Birthday: 28th July




 家族との遅い夕食も終えた、独りの時間。
 めずらしくモニタに向かうことなく、翔はベッドに座り込んでいた。手にしているのは、黒いコードレスの自宅電話だ。けれどそのボタンを押すことなく、彼はただそれを眺めている。
 そのまま、どれほどの時間が経ったころだろう。
 唐突にその機械はけたたましい音を鳴らしはじめた。着信のベルだ。同時に点滅しはじめたボタンの、その一つを彼は押した。
「……はい」
『オレだけど。……うん、今年のさ』
「ああ。夏祭りには、何人来るんだ?」
 ゆっくりと耳へと当てれば、聞こえてきたのは予想どおりの声。名乗りもしない相手は、むろん彼の親友である結城だ。
『いつもの面子だな、高校ンときのヤツら全員』
「じゃあ、それに和真たちを足せばいいか」
 小さくうなずきながら、聞き手はメモを取る。といっても、名前ではなく人数を示す線を引いていくだけだ。
『ただ政人は、来てもすぐ帰るんじゃないかな……』
「だろうな。おまえも途中で抜けるんだろ?」
『いや、でも戻ってはくるから』
 しどろもどろに近い言葉は、翔に笑いを引き起こした。けれどそんな表情は長くつづかない。
「和真も、わからないけどな」
『え?』
「それじゃ、また」
 疑問を差し挟む余地を与えず、彼の指は回線をシャットダウンした。完全に音のしなくなった電話は、手の中にあるまま膝へと下ろされる。
「今年も、もうこの時期か」
 昼の熱気の名残が、いつまでも抜けない夏の蒸し暑い一夜。
 外界を遮断したクーラーの冷気を浴びながら、彼はその肩を落とす。
『クリスマスや誕生日ってさ、一番大切な人と過ごしたいよね』
 その言葉を聞いたのは、何年前のことだっただろうか。
 まだ、つきあいかけたばかりの、冬のまっただなか。ただその一言を少しでも叶えてやりたいがために、クリスマスに待ち伏せをした。約束もなにもなく。
 独りよがりかもしれなくとも、その大事な時間を楽しく過ごしてほしいがゆえに。
 それがうまく行ったかどうかは、微妙なラインだった。
 しかし、いま気になるのは、そのことではない。
「 ── 気にしてくれてんのかな」
 こんなときはどうしてだか、タバコが恋しくなる。けれどここは自宅。喫煙は厳禁な場所なのだ。
「実習だの、テストだのって。わめいてたよなぁ」
 ため息をつきながら、ベッドに転がってみる。電話を持ったままの腕を伸ばせば、柔らかな感触のものに当たった。それはこの部屋に、そして彼にも、とても不似合いなイルカのぬいぐるみである。
『これでも抱いてればいいのよ、アンタなんて』
 そんな言葉を思い出しながら、彼はそのつぶらな瞳をみつめた。
 何年前のことだろう、この抱き枕を押しつけられたのは。
(あの日が俺の誕生日だったと、あいつは知っていたのだろうか)
 捨てゼリフを残して、去っていった、昔の ── 彼女。
 隣には、だれも残らない。取り残された瞬間のむなしさが、一気によみがえる。
 あれ以来ずっと、彼は誕生日というものを厭うようになっていたのだった。
 都合のよいことに、その時期には彼の住む街全体をあげての大きな祭りがある。それにかこつけて、友人らと毎年のように彼は、バカ騒ぎをくり返してきた。夕方から集まって夜通し騒ぎ、翌日はぶっ倒れる。そうしてその日を憂う時間を忘れてきた。
 昨年までは、それで問題がなかった。とうに憎むことは忘れていてもだ。
「だからって、やらないわけにはいかないし、な」
 またそれは今年も、結城の手により例年どおり計画されている。
 ただ違うのは、今年の祭りは誕生日と同日ということだけだ。
「いかないし、か……」
 隣のイルカをつつきながら、苦笑を漏らす。まんまるの瞳は、まっすぐに彼をみつめていた。
 その視線から逃れるように、身体をいきおいよく返す。振動で揺れたイルカのまなざしは、悲しげな色合いを宿していた。
「臆病なもんだぜ」
 ゴロリと転がれば、天井だけが視界に広がる。
 事実、彼はやめてしまうことを怖れていた。友人たちに対しても、もちろん申し訳ない。
 けれどそれ以上に、不安が彼の中にはうずまいていた。
『一番大切な人と過ごしたいよね』
 俺の誕生日は、それに含まれるのだろうか。
 ふうっと深く息を吐き出し、ゆっくりと、彼はその身体をシーツから引き剥がす。
 そして電話とイルカを交互に見比べ、短縮登録をしてあるはずのナンバーを、ゼロからひとつずつプッシュしていった。
 短く鳴る、呼び出し音。
「あ、和真か? 今月末のコトなんだけど……」
 揺れる心とは、裏腹に。さりげない口調が、送話器を通り抜けていった。



