それは、久々に得た宿屋を出立する、遅めの朝のことだった。

「今日という今日は、愛想が尽きたな……」
 なぜかぼそりとこぼされた、三蔵の呟き。
 それこそが、悟浄を襲った不幸の発端なのであった。

 ガァン……!

 唐突に、室内に轟音が響き渡る。
「避けんじゃねぇよっ」
「避けなきゃ、ココ突き抜けてるだろうが!」
 残響の中、苛立ちもあらわに叫んだのは、三蔵だ。その長い袂から引き出された銃は、
白煙をあげている。壁に残された穴は、紛れもなく直前まで悟浄の眉間が位置していた
場所だ。
「狙ったんだ、当然だろう!」
 ガン、ガン。続けざまに放たれた銃弾は、髪の先をかすめていく。しかしそんなもの
を気にしている余裕など、標的にあろうはずがない。紅い髪の毛が一房、はらりと床へ
と舞い落ちた。
(本気だぜ、こいつ……)
 強い衝撃波が、頭部を繰り返しおそっていく。身を翻してなお、至近距離を通り抜け
ていく弾丸の引き起こすものだ。
「おとなしく、成仏しやがれっ」
 ガン!
 ギリっと歯を噛みしめながら、照準を定める。その紫の瞳は、獲物を狙うハンターの
目つきだ。
 ガン、ガゥン…ッ!
「マジでっ! 死ぬじゃねーかよっ!」
 全弾を撃ち終わったことを確認し、悟浄はようやく非難の声をあげた。しかし、ゼー
ゼーと息を切らしながらでは、全く迫力はない。
 そして元々、彼の言葉などに怯える三蔵ではない。むしろ次の銃弾を込めなおすかと
思われる男だ。けれど男は、硝煙のたちのぼる銃を息を吹きかけ、ゆっくりと袂へしま
いこんだ。
「おい、コラ。待ちやがれ!」
 廊下へ繋がる扉へとすたすた向かいはじめた男の背に、悟浄は品なく中指をたててが
なりたてる。むろん反応が返ってくるわけはない。
「三蔵、部屋の損害賠償。自分でしてくださいね」
「……ふん」
 すでにジープで出発の準備を整えていた八戒が、当然のようにそう言い放っても、知
らぬ顔である。
「ったく、三蔵サマったら、気がみじけーから」
 そしてぶつぶつとこぼしながら、しきりに髪を気にしているらしい悟浄はようやく外
へと現れた。これ以上相手を刺激しないタイミングを計っていたのであろう。
「なんでオレんトコに、荷物置くわけよ?」
 車に乗り込もうとした彼の、紅い瞳が大きく見開かれる。
「あ、それ三蔵が……」
「ご主人様のものは、お前が抱えてろよっ」
「いてぇ!」
 まだまだおさまらないイライラを、荷物とともに無関係な悟空にぶつけ、悟浄はジー
プの出発をただ待つのだった。
「あーあ、まだ着かねぇのかよ」
 朝からいまだご機嫌ナナメな悟浄は、ぶちぶちと文句を垂れ流しつづけていた。むろん
誰も相手をしてくれるワケもない。ヘタに関われば三蔵の逆鱗に触れかねないからである。
「チーッ、ザッてぇのっ」
 退屈しのぎに、その当たりにあったつまみの封を無造作に口で切る。
「それ、オレんだろ!」
「へん! 誰のなんて書いてねーだろ」
「でもそれはオレのために、八戒が買ってくれたんだ!」
 たかがスルメ一袋の話である。
 けれどいまや三蔵様の恐怖のご威光もよそに、悟空は本日は禁忌である悟浄にケンカを
売りはじめた。そして白熱したバトルが繰り広げられようとする……と。
「うるせえ!」
 スッパーン。ハリセンが悟空の頭に鋭くヒットした。
「独りで騒いでんじゃねぇよ、サルっ」
「サルじゃねーもん!」
 独り? そんな疑問を悟浄が口にする前に、話題はズレていっている。
「おーい、八戒?」
 救いの手を求めて、こそこそと悟浄は運転手へと声をかける。しかし返事らしき反応は
まったく返されない。
(冷てぇ恋人だよな……)
 出来の良い相方は“君子危うきに近寄らず”を実践中らしい。
 八戒と三蔵、二人を敵に回した男の本日の苦難は、ここで確定したのである。

