秋 祭

 津島神社は大正十五年十月一日県社から国幣小社に列格され十月一日勅使参向の下に列格奉告祭の厳儀が行われたことを記念し、翌年から十月一日を卜し列格記念祭を斎行し、神賑として市内各所の山車・石採車を始め郷土芸能の奉納と、氏子児童の敬神観念の育成を目的として子供獅子大会を催すこととなった。
もともと山車・石採車は各々その地域の氏神と仰ぐ神社の祭礼日、即ち向島車三輌は居森社例祭の旧暦六月朔日、七切車七輌は市神社の例祭日旧暦八月十五日、今市場車三輌は大土社例祭日の旧暦八月二日、石取車三輌は八劔社例祭日の八月朔日に奉納する例であったが、右四社はいずれも津島神社の境外末社にあたることから斯様地区毎に祭礼を執り行うよりも、本社の意義ある記念祭に際し一斉に奉納して、祭りを意義づけることが望ましいと諮った結果、各地区氏子の同意を得て、同日に奉納することに改められた。
終戦後、社格制度の廃止と共に「列格」の意義が失われた結果、秋祭と改称し且つ祭日も従来の三日間を二日に改め、第一土曜日に子供獅子大会を、翌日曜日に山車・石取車を奉納することになった。
 更に昭和四十八年よりは、社会事業の一つとして、青少年の教化と、敬神思想の滋養を画る一助と、神前に仮設道場を設け、柔道・剣道・弓道・相撲四道の神前武道大会を興し、年を逐って参加者も増加し、所期の目的を果たしつつある。

以下の資料は、津島市・津島市観光協会の祭パンフレットによります。

向島の山車

 居森社(神明町)の祭礼に引かれていたもので、寛政年間(1789〜1801)頃から整備されていたと言われる。


山車からくり

馬場町車 大黒の打出の小槌が割れて唐子が遊ぶ
上之町車 唐子の飛付き
中之町車 唐子の文字書き

七切の山車
 市神社(米町)の祭礼に引かれたもので、正徳元年(1711)笹に提灯を付け傘鉾を出したのに始まったと言われる。


山車からくり

米之座車 高砂と神主が宝船に変わる
高屋敷車 猩々(しょうじょう)で頭を前後にふり、手を左右に上下する
布屋町車 蛭子(えびす)大黒の舞
麩屋町車 湯取神子(ゆとりみこ)
池町車  唐子遊(からこあそび)
小之座車 獅子舞と唐冠の太閤さん
北町車  唐子遊(からこあそび)

今市場の山車
 大土社(今市場町)の祭礼に引かれていたもので、天明年間(1781〜1789)以前に整備されていたと言われる。


山車からくり

朝日町車 湯立神子(ゆだちみこ)
大中切車 翁と唐子遊
小中切車 住吉明神変じて社殿となり又明神に戻る

神守の山車
 穂歳神社・憶感神社(神守町)の祭礼に引かれたもので、文化年間(1804〜1818)頃に始まったと言われる。


山車からくり

上町車 関羽(かんう)
中町車 林和靖(りんなせい)
南町車 寿老人(じゅろうじん)

石採祭車
 南部・中部・北部の3車は、大正4年頃から始まったと言われ、鉦・太鼓を打ちならして町を練る。唐臼車については、昭和31年から始まった。


飾り天幕

南部車 猩々緋(しょうじょうひ)に須佐之男命が八頭大蛇(やまたのおろち)退治の有様が金糸色糸で縫ってある
中部車 青緑地に金糸色糸で竹に虎が縫ってある
北部車 白地に神武天皇の弭(ゆはず)に八咫烏(やたがらす)がとまっている有様を金糸色糸で縫ってある
唐臼町車 赤色地に旧桑名藩主松平氏の家紋星梅鉢を白く染め抜いてある





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