 そして今年もやってきた、祭りの日。
 いまだ太陽の高い時間。独り暮らしをはじめた翔だが、この日ばかりは実家で過ごす。
「今日も、あっついよねー」
「……よう」
 庭先を片づけていた翔は、玄関先にただ独り現れた相手を、眩しげに見やった。
 むろん、その相手は和真だ。顔には元気な微笑みが、汗とともに弾けている。
「中、入れよ。クーラー、効いてるから」
 とはいえ、彼が暑さに強くないことは、長いつきあいでわかりきったことである。
 翔自身もそろそろ外の熱気に耐えかねていたのだろう。あっさりと片づけを放棄して、彼はダイニングへと導き入れたのだった。
「大きなお祭りなんだって? 楽しみにしてたんだっ」
 真夏の日射しは、よほど暑かったのだろう。ミルクたっぷりのアイスティーを、ほとんど一気に飲みほして、和真はテンション高くそう笑った。
 心底楽しげな顔つきには、かけらの邪気もない。普段ならば、見る者をこの上なく幸せにする表情だ。
 けれど今、向かいに座る男には、その輝きがひどく疎ましかった。
「……お前、これでよかったのか?」
「なにが?」
 その返答に、男の首は軽く横へと振られる。
 独りだけ早い時間に呼んだとはいえ、あと数時間もすれば友人たちが押し掛けてくる。
 そうしたら、二人の関係は【友人】へと変わる。
(おまえは、それでいいんだな)
 自らが選んだ、大勢となる状況。その選択が、正しかったと認識させられたのだ。
 浮かんだ嘲笑を隠すように、思わず口元に手が被さった。けれどそれしきのことで、言葉がとめられるはずもない。
「二人きりがよかったわけじゃないんだな」
 訊く気のなかった問いが、ため息となって苦く口から吐き出される。手つかずだったストレートティに口をつければ、うすら苦い水っぽさだけが残った。
「もちろん、それってすごくイイけど」
「あぁ?」
 低く発した声には、もはや疑惑と拒絶しかない。
 そんな男の姿を、和真はきょとんと見つめ返していた。
「でも昔からの友人に合わせてくれるんでしょ? それも嬉しいから」
 冷たさを楽しむように手にしていた空のグラスを、和真はトンと下ろした。
 カラン。遅れて、氷が崩れ落ちる。
「はじめてだから。紹介してくれるの」
「……友人としてだぞ」
「それでもだってば」
 頬を膨らませた姿は、語気よりもひどく子どもじみていた。けれどもまっすぐに貫く視線は、あまりにも大人びている。決して逸らすことを許さない、力があきらかに存在する。
「やっと信頼してもらったみたいだ」
 そしてその顔は、ふわりと笑った。あたかも、軽やかに舞い散る、真っ白な羽毛のように。
(もしかして ―― )
 こいつも、不安だったのか。過去より未来と言いながらも、その過去を知らないことが。
 友人を知らないということは、所詮その一端に過ぎないのだろう。
「それに、例年のあつまりなんでしょ?」
「そうだったのか……」
 ふたりきりで逢うことはいつでもできる。けれど翔が仲間たちと逢う機会は、少ない。そして彼らと和真が出会うきっかけなど、この日くらいしかない。
 だからこそ、この集まりを楽しみにしてくれていた。すべてが彼のために向けられていたのだ。
 わかってしまえば、そこにはもはや安堵しかない。
 ようやく翔は、自らの疑心暗鬼をただぶつけていたことに気づいた。羞恥に頬が染まる。
「わるかっ……」
「それにさ。みんな、あんたの友達なんでしょ」
 謝罪は見事に押しとどめられた。なお包み込むような、微笑みで。
「どんな人たちなのか、楽しみじゃん」
 そして見せられた、夏の太陽の眩しいきらめき。

