とある宿での一室での出来事である。
 今日も四人相部屋という不幸な環境にありながら、彼らはみな夕食後のくつろぎのひとときを同じ室内で味わっていた。むろんそろって何をしているわけでもない。彼らはいつもどおりお互いバラバラなことをやっている。
 三蔵は新聞を、八戒は電卓を。悟浄と悟空はそれぞれ枕を片手にである。
「……うるせぇ」
 そして突然ぼそりと響いたのは、不機嫌絶頂の三蔵の声だった。
「いつまでも、ひっくひっくって、うるせえぞ」
「んなこと言ったって、とまんねーんだから、仕方ないだろ」
 途切れがちなのは、合間にしゃっくりを挟むからである。
 そう、本日彼らの部屋に流れるBGMは悟空のしゃっくりなのであった。
「確かに、仕方ないですねぇ」
 同情の色の感じられない合いの手が、いまだ帳簿へ視線を向けたままの男から発される。
「うるせぇって、言ってんだろうが! 止めろっ」
「これでも、色々やってみたんだよっ」
 自然の欲求の一つに対して、少々理不尽な要求ではないだろうか。
 といったところで、聞いてくれる相手ではない。死ねとあっさり言われないだけ、マシというものだ。
「八戒が前に教えてくれた、コップの向こうから水飲むのも、しばらく息とめてみんのも、えーっとあとは……」
 しゃっくりをカウント代わりに、悟空は逆らうことなく、それまで試した手段を指折り数えていく。
「ほー。切羽詰まりゃあ、サルでも頭は回るもんだな」
 意外なほどに多かったその数に、寝タバコを愉しんでいた悟浄も、ついからかいを挟む。
「うるさいっ、このエロガッ……ヒック!」
「そいでも、止めらんないのがサルだよなー」
 反撃のセリフも、しゃっくりつきでは効果半減というものである。増長したライバルはますます笑いを高めていく。そして怒りで顔を紅くした悟空のしゃっくりも、激しくなる。
「うるせえっ! 死んでくるかっ!?」
「まあまあ、三蔵。あなたのほうが、うるさいですよ」
 思わず三蔵が懐から銃を取り出した。撃鉄音で察知した八戒が、取りなしにもならない言葉でなだめにかかる。
「黙れっ。お前から死ぬか?」
 言葉と同時に、銃口が矛先を変える。
「冗談。僕は死ぬのは98歳、畳の上って決めてるんです。前に言ったでしょう」
 いまだ電卓とにらめっこをしたままで、その標的とされた男はしゃあしゃあと答えた。
「ヒック、ヒィーック!」
 その間も、派手なしゃっくりはつづいている。
「……にしても、ツラそうだな」
 あまりの激しさに、独り安全圏にいる男は、同情を禁じ得なかった。
 そんな感情の動きがあるところが、やはり唯一、一般人にほど近い【悟浄】らしいといえなくはない。
「ちょっと呼吸パターンを変えられれば、治まるものなんですけどねぇ」
 悟空の放つしゃっくりの大音量には、さすがに怪訝な表情を隠せないらしい。飽きたのか三蔵の相手を放棄した八戒は、首を傾げながら電卓を下ろして、小さく苦笑をしてみせる。
「でもよぉ。やっぱ一番効くのは、何かに驚くことらしいぜ」
「一応それも何度かやってはみたんですよ」
 感情表現は豊かな悟空だが、困惑顔からするに、どうやらしゃっくりを止められるほどの【驚き】を彼に与えるのは、意外に難関であるようだ。
「そうか……なら」
 突然口を挟んだのは、それまでただ文句だけを言っていた三蔵だった。おもむろに新聞を置き、ゆっくりと立ち上がる。拳銃を片手に向かったのは、騒音の元が占める寝台のほうだ。
「悟空っ!」
「なに、ヒック! え、さんぞ……、えっ?」
 そして一気に悟空の視界を覆った、美麗な顔のアップ。
 ……おおかたの予想通りだろう。三蔵は相手の顎をすくい上げると、むさぼるように口づけていた。今回は舌を、ギリギリとかなり吸い上げているようだ。悟空にはかなりの痛みと苦しさも感じられていることだろう。
「どうだ?」
 そして愉しむだけ愉しんだ後ようやく獲物を解放した男は、ニヤリと塗れたままの唇を歪めて、一言そう問うた。
「……え? なに、が」
 唖然としている観客にも、そしてぜーはーと深呼吸を繰り返している悟空にも、皆目見当がつかない問いかけだったようだ。トロい仲間たちに、三蔵は舌打ちして言葉を加える。
「しゃっくりだ」
 きつい口調に、あわてて悟空を自身を省みる。そして出てきた結論は……。
「と、とまってる……」
 今さらびっくりして、どうしようというのだろう。
 しかし確かに、もう抑えがたいあの息の突き上げはない。何度か呼吸を繰り返してみても、大丈夫だ。そう確認した悟空の表情は、一気に明るくなった。
「な、なんで……」
「舌、思いっきり吸ってやれば、息つぎも変わるだろうが」
 思いっきり動揺しながら、悟浄はそれだけを発した。後に続いたのは、それに対する三蔵の簡潔にして明瞭な答えだ。
 しかし今回、その回答はピントがずれていた。
(驚いたのは悟空じゃなくて、こっちのほうだぜ……)
 どうしていきなりキスシーンを見せつけられなきゃぁ、イケナイんだ?
 思わず突っ伏して、泣きたくなってしまうパンピー悟浄である。
「良かったですねぇ、悟空」
「うん! もう平気だよ」
 独り頭を抱える悟浄をよそに、八戒たちは和気藹々と談笑をはじめている。
「……それにしても、いい方法を見つけましたねぇ」
「ホント、ホント。すげーよな」
 ひとしきり喜び合った後は、ひどく感心したようにうんうん首を縦に振っている。
「これなら何も必要ないですし……」
 節約がモットーである最近の八戒のこと。その無駄のなさに、絶大なる喜びを見いだしたらしい。
「ありがと、三蔵っ!」
「静かにしろ」
「うん! ありがとなっ」
 そして当事者の悟空も、他人様の前でなければキスという行為も気にならないらしい。あの悲惨なしゃっくりをとめてもらったことに、ただ大はしゃぎである。
(どうして……)
 そして今回は心の中で、悟浄はまたあの叫びを上げるのであった。

『お前ら、なんか間違ってる〜っ!』


 がんばれ悟浄! 明日はわが身だ。
 我々はきっと、きみをあたたかく見守っているぞ(笑)
おわり



悟浄、あはれ……。



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