかにいる、オレなんだよ」
「一緒だろうが」
 思わず、呆れた調子が口をついてでた。
「ちげーよっ! もう、いいっ」
 その瞬間、悟空は窓から飛び出していっていたのだ。

 胸を押さえたまま、息苦しげな言葉を置き去りにして ── 。



「冷たいな……」
 ほんのしばらく窓辺に立っていた三蔵を、雨はしっとりと濡らしていた。既に法衣の肩も透けかけている。
 その冷感に身をまかせたまま、彼はそれでも窓の向こうを眺めていた。
「どうして、わからないんだろうな」
 次々に吐き出す紫煙は、無意味なほどに苦い。
「わかってるだろうが……」
 しっかりと胸に抱き込めば、いつでも嬉しげに身を寄せる。
 どんな激しい行為にも、悟空はあますことなく応えてくれる。
 受け止められていることを、三蔵はいつも実感していた。
 愛することや愛されることを超えて、ただお互いに欲している。
 だから、言う必要なんてない。
 言わなくたって、わかってる。そう思っていた。
「もしわかってねぇんなら……」
 あいつはバカだ、確実に。
 深い吐息だけが、想いを如実にしてしていく。
 その唇は新たな一本を求めたらしい。けれどそれを挟み込ませたところで、悪口雑言のたぐいは止まらない。
「バカザルが……」
 そして、最後に飛び出した言葉は、いつものものだった。
 ただその覇気のなさだけは、普段と異なっている。
(……ったく、ボケたこと言いやがって)
 深く吸い込んだ煙が、胸に重い。それは流しきれない言葉の重大性のせいだろうか。
「本当に、意味なんか、わかってんのか?」
 愛している、ただその一言。
 たった六音の、けれど到底言えるはずがないその言葉。
 今さら、どのツラでそんなセリフが言えるというのか。
 思わず知らず、瞳が強く眇められてしまう。
「……それに」

 それに ── 口にしてしまったら、終わりだ。

「聞いたらもう、逃げられねぇぞ」
 どこか遠い目をしながら、三蔵はその一本からの最後の煙を吐き出した。

 そのまま、どれだけ立ちつくしていたのだろう。
 気づけば彼の法衣は、徐々に激しくなった雨粒に、ずっしり侵略されていた。
「うぜぇな」
 やけにベタベタまとわりつく感触が、温度の違いこそあれ、返り血を想像させる。肩に貼りつく布地を引き剥がしながら、三蔵はゆっくりとその上着を脱ぎ捨てた。
「ずいぶん、ひどくなったか」
 暗くなってしまった夜に降る雨は、実際よりはるかに冷たい。濡れた肌に直接触れる外気は、身体の芯を凍らせていくようだ。
 室内にいてすら、この状態である。外は ── 。
「雨くらい……しのいでるよな」
 野生のカンが働く悟空のこと。それほど心配する必要もないだろう。
 何本目かなどとうにわからなくなったタバコを、三蔵は意識的にゆるやかな仕種で銜えた。
(帰ってくるまで、待ってればいいだろ)
 無駄足は、嫌いだ。勝手に出ていったヤツを、捜してやる義理もない。
 けれど、こんな寒いときには、あたたかい存在が恋しくなる。
「……静かだな」
 あの騒々しさすらも、熱源だったのだろうか。
 雫を浴びたまま独り呟けば、なおさら静けさと冷たさが増していく。
(サルがいないだけだろ?)
 自らに言い聞かせたところで、それでもこの空間が寒々しくて ── 空々しくて。
「昔はずっと、こうだったってのにな」
 一度ぬくもりを知ってしまうと、人は弱くなるのだろうか。
 小さく呟く声は、銜えタバコのせいでくぐもっている。それは判然としない心を表したような響きだった。
「お師匠さま……」
 あなたのように在ることが、出来ないでいます。
 欲しい、欲しいと。
 今はそれだけを全身が訴えているのです。
(きっとあなたはそれを責めることはないのでしょうけれど……)
 三蔵の脳裏には、優しい呼び声とともに、あの微笑みが浮かぶだけだ。
 何も語らない過去は、徐々に薄らいでいく。
 そして代わって表れたのは ── 似て非なる微笑みをたたえた、あの悟空だった。
「お前は、何を考えてる?」
 夜空を見上げながら、浮かべた面影をなぞれば、その表情はゆっくりと変化を遂げる。悲しげな瞳だけが印象的な、飛び出していく寸前の顔つきに。
「愛してる、か」
 あいつはいったい何を考えて、そんな言葉を欲するのだろう。
 理由は ── わからない。
 きっと要求していることの意味すら、わかっていないのだろう。
 けれど、それを悟空が望むなら。
「どうしてやろうか……」
 わからねぇのはバカかもしれない。
 けれど、言わずにわからせようなんて、なおダセェ。
 受け止めてくれることに甘えていたのは、俺だ。

