おいらちゃん、争奪戦!



 あの事件のあとから、和真はショウのおまけではなくなっていた。
『絶対におもしろいコだって、あのコは!』
 類は友を呼ぶというべきだろうか。翔の周りには、なぜかおもしろいもの好きが集まっていた。そんな彼らが口々に呟けば、あっという間に噂は広がる。
 おかげで、あの日の密かだったはずのやりとりも尾ひれのついたウワサを呼び、それなりに店内で一目置かれる存在になってしまったのだ。
「ねえ、どこか行こうよ」
「おいらは、行きませんって」
「つれないなぁ、どうして?」
 口々に誘いをかけるのは、ショウ曰く、その場限りの友人たち。ターゲットは手頃な女性たちと決めているはずの男たちだ。
 けれど彼らは今宵、しつこく和真にモーションをかけつづけていた。まだ夜本番には早いとはいえ、引き際は心得た、無駄足など決して踏まないはずの彼らがである。
 あげく断られても、みな一様に愉しげだ。
「だって」
 もはや和真も翔の影にいることなく、自由に言葉をかわす。
 その前振りに、うんうんと周囲はうなずきを返した。次の発言を待つ姿は、子供のように期待に満ちている。
「あのひとからかって、楽しんでるだけでしょ」
 その回答に、ゲラゲラと笑いの渦が起きた。互いの目線も楽しげに絡み合っている。やはりおもしろい相手だという、共通意識の確認だ。
 けれどまだまだ予測範疇を超越したというレベルではない。
「だけってワケでもないかなぁ」
「そうそう、だけじゃないよ?」
 否定をしないあたりが、割にうまい言い回しだ。ふたたび軽い笑いの波が、あたりをさざめいていく。
 そんなやりとりの輪を傍から眺めるのが、今宵の翔であった。
(やたら面倒起こしといて、これかよ……)
 深いため息のひとつやふたつ、どうしたところでこぼれ落ちる。
 けれど彼とて無類のおもしろいもの好きだ、現状を愉しんでいる自分を偽れない。それゆえの放任なのであろう。
「……じゃあ、一回されるなら誰を選びます?」
 しばらく考え込むそぶりを見せていた和真は、やはりみなの予想を良い意味で裏切らなかった。
 くりだされたのは、突飛な質問だ。あげく『なにを』という目的格が抜けていた。けれどこの場では、する、もしくはされると称されるものなど、暗黙のうちに決まっているのだ。
「そりゃ、やっぱ。なあ」
「ショウだろうなぁ」
 自分より上を行くと認められる相手じゃなければ、受け入れられないだろう行為。
 なんだかんだといいつつ、彼らもショウを認めているのだ。
「じゃあ一回だけするなら?」
「……ショウ、かな」
 つづけざまの質問にも、おなじ相手の名前があがる。男たちの視線は自然、その相手へと向けられていった。
(勝手に人を引き合いにだすなってんだ……)
 微妙なまなざしを受け、翔はすっと体をかわした。いくらおもしろいこと好きとはいえ、こんな会話に加わる趣味など持ち合わせてはいない。
 げんなりとした彼はツッコミどころか聞き耳すらも放棄して、ひとり酒盛りにはいっていった。
「ほら、やっぱり。だからみんな関心あるのは、あの人ってことでしょ」
 そんな男の様子など、気にすることもないのだろう。和真は勝ち誇ったように胸を張った。
「うーん。っていうか、あれは一回きりで十分だけど」
「キミだったら、一回じゃなくてもいいから」
 その言葉だけで、形勢は一気に逆転させられた。
 口がうまいのは、ここに集まる人間の特徴なのか。はたまたこの仲間うちのものなのか。挑発的に笑いかける姿は、どことなく彼らのリーダーの表情に似ていなくもない。
 ささやかな類似点に、和真はつい口元をほころばせてしまっていた。
「ねえ、だからさ。たまにはどっか行かない?」
 そんな隙をつくように、ふたたび誘いの声ははじめられた。
