それは“あの日”から二週間過ぎ、現在からもちょうど同じだけ前の、ちょうど月を越えたころから、またはじまったことだった。
「もー、いぃーくつ寝ぇるーとぉ、ホワイトデー♪」
 ……ちなみにこれは、調子っ外れもほどがある、悟空の不可解な唄である。ようやく春めいてきた室内には、あまりにも不似合いなものだ。かといって何時なら良いのかと訊かれても、答えようのないものなのだが。
 しかしこれは、もはや今冬の彼のテーマソングといっていいほどの定番曲なのであった。
 十二月から三月にかけてのウィンターシーズンは、カップルにとってイベント目白押しの時期である。クリスマスをスタートに、正月、人によっては成人式があってから、バレンタインに……そして、ホワイト・デイ。誰もがラブラブ指数急上昇となる季節なわけだ。
 要するに、まだまだ恋愛初心者の悟空が浮かれるにはあまりある期間で。かつ近くに恋人がいるともなれば、その勢いはとどまるところを知らない。
 そしてこの唄は、いくどかのヴァージョンアップを経て、すでにこの部屋の住人が聞きあきるほどに歌われているのであった。
(期待に瞳ぇ、輝かせやがって……)
 いつもどおり机に向かい、新聞をばさばさと開いている男は、その紙束の陰からそんな少年を当たり前のように盗み見ていた。何も気づいていない悟空は、ときおり鼻歌になりつつも、御機嫌の極みで陽気に歌いつづけている。一心なその姿は、それなりに愛らしいものであることは確かだ。けれども……。
「うるさいっ」
「い、いったーっ!」
 丸めた新聞でぶっ叩くにも、三蔵にとっては間違いなく充分なものであった。
「ちょっと、ひでーよ! 三蔵っ」
「うるせえっ。ちったぁ黙ってろ」
 ぶつける言葉にも容赦のかけらはない。
 しかしあまりにも手荒な行為と思えるこれらが、客観的に正しいと言わざるを得ないところに悟空の悲哀はあった。
 なぜなら彼の唄は音痴を超えた、騒音公害だったのだ。そんなものを寺院中に響かされては、迷惑千万。保護監督者として、強制的にでもやめさせるのは当然なことである。
 かつそれは三蔵の部屋ではじめられたのだ。所有者としても、元凶に浴びせるのは罵詈雑言で充分というわけだろう。
「……痛いよぉ」
 しかしながら、えぐえぐと泣きながら頭を押さえている悟空にも、一理はともかく半理くらいならないとも言えない。
 そもそもここ数カ月つづいたこの状況を再燃させたのは、ある意味三蔵の不用意さであり、一方的に非難できる立場にはない。それがわかるだけに、男のいらだちは倍加しているのだから。
(ったく、このサルがあんなことするから)
 そう思った瞬間、うなりながら涙目で訴えるように見上げてきた悟空に、紫暗の目はキラリと光らざるを得なかった……そして。
「い、いったーっっ!」
 スパァンという、強烈な破壊音とともに、自業自得ということで超絶に不機嫌な三蔵は、見事なまでの責任転嫁をなして、再び穏やかなそぶりでもって新聞を開いたのだった。
「なんでだよー、ひでーよー」
「うるさいっ」
 男のそんな一喝も一応はれっきとした説明だというのに、理由を問う声でさえも二発めを炸裂させたい心境を誘うということを、騒ぎつづける悟空は気づかないようだ。そもそもの原因がその大声だということを忘れているにしても、まったく見事なものだ。
「黙れ!」
 とりあえず怒鳴りつけて、その噪音元を視界から遮るように新聞を立てた三蔵だが、もはやよれた紙面になど、目を向ける余裕などどこにもない。
 もちろんバカザルを相手にする気力も、持ち合わせているはずがない。彼がまともに悟空を相手にする気合いがあるのは、“楽しい夜”くらいなものだ。
(あの日、知らん顔しときゃ、よかったな)
 深々としたため息が、淋しく文字の羅列をなでていく。もちろんこの“あの日”とは、今日から一ヶ月前の日をさすのは、もうお判りだろう。そう、バレンタインに何事もなければ、今日という日は、それまでの日々も含めて静かに過ぎゆくはずのものだったのだ。
 三蔵の失態は、そのとき受け取ってしまったことなのだ。
(まあ、ワリとうまかったがな……)
 何がうまかったかは、顔を見るだけで聞くまでもない。再び開き直した新聞の陰でニヤニヤと笑み崩れた顔は、いつもの鉄仮面からは想像のできないほどで、エロオヤジここに極まれりというものだ。
 失敗は成功の元というか、何というか。意外にも、転んでもタダでは起きない男である。というより単に自分の選択が失敗であったなどと認める気がないだけかもしれない。
 何にせよそんな彼が次に選ぶことができる行動は、ひとつしかない。
「出かけるっ!」
 ぎゃあぎゃあとなじる悟空をよそに、三蔵はまるで舞台から去る役者のようにさっさとその部屋をあとにした。