── そんなセコイまね、いつまでもしてられるか。

「覚悟してろよ……」
 雨傘を片手に、三蔵は部屋から駆けだしていった。



「悟空っ! どこだ、悟空っ」
 外へと駆けだした三蔵は、返らない答えに、いつしか大声で叫んでいた。
 初めは普通に捜していたのだ。けれど永遠につづくかと思われる静寂に、彼はすぐさま苛立ちを感じはじめた。
「どこにいるんだ、悟空っ」
 腹の底から叫んでも、響くのは自らの声だけだ。
 降りつづける雨は、傘に弾かれて激しい音を立てている。駆けずる草履の足下でも、水跳ねが大きく鳴る。
 何もかも、自然に吸い込まれていくようだ。
(あの【声】が聞こえないだけで、落ち着かねぇのかよ)
 そんな自分を嗤ってやりたいところだが、その余裕すらもうない。
 あの声以外の音など、あってもなくても、どうでもいいのだ。
 静寂ゆえに響く自然の音など、今はただ、かえって悟空との間を阻むものでしかない。
(てめぇらに、ジャマなんかさせねぇ)
 あいつがいかにお前ら自然の申し子であろうとも、俺たちのことに、手出しなんかさせるか。
「悟空っ! さっさと返事、しやがれっ」
 募る不安をうち消すように、呼び声はますます大きくなっていく。
「返事をしろ、悟空っ」
 早く、この不安を消してくれ。
 三蔵は、彼にとって無音である世界の中、声にならない想いで呼びかけつづけていた。
(いつもみたいに、呼べよ……)

── この沈黙を、打ち壊してくれ……。

 手にしているから、不安なのだ。こんな感情、少なくとも悟空を身体ごと手にするまで、知ることはなかった。
 きっと悟空に逢うまでは、外界などたぶん何一つ、この目には入っていなかったのだろう。
 自らを見るだけで、手一杯であった。だから命や叶のような者をつくってしまった。
 これ以上、誰も傷つけたくない。悟空も ── そして、俺自身も。
 待っているわけには、いかない。
「伝えたい言葉が、あるんだよ」
 だから俺から、捜してやらなければ。
 声が聞こえないのは、呼ぶことさえ出来ないでいるから。
「呼べばいいんだよ、お前は」

