024:ガムテープ



「それ、使うんですか……?」
 どことなく震えた声を発したのは、そのくせ無表情な感じのする青年だった。
 その隣には、同じくらいの年の頃の人間がふたり。彼らはどこか怯えた顔をみせている。
「うん。そうだよ?」
「これでも結構さぁ、苦労したんだぜ?」
 そんな彼らの目の前には、二人の先輩が立っている。あっさりと認めた男はにこやかに微笑み、最初に発言した青年よりも背の高い男は、ジャラリと手の中の鎖を鳴らしていた。
「真面目にこんなの買ったら、高いし」
「別にそんなことかまわなかったんだけどね、俺としちゃ」
「おまえにヤバイものなんか、むざむざと渡せるか」
 仲間同士で睨みあいつつ、それでも手は取りだした品々を試すようにたぐっている。
 赤い夕陽に照らされた空間。いったいここで、何がこれから起こるのか。
「つか、無駄金つぎ込むくらいなら、俺に報酬よこせ」
 しかしぶちぶちと呟く内容は、外見にそぐわず意外なほどせせこましい。
「まあだから、百均つかってさ」
 取りなしは雇用側という姿勢のあらわれなのだろう、相変わらず笑みを湛えたまま男は発した。こちらのふたりは全く緊張していないようだ。
 大量並べられたのは、頑丈そうなベルトとチェーン。そしてビデオテープ。
 意図を知らされていないわけでもない。だが見据えられた三人は、身体まで強張らせたままだ。
「で、こっちは準備完了だ」
「じゃあ、あとはキミたち。よろしくね」
 ジャラリとチェーンを携えた男からゴーサインが出された。その瞬間、もう独りの男の微笑みは翳されたカメラの影で一瞬にして消える。
 試し撮りにもならない、一枚。はじめのシャッターは、そうして切られたのだった。


 そしてようやく始められた撮影は、思った以上に順調な進行をみせていた。
「わるいけど、翔。もうすこしそっちの腕……ああ、そう」
「これ以上は無理だぞ。負担が大きい」
 まるで悪魔の饗宴でもはじめるかに感じさせた男ふたり。だがその実体は、むしろ今回は残り三人にもメリットを与える、ただのカメラマンと助っ人だった。
「おい政人、腕とか痺れてないな?」
 真剣な表情の結城と、その指示を的確に受け淡々とうごく翔。カメラを手にした瞬間、被写体につい無理をさせかねない相手へのフォローも、このアシスタントの義務のようだ。視線は常と言ってよいほどに拘束の対象に向けられている。
「感覚なくなってくる前に言えよ。俺にはわかんねぇから」
「はい」
 こくりと頷く動きは、意外なほどに丁寧なものだった。『縛られる』という奇妙なシチュエーションが引き出したのだろうか。いや、ただ躊躇う隙すらも与えられなかったというほうが正確かもしれない。
「外してあげて! 政人クン、ありがとうっ」
 だが余裕がないのは被写体だけではない。夕陽が欠かせない今回の設定では、時間ももちろん限られてくる。追われる結城の声はどこかしら切迫していた。
「さて、次はこいつか」
 政人から撮りはじめたのは、元々イメージが固まっていたからだ。雰囲気をつくりやすかったともいえるだろう。しかし撮られている人間よりも、むしろ緊張は待っている者たちに走る。
「じゃあ達彦くん。よろしくね」
「……はい」
 雰囲気に飲み込まれた達彦もまた、やはり素直にその身を委ねる。
 政人にベルト、ギタリストにチェーン。ふたりの撮影は彼らに強い疲労を与えながらも、つつがなく終わった。そして残されたのは和真である。