 陽光の中に残された、もはやその意味をなさなくなった新聞は、ちょっとだけ切なげにその身を春風になびかせていた。


                 ◆   ◆


「ったく、やかましいな」
 ワケもなく部屋を出てきたはずの三蔵は、いつしか街のど真ん中をずかずかと突き進んでいた。
 寺院の回廊をうろうろするのもつまらないし、他の僧侶とゴチャつくのもうっとおしい。なによりも悟空に再び会うのが、面倒だ。
 面倒である、その理由だけは判っている。
 だからこそ男は、彼にとってはうざったいだけの喧噪の中へとその歩を進めていた。
(しかし、何を返せというんだ)
 なにも言わずに期待した瞳だけを向けられるのは、はっきりいってムカつく以外の何ものでもない。そんな要求に応えてやる義理などどこにもないが、無視したことによってコケにされるのも気にくわない。
「なんで俺が、あのサルに……」
 他の輩に対してはともかく、悟空に対してだけは認めたくない。それが結果的に、悟空を特別視している事実に、目を背けても。
「もうお決まりですか?」
 眉間に縦皺を刻みながらうなっている姿が、恋人への贈り物に悩んでいる図に見えたのだろう。そんな柔らかな女店員の声に、三蔵も一応見るだけはと、店内へ入っていった。
 そして目をやった陳列棚に所狭しと並ぶのは、クッキーなどの小菓子に、ハンカチやミニタオル。いわゆる手頃な感じの定番品だ。
「まあ、こちらのショーケース内のアクセサリーなんかも、皆さんよく買っていかれますけれどね」
 困惑しきりな表情に、これはよいカモだと思ったのか。あちこちを指し示す店員に、離れていく気配はない。
(アクセサリー? ハンカチ?)
 そんなものは、対象がアレだけに論外として却下だ。露骨に悩みながらも、睨みつけるようにして突き放す視線は、なかなかにきつい。そもそも、世間様なんぞまったく関係ない三蔵にとって、説明すらも無意味なものだ。
「あちらには、お花もご用意していますよ」
「花、ねぇ……」
 意外な手強さを感じたのだろうが、獲物をみつけた店員はしぶとい。諦めずになされた提案は、それなりに三蔵の心にひっかかるものであった。
 そして誘われるままに店の奥へと進んでいけば、ガラス張りの冷蔵庫の中には色とりどりのアレンジフラワーが並べられていた。
「とても綺麗ですよね?」
 確かに、丹精込めて育てられた花々は、華やかで美しいものだと思う。
(けど、あいつには似合わん)
 切り花を嬉しがる相手じゃない。花は自然にあるのを好み、せいぜい誰にも見られないからと摘んで、見せに来る奴なんだから。
(もっと自然な……あいつに、合うものは)
 と、花への無関心な視線を流せば、どうしても目につくのは甘い菓子類で。
「お菓子なら、どなたへもよろしいですよ。それほどお高いものでもございませんし」
 そろそろ彼女も疲れたのか、投げやりだ。売り上げが見込めないと踏んだかららしい。
(まあ量が知れてりゃな……)
 心の中で三蔵は毒づく。この店の菓子すべてを買い占めるとなれば、対応もうって変わることだろう。
 そして本当に悟空に贈るつもりなら、そのくらいあったところで全く困りはしない。
(だが、なんかムカつくんだよな……)
 これは別に店員に対してではない。
 そう、食料である限り無条件で喜ぶような相手だから、菓子類なら何を返してもかまわない。けれどかまわないということは、逆に言えば無意味ということでもある。
(ったく、あのガキサルのバカがっ)
 ひそかに悪態をつきつつ歩く姿は、かなり凶悪なものがある。結局なにも見当がつかないまま、三蔵は無言でその店を出ていった。
 しかしながら、彼はひとつ重大なことを忘れている。悟空という存在は、何をもらったにせよ、相手が三蔵であるという時点ですべて無条件で受けとめてしまう、ということを。たとえそれがハリセンであろうとも、想いがあれば、痛みすら喜びに変えてしまってだ。
