Cherry 〜 SAKURA・SAKU〜 (= extra: 咲)



 それは、一通の手紙からはじまった。
「あ、一聖。おかえり」
「ねえ、渉さん。なんか来てるよ」
 郵便受けに投げ込まれていたのだろう。大判の封筒を片手にやってきた相手に、神楽坂は差出人を確認した。そこにはふたつの住所と名前が書かれている。
「なんだ? めずらしい、片倉の親父さんからじゃないか」
 そのまま乱雑なしぐさで封を切る。なかから出てきたのは、二つ折りにされた厚手のカードだった。
「立派そうなだね。いったいなに?」
「……ああ、ほら」
 招待状だ。そう投げ渡せば、怪訝そうに受け取った手はすぐにそれを開く。
 印刷された内容は、たいして長くない。だが読みすすめる一聖の目は、徐々に丸くなっていく。
「って、結婚? 片倉先輩が!」
「ああ」
 予想どおりの反応を楽しみながら、本来の受取人は透かしの施された封筒を眺めている。連名になっている名前に、彼は見覚えがなかった。だがそこが片倉の伴侶となる相手の実家なのだろう。
「あいつも、とうとうかぁ」
 ダイニングテーブルに着きながら、感慨深そうな吐息をつく。その目はなつかしそうに細められていた。
 大学すら卒業して、すでに数年。世間にそれぞれ出ていった彼らは、意外なほど会うきっかけに恵まれていなかった。
「渉さん、行くよね」
 奥からボールペンを取ってきた一聖は、向かいに座ってそれを転がしてきた。出席の返事を出すために持ってきてくれたようだ。これはいい機会なのかもしれない。
 脳裏に描いたカレンダー、数ヶ月後のその日は、幸いにしてまだ空白だった。
「そうだな、ありがとう。……あれ?」
「お祝いだけ、伝えてもらおうかな」
 受け取ったペンに礼を告げ、ハガキを取りだしかけた神楽坂は、指先の違和感に眉を寄せる。しかし完全に引きだせば、その顔つきはくすりと緩められた。
「おまえも行くか?」
「でも、俺のところに来たわけじゃないし」
「来てるぞ」
 その言葉に、一聖は突っ伏していた上体を起こした。
 招待状に同封されていた返信用のハガキを、鼻先にかざしてやる。それは確かに二枚あった。
「いっしょに入ってたんだ」
「なんで?」
「おまえの住所がわからなかったからだろうな」
 彼らの交際がいまもつづいていることを、片倉は確か知っている。だが同居していることまでは教えていない。たぶんこの推測は外れてはいないだろう。
「あ、そっか」
 納得した一聖は、自分も招待されたことを素直に喜んでいるようだ。そんな彼にむけて、神楽坂はハガキを一葉だけ滑らせた。しかしその顔はどこか奇妙な笑みを浮かべている。
「はじめてだぁ、こういうハガキ」
 うきうきと返信用ハガキを眺める姿からは、こちらの表情を気にする様子は窺えない。ボールペンをもてあそびながら、神楽坂はそのままハガキが裏返されるのを待つ。
 そしてその瞬間はやってきた。嬉しげだった瞳は、ばっと見開かれる。
「なにこれっ?」
「ぜひ、ご夫婦でだとさ」
 さすが片倉だよなぁ。そうしてくすくすと笑いだした彼は、あっけに取られている相手にもう一枚の裏面をひらつかせる。
「ごふーふ……」
 唖然とした一聖は記された文字を何度も見返していた。
 普通ならば、列席者が記入する名前。だがその欄は、すでに埋められていたのだ。神楽坂 渉と、そして神楽坂 一聖と。
「せっかくの招待。パーティードレス、買わないとな」
「冗談キツイよ、先輩……」
 片倉にむけてのコメントだったのだろうか。ふたたび突っ伏した一聖は、その倒れ込む勢いで苦悩の種を舞い上がらせた。ひらり、それは元々の持ち主のもとへ戻っていく。
「そうか? おまえも行こうな」
 ひどく愉しげに口端をあげた神楽坂は、答えを待つことなく二枚とも出席の欄へ丸印をつけたのだった。



 そして結婚式、当日。
 その日の主役である花嫁と花婿は、控え室でその時を待ちわびていた。
「そういえば、あなたのご親友も来てくださるのよね」
「うん。こっちにも寄ってくれるはず……あ、ほら!」
 廊下へと顔を覗かせた片倉は、弾んだ声をあげる。
 それはちょうど、見間違えようのない長身の男が、まっすぐこちらへ歩いてくるところだった。ブラックスーツながら華やかさを失わない、挙式を最大限に祝う礼装でだ。
「よう、片倉。おめでとう」
「ありがとうな。おまえも画壇ではご活躍のようで」