「おいらには、これなわけ?」
「そ。こうして……っと。本体はこの辺に転がすか」
 三人目ともなると、さすがに全員すこしだけ気が緩むのだろう。無造作に放り出されたのは、拘束具とは縁もなさそうに思われていたビデオテープだ。がたんと落下した黒いプラスチックの本体には、わずかばかりひびが入った。けれどもその傷を気を留める素振りは男にはない。そこから伸びるかたちで手に残ったテープこそが今回の主目的なのだ。
「ん、意外に巻きにくいな」
 翔の顔に、はじめてといってよい困惑の色が浮かぶ。くるくると巻きつけても、どうにも望む位置に留まらないのだ。無理に引っぱればちぎれそうだということも、うまく縛れない要因のひとつだ。
「変に動くなよ。ちょろいテープとはいえ、皮膚くらい切れるからな」
「う、うん」
 背後から抱きすくめるようにしてテープを巻くのは、たぶん自分の身体でずれないように押さえているからだろう。しかしそれは別の瞬間を和真に思い起こさせるに十分な体勢だ。なにより服をまとっていても伝わってくる体温。
「和真クン、おたおたしないで」
 むずむずとする感覚を堪えようと、無意識に動いてしまうのだろう。飛ばされた叱責に応えようと、巻き取られた和真も力を入れる。だが抑えようとすれば籠もるのがこの手の熱だ。
「んっ……! あ」
 思わず漏れた声は、あまりにも濡れていた。
 誰もが息を飲む。もちろん長いつきあいのある同級生もだ。
「……おまえら、出てけ」
 痛いほどの沈黙の後、低音で絞り出された命令はそのふたりをきれいに射抜いた。
 撮影であればなおのこと危ういこの男たちの間に友人を独り残す。もしものことを考えれば、彼らはともに離れがたかった。だがこのまま見ているのも、きっと和真にとって苦痛であろう。
「無茶しないでくださいね」
「するか。それにさせもしない」
 精一杯の想いを込めた言葉に振り向きもせず返す素っ気ない態度とは裏腹に、その声音は頼もしさを十分に感じさせるものだった。そして撮影に関わる三人だけが夕日の傾く空間に取り残された。
「なるべく、普通の顔しててくれよ?」
「う、ん……」
 内心の葛藤をわずかに冗談めかして訴えれば、潤みかかった瞳が見上げてくる。理性を試される状況だ。けれどもなるべく早く撮影を終わらせねばならない。夕焼けの問題もある。そしてなによりたとえ親友であろうが、長い間見せたいものではないのだ。
「チィッ! トモっ、これじゃ拘束にはならねぇぞ」
「そ、うだねぇ。テープに巻き絡められているって風情はいいんだけど」
 だがそんな苦労をあざ笑うかのように、結わえたはずのテープは身を離すたびにはらりと崩れ落ちる。ファインダーを覗く男も、シャッターはまだ切り出せない。何かないだろうか。あたふたと見回した目が、一点に引きつけられた。
「これでもイイか?」
 足早に近づいた彼がかざしたのは、ガムテープの輪だった。どうやら荷造りにつかった物が、そのまま放置されていたらしい。
「いいよ、アンバランスできっとイケる。じゃあ……口、ふさいで」
 ファインダーを覗き込んだまま返された言葉に、さすがの翔もとまどいを隠せない。漂った雰囲気に、カメラを下ろした結城はガムテープを奪う。
「だからさ」
 引き出した茶色の紙は、ビッとちぎり取られた。
「いきなり貼るなっ!」
「え?」
「粘着力弱めてからじゃなきゃ、貼るんじゃねぇ」
「サンキュ、気づかなかった」