 受け取らないわけがないとまでの自信を得ながら、そこまで考えの及ばない男は、その後何軒も同じことをくり返すのだった。
 そんな、無意識に害をまき散らすという、非常にタチの悪い三蔵がたどり着いた先は、やはり八戒と悟浄の家だった。
 そっくり親子というか、似たもの夫婦というか……つくづく悟空と同類項な男ではある。
(別に来る気じゃなかったが)
 とりあえず近くまで来たからな。そんな気分で、いまだ不機嫌な彼は玄関へと立った。
「三蔵じゃないですか、どうしたんです?」
 呼び鈴を押す間もなく、料理中だったらしい八戒が現れた……それもフリルのエプロン姿でだ。しかし、似合いすぎるほどに似合い『かえって不気味』というレベルさえ超越しているところが、あまりにも不気味である。
 けれどそんなものを気にするようでは、彼の友人、知人は絶対にやっていられない。
 そのどちらでもないつもりの三蔵は、それでも長年の経験でもってその脇を通り抜けて、勝手知ったるその家の、奥へとつかつか入っていく。
「なにか、悩んでるって顔ですね」
 そして当然のようにダイニングの椅子に腰掛ければ、微笑み魔人な住人はカウンター越しに笑いかけてきた。
「そうか?」
 したり顔に返した声は、不快感もあらわなポーカーボイス。凄みの効かせ具合も、いつもどおりだ。とはいえ、そんなものがこの八戒相手に効くわけもない。それくらいは男とて知っている……が。
「いただいたらお礼をするのが、常識というものでしょう?」
 思いがけない奇襲に、さしもの三蔵も目を見張らざるを得なかった。それでも、時期も時期だしお見通しなのも当然と、すぐさまその表情は引っ込められる。
「……そのときに、礼は言った」
「けれど改めてお礼をするという機会が、わざわざ設けられているのですからね」
 そう菩薩のような笑顔を浮かべられては、返す言葉も表情もない。それが恐怖のためだとは、プライドにかけて認めないだろうが。
 もちろん八戒もそんなことを認める気はないので、このパターンは幸運なことにいつも安全に流れている。
「で、お前は何をつくってるんだ……」
 ご多分に漏れず今回もそうしてケリをつけたことにして、三蔵は大した関心もなくそう話を振ってみた。
 今のいままで片時も休まず動きつづけていた八戒の手には、普通の料理には滅多に使わない器具、泡立て器が握られている。その先についているのは、真っ白な泡だ。最初は透明だったところをみると、卵白であろうか。
「マシュマロですよ」
「……まさか」
 悪い予感がする。微妙な寒気に、三蔵はつい目の前の微笑みを凝視してしまった。
「実は悟浄、これが大好きなんですよね」
「ふにふにで、妙な感触がする、甘ったるいアレをか?」
「ええ。白くて柔らかいところが、僕のほっぺたみたいだからって」
 砂を吐きそうな気分だ……。うっとりと語る八戒の様子を間近に突きつけられ、口元を自然と押さえてしまう。
「でも僕には悟浄の頬のほうが、そう思えるんですけどね」
「……で、その相手は? どこだ?」
 救いになるとは思えない悟浄だが、一縷の望みを託して問いかける。
「ちょっと出てます。だから外を見てて、あなたを迎えに行けたんじゃないですか」
「そりゃ……邪魔したな」
 トドメを喰らい撃沈した三蔵は、やはりここでもさっさとこの場から立ち去るしか手段が残されていなかった。そしてとっとと消えてやるという感じで玄関先に向かえば。
「これ、一袋。持っていってください」
 追いかけてきた八戒が、綺麗にラッピングした小袋を押しつけてきた。
「いらねぇよ、そんな甘いモン」
「試作品ですけど。試してみてはどうです?」
「……じゃあな」
 にこにことしながらのその言葉の真意を推し量りながら、三蔵はそれを片手に帰途へとつくのであった。


