「へっへー。まぁだ俺の腕も捨てたもんじゃないってな」

 久しぶりの大きな街。その中でも完全に不夜城と化している繁華街から続く道を、悟浄は独り歩いていた。
(やっぱ、カードは徹夜でやんねぇとな!)
 明日にはこの街を立つという、最終日。ようやく賭場へと抜け出した彼は、久々に大勝ちしたのだろう。その足取りはひどくうきうきと、浮き足立っている。
「さぁて、これからちょいとばかりご睡眠っといきましょうかね……」
 目前に宿を迎え、待っているだろう白いシーツを思い浮かべれば、寝不足の顔も笑み崩れる。そして一気に駆け出す……かと思われた男の表情が、突如、凍りついた。
「は、八戒……」
「朝帰りとは、ステキですねぇ」

 なんでこんな朝っぱらから、しっかり起きてるんだ?

 そんな問いかけも、宿の正面で待つ相手の、そのにっこりとした笑顔の前には、明確な発言とはならない。
「どこへ出かけてたんです、悟浄?」
 ますます目を細めてにじり寄ってくる相手に、悟浄の腰がぐっと引ける。けれどすっと隣に寄ってくる八戒は、さりげなく腕を絡め取っていく。さほど力はこめられていない。
 けれど強制力は……言うまでもないだろう。
悟浄はそのまま、今日を限りの二人の部屋へと、連れ込まれていくのだった。

「ねえ、どこへ行っていたんです? 僕を残して」
 パタリと扉を閉めた、直後。
 寝台へとさりげなく腰を下ろさせ、自分もその隣へ座った八戒は、語尾にアクセントをつけて再度問うた。
(……たぶん、笑ってるんだろうな。客観的には)
 けれど翠の瞳だけが、見事にその無害そうな外見を裏切っている。標的として狙われている男は、ひくひくと頬が引きつるのを抑え切れなかった。
 その表情に、詰問の色はいっそう濃くなる。
「……どこです? ねえ」
「いや、その、だなぁ。……ヒック!」
 突如として飛び出した、しゃっくり。
 自分の口から発されたものだというのに、悟浄はその音の大きさに目をむいた。
「ご、じょう?」
「ヒック、ヒック、ヒィーック!」
 繰り返し攻撃のようなそれに目を見開いたのは、八戒も同じくだ。
「だ、大丈夫ですか?」
 た、助かった。しゃっくりがでてる間は、いくら追及されても答えられないもんな。
 あわてて背中をさすってくれる恋人に感謝しながらも、セコく悟浄は頭をまわす。
「ヒック! ぅ……」
「ど、どうしましょう」
 少しばかり大げさかもしれないものでも、苦しげに繰り返されれば気になって仕方ない。
糾弾もそこそこに、八戒はあれこれと考える。知恵袋の彼のこと、いろいろと手段は思いつくのだろう。
 けれど思いつきすぎて、すみやかな行動にうつせないようだ。
「とりあえず、水……っ」
「いつまで待たせんだよ」
 ぱたぱたと外へ水を汲みに行こうとした瞬間。
 ノックもなしに扉が開かれた。覗くのは、むろん金髪ナマグサ坊主だ。まだ睡眠が足りてないのだろうか。その眉間には一本の筋が、くっきりと刻まれている。
「ヒック!」
「……何、やってんだ」
 ようやく室内の異常事態に気づいたのだろう。それでも男の瞳は柔らがない。
「いえ、ちょっとしゃっくりが……」
「うるさいな。すこし、黙れ」
 むろんこれは、にこにことフォローに入った八戒に対してではない。
「うる……。俺だって、好きで……ヒィーックっ!」
 これだけ立てつづけに出ると、おちおち文句も言ってられない。
(さすがにちょっち苦しい……かも)
 サルのやつも、こんなに苦しかったのかな。
 思わず無関係な方向へと、悟浄の思考は流れていく。
「三蔵、あなたなら止められるんじゃないです?」
同じく過去の一場面を思い出したのだろう。そういえば、という調子で八戒が切り出す。
「……」
 そんな視線を受けて、男はゆっくりと部屋の中へと入ってきた。
「いや、その。あ……ヒック!」
「黙ってろ」
 ギロリと紫の瞳が光る。声音はきつい。こめかみには、青筋がくっきりと浮かび上がっている。誰がどう見ても怒りの絶頂にありそうな姿だ。

