036:きょうだい



 ようやく陽もぬくもりを取り戻した、三月も下旬。
 けたたましい子どもらの声をバックに、文芸部員有志はなぜか遊園地にいた。
『サークル引退したら、みんな会えなくなるだろ?』
 そんな曖昧かつ強引な理由で、就職活動まっただ中のはずである新四年生までもひっぱりだしたのは。
「ねえ、先輩! はやくっ」
「……へいへい。いい加減、名前おぼえてくれよなぁ」
「知ってますよぉ。だから先輩、はやくっ!」
 そんなお呼びがあちこちからかかる、通称【先輩】こと神楽翔である。どうやら新人勧誘等だけでなく、彼のコンパマスター精神はこんなところでも役立つらしい。
 けれどお祭り好きは、なにも彼だけではない。
「ほらほら、今度はアレ行こっ!」
 インドア派に思える文芸部員だからとて、外界や行楽地を嫌うとは限らない。
 むしろ閉じこもって書くことが日常なだけに、久々の開放感に駆け回るレベルは並大抵でない。引率してきた彼が困惑するほどの元気さだ。どうやら混み合う前にと、次々列へと走り、全制覇をめざしているようだ。
「先行って、ならんでこい……」
「はぁーい」
 今日は一日、どうなることやら。
 送り出した彼は、朝も早々だというのに肩をちいさくすくめてみせた。
「はしゃぎすぎじゃない?」
「 ―― いいじゃん、別に」
 背後からかけられた声にくるりと振り返った表情は、しかし意外に上機嫌を示している。
 目線の先、相手は対照的にため息をついていた。副部長を務めていた女性だ。
 先に走っていった仲間を遠巻きに眺めつつ、ただゆっくりその後をついてくる。翔と同じ学年の人間だ、きっと就職活動で疲れているのだろう。
「それとも、こういうトコ嫌いだったか?」
「……好きだけど」
「なら、やっぱいいじゃんか」
 まあそうね。控えめに示された同意は、唇を尖らせてだった。
 それに返すのは、歯をちらりと覗かせた笑みだ。
「じゃあ、行くぜっ!」
 翔は相手の背中を軽く押して、みんなの固まるほうへと駆けだした。
 その姿を、少し離れたところから見ている視線があった。

 そして、絶叫マシーンが売りであるその場所で、彼らは夕方ちかくまではしゃいでいた。
「……疲れてるんだろ?」
 目標どおりほぼすべてのマシーンを制覇したころだ、いかに体力のある学生とはいえ疲れもでてくる。それまでに疲労が蓄積していた者なら、なおさらだ。
 その筆頭にいるであろう副部長に、翔は背後からひそかに問いかけていた。
 答えは返らない。しかし覗きみた顔色の悪さが、はっきりとすべてを物語っていた。
「俺たち、夕食の店のトコ、先行ってくるからなー」
「どうして?」
「予約確認。マズイだろ、ミスってると」
 企画を立てた彼と、常のまとめ役である副部長だ。さらりと告げられた内容を不審に思うことはない。
 周囲の了解を得た彼らは、そのまま移動を開始するかに思えた。
 しかし、翔はしばしの逡巡ののちに、その瞳をただひとりに合わせた。
「……なんなら、おまえも来るか?」
 さりげないにも、ほどがあろう口調だ。
 しかしずっと静かな視線を注いでいた和真は、ちいさくうなずいた。

