こんな日も、きっとアリ!



『闇鍋しないか?』
 そんな唐突な誘いを受けたのは、まだ春とは名ばかりの二月の初旬だった。
「俺、アレルギー持ちなんだけど」
『大丈夫だって。それくらいみんな知ってるから』
「……憂さ晴らしに、入れてくれるなよ?」
 少量でも口にしたならば、冗談では済まないコトになる。電話口だというのに、俺は思わず片手で拝んでいた。そんな念押しに効果はあるのか。
『大丈夫だって。ベースはつくっておくからさ』
 こいつの太鼓判ほどロクな物はない。だが親友のことばを信じて、というよりもなかば押し切られてだが、俺は一応その企画に乗ることになった。
「で、なんだって? 結城先輩」
「闇鍋だとよ」
「……相変わらず、よくわかんない人だね」
 となりで電話の終わりを待っていた和真は、呆れをあらわにした顔をしている。しかしこれは、電話の相手に対してか、それとも。
「行くんだよね、おいらも」
「当然」
 つきあいがいいのは、こいつも同じ。断言してやれば肩が落ちた。
「さて、おまえはなに持ってく?」

 決行は214日。互いに秘密を持つのも、たまには悪くない ―― 。



「なんかさ、すげぇ甘い匂いしてんだけど」
「ああ。デザートみたいなものだから。気にするな」
「そりゃ無理だろ……」
 そしてまだ冬の短い日も暮れない時刻。玄関先でもうひとりの参加者であろう政人と会った俺たちは、確信にかわったイヤな予感に顔を見合せていた。だが返されるのは、曖昧な微苦笑ばかりだ。
「じゃ、そこに適当に座ってて」
 鼻歌まじりの相手に誘導されたのは、こたつの前。いまはまだそこに鍋はなく、コンロだけが置かれている。確かに冬の鍋物には、この席が似つかわしい。
 だがそれもこれも普通の鍋だったらの話だ。今日が指定された段階で気づくべきだった。
「で、いまから運んでくるわけね」
 徐々に強くなる甘さ。だがいまさら逃げ出せはしないだろう。
 そして電気が落とされる。
「こんなことだろうと思ったぜ……」
 ため息をついたのは、俺だけではなかっただろう。もはや目の前の鍋がなにであるか、全員が気づいている。だがみな銘々に持ち寄った物は素直に入れたらしい。
(ふん……、おまえも驚きやがれ) 
 タダで笑わせてやるつもりはない。俺もまた自爆覚悟で持ってきたものをすべてぶちまけた。
「さて、それじゃ食べよっか」
「ああ」
 くすくす笑いのゴーサインは、もちろん根性ワルな主催者のもの。開始以前から進まない箸は、それでも鍋へと次々に伸ばされていった。
 そしてしばらく興奮と緊張がつづく。
「……なんにもひっかからねぇぞ?」
「そうですね。箸先は重たいんですけど、みつからない」
「もう全部とけちゃったとか」
 全員がそうして鍋をさぐっていたらしいが、たまにぶつかるのは互いの箸ばかり。誰一人として口に運べた者はいない。
「なあ。おまえら、いったい何入れた?」
 痺れを切らしたトモが、闇鍋での禁句を発する。そして一番に返された答えは。
「へ? おいら、おろしショウガ……」
「ショウガ?」
「だっておいらショウガ好きだし。寒いから暖まっていいかなーと思って」
 なるほど、一理はある。それにこいつは、みそ汁にだってショウガ入れるヤツだった。
 あれはいただけないが、まあ鍋にはかなり合うだろう。
「闇鍋に、おろしショウガ……?」
「刻みでもよかったんだけどね、面倒だったから」
 エヘヘと笑っている和真と、思い切り首をひねっているトモの雰囲気は、暗闇でもわかりすぎる。
 だがこのままでは埒があかないと踏んだのだろう。
「もう! 電気つけるよー」
 そして一気にあかるくなる室内。明順応するまでにしばらくのタイムラグが必要だった。
 みながそうして鍋を覗き込み、絶叫したのはやはりこいつだった。
「この赤いのはなんだよ!」
「七味、つかほとんど一味だな」
 一本すっきりぶちこんでやっていた俺は、ラベル付きの空瓶を投げてやった。
「なんで闇鍋にそんなもん入れるんだよっ」
「いや、ベースはつくっておくっていわれたから。それ変えてやろうかなと……」
 味付けをぶちこわしてやれば、元を知ってるこいつを一番おどろかすはず。絶対『ベース』になにかあるだろうと思っていたからの作戦だ。俺は激辛好きだしな。
 そしてそれ自体は見事に成功した。
 だが混ざりにくかったのか。表面を真っ赤に染めるそれは、実行犯の俺も一瞬びびる光景だった。
「そういえば、政人は? なに入れたの」
 赤色な鍋自体は、俺のせいで見慣れている和真だ。その問いは周囲を無視して、邪気がない。
 一縷の望みをつなぐように、主催者もまた問われた相手の顔をみやる。
 だがその相手は、こんなバカな企画を立てる男の恋人なのだ。
「山椒、です」
「……信じらんねーっ!」
 さもありなん。バッタリと床へ倒れ込む姿は、ひっかけられかけた俺たちには胸の空く光景であった。人を呪わば穴ふたつだ。
 だがその間も甘い匂いを漂わせる鍋は、ふつふつとあたためられつづけている。
「そういうもんは、皿ごとにつける風味だろ?」
「だから俺はそれを入れたんです!」
 恋人ゆえに安全志向も極まれり。俺らは主催者を鑑みて、危険回避をはかっていたわけだ。
「闇鍋って、そういうもんじゃないだろー!」
「だったら『キムチ鍋の素』とかのほうがよかったか?」
「それって闇鍋じゃなくて、単にキムチ鍋にしちゃう気だったんじゃ……」
 ニヤリと追い打ちをかける俺に、和真の天然が援護射撃をしている。
「……俺ひとりがマトモだったってことか?」
「残念だったな」
 企画は悪くなかった。失敗は、いかに自分が信用されざる存在かを忘れていたことだ。
 しかし闇鍋のあとには、普通にチョコフォンデュを予定していたのだろう。床の上に山と置かれたカットフルーツが哀れに映る。
「まあ、いいじゃん? 今年の流行りチョコってジャパニーズらしいし」
「でもブレンドは、ちょっとヤバそうだよね……」
 それはそうだ。ただよう香りはもはや甘いとかいう代物ではなくなってきている。
「そんじゃ、区画ごとに喰ってみるか?」
「とりあえず、火とめませんか」
「なんで?」
 首をひねる和真に一瞥をくれてから、政人はため息とともに訴えてきた。
「加熱してると、匂いも強いだろ。だから」
 そのままヤツは手を伸ばして、火を消した。鍋はまだふつふつとして湯気をたてているが、徐々に沈静化していくだろう。
「冷めたらちったあマシになるかもな」
「冷まして固めてしまえば、味は混ざらないでしょうし」
「ああ。それこそ流行りモンにしちまうってことか」
 入っているものに差はないだろう。あとは加熱しすぎたチョコがどうなるか。
 だがフルーツにつけて喰うよりは、マシだろう。
「おまえら……それ、喰う気か?」
 唖然としたまま、ようやくトモは起きあがる。さまよう瞳は否定をどこかに探していそうだ。
 だが闇鍋は手にしたものを食べきるのが、最大のルール。
「当然だろ、闇鍋なんだから」
「もちろんあんたもですからね」
 きっぱりと言い切る政人は偉大だった。
「じゃあ固まるまで、こっちの果物たべてていい?」
「……いいんじゃないか? うん、いいぞ」
「あ、これおいしー」
 そして、何事にも無頓着な和真は、そんな場の雰囲気をものともせずイチゴをほおばるのだった。