                 ◆   ◆


 そして帰り道も被害店舗を増やしつづけた三蔵が自室にたどり着いたのは、太陽が西へと傾きかけたころだった。
 居間の扉を開き、疲れた足で書斎へ向かう。そんな彼を出迎えたのは、机の傍らの床に寝入り込んだ悟空の姿だった。どうやらあのあとずっと、帰宅を待ってここに居座っていたらしい。
(バカは風邪ひかねぇとはいうが……)
 オレンジの光の中で小さく丸まった身体は、どこか寒そうだ。三蔵はため息まじりに法衣を肩から落とし、ふわりとかぶせてやった。
「……ん、さんぞう?」
「ああ、起きちまったか」
 目元をこすりこすり必死に意識を覚醒しようとする姿が、どことなく痛々しい。勝手にといえばそれまでだが、一日中この部屋で独り過ごしていたのだ。
(まるで、あの日の俺だ……)
 思いがけず重なった姿に、さりげなさを装わずにいられない。そうしなければ何を言うか判らなかった……どうすればいいか判らなかったから。
「……そうだ。これ、やる」
 定位置の椅子に腕を伸ばしかけたため、存在を思い出した手の中の小袋を、机から三蔵はいかにも無造作な調子で、ぽんっと放り出した。
「え……?」
 うまくキャッチした悟空は、すぐさまワクワクといった表情で封をあけた。その顔がいきなり曇る。量が少なくて不満なのだろうか。
「オレのこと、キライなの?」
「……あぁ?」
 三蔵は、もはや用なしとなった古い新聞を脇に避けつつ、冷静な自分を演じようと吸いかけたタバコを、思わず取り落としかけた。
「そうなんだーっ」
 なるべく視界に入れないようにしていた悟空が、絶叫をあげる。理由は判らないが、人よりは皆無に等しいと自負していた良心が、チクリと咎める。
「おい、悟空」
 くわえタバコのまま、誰にうんざりしているかも判らない感情に振り回されつつ、その辺の布きれを差し出せば。
「やっぱり、オレと別れたいんだぁ……」
「なんだ、それは!」
 そのセリフに、ケシ粒ほどの罪悪感は一撃で吹き飛んだ。疑うなら、勝手にしろ。そんな心境だ。
 前回の二の舞にならないよう、二週間かけて仕事も片づけた。返礼すらしようと考えた。結果的には、ただ一日ほっつき歩いただけになってしまったが、そのあげくがこれでは。
(報われねぇ……)
 気を静める役には立たなかったタバコを、苛立ちついでに思いきり押しつぶす。それと同じタイミングで、悟空が口を開いた。
「だって、マシュマロは“嫌い”で、ハンカチは“さよなら”なんだって」
「だれがそんなことを……」
「え? 李厘」
「お前……」
 誰と遊んでいるんだ。思いがけない相手の名に、がくりと三蔵は突っ伏してしまった。
 あげく詰られた内容が、せいぜい十代前半のおこちゃままでの花言葉ならぬ菓子言葉のせい……もはや二十代になって数年の男性である彼が頭をかかえるのも、無理はない。
「……嫌いと別れ、ねぇ」
「クッキーが好意で。えっと、キャンディが感謝なんだって」
 怒りが消えれば、残ったのは疲れだけだ。らしくないほどうつろに呟けば、泣きじゃくりながらも悟空はそうつけ加えてきた。
 そしてしばらくはすすり泣きだけが残った。
「……悟空」
 わずかな停滞ののち、低くも柔らかい声が空気を響かせた。光をまとった三蔵は、椅子に腰掛けたままで、手を差し伸べている。
「つまらないことで、泣くな」
「なに……?」
 おそるおそるといった様子で近づいてくる。
 そんな姿が、やはりほんの少しの痛みを伴って、三蔵の心を揺さぶる。素直になれと。
「ホワイトデイなんだろうが」
 最後の一歩を踏み出せない、悟空の身体をその言葉と同時にすくい上げた。
「礼だ、バレンタインの」
 目元の雫を唇で吸い取ってから、膝の上に後ろ向きで座らせれば、まだまだ自分より小さい背中は、すっぽりと腕の中におさまる。
「……さんぞう?」
「嬉しかったことには、嬉しかったことで」
 そう、素直になれば何もかも簡単だ。抱きしめれば、心を隠すことも無意味と思える。
 この存在がまっすぐであるから……。
「期待してなかったなんて、言わせねぇ」
 自分でも思いがけずかすれた声が、口をついた。けれどそれは真実。だからこそ吐息で触れた耳元が、紅く染まる。
(俺以外、誰にもできやしねえ……)
 喜びに喜びを返す、二人のための手段。
「……。だったら、奥で……」
「この格好、好きだろ」
 躊躇もとまどいも、かかえこんでやる。さらけだせないなら、暴いてみせる。伝えたいと望んだ想いなら、すべて受けとめる。受けとめることで伝える。あの日くれた心を、今日、いま返す。あのときと同じ行為で。
 素直に自らの望みを果たすことで。
(同じ想いを持つことを、知れ……)
 夕方の陽射しの中で、狭い椅子の上で、それでも確かに二人の心は溶けあっていった。