「……っていうか、ココ、うるさいじゃん」
「真夏にあんま暑苦しいのも、うっとおしいってね」
 熱狂的なのは、どうやらパスということだろう。今日はめずらしくも、彼ら全員がこの場所に疲れを覚えているようだった。
 理由がわかれば納得できなくもない。それはむろん、和真とて例外ではなかったからだ。
「……っても、どこ行くんです? こんな時間に」
「そうだなぁ」
「ゆっくりできるとこだから」
 わざとなのか。そこでいったん言葉を区切り、代表のように告げた男はぐるりと周りを見回した。どうやらつづきを促しているらしい。仲間内で交わすそんな視線は、ニヤリとかるく笑っている。
「もっとしずかなバーとか」
「けっこうイケるパスタ屋なんて、どう」
 ほのかに保護者を窺ってからの誘いは、意外なまでに一般的なところからはじまった。
 そんな全体の動向に、翔はいつもどおりのポーカーフェイスを保ってみせた。さきほどまでの話題よりはマシということか、とりあえず視線を無視して成りゆきを見守るつもりらしい。
「やっぱいまは夜カフェでしょう」
 アルコールは飲めないし、別段いまは空腹なわけでもない。和真の反応は鈍かった。
「たまには、ビリヤードとかだって、いいんじゃない?」
「いまはそれなら、ダーツだろ」
 誰が落とせるのか、競争意識もあるのだろう。気もそぞろなターゲットの気を引くべく、提案に慣れた輩は酒から喫茶、そして遊びへと、次から次に新たな呈示をしていく。
「つか、いっそオールでカラオケとか?」
 カチーン。その提案に、和んでいたはずの場は一気に凍りついた。
「……は、ダメだよな」
 口にした本人も、すぐに悟ったらしい。つづけられたその撤回の言葉に、みなが素早くうなずきをみせる。その顔にふざけの色はない。
 絶叫だけで暴漢を倒した和真の逸話は、いまだ誰の記憶にも新しいかったのだ。
「え、なんでです?」
 きょときょとと見回す当人だけが、その状況を認識してはいないようだ。それなりに乗り気そうな雰囲気に、なおさら周囲がひきつっていく。
「そ、それよりさ。まったりとマンガ喫茶は?」
 あわてふためきながらの提案は、彼らにしてはめずらしすぎる内容だった。
「うんうん。そう、マンガきっ……? なんだよ、それってー」
「知らないのか?」
「いや、知ってるけどさぁ」
 よほど焦っていたのだろう。つい同意しかけた男は、ようやく認識した内容に肩を落としていた。黙々とマンガを読むだけの場所など、会話もまともに出来はしない。隙あらばと狙う者にとって、決して有利な場所ではないのだ。
「最近、かなり流行ってんだぞ」
「だからってさ。ねえ、どう……」
 憤慨してくる相手に対しため息もあらわに、一応のお伺い的に和真へと向き直る。むろん拒否や冷笑を期待してのものだ。
 けれどその声はあっさり尻切れた。
「じゃあさ、どのあたりに行く?」
 変わり身の早さも、超一流。一瞬前まで小馬鹿にしていた男は、すぐに態度をひるがえした。わくわくと期待に満ちた瞳の輝きは、誰の目にも明らかだったのだ。
 そうして話も適当にまとまったらしい。
「じゃあさ、行こうよ」
「……行くでしょ? あんたも」
 肩を抱くように廻された腕をふわりとかわし、和真は独りの男の前にちいさくかがんだ。
「へいへい」
 こんな熱気とおさらばしたいのは、彼とても同様なのだろう。
 ゆっくりと立ち上がりながら、彼はグラスの中身を飲み干した。すぐに氷が溶けてしまうのか、スコッチの匂いは少しだけ水っぽかった。
「カラオケだったら、俺もお断りだったがな」
「なんで、そんなイヤがるかな……」
 ネコのような瞳に上目遣いで覗き込まれながら、翔もまた同じく店を後にするのだった。