 それからしばらくののち。どうにか底が見えたことにより、闇チョコフォンデュは終了した。
「すげぇもん、喰わされた……」
「おかしな企画するからですよ」
 責任からか、それとも恋人である政人のチクチクとした視線のせいか。
 人一倍消費にいそしみ床へと果てたトモに、ひとり残った政人はグラスの水を差し出した。
「ありがと。あと、ごめん」
「慣れましたから」
 原因がどこにあるかはともかく四人でいれば、確かにこの手の内容は多すぎる。
 だがどんな内容でも、みんなで過ごそうという想いの表れ。今回は彼なりにチョコをあげようということだったのだろう。返り討ちにあった感は否めないけれど、それもありなのだろう。
「でも、まあ楽しかったですよ」
 すがすがしくくたばっているのならば、そう告げてもいいだろう。
「ホワイトデーにでも、リベンジしてやる……」
「せいぜいがんばってください」
 くすくすと笑いながら、政人は鞄をあさって包みを引き出した。ガサガサとラッピングをはずせば、現れたのはやはりこの日ならではのもので。一粒つまみあげたそれは、綺麗な艶を放っていた。
「俺からです。あんたからももらったから」
 そうして口元へと運びかけた指は、なぜか戸惑いをみせた。そんなしぐさに、食傷気味なはずの唇はすっとゆるめられた。
「市販品だから、安全ですよ。でも、ただ」
「え、なに?」
「これもいわゆるジャパニーズなんですけど……」
 瞬間凍りついた顔は、口にしていたチョコをかみ砕いたことで一気に溶けた。
「うまいっ!」
「やっぱりチョコはチョコ屋に任せておきましょう」
 政人も一粒つまんで、にっこりと微笑んでいた。

 そんなふたりのやり取りなど、だが帰途についていた俺たちはもちろん知らない。
「ああ、おもしろかったなー」
 久しぶりのバカ騒ぎにちょっとばかり浮かれ気味。
 そんな俺のテンションは、部屋のソファに転がってもそのままだった。
「でもおいしくはなかったけどね」
「ショコラティエがつくったら、ちがうんかねぇ……」
 売れ筋というのにあの味では、現代日本人の味覚はかなりヤバイ。刺激に飢えてた俺にも、理解したくないものだ。定番の良さってのは、やっぱりあるもんだ。
「で、きっとあいつらはいまごろ口直しの最中、と」
「ちょっと翔、オヤジくさいよ」
 リアルな想像はお断りだが、たしなめられても下世話な発想はとまらない。
「俺らもしないか?」
「それもいいんだけど。まともなチョコも食べたくない?」
 ひょいと渡されたのは、ボンボンチョコ。
「準備いいね、おまえ。さすが」
「バレンタインだからね」
 ならば中に合わせた酒でも片手に、バレンタインらしさを全うしてみるか。
 不気味なチョコで腹はふくれているから夕飯はパスだが、それくらいならいいかもしれない。なにせまだまだ冬の夜は長いのだから。
「じゃあ氷とグラスでも用意すっかな」
「おいらはココアのほうがいいな、あったかいの」
「わかったよ」
 ひょいと立ち上がるついでに、一包みほどいて口へと投げ込む。
 溶けるチョコの壁からあふれるアルコール。こんな定番の刺激が、俺らには似合いかもしれない。
「じゃ、これが俺からのチョコレート」
 ホットショコラには、もらったばかりのボンボンをひとつ溶かしてやった。




やっぱ、ダメっすか? こんな鍋……。




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