011:柔らかい殻。



「ようやく帰ってきやがったな」
 改札をくぐり抜けたばかりの男にあびせられたのは、そんな鮮烈なひとことだった。
「……ちゃんと帰るって言っただろ」
「アテにならないから、おまえの言葉なんて」
「そうかよ、そりゃどーも」
 新幹線口の前、歩きながらのやりとりは微妙に険悪だった。けれど表情はお互い晴れやかだ。
「どうせ、あのコには言ってないんだろ?」
「いまから行くんだよ」
 ジーンズに黒ジャケット。新幹線に乗って帰ってきたにしては軽装な彼は、あっさりと言い切りその足を速める。
 隣をならぶ相手も、どうやらその行動に不満はないらしい。ともにコンコースを通り抜け、乗り換えにむけて地下街へともぐる。
「見捨てられてたら、どうする?」
「 ―― なら、もう一度振り向かせるだけだろ」
 ふざけた質問だ。そのせいだろうか、返された言葉も決意表明にしてはいたくさらりとした調子である。そして、なんともひどく自己中心的なセリフ。
 あげく慣れた足は、互いにいささかもあぐむことがない。
「なんのために、わざわざあんなトコ行ってたと思ってるんだ」
「……そうだな」
 メガネの向こう側の顔は、まったく揺るぎない。
 将来のための準備に離れていたという自信が、彼を一回り大きくみせていた。
 ゆえに傲慢さは感じれども、不愉快な印象はかけらも与えてはこない。
 その姿に小さく笑んだ出迎えの男は、その細めた目を次の瞬間ぱっと開いていた。
「あ、悪い。ちょい買い物」
 どうやら相手の肩越しに、ドラッグストアのセール中の張り紙をちょうどみつけたようだ。
 赤地に白抜き文字のそれに吸い寄せられたのか、店内へ入っていった彼はすばやく物色に入る。
 その様子を無言で眺めさせられた男も、仕方なさげに後を追う。置き去りにしてもかまわないはずだが、さすがに迎えに来た相手を無視することは、気が引けたのだろう。
 そしてしばらくひとつの棚を眺めていると思えば、彼はひょいっとちいさな箱を取り上げた。
「ついでに、よろしく」
「……こういうもの、人のカゴに入れる?」
 中身を見とがめるやいなや発されたのは、怪訝なというよりも、剣呑さを多分に含んだ声だった。
「ちゃんと、金はあとで払うぞ?」
「だからって、ここじゃなくてもさぁ」
「薬局じゃねぇと、サイズ選べねぇし」
 セール中の混雑の中だからと、わざわざ声音を抑える相手の気遣いなど、お構いなしというところか。飄々とした雰囲気は一向に乱されない。
 まだからっぽのカゴに放り込まれていたのは、セーフセックスの必需品。いわゆるゴムというものだった。
「それにさ。もう、いらないんじゃない?」
「いるだろ、逆に」
「前からつけてても外出しだったんだろ?」
 妊娠させるとマズいから。
 遊んでいたことを、いまさら咎め立てする気もないのだろう。多少の嫌みをまぜて、下世話なことばで耳打ちする。
 そして反応を待つように、すこし高い位置にある相手の顔を覗きあげれば。
「締めつけられて、ちゃんと中に出したいんだよ」
「……あっそ。ゴチソウサマ」
 ジャケットのポケットに手をつっこみながらの表情は憮然。露骨な返答には全く照れがみられなかった。
 どうやらからかいは不発に終わったらしい。
「それじゃ、まあ仕方ないから」
 好きだからこその、思いやり。そう好意的に解釈することにしたのだろう。
 そもそもこの場所でごそごそしていて、目を引くのもイヤなものがある。とりあえず放り込まれた箱を返すのはあきらめて、カゴの主は次の棚へと向かうことにしたらしい。一人暮らしをしていれば、洗剤やらなんやら、けっこういろいろなものが必要なのだ。
 まずは、多少の薬。そうして棚を見回す目がぴたりととまった。口元が、ほんの少し歪む。
「そんなものより、いるものあるんじゃないの?」
「なんだよ?」