「オレ、チョコ渡したつもりだったのに……」
 疲れ果て、ぐったりと身体を預けてきていた悟空がそう訴えてきたのは、もはや明かりなしでは表情さえ窺えなくなった時刻だった。
(やっぱりな……)
 どうやら悟空は食料品、それもクッキーを期待していたらしい。なんとも可愛らしいというか、子供っぽいというか……まあ図々しいのは間違いない。
「……なら、これがあれへの礼だ」
 呆れ加減の口調。ついで一瞬机の上へ手を伸ばす。そして口づけで渡すキャンディ。しかしそれが三蔵サマ読経時ご愛用喉アメなあたり、かなりいただけないものがある。
 嗄れた声をしている悟空には、逆に愛があふれていると言えなくもないが、さすがにこういうときはムードを優先してほしいものだ。
「あのチョコレートには“感謝”で充分だ」
 苦々しげに言い放ちつつも、三蔵はひどく幸せそうだ。お返しが期待はずれだったはずの悟空すらも、満足させるほどに。
「ちなみにマシュマロは八戒からだぞ」
「オレ、八戒に嫌われちゃったのかなぁ」
 まだ菓子言葉にこだわるのか。思いやりが滑った小袋は、机の上に放り出されている。きっと準備できないであろう三蔵と、何もないことに哀しむ悟空のためにと、作ってくれたものであろうに。
「……でもオレ、三蔵以外に渡してないのに」
 うなりながら首をひねる姿は、笑いを誘う。そしてわずかな優越すらも。ついでに頬をつついてみれば、確かによく似た感触だ。
「ちゃんと、喰えよ」
「うん! ……あ、忘れてたっ」
 マシュマロから何を思い出したのか。唐突に叫ぶやいなや、悟空は膝から飛び降りた。
「はい、三蔵!」
 そしていったん居間に消えてから、浮かれ調子に差し出されたのは小さな箱だ。おそるおそる開けば、中身は予想通りのクッキーで。
「どうしてオレに……」
「え? だって、三蔵、バレンタインにチョコくれたじゃん」
 あっけらかんと言い切られ、さしもの三蔵も絶句した。彼にしてみれば甘いものは苦手だから、ああして喰ったというか、喰わせただけなのだが……。
 何にせよ、菓子類は不得意系なものだ。直接食べてしまうことよりも、つい利用法を考えてしまう。
(まあ口に挟んで喰わせるか……)
 礼を言うより先にそこまで決めて、三蔵は口元を歪めながら、再び膝に戻った贈り主を見やった。しかしその表情も、あまりにわくわくと期待した顔の前では効果半減である。
 この状態で実践しては、逆に喰いつかれて怪我しそうである。
(さて、どうしてやろうかな)
 悟空の瞳の輝きは、クッキーが食べたいだけなのか。
 それとも本当は、それにかこつけたことのほうなのか。
 なににせよ……本音を訊き出すイイ機会だ。
「ありがとよ」

 きっかけをくれたことへの礼を、会話へ自然と織りまぜて、とりあえず二人の、ウインターシーズンラストイベント、ホワイト・デイは終わりを告げた。


 しかしながら余裕にかまえている三蔵は、忘れている。次なるイベント、バースデイがこの半月後に控えていることを。
 彼の部屋に、あの公害級の唄声とそれにもまして強烈な破壊音とが響き渡るのも、そう遠い日のことではなさそうだ。

Happy Anniversary !




“Purely White”おわり


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