「嫌みかよ、いきなり」
 忙しかったのはお互い様だろう。しかめっ面をつくった相手に、新郎はあははと大げさに笑う。その笑顔は年を経たところで、むかしと変わらない。
「そういえば、あのコは……っと」
 ひょいっとそんな片倉が身体を伸ばした瞬間だった。
「えっと。おめでとうございます」
「あ、ああ? ありがとうございます……」
 突然現れた華やかなカクテルドレスに、彼の身体はバランスを崩しかけた。どうやら背の高い神楽坂の後ろに、ぴたりとおさまっていた女性らしい。ペコリとさげられた頭に、それでも礼だけは述べられる。
「おい、神楽坂。あの、そのなんだ」
 当人を目の前にしては、問いがたい内容もある。さまよった瞳は、その相手を連れてきただろう男に無言で問いかけた。しかし旧知の仲の相手は、意地悪く笑ってみせるだけだ。
「あ、あのさ」
「俺の奥さんだろ? おまえもよく知ってる」
「それって、つまり……」
 視線と同じくらいにうろたえた声は、どうにも状況を認識しきれない様を如実に示している。神楽坂と一聖の仲を応援してきた心優しき彼としては、むしろ理解したくないというのが本音かもしれない。
「おいおい、誤解すんなよ?」
 ついに耐えかねたように神楽坂は笑いはじめた。
「招待状くれただろう。『神楽坂 一聖』様にって」
「そうじゃんね、片倉先輩。お招きありがとうございます」
 聞き覚えのあるイントネーション。落ち着いて見なおせば、薄い化粧のむこうにはなつかしい面影があった。
「なんだ、俺はてっきりまたおまえが」
「俺がなんだよ」
「……いや。安心したよ。ふたりとも元気そうだな」
 別の女性と、というコメントはひと睨みで飲み込まされた。ふたりともが仲良く参列してくれるのなら、言わぬが花。
 めでたい結婚式には、そして久々に会う友人であれば、もっとふさわしい話題がある。
「でさ、なんでそんなおかしな格好……」
「やっぱ、似合ってないんじゃんかっ」
「い、いや。似合ってる。似合ってるけど!」
 フォローにはいったのは失言をしたらしいと悟った片倉だ。だがこの後輩が見た目にそぐわぬ意地っ張りであることは、彼とて忘れられるものではない。
「おかしなって言ったじゃんかっ」
 怪しくも似合いすぎるドレスゆえのものなのか。一喝はますます迫力を増している。
「わたるの、バカ! 俺、もう帰るっ」
 ひらりと舞う裾が邪魔になったのか。くるりときびすを返した身体は、うまい具合に神楽坂の胸へと受けとめられた。ぐっと捕らえてしまえば、体格差もある。
「こういう場所の正装は、ドレスか留め袖なんだ。知ってるだろう」
「知ってるよ。でも!」
「だからそれでいいんだ。似合ってるとあいつも言っているんだ」
 詰め寄る相手を見下ろしながら、説得を試みる顔つきはひどく厳しい。そのくせ呆れた口調はどこかやさしい。それでも一聖の態度は以前として硬化したままだ。
 そのまま膠着状態に陥るかと、原因となった片倉が青ざめたそのとき。
「本当に、よくお似合いですわ。そのドレス」
 さりげなく差し挟まれたのは、たおやかな声であった。
「ごめんなさいね、彼が失礼なことを言って」
「あ、……そ、その。こっちこそすみません、騒いだりして」
「いいえ。今日はわざわざご参列いただきまして」
 にっこりと丁寧なあいさつは、片倉の妻になるべき女性のもの。そんなうるわしき今日の主役に頭をさげられてしまえば、騒いでしまったことなど恥じ入るしかない。羞恥に頬を染めながらも、一聖は申し訳なさに謝罪をくり返した。もはや他の二人のことなどその眼中にはない。
「えと。いつから、ああいう趣味に?」
 ドレス組が談笑をはじめたその脇で安堵の吐息をついたのは、逃走をとめた者だけではなかった。こそこそと問いかけているのは、情けないことに主役の片割れだ。
「ああいう趣味ってなぁ。別にコスプレじゃないし、女装でもないぞ」
 神楽坂はどこか憮然とした表情で、乱れた胸元を整えなおす。
「ついでにいうなら、悪ノリやいたずらでもない」
「っていうことは……?」
 結婚式にふさわしい姿として、真面目にあのドレスを選んだことになる。それはイコール、一聖がパーティードレスを着るべき存在、つまり女性であることほかならない。
「目覚めちゃったのかぁ、おまえのせいで」
「どうしてそういう話になるんだっ。生まれつきだ、生まれつき!」