 しかも、脳裏をよぎるのは、あの一幕。
(謹んでご遠慮申し上げたい……)
 しかし、文句の言葉もしゃっくりに阻まれて、発することができない。
 万事、窮す。
 そう悟浄が思い目を堅く瞑った瞬間、間近で奇妙な金属音が鳴った。
(……ガチャ?)
 ガチャって、なんだ。
 その物音に、ゆっくりとその目を開けていく。
「なんで拳銃なんだよっ」
「喉に風穴でも開きゃあ、止まるだろ」
 目の前にあった銀色の物体に、悲鳴が上がる。けれど撃鉄は、ガチリ…と迷わず下げられる。ただの脅し、などという言葉のない男が相手だ。
「その前に死ぬだろうが!」
「死ねば、しゃっくりも止まるぞ」
 それでもかまわないと言わんばかりに、三蔵の人差し指に力が込められる。
「ダメです、三蔵!」
 鋭い制止の声とともに、二人の間に影が飛び込む。むろんそれはこの部屋にいたもうひとりの人物だ。

 ジーン。やっぱり、八戒。愛してるぜ。

「その弾丸、一発がいくらだと思ってるんです!」
 感動もつかの間。予想通りのセリフを、彼は吐いたのだった。
 そりゃ今回は俺たちの勝手な旅なワケだから、三仏神から金はでねーけどよ。
(俺の命って、そんなに安いわけ?)
 思わず、悟浄はほろりと涙する。
「息を止めればいいなら、こうすれば……」
 その間に、ゆっくりと絡んだ八戒の手。それが徐々に悟浄の首を絞めていく。
「なるほどな」
「おい。なんで、ちょ……」
 納得して銃をおろす三蔵へ、にっこりと八戒は微笑みを向ける。
 けれど彼もただの【脅し】だけで、こんなことをする者ではない。
『ほ、本気で俺を殺しかけてないか?』
 苦しくなる息の元、悟浄は意識が遠ざかるのを感じていた。
 そしてそのまま、あの世への旅をはじめるかと思ったとき。
「はい」
「……げほっ! ぐ……ごほ、ごほ!」
 そんな一言とともに手を離され、ぎりぎりのラインで男は生還を果たした。
 ただし激しい咳つきでだ。
「八戒ぃ! お前なぁっ!」
「ほら、とまったでしょう?」
 咳き込みながら喰ってかかっても、糠に釘。
 にっこりと微笑む姿は、子供並の無邪気さしかない。
「なら最初から俺に言うな」
 そんな二人の様子に、渋面をつくったまま、出発を待っていた三蔵はそう言い放つ。
「すみませんね、三蔵」
 彼にだけはなぜか、多少申し訳なく思っているようだ。一瞬だけ、八戒は頭を下げる。
けれどすぐさま彼は悟浄へと向き直った。
「さて」
「……さて?」
 にーっこり。そんな笑顔を見せられた男は、背筋に寒いものが走るのを感じた。
「しゃっくりは、止まったようですし」
 言葉とともに、八戒はずずっと間際まで迫る。もはや悟浄に逃げ場はない。
「つづきはゆっくり聞きましょうか?」
 朝日にきらりと輝いたのは、蛇睨みの緑眼だ。
「……出発は、明日にしとくか」
 状況を一瞬で理解したのだろう。誰に言うともなく、三蔵はあっさりと部屋へ向かっていく。

(なんでこうなるんだぁー!)

 愛されるが故の悲劇。
 そして今日もまた、悟浄の悲鳴は響きわたるのだった。



おわり





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