 そうして連れられた店は、マンガの多い喫茶店を想像していた和真には意外な場所であった。
 おまけにしては大量に設置されたネット用のパソコン。立ち並ぶ本棚に揃うのはマンガ単行本だけでなく、各種ファッション誌や情報誌のような雑誌まで網羅されている。あげく喫茶店といいつつ、いつの間にかセルフが当たり前になっているのだろう。ドリンクはすべてフリーバー形式だ。
「……なに? この部屋」
 そしてなによりも店内のインテリアや家具の配置に、彼は眼をみはらされていた。
「あ、やっと戻ってきた。ここね、キミの席」
「え? あ、ありがとうございます」
 キョトキョトと見回っているうちに、彼の席はしっかり定められたらしい。
 ブースとなったそこは、三方向をしっかりかこむ衝立にちいさめな机。そしてぎりぎりだがふたり分らしきソファがひとつあるだけの場所だ。
「なに見てるか、隠したいひとのために出来たんじゃない?」
 肩越しに覗き込んできた者の笑いは、酔っぱらい特有の雰囲気をにじませている。そのままべったりと貼りついてきそうだ。
「おい、どけって。だからさ、落ち着いて読めるでしょ」
「そう……ですね」
「俺、だからいつもここ使うんだよ」
 まとわりつく男を追い払ってくれたのは、マンガ喫茶行きを提案した者だった。どうやらここは、彼にとって馴染みの場所のようだ。
 隣の席が近すぎるのが難点だが、確かに見知らぬ他人に覗き込まれるよりはマシかもしれない。照明も十分だし、小洒落た雰囲気もなかなかだ。なにより本がしっかり持ち込めるゆとりがある。
 せっかくのマンガ喫茶なのだ。席よりもやはり本。通りすがりに眺めてきた棚の品揃えは、マンガだけに限ってもかなり充実していた。
「あ、そうだ。あれ読もうっと」
 にこにこと嬉しげに行動しはじめた彼は、瞬く間に目的のマンガを積み上げていた。もちろん無料ドリンクもしっかりセットして、読書体勢の準備に余念はない。
「ここ、いてもいいよね?」
「はい」
 となりには既にこのブースを指定席としているらしい男が座っていた。
 しかし別に気にとめる必要はない。和真はすみやかにページを繰りはじめた。
「ねえ、それってそんなにおもしろい?」
「ええ」
「へえ、そうなんだ。どんなふうにかな」
 その問いに答えは返らなかった。しかし冷たくあしらっている意識さえ、彼にはないようだ。
 元が本好きの文芸部員なのだ。ものがマンガであろうとも、読みはじめれば気遣いなど介入する余地はない。
「げ、なにこの展開っ!」
 ざくざくと勢いこんでめくれば、あっという間に半分ほどを読み終える。
 ときに驚き、ときに笑い。不気味なまでにどっぷりと彼は本の世界へと嵌りこんでいた。微妙に押しつけられる腕すら、無意識に押し避けている。
 そんな相手と長時間ともにいられるはずもない。しばらくののち、すごすごとその場所を立ち去る男の姿がみとめられるのだった。
 むろんその空席はすぐ、そんな彼の新たな仲間に占められたのだが。
「……バタバタうるさいなぁ」
 数冊を読み終え、一段落ついたのか。彼はしばし空席となっているとなりに、ため息をついた。
 本は集中して読み込みたい性分の彼だ。ずっと読みたかった本をせっかく積み上げたというのに、入れ替わり立ち替わりで、ブースの価値は半減である。かえって落ち着かないというものだ。
 その原因がまさか自分の行動にあるとは、ついぞ考えつかないのが彼であろう。
「外のほうが、もっとうるさいぞ」
「あれ? 先輩」
 ふたりきりならば問題はないだろう。そんな油断から、いつもの呼び名が口を突いて出ている。
「せっかくだから、新刊でも読もうと思ってさ」
 これまでいったいどこにいたのだろう。現れた翔はアイスとホットそれぞれの紅茶を載せたトレーと、そしてPC専門誌を手にしていた。
「ふーん。おもしろそうです?」
「いや、さっきまで別の見てたから」
 となりに座ることもなくトレーだけをおろすと、彼はパラパラと雑誌を流し見はじめた。利き手のせいか、それは後ろからめくられている。けれど具合を眺めているだけなのか、まったくよどみはないようだ。
 そんな背後の様子を気にかけながらも、和真は元通り本へと向き直った。
(あれ? そういえば……)
 これまでのみんなは本を手にしていなかった気がする。ならば出入りが激しいのも道理だろう。
 しかし彼ならば、集中力については折り紙付き。きっとこれ以上人が変わることもないはずだ。
 今度こそ静かに読めそうだ。そう新たなマンガを手にした瞬間だった。
「……密室じゃないと思ったら、大間違いだぞ」
 ぼそりと上方からかけられた声は、まわりに聞こえないよう、手にした雑誌で遮られていた。
「そうですね」
 肩を竦めてみせた和真は、ぐるりと仕切りの壁を見回す。
 衝立とはいえ、高さは天井には届かない程度ぎりぎりまでしっかりある。入り口側の壁も部分的には囲い込まれ、ソファの背もたれも首まであれば、中などたいして覗けはしない。
「こういう部屋があるなんて、知らなかった」
 マンガに誘われたというのが本音ではあるが、開けた公共の場ならば暴挙に出られる心配がないと思っていたのも事実だ。
「まあ誘う気じゃないなら、せいぜい気をつけろよ」
 あっさり見抜かれていたことに、恥ずかしさも増してくる。そこへ背中越しでも明白に、鼻先でせせら笑った風情が伝わえられてきた。