「まあ生まれつきっていえば、そうかもしれないけど」
 言葉遣いのむずかしさは、ついさっき経験したばかりの彼だ。だからこそ控えめにしたコメントは、だがかえって相手の感情を逆撫でしたようだ。
「じゃなくて、正真正銘あいつは女性だったんだよ! 戸籍もなっ」
 一息に言い捨てながら、神楽坂はギッと睨みつけた。一聖らをあえて背にしたあたり、その形相が相当きついものであることを自覚しているのだろう。
 それでも、片倉がその意味を正確に理解するには数秒を要したらしい。
「なあ……それって、マジ?」
「俺もなかなかわからなかったんだけどな」
 そんな前置きのあと、彼はかいつまんで事情を説明しはじめた。いわくその両親が、分家をおおく抱える本家として、その家名を守るために男児を必要としていたというものだ。
 だがそんな親の策略が生んだ性別詐称も成人して、いや神楽坂と恋をして、ついに解消に至ったわけだ。
「どうして、そんな……」
「ワケなんか、どうでもいいんだ」
 時代錯誤な感もあれど、それも家族間の問題。愛しい相手が歪まず育ったいま、すべてが過去の物ならば、彼が口を出す範囲ではない。
「たしか俺らの高校って、男子校じゃなかったか?」
 納得している男と対照的に、初耳すぎる者は驚きを隠せない。
「特例措置だろ、たぶん。私立だったし」
「でも……いや。あのコなら、それもアリか」
 名を売りたい私学として、一聖の美術センスは、入学を許可するにはあまりあるものだった。それは彼ら美術部員ならば、思い出すまでもなく十二分に知らされている。現実逃避のような疑問は、あっさりと消滅させられた。
 それに家名がどうこうという家柄だ。きっと寄付金なども相当なものだったのだろう。
「けど全然そんなこと」
「大学の友達は、ああみんな女だが。最初から気づいてたらしいぞ」
「ああ、そうか。そんなものかもしれないな」
 説明を受けてから見直せば、最初に誤解したとおり愛らしい女性以外の何者にも映らない。
「思いこみってのは、怖いもんだ」
「ああ、本当にな」
 軽く肩をすくめれば、互いに苦笑が浮かぶばかりだ。といっても、神楽坂のそれは少々ちがう。思い出していたのは、大学に一聖が入学したころのことだ。
 その当時、女性ばかりといた相手に苛立っていたことなど、既に笑い話だろう。というより、あのつきあい方は同性同士のそれ以外、なにものでもなかったのだ。いま目の前のドレス姿を眺めていれば、高校時代の学生服こそが懐かしくもおかしく思えてくるほどだ。
「じゃあ一聖……、一聖さんは」
「いままでどおりでいいさ」
 律儀に呼び直そうとする相手に、神楽坂は苦笑してみせる。
「まあそれでさ、ちゃんと入籍もしたんだ」
 そうしてかざした左手の指には、銀に輝く指輪があった。あわてて視線を流せば、一聖の指にも同じものが光っている。
 薬指に馴染んだそれは、まさしくマリッジリング。
「だから名実ともに『神楽坂 一聖』なんだよ」
 視線の先。花同士は、なにの屈託もなくにこやかに談笑している。まとうドレスも、客観的にみれば間違いなく似合っている。『ドレスか留め袖』ということばば、すでに誰かのものであることをも含んでいたのだ。
「ヒョウタンから、駒ってことか」
 わずかに嘆息をつきながらも、片倉はまんざらでもなさそうだった。
 招待状を差し出したのは、彼一流のジョークだった。とはいえ、こんな結果が待ち受けていようとは、どうして想像できただろう。
 だがそれも、この門出の日にはふさわしいこと限りない。
「ともかく、おまえもおめでとう。神楽坂」
「おいおい。そのセリフは、そっくり返してやるよ」
「あ、そうだったな」
 今日の主役に祝われるのも、おかしな気分にさせられるものだ。ちぐはぐなやり取りに、互い苦笑を浮かべてみせる。
「結婚、おめでとう。幸せになれよ」
 すでに愛しい者とともに過ごす神楽坂は、幸せを既に手中におさめた者の笑みを、すがすがしくみせている。それはこれから新たな人生を歩みはじめる者に、希望を与えることほかならない。
 久しく逢わなかったはずの親友同士は、互いに掴んだ幸せを分かち合うように讃えあう。

 それからしばらくののち、祝福を受けた婚礼の儀式は、厳かにはじめられたのだった。







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