 皮膚の薄い口元などに貼ってしまったら、剥がすときにどうなったことか。和真の眼前でとまった手はあわてて離れていった。再び翔の手に戻ったテープは、ふたたび短く切り取られる。自らの服に貼りつけること数度。かなり糊が落ちたらしいテープは、今度こそやさしくその口元を留めた。
「ああ、いい感じだね……」
「あとは手と足と、こっちのテープも裏で貼り留めときゃいいよな」
「そんなことはおまえに任せる」
 ファインダーからの世界に、すっかり囚われたのだろう。おおざっぱすぎる信頼に呆れつつも、翔は再びテープを巻きなおして背中側で押さえとめた。彼の身体が離れれば、本格的に撮影は開始だ。雄弁すぎるカメラは、興が乗るにつれて被写体をも狂わせていく。
「撮影だぞ、おい」
 縛り方を変えるために身を寄せれば、艶っぽすぎる吐息がかけられる。これほどまでに妖しい姿など、いったいどこに隠し持っていたのだろうか。
(縛りは抱擁だと、誰かが書いていたが……)
 最後のポーズを取らせて身を離せば、視線だけが明らかに誘ってきていた。
「こんな嗜好だとは、知らなかったな」
 つい嘯いたのは、普通ならば真っ赤になってわめきたてそうな内容だ。反発は、しかしない。どうやら囁きは、聞き咎められずにすんだようだった。
「あんがとさん。いい表情、撮らせてもらったよ」
 くったりと床へ崩れ落ちた和真に、フィルムの巻きあがる音を待って、終わりの合図はあっさりと与えられた。その頬は夕焼けにもほの赤く、口元は吐息に緩んでいる。恋人であればこそ決して誰にも見せたくない姿だ。
 だがそれを写し取った人間は、多少なりとも悪いと思っているのだろうか。カメラを構えた結城は、常以上に容赦がない男なのだ。
「んで、終わりか?」
「いいや? おまえが残ってる」
 同意のうえでの行為であれば、文句を言っても始まらない。拘束から解放した和真をかるくあやすと、翔は撮り直しや追加撮影の有無を問うた。だがフィルムを入れ替えた相手は、周囲の光量の衰えに目元をしかめつつも、カシャリとシャッターを落とす。
「忘れたとは、言わせないからな」
「……わかったよ」
 長いつきあいのふたりだ。もはや抜け道はないと悟ったのだろう、白旗は意外なほどあっさり掲げられる。
「和真クン、これでよろしく」
「な、に?」
 呆然としていたところに、白い物体の入ったちいさなケースが投げられてくる。キャッチしそこねて転がったそれは、『ショウ』とともにいればどうにも付き合わざるを得なかった品だ。
「キミ、これなら縛れるでしょ?」
 なるほど。アイコンタクトは、鮮やかに全員で一致した。
「その目、隠せ。片方だけ……そう」
 だがはじめられた最後の撮影は、気安さゆえかひどく命令口調のものだった。
 壁にもたれて脚を投げ出した翔は、包帯であちこちを括られている。それは頭部にまでも及んでいる。もちろん結城の指示によるものだ。一応は露骨には顔を出させない気遣いかもしれない。だがそれを逆に活かすセンスを持てばこそだ。
「おい。なんかで血ぃだせよ」
 数枚を撮した後に言い切られた内容は、だが自らの美学を持てばこその暴言だった。
「無茶いうなって」
「いままで無駄に流してただろうが」
「でるか、いきなりっ」
「使えねぇ」
「ね、ねえ。赤インクとかじゃ、無理かな」
 親友相手だけに容赦がない。吐き捨てた結城に、このままでは本当に怪我をさせかねないと判断したのだろう。ごそごそとあたりを探りはじめていた和真は、見つけた古そうなインク瓶を振ってみせた。