 うるさいほどに、その声を響かせやがれ ── 。



「雨……、弱くなったか?」
 手にしていることすらわずらわしくなったのか。傘を投げ出しかけた三蔵は、そのとき天候の変化に気がついた。
 いまだまばらに降りそそぐ、天の涙。けれどそのピークは既に過ぎているようだった。
 悟空への呼びかけを、先に自然が聞き届けたのだろうか。月すらも覗きかければ、雫が小さく輝き、あたりの明るさがほんの少し増す。
 そしてそんな視界に、寺院の建物が入ってきた。どうやら気づかないうちに、敷地内を一周していたようだ。
 明かりがついたままの自室の窓。その傍らに、奇妙な影が落ちている。
 そのことに気づいた男は、泥が跳ねることも厭わず、駆け寄った。
「悟空……」
 ようやく見つけた悟空は、濡れ鼠なんてものではなかった。
 傘を差していたはずの三蔵ですら、薄い布のはずのインナーが、じっとり重たくなっているのだ。
 そんなもはや水の中にいるのとさほど変わらない状況で、悟空は飛び出した窓の下、小さくうずくまっていた。まるですべてから隠れるように。
 そんな相手へ、三蔵は声なく傘だけを差しかけた。
「……行くトコ、なくて」
 遮られた雫に、悟空はようやく声を発した。けれど肩はきつくすくめ、顔も伏せたままだ。
「雨も、冷たくて」
 ぽつりと呟かれる言葉は、ひどく淡々としている。動く様子は、かけらもない。
「陽も、沈んじまって」
 力ない言葉は、それでも三蔵の心に響いてきた。
「帰るぞ……」
 傘を持たない手が、すっと濡れた服ごしに肩へと触れる。
(ヤバいな ── )
 部屋へ戻ったら、すぐ湯に浸からせなければ。
 ただでさえ厭わしかった雨に、ますます恨みが増す。
「すげー、寒かったんだ」
「ああ。そうだな」
 冷え切った身体を寄せ合ったところで、暖かさは感じられない。それでも三蔵は、目の前の小さな身体を包み込むように抱きしめた。
「……三蔵も、冷えちゃってる」
「そうだな」
 かける言葉など、思いつかない。地面に座り込むようにしながら、ただ抱き寄せる腕に力を込めるだけだ。
 そうしてしばらく経った頃。悟空はようやくその面を、男へと向けた。
「三蔵、ごめ……」
「謝るな」
 瞳をふいっとそらして、三蔵は小さく言い放った。そしてびしょぬれの相手の顔を、静かに自分の胸へと押しつける。
 ゆっくりと染みわたる水気は、奇妙にあたたかかった。
「謝らなくていい」
 そうしなければならないのは、俺のほうだ。
(伝えなければ……)
 お前が望む形だけでは、愛せないからと。
 突き放し、それでも求めていた。
『三蔵、さんぞう、……』
 うるさいまでの、呼び声を。このあたたかな存在を。
 好きだったはずの静寂にも、いまさら価値など在るわけがない。
 そんな目隠しをしていて、どうして悟空とともにいることができるだろう。
 けれど今は、まだ ── 。

「いつか……言いたい言葉がある」
 悟空の謝罪を受け止めることができなかった男は、それでもその身体を放すことはなかった。頭を抱えた腕は、しっかりとその感触を味わっている。
「いつになるか、わからない」
 身じろぎひとつせずにいる悟空に、腕がふるえを帯び出す。
(我ながら、卑怯だな……)
 言わないよりも、狡い気がする。
 けれど、伝えずにはいられなかったのだ。身体をつなぐだけでは伝えきれない、そんな想いを持っていることを。
「わからない。けれど ── 」
 静かに拘束を解き、三蔵はゆっくりとあげさせた金の瞳を見つめた。優しい指先が、その目元を、頬をそっと拭う。
「そのときまで……待ってくれ」
「 ── うん」
 まなざしの交錯は、どちらともなく寄せた口づけで終わりを告げた。



 いつしか雨は止み。月の光が、ふたりに降りそそいでいた ── 。





おわり



3939hitの記念リクエストSSです。
複数のリクエストの中より『B'zのLOVE PHANTOMをテーマにしたSS』を選びまして、
このような形での三蔵×悟空を書かせていただきました。
追いかける三蔵と、ちゃんとした愛の告白がポイントだったはずなのですが
…技量不足で申し訳ありませんでした。まったくハズしてますね。
ただ、これ以上お待たせするのも、キリリクとしてはなんですので…。

お持ち帰りは、3939hitゲッターの荒井和真様のみ、ご自由にどうぞ。



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