夕方と言えば、安らぎの食事どき。
 いつもながらの安宿である。けれど食卓だけは豪華に見繕ってもらった食堂で、四人はとにかく食欲を満たすことに励んでいた。
「お前……最近、いっくらなんでも、食い過ぎじゃねぇの?」
 三蔵、八戒につづいて、ようやく食事を終えた悟浄は、食後の一服を味わいながら、いまだ独り箸を握る悟空へと声をかけた。
「ふぇ? にゃにが?」
「口に物いれたまま、しゃべるんじゃないっ」
 そして、スパーンという、見事な音。
 何の音であるとは、説明の必要もないだろう。
「だからって、そのタイミングで叩く?」
 えぐえぐと訴える悟空は、それでも箸をくわえていた。その姿に対する、三蔵の視線は白けている。
「……おい! お前、まだ喰う気か?」
 思わず声を挟んだのは、話の腰を折られた悟浄である。
「だって、喰ってないと、気分悪いしさ」
「だからもうそれって、喰い過ぎだからじゃん」
 ようやく目的とする相手から得た回答だが、さすがに呆れを禁じ得ない。
 目の前に並んでいる皿の四分の三は、悟空の腹に収まっているのだ。誰がどう考えたって、それ以外の何ものでもないだろう。
「そっかなぁ……」
「最近、ちょい腹、でてきてないか?」
 思案顔になった悟空に、悟浄の手が伸びる。その目標は、悟空の腹部だ。
── ガチッ!
 突如あげられた金属音。そして、後頭部に冷たい感触が当てられるのを、悟浄は感じ取っていた。
(いつの間に、回り込んだんだよ〜)
 彼の嘆きも、当然だろう。つい最前まで、向かい側でタバコをふかしていたはずの相手なのである。
「よほどあの世が見たいらしいな」
 し、嫉妬深いにも、ほどがないか?
 逃げ場のない状態に、思わず悟浄も涙目になってしまう。うにっと腹を掴もうとした手は、空を切っていた。
「ダメですよ。そんな乱暴に触ったら」
 状況は認識しているのだろう。けれど八戒は悟浄の右手をたしなめただけで、もうひとりの男には何も言わなかった。
 唯一救いになるかもしれない相手のその行動に、悟浄は短くなっていたタバコを落とした。
「それにしても、不経済ですよねぇ」
 帳場を預かる身にとっては、今の重大事はむしろその一つに集約されているのだろう。そのまま八戒の視線は、手元の帳簿へと落とされていった。ここ最近の食費は、さすがに厳しい状況なのである。
「……まあ、いまは仕方ねぇだろ」
 本来ならばそれに同意するであろう三蔵だ。しかし今回ばかりは、どうやら諦めているようだ。
「なにせ、ふたりぶんなんだしな」
「食べてないと気持ちが悪い【つわり】なんて、本当にあったんですね」
 ふう……と吐かれたため息には、少々感動の色がこもっている。
「ふーん、……あ? つ、つわり?」
 銃に硬直したまま会話を聞かされていた悟浄は、その予想外の単語に、あまりにも間が抜けた言葉を発してしまった。
「生まれたら、こいつの腹は俺が満たしといてやれるんだがな」
 けれどその問いは、あっさりと聞き流されたらしい。
 ゆっくりと銃をおろした三蔵は、ふたたび食事を再開した悟空を眺めながら、煙を吹きあげた。
「上からミルクだろ、下からは……」
 おいおい、本気かよ。
 会話の内容をあっさりと認識した悟浄は、それでも余計な声をあげないようにしている。いつ再び銃口を向けられるか、わからないからだ。
「それなら、腹空く余地なんてねぇだろうよ」
 マルボロをくわえたままニヤリと歪んだ口元は、物騒な仏僧の肩書きにふさわしいものである。
「それなら、この赤字の穴も埋まるんですけれど」
 けれど八戒は、帳簿を眺めつつ、ただ深々とため息をついているだけだ。
(三蔵の言った意味、わかってる?)
 わかっていないはずなどないのに、思わず聞き返したくなってしまう悟浄である。
 けれど、ここで何か言うのは ── 。
「危険すぎるよな……」
 独り小さく呟いて、彼は忍耐強く解放を待っている。
「とにかく早く、これ以上赤字が増えないうちに、生まれてほしいですね」
「……無理だろう、十月十日っていうだろ」
「そうですねぇ」
 静かに帳簿を閉じた八戒は、三蔵と悟空、それぞれに小さく笑いかけた。
 パッと見には、なんともよい光景である。
 しかし、なにか大きな問題がないだろうか。
 そう ── つわりとは、本来、妊婦のみに起こるものであったはず……。
(俺には、ついていけない……)
 ついつい頬がひきつる感覚に、悟浄は無駄な軽口を叩きたくなった。
 しかし、経験は彼を少しだけ賢くしていた。
「それじゃ、俺、さき寝るわ……」
 床に落ちたタバコを拾い上げ、灰皿に置くと、悟浄は自室へと独り引きこもっていく道をえらんだ。
 彼が最後に視線を流したさきの悟空は、到底妊婦とは思えない喰いっぷりを、いまだに披露しているのだった ──

おわり





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