「ないよりマシかも。あ、けっこうドロドロじゃん」
 古びていたのがかえって良かったのだろう、好ましい質感に気色が浮かぶ。
「服は汚すなよっ」
 だが対照的にその顔を引きつらせたのは、被害予定者の翔だ。羽織っている白いジャケットは麻だ。インクなどで汚されてはクリーニングもできはしない。
「包帯と。そうだな、手だけでいいか」
 カメラをいったん下ろした腕は無造作にインクを飛ばす。全体のバランスを量りながらつけていたのだろう、それは最終的に口元にも塗りつけられた。
「おまえなぁ」
「ん? ここにないとおかしいだろうが」
「……さっさと撮れ!」
 放っておけば痣のひとつもほしいと殴られかねない。
「だったら、雰囲気つくりな。明日もやりたいか?」
 絶叫に返されたのは、しかしゆらりと漂う殺気だった。陽はもう相当に翳ってきている。赤さを増した夕焼けは、だが暗さもまとえば徐々に撮影に適さなくなる。どうせ腹は括っているのだ。
「やっとその気になったか」
「うるせぇ」
 再びせわしないシャッター音が鳴り始めるのに、時間はかからなかった。
 それからどれほど経った頃だろう。西日がまっすぐに射し込む部屋も薄暗くなれば、既にもうひとつ奥の部屋など目を凝らしてもほとんど何も見えないだろう。
「たーつ、まさとー! もういいよーっ」
 自分たちが何のためにここにいるのか忘れかけた頃。間延びしたそんな和真の呼び声に、そんな隣室に控えていたふたりはのろのろと顔を出した。
「……なんかずいぶん疲れてるみたいですけど」
「ああ、まあな」
「もしかして、あんたも撮られた……わけですか」
 顔色を窺った達彦は、顔すら赤く汚した男に同情のまなざしを向けていた。むろん答えは返らない。だがまさしく同じ疲労感に苛まれていたふたりにとって、ことばは必要ではなかった。そんな同族意識で、三人はほの暗い笑みを浮かべあう。
「んじゃ、俺は現像行ってくっからー」
 だがそんな彼らのことなど目にも入っていないのだろう。機材だけはきっちり片づけを終えた結城は、慌ただしく玄関から飛び出していった。
「ずいぶんと、……機嫌がいいみたいですね」
「そりゃ、いいだろうよ」
 誰ひとり見送る気にもなれないのか、その背にかけられるべき声はなかった。
「先輩? それよりその手とか、服についちゃうと」
「もう大丈夫だ」
 どたばたとアシスタントをさせられていた和真は、ひとり日常へと先にもどったのか、もはや普通の顔をしている。その様子に安堵させられるものがあったのだろう。
「俺たちも、移動するか」
 包帯も気をつけて外されていれば、手に飛ばされたインクも既に乾ききっている。少なくとも服への被害は免れたようだ。ふっと息を吐けば、どうにかいつもの調子も戻ってくる。彼は三人へとまだ赤く濡れてみえる手で外を示した。
「でもここで待ってないと、あの人、困るんじゃないですか?」
「電話すりゃいいだろ」
 乾いたとはいえ、手も顔も洗いたいのは事実。なによりイヤな感覚を覚えるこの場所から一刻も早く立ち去りたいのだろう。翔の足は玄関へと向かいかける。
「でないと思います」
「……そうだな」
 だがその背にかけられた政人の的確な判断に、悪友を自認すればこそ納得せざるを得なかった。諦めたようにため息をついて、翔はその場に腰をおろす。周囲もつづいて座り込めば、待機体勢は自然とかたちづくられた。
「さて、いつ帰ってくることやら」