 皮肉げな口調は、一応だが相手の気を引いたようだ。傍らに寄ってきた男に、ひょいと彼は顎をしゃくってみせる。
 そうして指ししめされた物品に、かすかにだが相手の背がのけぞる。
 確かにみつけた驚きの表現に、浮かべられていた笑みがぐっと深まった。
「なんかないと、かなり痛いらしいじゃん」
「そうだな。あると便利かもな……すぐやれて」
「そういうもの準備するのって、おまえのほうだろ?」
 瞬間投げかけかけた白い視線は、たぶん最後のコメントに対してのものだろう。
 だがあえてそれは無視することにしたらしい。うながしのような言葉は、むろん先ほどのリベンジだ。
「あいつはなくてもいいらしいけどな」
 けれど彼の見込みは、まったくをもって甘かった。
「だから ―― どうして人のカゴに入れる?」
「おまえが見つけてくれたからだろ」
 なんとも評しようのないことばに、小さく青筋が浮いたのは気のせいだろうか。熟年女性用の性交補助ジェルを加えられたカゴは、ついに床へと放棄された。
「俺とおまえって、どっちがボケ役にみえると思う?」
「は? 突然だな、今日は」
「な、どっち?」
 とことんまで相手の様子を気にとめない、いや気にしないふりでからかっているのだろう。
 そんなタチの悪い男は、今度はこれまた意味の分からない発言で、相手の混乱を誘いかける。
「俺だろうな、普段なら」
「そうだったよな、昔から」
 はるか以前から築かれてきた関係はさもありなんというものであったが、わざわざ答えてやる必要があるのだろうか。
 やはり馬鹿正直というのだろうか。単にもうあきらめているだけか。
「だったら、やっぱり俺が買うべきかぁ」
「なんで?」
「俺がツッコミ役だから」
 あくまでも、会話術での話である。わかっていても、ニヤリと嗤いかけられて気分の良いものはいないだろう。
「 ―― 俺、もう買い物やめるから」
 購入するつもりだったものをカゴから抜き取り、男はそのまま逃げるように出入り口まで歩いていった。
 さすがにその過敏な反応には、残されたほうもちょっとだけ目を見開く。けれどその足は、離れた相手の視線を受けながらも、すぐに動き出した。
「あげく堂々と買ってくるし……」
 ガヤガヤとした行列のなか、あの二点だけを買うのはかなりの強者ではないだろうか。
 半分透けるビニル袋を片手にまっすぐ戻ってくる姿は、傍観者になった男に頭を抱えさせていた。
「おどおど買えば、よかったのか?」
「そういう問題じゃないだろ」
 あっさりと精算を済ませてきた男は、いたってどうということもなさげだ。
「なんでもいいから。さっさと、行くぞ」
「俺たち……なんか、目立ってるんですけど」
 すっとうながしの腕が肩に伸ばされた瞬間。いっせいに向けられた好奇のまなざしに、かすかに震えた声が訴える。
 レジカウンターから伸びてくる女店員の視線などは、微笑まれていてなお、普通の感性を持つ彼にはかなり痛かったらしい。自業自得的なものもあるが、それでも十分同情に値する状況だろう。
 そうしてなおさら浴びる周囲の目線に、真の元凶は一瞬天井を見上げて小さく笑んだ。
「賭けるか?」
「 ―― なにをっ」
「来週、この店でどれだけ俺たちのコト、覚えてるやつらがいるか」
 ニヤッと歪んだ口元は、彼にとってどれほどおもしろい発想だったかを如実に示している。
「きっと噂だぜ?」
 ふわりとかき揚げられた前髪の向こう。
 唖然とする相手を前に、レンズ越しの瞳は片側だけあざやかにすがめられた。
 思わず誰もが見とれた一瞬ののち。
「やめておくよ。確認しにきたくないから」
 そんな回答には、ため息すら付けられてはいなかった。
 袋を手に提げたままの男は、『そんなら俺の勝ちだな』と、愉しげに笑っていた。





悪友同士って、こんな感じ?




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