 そうだ。誰がいなくとも、お前だけは ── なくせない。
 この日を、祝ってほしいのは……。

「 ── お前だけ、いればいい」
 切羽詰まった声が、翔の喉を震わせた。
 そうして形にしてしまえば、なおさらに想いは募る。
 思わず顔を伏せれば、指先がかすかに震えてさえいるのが目に入った。
「お前だけ……」
「ダメだよ、そんなコト言ってちゃ」
 テーブルの向こうにいたはずの、相手。それがいつの間にかすぐ隣にいた。
「おいらは、絶対にいる」
 ここに。伏せられた顔を真正面から捕らえ、床の上、和真は強く言いきった。
 絶対に視線を逸らさせない。意志の強い瞳の輝きが、男の心を鷲掴みにする。
「だから、もっと他にも手を伸ばせばいい」
 包み込むように、震える指先へと掌が重ねられる。
「出来る限り、何もなくしてほしくないから」
「和真 ── 」
 指から伝わる感触が、想いとなって流れ込むようだ。
 訴えかけるような、優しい口調。
 離せない真摯な瞳に、翔は名を呼ぶことしかできない。
 そんな彼の前で、引き締められていた真剣な唇が、ゆっくりと微笑みの形に変わる。
 生気あふれる、太陽の顔つきに。
「……限界までは、か」
「そう」
 強く頷かれ、そのエナジーを分け与えられた者は、同じ表情を浮かべざるを得ない。それがまだ如何に苦いものであっても。
「そうだな」
 包まれた指先を、翔は重ねられた手ごと、ぐっと握り込む。
 そして、見交わす瞳から不安と苦笑が消えるまで。
 彼らはそのまま、動きをとめているのだった……。



 ギリギリ夕日になりきらない太陽が、部屋の中を満たすころ。
 玄関のベルは、おおきく鳴らされた。
「来たな、トモが」
 片づけを再開していた翔は、二階の窓から身を乗り出した。そしていつもどおり、あがってこいと声を張り上げた。
 そのまま振り向いて小さく笑えば、本を積み上げていた和真も、ふわりと笑いかえす。
 階段の踏みしめられる音は、そのふたりの無言のやりとりの効果音となっていた。
「なんか、自然だな」
「あ? 何がだ」
 軽いノックのあと開けられた扉から、結城は覗き込みながら嘆息した。ゆっくりと部屋へと入り、後ろ手で閉める。視線は二人から離されない。
「最後までお前の隣にいられるのは、オレくらいかと思ってたんだけどな」
 クッションの放置された床へと勝手に座り込めば、苦笑が漏れる。
 見慣れた、翔と和真の二人連れの姿。
 いつしかそれは、その間にいた彼にとっても、当たり前なものとなっていたのだ。
「トモ?」
「普通の女じゃ、お前とはつきあいきれなさそうだったからな」
 かすかに顔を伏せての愉しげな笑いは、深まるばかり。
「結城せんぱい……?」
「まあ、いいんじゃないの」
 すっとあげられた瞳は、まず親友だけをまっすぐ見据える。
 そして ── 。
「親友が、大事なヤツが。また一人増えただけのことだろ」
 イタズラめいた雰囲気で、口角がニッとあげられる。
「……だな」
 ほんの少し驚き、けれど翔は柔らかな顔つきで、小さく頷いた。
 和真は、ただ黙って二人のやり取りを見つめている。
「おかげで、オレにも和真クンにも、友達が増えたよ」
 そうして同意を求めるように和真へと視線を流してから、結城はひょいと立ち上がった。窓辺へ立ち、射しこむ光の色合いを眺めている。
「もうそろそろ、みんな来るんじゃないか?」
「ああ。そうだな」
 いつまでこんな集まりがつづくかなんて、誰にも判らない。
 友達が、いつまでも友達だとは限らない。
 みんなそれぞれに一番ができて、そして……。
(だけど、いまは誰もが大切なんだから)
 絶対に自分からは手放さない。

── 親友と、恋人が祝ってくれる、最高の誕生日。

「それじゃ、あと少し。片づけるか」
「少しで、いいのかよ」
「だったら、お前らも手伝えよ」
 そんな翔の言葉に、文句を少しばかり言いながらも、二人は動き出す。
 つづけざまに鳴るであろう、玄関ベルの音を待ちながら。

 彼らはその夜が、これまで以上に愉しいものになることを、確信していた ── 。




過去作の焼き直しなのですが、設定がいまと大幅にちがうので
かなり手直しを加えることになりました。
ちなみにトモは、翔を恋愛感情で好きなわけではありません。
ついでに翔も浮気性なわけではありません(^_^;)





≪≪≪ブラウザ・クローズ≪≪≪