 ひとり成人している男は、手持ち無沙汰を埋めるようにジャケットからタバコを探りだしていた。


 それから、小一時間ほど経ったころだろうか。すっかりと赤みを消した空が、窓からの景色に広がっていた。電気のきていない室内は夕陽が沈みきればかなり暗い。玄関先、街灯の光がぎりぎり届く場所に、彼らは並んで座っていた。
「やっと、お帰りか」
「待たせたねー」
 ニヤニヤとゆるんだ頬は、ただ出来映えに満足したためだけのものとは思えない。約一名と顔を合わせるやいなや、なおさらに口元が歪めばなおさらだ。
「……なんだ?」
 嫌な予感を感じながらも、その対象となった翔は問わずにはいられなかった。
「いや、おまえイイ想いしてんだなー、って!?」
 その瞬間、結城の身体は高々と蹴り上げられていた。スローモーションで宙を舞う。その姿を目にした者の脳裏をよぎったのは、過去、同じくあの脚で弧を描かされた実のことだっただろう。
 大丈夫なのか。過去を知らぬ者であれ、加害者を除けばみな想いはひとつだったろう。
「ちょ、結城サンっ!」
 しかし心配は杞憂に終わった。むくりと起きあがった彼に、周りの視線は一気に変わる。
「いてぇよっ! もう少し、手加減しろよな」
「……手加減しすぎたか」
「たいしたもんなかったら、どう詫びる気だったんだよっ」
 ゾンビかはたまた不死身の超人か。舌打ちをする男の前に、即座に叫べる腹筋と根性とを彼は持っているようだった。
「口は災いのモトだろう」
 淡々と告げながら、翔はその手を引き起こすために伸ばした。向けられた相手も臆せずそれを取る。互いにまったく悪びれていない。損をしているのは気を揉まされる周囲ばかりだ。残された三人はそんな様子に肩を竦めあっていた。
「んじゃまあ、どーぞ。だいたいセレクトしてきたから」
 だがそんなふざけた調子もそれまでだ。真顔というにはいつもの笑みをたたえたまま、結城は手にしていた袋をひらく。バサッと取り出された束は、選別されたてなお十分な量を誇っていた。撮影順にそれを全員で眺めていく。
「こいつは枚数次第だな」
「うん、この二枚にするか、それ一枚かだね」
 選択眼や構成は、写真部とのコラボレートに慣れた翔の分野にもかぶる。出来上がりに驚く三人を置き去りに、達彦と政人、それぞれからのピックアップは、結局の処ほとんど翔と結城で行われた。
「さて、今度は和真クンのなんだけど」
「おまえは、みるな」
 翔のレーザー照射を受けたのは、案の定、達彦だけだった。どうして自分だけとは思えど、ふっとばされるのは割に合わない。さすがにそのくらいの判断はつくのだろう。どちらにせよここでは手伝えることもないと感じていたのかもしれない。
「はい。じゃ、ちょっとお茶でも買ってきますね」
「あ、タツ。おいらも!」
 すみやかにその場を退いた彼を、和真もあわてて追いかけていく。やはり自分の拘束写真など見たくないのだろう。あっという間に玄関からふたり分の足音が遠ざかる。
「止めなくていいの?」
「いいさ。どうせ何もありゃしないから」
「……まぁね。さて、そんなことよりも写真」
 哀れにも政人ひとりが、年上ふたりに挟み込まれる形になるのだった。
「なあ、どっちがイイと思う?」
 タイミングを逃した彼は、ぐっと間合いを詰める翔に背だけを反らす。下手に距離を置くのも脚が飛んできそうで怖かったのだろう。だが救いを求めて目を向けた相手が悪かった。感想を求めているのか、むしろ無言で圧迫してくるのだ。
(俺、やっぱ試されてるのか……?)
