「なあ、ケーキ屋行かねぇ?」
「……はい?」
 ごろりと床に転がったままの誘いは、どうにも耳を疑うものだった。
「いや、だからケーキ屋」
「あんた、甘い物なんて好きだったっけ?」
「嫌いじゃないぞー」
 胡乱に見返した目は、二重否定的な答えにますます険を持つ。愛猫を腹に乗せ、曖昧な笑みを返されたならばなおさらだ。 
「イマイチ、っていうよりかなり嘘っぽい」
「そうか? アイスだって、かき氷だって喰うし。和菓子もプリンも喰うぞ」
「……それは確かに。でもケーキは無理だね」
 切り捨てるべく吐いた答えにも、彼の手は猫の毛並みを撫でるばかりだ。やさしげなその指先がなおさらの苛立ちを誘うと、どうして気づかないのだろうか。
「だってあんた生クリーム嫌いじゃん」
「まあ、そうなんだがな」
 そっぽを向きかけた目は、だがふと惹きつけられる。ぴょんと飛び降りる毛糸玉、そしてすっと起こされた上体。
「とりあえず、綺麗じゃん。なんか買うならって、ほら」
 差し出された掌は今度こそ自分のためのものだ。仕方なさげに装いつつその手を取る。
 内心でケーキなどより、そうして微笑んでみせた彼の顔のほうがよほど綺麗だと思いながら。


 運転手は彼。そうしてとまどいなくお気に入りのショップの駐車場へ車は滑り込まされた。とはいえ彼が気に入っているのは、自分がここの味を喜ぶからだ。
「アップルパイなら食べる?」
 それでも何か嬉しがるものはないだろうか。チャイムが軽やかに鳴る扉を押して入れば、色彩豊かなケーキがショーケース一杯に広がっている。
「げ。俺、あれ大嫌い」
「なんで? 生クリーム入ってないのに」
「ニッキが嫌ぇなの! あ、シナモンか」 
 さすがにパティスリー内ともなれば、菓子に対する非難はなんであれ声を潜めるべきだろう。その程度の分別は興奮しかけたからといって、彼が失うものではない。
「甘い菓子に、なんで辛いっていうか臭いっていうか? あの風味をつけるのか、全然理解不能!」
「そういえば、前もそんなコト言ってたような……」
「シュークリームの皮だろ? あのバター塩っからいのがイヤだ」
 敏感なのか、単に味覚がずれているのか。一般には理解されないであろう意見がぼそぼそ発される。
「ついでに、肉にあまーいソースかけるのも嫌だからな」
 本当に薄ら寒そうに肩を竦めている。ルックス的には最高とも言える男の、こそこそしたしぐさ。かえって人目を引いてしまうのが哀れにも映る。だがそもそもパティスリーに男連れで来ているのだから、今さらだろう。だからこそこちらも、単純に問いかけを返せる。
「なんでそんなに嫌なわけ?」
「辛い物は辛く。甘い物は甘く。それでいいじゃん」
「でも、隠し味なんじゃないの?」
「隠れてねぇじゃんっ!」
 ごもっとも。内容はともかくとして、訴えかける迫力に思わず頷きをくり返す。その行動はどうやら彼のお気に召したようだ。その口の片端だけがゆっくりとあがっていく。
「だから、おまえも」
「ん? なに」
「甘やかすときは、しっかりよろしく」
 呟きとともに、視線はすぐに逸らされた。
「……叱るときもだからね」

 照れた顔を見られなくて済むのはよかったのかもしれない。
 そっぽを向きながら指さしたのは、ちょっとだけ生クリームの飾られたチョコレートケーキだった。




≪≪≪ブラウザ・バック≪≪≪