【The Kiss Given Through The Cherry】



 相変わらずにぎやかな店の一隅で、いつもどおり男たちは暇をもてあましていた。
 まだ宵の口。目的が定まっているのならば、もっと遅くに来ればよいものではあるのだが、それはそれ。こうして無意味に集っているのも、週末を構成するひとつの要素なのだろう。
―― 所詮、淋しいヤツらなのだ。
 手首をくるりと返して、男はグラスの中の氷を鳴らす。乾いた笑みは、自らの淋しさも受け流しているようだ。ふと思いついたように、その視線が横へと流れる。
(こいつも、淋しい……ワケねぇよなぁ)
 こそっと眺めたのは、隣に座っている相手だ。見た目は女性にも思える、けれど実は男である彼は会話に加わるでもなく、ただちょこんとそこにいる。その当たり前のごとき姿に、ため息がちいさくつかれた。相手がここに存在すること自体、もはや追い返すことにも疲れた故の、無言の容認のようなものだからだ。
 疲れたように、くるりとふたたびグラスが揺らされる。
「なんで今日って、どれオーダーしてもコレついてんだ?」
 カランと崩れる氷の音は、突拍子ない場違いな声にかき消された。だが周囲はいまさら気にも留めない。冷たい視線を向ければ、その相手の指は真っ赤な軸をつまみあげていた。
「レモン切れとか?」
「にしても、ジンライムにコレはないだろ……」
 他の人間も会話に加わってきた。そのコリンズグラスの底にも、同じものが落ちている。誘われたように男たちのグラスを寄せ集めれば、確かにどれにもそれは入っている。
「単にコレの缶詰、デカイの開けたんじゃないか?」
 ゲラリとした品のない笑い声が巻き起こる。グラスに沈んでいるのは、缶詰の、赤いサクランボだった。
「そういえば、先週かそこいらの深夜TVでやってたな」
 似つかわしくない愛らしさをしゃぶりながら、会話はつづく。男はただ成り行きを見守っていた。その隣の相手も退屈なのだろう。無関心そうだが、聞き耳は立てているようだった。
「この茎、口で結べたら、キスが巧い証拠だってさ」
「へぇ。どうやって確認したんだろ」
「そりゃ、やっぱキスもやり比べたんじゃねぇ?」
 ネタ振りをしてきた相手を眺めかえす視線は、ニタニタと濁っている。
「つか、それもウリっしょ。夜中のTVなんて」
 ロクでもない情報が氾濫する世の中。夜の番組はその手の話ばかりであふれかえっている。そしてこの場所も夜の一部、下世話な話題ほど恰好のネタとなる。特に相手に関心がなくても、言葉を交わすには最適だからだ。
 淋しさを増すだけの、そのくせ所詮淋しい集まりには、似合いの嗤いというべきか。
 けれどその展開に、ただひとりだけ好奇にまなざしを輝かせている者がいた。
(いったい何がおもしろいんだ)
 すいっと切れ長な瞳を隣へと流せば、感心しているのかなんなのか。ストローを銜えたままで、相手は固まっていた。退屈しのぎだったろうに、いまや耳にばかり意識は集中されているようだ。
 つくづく変わった奴だ。そんな印象だけがこの相手には強くなる。
「で、結論は?」
 つづく会話のうながしに視線の先は、無意識にだろうがうんうんと頷いている。男の関心はすでに、その相手にだけ向けられていた。
「どうだったかな。でもそれで計れりゃ、便利だよなぁ」
「誰が一番上手いかなんて、わかんねぇもんな」
「チョクで試したくは……。なぁ」
 聞くともなく入ってくる騒音は、いつの間にかかき消えていった。どうやら無駄口を叩く場所が、茎にふさがれたらしい。互いにライバルである輩だ、キスのテクニック競争であればこそ、手抜きはできないのだろう。
 必死になってその口を動かしているのは、なにも競い合う必要のある者たちだけではない。しばらくの沈黙は、他を観察する男にとって好都合な静けさだ。グラスはその手の中でまわされつづけていた。
「 ―― むずかしいなぁ」
 おもしろ半分で始めたのだろうに、あまりにできないことがチャレンジ精神に火をつけたらしい。感情を気取らせないまなざしが横から眺めてくる視線にも、まったく気づかないようだ。
(おもしれぇ……)
 こっそりと挑戦しているつもりでも、誰よりも真剣な表情だ。ジンジャーエールに添えられていたそれが、ときおり赤くちらりと覗く様は、割に扇情的にみえなくもない。うっすらと色づけられた唇がうごめくその姿は、配置的に彼しかみることのないものだ。