 危険分子扱いを受ける心当たりは十分にある。何を答えても危機からは逃げられそうにない。
「……こっちのほうがイイと思いますが、絵的には」
「ほう」
「俺はいりませんからねっ!」
 スニーカーの底をズザッと鳴らして、彼は一気に身を退いた。その距離は翔の脚の長さよりもはるかに遠い。あげく逃げ込んだ位置は、結城が自動的に盾となる場所だ。
「いやいや、賢いね。政人くんは」
「どうだか。……じゃ、あとは俺のな」
「ネガはこれな。もし必要になったら、貸してくれりゃいいから」
 すみやかに封筒ごと渡すあたり、さすがのコンビネーションである。悪友同士、考えることは似ているということだろうか。
(俺には理解できない……)
 あえてその影で政人は知らぬふりをする。それこそがコンビネーションの一端を成していることに、彼だけが気づいていない。くすりと笑いあった年上ふたりは、つづけて翔自身の写真のセレクトに取りかかっていた。
「さて。おまえはこれで写真を送るだけか」
「そうなるね」
 必要な写真を別の封筒に戻し、結城はちいさく頷いた。もちろん使った機材やフィルム、撮影イメージを文章化した説明を添付する作業が残ってはいるが、他人に頼まなければならないメイン行程が片づいたのは確かだ。むしろここから行動すべきなのは問うた男のほうだろう。
「ってことで、あとは頼むぞ」
「……おう。じゃあ編集するかぁ」
 ぐっと伸びをした翔がいま住む家は、ここからたいした距離にない。投稿用は使うべきではないだろう。それ以外の写真はすでに彼の頭のなかで要、不要に振り分けられている。
(全部スキャニングして、リサイズして。それから……)
 彼の瞳はメガネを通して宙を見上げる。頭のなかで再構築をかけているのだろう。イメージができあがれば、あとは組み立てるうちで膨らませていくだけだ。いますぐにでも取りかかりたい衝動がわきおこる。そのくらいには刺激される写真群だったということだ。
「もしかして、あんたがつくってくれるんですか?」
 その姿に首を傾げたのは、状況を理解しきれない政人だった。何をかを示す目的語は一切ない。
「それ以外、誰がやるんだよ」
「えと、それの……」
 代価はどう支払うことになるのか。提案したのは確かに彼だったが、そこまでは契約に組み込まれていなかった気がする。だが他のメンバーもいなければ、不用意に決めるわけにはいかない。
「トモが俺を売ったんだ、気にするな」
 さほど変わらない高さにある肩を、翔はぽんっと叩いた。
「ついでにな、もう報酬はあいつからもらったから」
 安心しろと言わんばかりにひとつ目配せを送ると、その手をそのまま胸元にあててみせる。写真をしまいこんだポケットだ。最初から彼は製作にかかる一切を引き受ける気だったのだ。
「いや、でもそれだけじゃ」
 だが結城には未来を賭けた撮影、自分たちにはチラシ類だとすると、この彼のメリットがあまりにちいさくはないだろうか。
「気にするなって。それに……」
 和真の隠れた嗜好もわかった。思わぬ拾い物について、だがあえて口にすることはない。ただニヤリと歪んだ顔に、それでも政人の口は噤まれた。
「ま、おめでとう。適当にがんばれよ」
「おう」
 どうやらあの瞬間ファインダーをかまえていた男には、すべてを読まれているらしい。ならば照れてみせる必要もない。しかしそのための時間は、この目の前の依頼を終わらせてからだ。
「じゃあ俺の家に移動していいか?」
「和真クンたちが戻ったらね。でもさ、夕飯。先に喰いに行かないか?」
「……だな」
 どうにも気ばかりが急いているようだ。ひとつ苦笑すれば肩から力が抜け落ちることを感じた。
「あいつら戻ってきたら、行くか」
 外はほとんど夜だ。街灯や星が眩しく映るほどになるにもすぐのことだろう。コンビニまで出かけて時間をつぶしているにしても、きっとそろそろ帰ってくる。なにを食べに行くべきか。誰もが喜ぶ顔を想像して、翔は今度こそ邪気のない笑みを浮かべる。
「その前に、顔は洗っていけよ」
「……リョーカイ」
 手や顔が汚れたままであることすら忘れていたのだろう。こどものようにぶすくれた男の返事に、黙って立っていた政人もついに吹き出した。それを誰も咎めなければ、より笑いの輪は広がっていく。
 もはや撮影のもつ異様な雰囲気は、この空間に欠片も残っていない。
「ただいまー!」
 ガラガラと玄関を開くなりかけられた声は、その空気にふさわしいものだった。



これでいいのか、こいつらは……。




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