JUNK: Cocktailによせて。



 薄暗い闇は、とかくあらゆる感情を解放させるらしい。

「何もかも、こうやって混ぜちゃえたらよかったのに」
 失恋をしたらしい親友と、こうして酒を呑むのは何度目だろう。
 とうに閉めた店のなか。貸し切り状態のカウンターの中で愚痴りながらシェイカーを振るバーテンダーが、今宵の俺の相手だった。
「なんだ? 『身にしむ酒をつくるのだ』ってか」
「なにそれ」
「ああ、詩だよ。だれのだったかな……」
 グラスを傾けながら、ついでに首もかしげる。つい口にしてしまったが、学生時代に読んだ本にあった古い詩だ。作者など思い出せようはずもない。
 そもそも詩のバックグラウンドなど、より理解するのには必要であれ、本来無用なものだ。
 思考を放棄して、俺はいまだ手を動かしている相手へと笑いかけた。
「嘘と本当がはっきりわかったら、困るんだろ?」
 ダウンライトだけに照らされたその顔は、歪んでしまっていたのだろうか。シェイカーをおろし手早くグラスへと中身をこぼすと、相手は無言のままにカウンターから出てきた。
 けれどそれは杞憂だったらしい。迷うことなく隣のスツールに座った相手は、ただ一気にそれを飲み干した。オリーブの沈んだカクテルは、喉を灼くに十分な強さだったろう。
「確かに沁みるよね……」
「酔わせるものすべてが入ってるらしいからな」
 思わせぶりなコメントは、さきほどの詩からの連想だ。けれど原文を知らぬ相手は、ただ怪訝な視線でねめつけてくるだけだ。酒には決して弱い相手ではない。だから酔っているわけでもないのだろう。けれどその瞳は、すでに潤んでいる。
 俺は腰を据える覚悟で飲んでいた薄い水割りのグラスを、コースターへそっとおろした。
「え、もうアガリなの?」
「冗談」
 この相手から逃げる気などない。そうでもなければ、閉店までの長い時間を独り飲み潰せるわけがないのだから。
 空のグラスから失敬した実をガリリとかじれば、独特な味が口中にひろがっていった。
「次の一杯は、俺がつくってやるよ」
 入れ替わるようにカウンターの内側に入り込むと、俺はレモンをひとつ手に取った。皮をむく手際は、独り暮らしゆえにすこぶる良い。
 そして普通ならば捨てるだろうそれを、氷を数個入れたタンブラーへと放り込んだ。綺麗につながった黄色の皮は、くるくると螺旋を描いている。あとはかたわらにあったブランデーとジンジャーエールを直接注ぐだけだ。
「……簡単だね、ずいぶんと」
 黄昏色のライトの元。一部始終を見守っていた相手は、差し出されてなお憮然としていた。
「おまえ、ジンジャーエール好きじゃんか」
「ブランデーは、好きじゃない」
 そう。それが好きなのは、つくった俺のほうだ。だが炭酸は趣味じゃない。
 横目でその様子を眺めつつ、俺はレモンをもうひとつ手に取った。サクリと刃を立てれば、さわやかな香気が漂っていく。
「適当に混ざってりゃ、いいのさ。たぶん何事もな」
 シェイカーを振らないからといって、決して手抜きではない。カクテルとはそういうものだ。そしてそのことが分からない相手でもないから、あえて俺はこれを選んだ。
 酔わせるものなんて、そんなにもない。嘘もまことも、曖昧だからこそ気になるのだ。
 だからお互いにバランスが取れ、味わいも深まっていく。
「混ぜすぎると、味も落ちるから?」
「まあな」
 もうひとつ同じものを仕上げ、ふたたび隣り合った席へと戻る。バーテンダーを親友にしながら、カクテルなどわざわざ口にしたことはなかった。普段ならば、ストレートかせいぜい水割り。
 はっきりとしないのは、好きじゃない ―― けれど。
「じゃ、乾杯」
 あえて視線を交わらすことなく、俺はカウンターに置き去られたグラスを鳴らした。
 徐々に沈んでいく、黄色いヘビ。薄闇に共鳴する音はひどく澄み切っていた。


 それがホーセズネックというカクテルであることなど、やはりどうでもよい背景なのだろう。




混ぜすぎた酒は、特徴がないから。




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