 一事が万事、その調子。

(つ、疲れた……)
 昼食として食料をだせば、悟浄の分はなく。ゴミはすべて悟浄の席へと投げつけられ。
なおかつそれに対してわめきたてる声さえ、完全に黙殺されてきたのである。
 そしてもはやグチを垂れることも虚しさを増すだけとなったころ、どうにか彼らは次の
街へとたどり着くことができたのである。
「じゃあ僕は、さきに手続きしてきますね」
「……おう」
 ひょいっと先に下り立った八戒は、目の前にある宿屋へと入っていく。その後遅れて、
荷物をまとめた三人も同じ扉をくぐる。ただし疲れ果てた悟浄が手にしているのは、ゴミ
である。
「あ、三蔵。……ええ、あれが連れです」
 入り口に現れた姿を認め、八戒が受付係らしき女性へと微笑みを向ける。
「いらっしゃいませ。四名様、ご案内でーす」
「何を言ってる、三人だろうが」
 甲高く呼び声をあげた女性へ、三蔵は怪訝な視線を投げる。
「それこそ何言ってんだよ、三蔵。三蔵と、オレと、八戒と悟浄。四人じゃんか」
「悟浄? そんなヤツ、とうに死んでるだろうが」
 ほいっと口を挟んだ悟空の頭を、拳が一発落下する。
「は? それは……」
「えぇ?」
 受付嬢の顔が疑問を浮かべると同時に、八戒すらも眼を見開く。
 そして悟浄も、ついに怒りを爆発させた。
「いい加減にしやがれっ! いつまでシカトすりゃ、気ぃ済むってんだ」
「あ、三蔵! ダメだって……」
 と、悟空が声をかけたその瞬間。

 ガァン……ッ!