「言われなくても……っ!」
「あ、これ俺も見たかったヤツ」
 けれど反駁のタイミングは外された。
 どうやら和真の読みふけっていたマンガは、自身の持ってきた雑誌などより気になる作品だったらしい。忠告もそこそこに、彼はとなりのスペースへと滑り込んでくる。
「おい。早くその巻めくってくれ」
「え? ああ、はい」
 和真の持ってきた本なのだから、彼のペースで読めばいいはずだ。しかしついこんな不条理な命令にも従ってしまうのは、この相手の後輩であるゆえか。
 なににせよ、ようやく落ち着いて読書ができるのは事実だ。
「だー、おまえ読むの遅い!」
「すみませんね……」
 リズムが合わないのは、まあご愛敬であろう。狭いソファに並んで、彼らはしばし一冊のマンガを覗き込みあうのだった。
「やっぱ、おもしれー」
 ふうっと吐かれたため息は、途中からその本を読みはじめた男のものだった。
「つぎ、どうなるんでしょうね」
「わかんねぇな。だからイイんだが、この作者」
 そしてふたりは裏表紙をながめながら、小休止とばかりにドリンクへと手を伸ばす。氷の溶けた紅茶と、冷め切った紅茶。けれど味などはいまの彼らにとって無意味なものだった。
「じゃあ、次 ―― って、わぁ!」
 勢い込んで次の巻へ腕を伸ばした和真は、あまりに間近にあった顔に驚いていた。
 つい先程までは、もっと近くに寄せ合っていたはずのものだ。そう言い聞かせたところで、一度はずんだ心臓はたやすくおさまらない。
「なんだ?」
「いえ、別になんでも」
 否定の声はわずかに弾んでいた。それを聞き逃すほど、翔も鈍くはなかった。
(なるほどね……、慣れないヤツ)
 わずかなことに動揺してくれたこんな反応をシカトしては、おもしろいこと好きの名が廃る。すっと眇められた目つきは、色づいた肌を前にして喜色に富んでいた。
 マンガなどよりも刺激的なのは、やはり生身の反応だ。常に予想外の行動を返してくる相手ならばなおさらだろう。
「な、なに?」
 近すぎる顔を背けようとしたのだろう。しかしそのおかげで、彼はおあつらえのネタを見いだした。それは男にしては細めの首に残る、ちいさな痕であった。
 無言のまま、ひたと視線を据えれば、相手の焦燥は煽られる。
「なんですってば」
「……痕、消えかかってるな」
 荒くなった語気に重ねるように、吐息で囁く。耳元だったせいか、それとも内容になのかはわからない。けれど首筋とその痕は、びくりと反応をしめしてきた。
 重ねて施したとはいえ、週に一度ではすでにうっすらと色が残るのみ。誘われるままに、彼はその場所へと歯を立てていった。
 あがるのは小さな声。そして細く糸をひいたままの唇が、楽しげに歪んだ。
「おい、次の巻は?」
「あ、うん……」
 問いかけは、いつもの先輩風だけをにじませている。呆然としている和真は、操られるようにそのマンガを手に取った。指先は意識することなくページをめくりはじめる。
 そして彼らはまた、同じく一冊へとその視線を落としていくのだった。
「おまえ、信じられねぇくらい読むの遅いぞ」
「あ、うん……ごめん」
 もはやページなどいくら繰っていたところで、なにひとつ頭には入ってこない。和真は首筋に残るかすかな痛みだけを感じていた。ほかではせいぜい、耳まで響く鼓動がうるさいだけだ。
 それでも必死に本をかまえている。けれども、狼狽えているのは誰の目にも明らかであった。
「まあ、いいさ」
 そんな和真の様子にほくそ笑みながら、その原因は楽しげにマンガを流し読みする。けれどもはや彼の目もとなりの相手に釘付けだ。遅すぎるペースもいまはありがたい。
(まったく、この程度でひっかきまわせるってのに)
 そして彼は思い出したように、背後へとこっそり手を振ったのだった。
「チッ、バレてたらしいな」
 ちいさな舌打ちは、衝立の向こうで鳴らされていた。
「……ったくよぉ、おい。帰るか」
「そうだな。あいつがいなきゃ、ちったあ遊び甲斐だってあるかもしんないしな」
 いつまでも覗いていたところで、それがバレていたのではからかいのネタにもならない。
 それくらいならば、今宵の一対一デートの相手を漁るほうがずっと良い。あのショウがいなければ、常より上質な女を手にできる可能性もあるのだ。
「さて、ちょいと遅くはなったけれど」
「これはこれで、おもしろかったろ?」
 手早く自分たちの分だけ精算を済ませて外へと出れば、まだまだ世間は派手なネオンが鮮やかだ。
「まあ、な」
 こんな遊びも悪くない。共通の認識が、笑いを見交わさせあった。
 刺激に飢えつづけているのは、なにも翔だけではないのだ。
「じゃあさっさと行くか」
「ああ、そうだな」

 そして真夏の夜は更けていくらしかった。




500hit記念。【おいらちゃん、争奪戦】がお題でした。

設定的には、029:『デルタ』のあとに来る話ですが、
イメージ的には、013:『深夜番組』の系列になります。
メインキャラたちは、どうにも取り合いそうになかったので、
例の遊び仲間たちで(笑) 意味不明な点各種は、後日
『デルタ』等がアップされたら埋まるハズ……です。

結城さま、リクエストありがとうございました。





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