「なばなの、さと?」
「ほら、チケット。副部長も」
 車で数分といったところだろうか。おろされた場所はなぜかテーマパークのようなところだった。
「夕食会場の確認じゃなかったの?」
 そんな当然の指摘にも、つかつかと進む足取りは変わらない。
 迷うことなく正面入り口へたどりついた翔は、さっさと中へと入っていった。仕方なくふたりも、先に渡されていたチケットで後を追いかける。
「ねえ! ちょっとっ」
「この中の店を予約したんだ」
 あんまり離れると不便だからな。
 理由になるような、ならないような。そんな理由をようやく口にした彼は、ふたりの怪訝そうな視線を浴びながらひとり案内図を眺めだした。
「なら早くそう言ってよ。ねえ」
 ぶつぶつと呟く副部長は、巻き込まれた感のある後輩に同意を求める。
 けれどその不満も、長くはつづかなかった。
「にしても、ここって綺麗ねぇ……」
 小さな村がコンセプトだけあって、先ほどまでの喧噪とは無縁の場所だ。
 行楽地特有の熱気もないここには、清涼な春の空気だけが残る。
 人出はそれなりにあるのだが、花と緑、そして水のなかを抜けてくる風は、どうやら副部長の疲れをわずかに癒してくれたようだ。
「しょ……、先輩?」
「ええと、ああ。こっちだな」
 行くぞ。そして向けられた背中について、水辺をたどるように歩いていけば、なぜか少しさびれた場所へと出た。あげくメインの道を外れ、細い道路を渡っていく。どう考えても建物など見えない方向へ進んでいるようだ。
 けれどどこへ行くのか正確に説明されないふたりは、ついていくしかない。
「花広場? ちょっと、神楽く……、え?」
 看板の表示を見ながらの追及は、そこでかき消えた。
 非難の声をあげていたはずの副部長は、その口を呆然と開いて立ちつくしていた。
「きれい……」
 突然開けた先は、一面のチューリップ畑だった。
 夕暮れ時。ライトアップさえされた世界は、幻想的ですらある。
 もはや彼女は、美しい花に見入る、ただのひとりの女性に戻っていた。
「余分に入場料、取るだけのことはあるか」
「……翔?」
 副部長がひとり花のなかに消えてゆけば、彼らもまたただの恋人同士になる。
 呼び方を変えた和真に、翔もやさしげなまなざしを向けた。視線がゆっくりとからまる。
「オンシーズンだけ、結局500円高いんだよ」
 くすっとゆるめた表情は、文句を言っている割にさわやかだ。
 今ならば、言えるかもしれない。それまでつぐまれていた【後輩】の口が、おもむろに開かれた。
「仲、いいんだね……」
「そうか?」
「だって、この花、見せたかったんでしょ?」
 ようやく告げることのできた言葉は、ひどく淋しく響いた。
 かき消えそうだったその声に、翔は困ったように目を細めた。風にかきみだされた髪を左手でかきあげながら、彼もまたちいさく吐息をつく。
「つか、どうにも頭があがんないというか……、だから」
 自分自身、なにか持て余すところがあるのか。彼にしてはめずらしく困惑した表情である。言葉に歯切れもなかった。
 けれど和真をみつめる瞳は、澄み切っている。
「一年、がんばってもらったしな」
 ようやく納得できる言葉をみつけたのか。
 そう言い切った翔は、いつの間にかずいぶんと遠くに行っていた彼女へと視線を流した。
「……もしかして、お礼のつもり?」
「わざわざ花を贈るような間柄でもないしな」
 ぶっきらぼうな口調は、たぶんシャイな彼ゆえのものだろう。その横顔はひどく穏やかだ。
 今日一日の不安がわずかずつ解けていくのを、和真は感じていた。
「そのために、わざわざ今日の企画を?」
「全部じゃないさ。ついでだ」
 ふっと笑いながら、語尾を強調する。
「ま、あいつも切り花って雰囲気じゃねぇし?」
 軽口につられて目線を揃えれば、遠く視線の先、一面の花のなかに活き活きと副部長は立っていた。
 たしかに、この世界のほうが似合う。
 色とりどりのチューリップは、その瞬間、まぎれもなく彼女のためにあった。
「……言わなきゃ、わかってもらえないんじゃない?」
「いいんだよ。俺が見たかっただけかもしれないし」
 ゆっくりと紡いだことばは、彼のなかにすっと馴染んでいった。
(そう、俺が見たかったんだ)
 感謝を示したかったんだ、自分なりに。
 書くことをやめても、ここにいたいと思えたあの部室。そこにはいつでも受け止めてくれる手があった。
 作り上げていたのは、まさしく彼女そのものだった。
 勝ち気で、ちょっと乱暴で。そのくせ家族のようにあたたかい。

『あんたは、マジで、ねーちゃんみたいだったよ』

 ざわざわとした風が、耳を打る。
 感謝を心のうちだけで告げながら、視線をそっと伏せた。そこには目にも鮮やかな黄色い花があった。
 飾り気のない、そのくせ確かに活きている、華のある ―― 花。
「合うのはやっぱ、チューリップだったな」
「へえ……」
「 ―― なんか、おかしいか?」
 くるりと向きなおりながら、彼はいつもの口調を気取った。表情も見慣れたものだろう。
 だから、ほんのすこし照れたような顔色は、沈みゆく太陽のせいだろうか。
「ううん、別に。強いていうなら、ヤキモチ?」
 言葉とは裏腹に、和真はふわりと春の風のように笑った。
 なおさらに夕焼け色を濃くした顔は、一瞬返すセリフをなくしたようだ。
「……ありがとよ」
「おいらはさ、あんたのそういうところも好きだよ」
「どこだよ」
 静かに沈む太陽は、苦笑をもやさしい色合いに染めていた。
 夕闇は、すべてをひとつに溶かしあわせる。どちらともなく伸ばした指先は、そっと触れ合った。
 けれどそんな時間はすぐに流れていった。
 照明が鮮やかさを益した頃合いに、今日のリーダーはその手を振り上げる。
「おーい! そろそろ行くぞっ。次期部長っ!」
「なに? 次期部長って」
「知らないのか? 副部長やったヤツは、自動的に翌年の部長になるんだ」
 そんな説明の合間に、その対象となる相手は駆けもどってくる。その表情は、もはやいつもの彼女だった。
 責任感にあふれた、飾り気のない姉御。
「やめてよね、その呼び方。急に老け込んだ気がするから」
「ま、名誉職みたいなもんだけどな」
 からかいも、常のものだ。
(おいらも、感謝しなきゃね)
 これからまた、ざわめきが来る。せめて最後の饗宴に、花を添えよう。
 和真は、微笑みながら景色を一瞥した。

 はなむけとなる、一面のうねり。
 そよぐ風に、チューリップは柔らかく揺れていた。





副部長の名前は決まってるけど、ヒミツ
想いだけは、実話かも(笑)




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