041:デリカテッセン。




  ―― 春、うらら。
 日だまりの心地よさから、なだれこむように愛を確かめるのはいつものこと。
 しかし、その後に起きるのは、何も睡眠欲求だけではない。
 和真はいま、そのいつもとは異なる欲求に、ひどく悩まされていた。

「腹、減りましたぁー!」
 そしてその訴えは、多大に力強かったようだ。
「元気だな……」
「そりゃ、運動しましたから」
「俺もだよ。だから?」
 どうやらもうひとりの男には、睡眠のほうが必要らしい。ごろごろと床に転がったまま、開けたのは薄目くらいだ。
 けれどここで眠っては、空腹はけっして癒されない。
「だから、夕飯は? なに?」
「サラミの躍り喰いにでも、しとくか?」
 畳みかけるように覆い被さってきた相手に、男も負けてはいられないと思ったようだ。むくっと起きあがった顔は、タチの悪い笑顔にほかならない。
「へ? 何それって」
「コレでも喰っとくかってコト。言っておくが、噛むなよ」
 指さした場所は、言うまでもないだろう。
「 ―― 味は、濃いだろうけどね」
「どうだ?」
「飢えてるからね、喰いちぎるよ」
 ギロリと睨まれ、さすがの男も降参したようだ。ホールドアップの体勢が、即座に示される。
「おー、コワ。んじゃ、作るかぁ」
「待てません」
 全然こわがってないくせに。即座に立ち上がった相手の内心を読みとって、和真はささいな意地悪心をみせる。
 けれど思うような反応は得られなかったらしい。
「コレでも喰っとけ」
 ひょいっと投げられたのは、ビールのつまみによくあるジャッキーカルパスだった。
(本当に、サラミっすか。あんた……)
 あきれながらも、彼は袋をあける。決してキライなものではないのだ、このコクも濃い味も。
 だからこそいつも男が、リビングに常備してくれているのだろう。
 けれども所詮はつまみ程度のものだ。
「少ない ―― ちいさい……」
「デカイのは、俺ので十分だろ?」
 グチのような訴えに、ダイニングで準備をしながら男は飄々と言い放つ。しかし次の瞬間、その背中には強い衝撃が走った。
 ぶつけられたのは、どうやらさっきの袋らしい。足下にバラバラと、ミニサラミがちらばっている。
「……痛えだろうがっ」
「自業自得!」
 手元に残していたらしい分を食べながら、和真は目をつり上げている。
 フーッと息を吐いているあたりは、まるでネコのようだ。
「つか、食い過ぎたら、メシいらなくなるだろ」
「あ」
 あまり思いやりは通じていなかったようだ。ため息がひとつ、攻撃を受けた者からこぼれおちる。
「拾っておけよ」
 後始末は本人にさせるつもりらしい。しつけは大切だということか。
 間延びした返事とともに片づけをはじめる相手をよそに、元凶はすみやかに冷蔵庫を覗き込みにいくのだった。

「このくらいかな……」
 ぽんぽんと取り出されたのは、どれもこれもフリージングパッケージだった。
 在宅仕事をつづけるうちに、いつのまにか料理が趣味のひとつになってしまった男だ。冷凍してある料理などいくらでもある。
「ほらよ。これも運んでくれ」
「はーい」
 組み合わせを考えれば、あとはパックから出してレンジでチン。
 その状況に、カルパスを拾い集めていた和真も手伝う気になったらしい。ぱたぱたとふたり動き回り、レンジが必死に働けば、ディナーの準備はすぐに完成だ。
「うわー、早っ!」
「そりゃそうだろ」
 所狭しと並んだ皿はほかほかと湯気を立てて、いかにもおいしそうである。その量からして、どうやら男も十分に空腹だったと思われる。
 ふたり向かい合って箸を手に取れば、あとはほぼ無言になるはずの状況だ。
 しかしそのタイミングは、するりと逃された。
「これって、デパ地下グルメっぽいよね?」
 唐突なコメントに、男の箸は宙にとまった。
「デパ地下グルメ?」
「うん。最近、病院でよく聞くんだ。帰ってすぐ食べれて、便利って」
 くるりとテーブルを見回した相手は、ぱくりと唐揚げを口へと放り込んだ。
「最近の女は……」
「働いてて、忙しいからね」
 もぐもぐと口を動かしながらのそれも、確かに納得できなくはない。
 とはいえ、ついついため息がもれるのは、ともにあるためだけに在宅仕事を選んだ彼ゆえか。
「お前専用なんだ、そのあたりのデリと一緒にするな」
「でもなんか豪華だし。グルメではあるよね」
 せめてもの苦情は、嬉しげな笑顔に飛ばされていく。
(まったく、お前にはかなわねぇな)
 その表情のために料理が趣味にまでなったのだろうと、密かに男は自覚している。
 微笑みには、むかしから弱かった。回想までしかければ、なおのこと視線を離しがたくなる。
「食べないの?」
「……喰うよ」
 さすがに見つめすぎたのだろう。怪訝そうなうながしに、男も箸を取る。
「おいしー。そういえば、ねえ」
「なんだ?」
「デリって、デリシャスのデリ?」
 空腹感もどこへやら。気を取り直して持ったはずの箸は、またもやゆっくりとテーブルへ戻された。
「……デリカのデリだろ。総菜」
「え? でもデリシャスのほうがいいのに」
 良い悪いの問題ではない。けれどどうやら相手にとっては、このうえなく重要なことであるらしい。箸を口にくわえたまま、ぶちぶち呟いている。
 この天然さが男にとって頭痛の種であるのは、自明の理だ。
「それじゃ、ウチのデリはそういうコトで!」
「 ―― いいから、さっさと喰え」
 こめかみを押さえながら、男はその鋭い視線を相手へと流した。
 けれどそんな必要はどこにもなかったようだ。宣言を終えた和真は、すでに目の前の料理に釘付けになって、あれこれとつつきまわしている。
「へへ、どれもやっぱりおいしい」
「そりゃ……、よかったな」
 天然ゆえの愛らしさ。その幸せそうな表情につかれたちいさな吐息は、多分に重くなかっただろう。
「ウチのデリ、か」
「え? なんか言った?」
「なんでもない。冷めるだろうが」
 愛しい相手とともに過ごす、夕食。
 そしてふたりは、笑顔をこぼれさせつつも無言になっていった。


『ウチのデリ』
 その言葉自体が、なんとなく幸せな称号。




059:『グランドキャニオン』の続き的な話。
速攻書いたので、粗いかも。ゴメンナサイ。
でもまだ“みやび”はいないらしい……(笑)




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