「亡霊の分際で、わざわざ避けやがって……」
「当たったら、死ぬだろうが!」
 早撃ちよろしい本気の一発を間一髪で避け、悟浄は心底から悲鳴をあげさせられていた。
そんな姿に三蔵は、チッと強く舌打ちしただけであった。
「……え、えぇと」
 つかつかとそのまま奥へと入っていってしまった白法衣の僧侶に、受付嬢はもはや泣き
そうな表情をしている。僧侶にあるまじきガラの悪さに付け加え、殺人未遂現場を目撃さ
せられたようなものだ。それも仕方のないことであろう。
「すみません。四人で結構ですから。それと修繕費ものちほど……」
 白々しいほどのお愛想スマイル。それとゴールドカードの力を借りて、八戒はどうにか
ツインの部屋の鍵をふたつ奪い取った。そしてこれ以上何事も起きないうちにと、奥へと
三蔵を追いかけていく。
「どうした?」
 チェックインに手間取っていた理由を、問うているのだろう。廊下で煙草に火をつけか
けていた男は、片手を差し出しながら不機嫌そうにそう言った。
「三蔵。いくらなんでも、他人様まで巻き込むのは良くないでしょう」
「なにがだ」
「さっきのフロントですよ。あの娘、困っちゃってたじゃないですか」
 鍵を渡そうとしない相手に、イライラと紫の瞳は睨みを放つ。けれどそんなことで怯む
八戒ではない。これ以上無駄な賠償をさせられたのではたまらないからだ。
「かーいーオンナのコ、困らせちゃダメじゃん」
「……悟浄?」
 ちなみに八戒がマトモに悟浄に応対したのは、実のところ本日これが初めてである。そ
れがキラーンと輝く片眼鏡であるあたり、とことんまで今日の悟浄の運勢を示しているの
ではなかろうか。
「亡霊が、何を戯れ言抜かしやがる」
 そんな状況の中、次に発されたのは三蔵のそんな独り言のようなセリフだった。
「さんぞう?」
 不思議そうに見上げたのは悟空である。
「お前らも! いつまでもそんな亡霊なんか気にするな」
 どこまで本気かわからない。真剣そのものの顔つきに、さしもの八戒すらも呆気に取ら
れているようだ。もちろん悟浄と悟空は硬直している。
「オレはこっちの部屋を使うからな」
 さばけているにも程がある態度で、三蔵は八戒の手にあった鍵のひとつを奪い、皆を置
き去りにする形で部屋へと引きこもっていった。
 そして廊下に取り残された三人は、しばし呆然とたたずんでいた。
「いくらなんでも……」
 そりゃ、ヒドすぎんじゃねえ?
 一番に気を取り直したのは、当事者の悟浄であった。
「気にするなって、悟浄っ!」
「悟空……」
 バシッと背中を叩かれ、思わず悟浄は感涙しかかった。よく考えればスルメ絡みとはい
え、今日ちゃんと存在を認めてくれていたのは彼だけなのだ。
 思わず引き起こされる、感動的シーン。かと思いきや。
「俺はお前がユーレーだって、気にしないかんなっ」
「俺は生きてるっつーのっ!」
 さすがは悟空。三蔵の言葉にあっさりと洗脳されてしまったようだ。違う意味で男は涙
せざるをえない。
「なんとか言ってやってくれよ、八戒!」
「別に僕も構いませんよ」
 想像を絶する回答に、問いかけの主の顔が強ばりつく。その相手に向けて、八戒の唇は
ゆっくりと微笑みを形作る。
「亡霊だって、こんな器があればね」
「うつわ……」
 何を入れるんですか?
 魂を、とかじゃないのは絶対的だ。
「ねえ、悟浄?」
 ニヤリという形容があまりにも似合いすぎる相手の表情に、救いを求める対象を間違え
たことを、悟らざるを得ない。
「とりあえず、部屋に行きましょうか」
 するりと腰に腕を回された腕は、紛れもない拘束帯だ。
「悟空は、三蔵とね」
「えー。八戒んトコ行けって言われるよぉ」
 本気で三人のつもりなら、きっと彼は独りで部屋を占拠するつもりなのだろう。悟空の
危惧はもっともだ。
「亡霊と一緒はヤダって、そう言えばいいんですよ」
 こうと決めたときの八戒の迫力、および口車の効果は絶大だ。もはや悟浄に逃げ場など
はない。
「じゃあ悟空、また後で」
「それ、じゃ……な」
 微笑み魔人な八戒と、がちがちに凍りついた悟浄。そんな奇妙な二人も、そろって別の
部屋へと入っていくのであった。
「じゃあ、ゆっくり聞かせてもらいましょうか……」
(今日は、厄日だ……)
 そして悟浄は、本日最大の苦難に遭うのであった。



「もう朝かよ……」
 すこやかならぬ目覚めを迎えた悟浄は、痛む身体をだましながらトロトロと出発の準備
をしていた。
(今日もまた、あれじゃ持たねぇよな……)
 気分が滅入っている分だけ、なおさら支度もトロくなる。とうに予定時間はオーバーだ。
「悟浄? 早くしないと……」
「おい、何してるんだ」
 八戒の言葉を遮るように、バンっと扉が開け放たれる。現れたのは。
「さ、三蔵……」
「ふたりして……さっさとしろ」
「……え? いま、なんて……」
 一筋の光明である“ふたり”という言葉に、悟浄は敏感な反応を返した。
「なんだ?」
「いや、なんだって言われても……」
 早くしろと言わんばかりに睨めつけられては、続く言葉などあろうはずがない。
「わかった。すぐ行くから!」
 そして彼らは、昨日の壁の損傷分もプラスして支払い無難な出立を遂げた。
「いったい昨日はなんだったんだよぉ」
「別に……」
 人心地が着いた悟浄は、口がよく回るようだ。それに返す三蔵もいつもどおりに素っ気がない。
 いつもどおりの四人。いつもどおりのやりとり。
「三蔵、本当のところはどうなんです?」
 飄々とした、八戒の問い。それでも興味は深々というところだろう。
「あぁ? 今日は四月一日だろ」
 ぷかーっと煙を噴き上げながら、金糸の髪の持ち主は憮然とした声音を返した。
(それって、まさか……)
「なるほどねぇ。わかりました」
 そして浮かべられた、八戒の笑顔。

 前方にそびえる二人の存在に、明日からの幽霊あつかいをひしひしと感じ取る、あわれ
一日存在の悟浄でありました。



おわり





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