 わずかな優越感と、微妙な苛立ち。掌の熱がつたわったのか、氷がカシャンと崩れ落ちた。
「お。俺、できた!」
 会話のはじまりと同じくらい唐突な声は、ふたたび喧噪を巻き起こすきっかけになった。
「そんなん、結べたうちに入んねーよ」
「俺だってそこまではできんだよ」
 先がどうにか絡み合った程度のものだったようだ。皆のくだらない言い合いに、男の視線の糸はとぎれさせられた。グラスに残っていた液体をあおれば、溶けた氷の味が喉に染みわたる。
「ショウできた? あれ、やってねーの?」
「あいにくだったな」
 できなかったら嗤ってやろうとでも思っていたのだろう。声をかけた自称【友人】たちは、拍子抜けしたようだ。そんなタチの悪い相手に向こうを張って、カランとまわしてみせたグラスは、氷しか残っていない大きめのロック・グラス。さすがにスコッチのオンザロックには、チェリーもつけにくかったらしい。
「なら、なんか追加で取れよ」
「わざわざ?」
 悪意の透けた遊戯などに、つきあってやる義理などない。精神的にも淋しい奴らだと侮蔑もあらわに、カラカラと氷を鳴らして、ふたたび視線をひとりへと向けなおす。
「……やっぱ、できないやー」
 ちょうどそのとき、隣の相手の根気が尽きたらしい。掌に吐き出された茎が、コースターの上へと放り出された。べたべたに濡れて、よれたそれ。
 グラスを下ろす男の脳裏をかすめたのは、何だったのか。リングに飾られた指が、すいっと伸ばされた。
「え、ええっ!」
 あがる悲鳴があたりに響く。男はそれをここちよく受けとめながら、自分の口で奇妙なほどに柔らかくなった茎をひねくりはじめていた。
 一本の茎をもてあそぶ行為は、缶ジュースの回し飲みとはワケがちがう。
 細めた目線で覗き見れば、驚きに相手の瞳がぐっと見開かれる様子がまず窺えた。そして、赤くなったり青くなったり。予想以上の効力に忙しいその変化を眺めながらゆっくりとねじりあげれば、相手の唾液の味が伝わってくるようだ。
「できたぞ」
 十数秒にも満たないだろう時間ののち、その元凶はイヤな笑みを刻んだ口元から吐き出された。先ほどの相手と同じくコースターへと投げ出されたそれは、今度はきっちりと固結びがされている。おもしろくなさげな表情になった輩は、鼻を鳴らして立ち去った。残りの者も示し合わせるように動き出す。
 ただひとり残ったのは、百面相を繰り広げていた相手だけだ。羨望のまなざしというべきものが、ほぼ真ん中で結びあげられた茎をみつめている。すでに感嘆の領域に達しているのだろう、さきほどまでの羞恥に満ちた表情は、すっかりとなりを潜めていた。その顔つきは、仕掛けた男をそれなりに満足させるものではあった。
 けれど、どこまでも飽き足りないのが、ヒトの欲求だ。
「ほらよ」
 いつの間に席を外していたのだろうか。満たされたロック・グラスを握った男は、コースターの横へと背の高いグラスを差し出した。そのなかには、長く剥かれたレモンの皮が、螺旋をぐるり描いている。そしてやはり、底には真っ赤なチェリーが沈んでいた。
「え? これ……お酒?」
「ガキじゃないんだから、飲めるだろ?」
 嘲るようなセリフを吐けば、一気に飲み干すことも予想済み。そうしてむせかえる姿も、人間の嗜虐心を満たしはする。けれど限界にはまだ絶対的にほど遠い。
 カラン、と氷の音が響いたのは、男の心の内だけか。
「できたら、キスしてやるよ」
―― ヘタなやつとなんかする気しねぇから。
 こそっと付け加えられた言葉は、なおさらの罠。
「してほしいなんて、言ってないじゃん!」
 打てば響くとは、このことだろう。爆発的に頬を染め上げてくる変化は、淋しさを忘れさせる以上の効果がある。くだらないはずの遊戯も、自らはじめれば一つの刺激だ。
(さて、どこまで俺を愉しませつづけてくれる?)
 とりあえず今の顔色は、躍起になって流し込んだアルコールのせいにしてやるよ。
 自分用のグラスを揺らしだした男は、こっそりと視線を流しつづける。

 どうやら今日の彼は、ひどく機嫌がよかったらしい。


≫≫ 元ネタはこちらから
     (by 結城 智様)


元ネタは、つきあいだしかけのふたり。
なのでウチは全くその様子のない奴らの
ささいな(?)日常風景より……かな。



≪≪≪ブラウザバック≪≪≪