歳旦祭(さいたんさい)(中祭式) 一日午前六時
国の隆昌と皇室の無窮を祈り、新年の吉慶を祝す。
元始祭(げんしさい)(小祭式) 三日午前九時
皇位の元始を祝し、天地祖先の恩に感謝する。
摂社和魂社例祭(せっしゃ にぎみたましゃれいさい)〔茅(ち)の輪くぐり〕 四日午前九時
古く「蘇民祭」と称し、本社における新年冒頭の祭儀で、本殿にて年内の諸祭儀を恙無く御
奉仕出来る事を祈願した後、摂社和魂社において、神代の昔須佐之男命が、蘇民将来に茅の輪
をもって悪疫防御となした故事に基く神事。現在本殿祭典は行なわれていない。
祭典後、拝殿前に設えた茅の輪を八の字にくぐり、大神の御神徳を戴く。
当日は厄除け守・厄除け御幣・粟餅が授与される。
昔は、「ソミン」と呼ぶ柳の木を刻んだ守り札が授与されていたが、何時しか廃された。津
島神社では、このように年頭に輪くぐりを行ない一年の「厄除け・災難除け」を祈願するが、
一般的には六・七月に行われている。
津島神社ではこの時期に「神葭神事」によって「疫病除け」を行う事と関係があるとおもわ
れる。
月次祭(つきなみさい)(小祭式) 十五日午前九時半
恒例祭典のない毎月一・十五日に奉仕され、十五日には本殿祭典後弥五郎殿において摂末社
の月次祭を奉仕する。
二月(如月 きさらぎ)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
紀元祭(きげんさい)(小祭式) 十一日午前九時
神武天皇の建国創業の大御蹟を偲んで慶祝し、皇室の長久と国家の隆昌を祈願する。
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
烏呼神事(からすよびしんじ)(小祭式) 二十六日午前十時
津島の古殿地と言い伝えられる中島郡平和町三宅より、神供粢(にえ)(赤飯)が献じられ、
祭典内に於いて本殿・八柱社の屋根に神供を投げ上げ、烏に与える所作により、烏呼神事と呼
ばれている。この神事は、厳島神社・熱田神宮等に見られるが、熱田神宮では現在は絶えてい
る。
古くは「屯倉供祭」(みやけくさい)と呼ばれ、旧正月二十六日に行なわれた。
小朝拝(おちょうはい)(中祭式) 旧正月元旦午前九時半
旧正月元旦より七日までの祭儀で、特に元旦の祭儀を「小朝拝」と称し、他を「七草祭」と
称す。
特殊神饌「大御饌」(高杯神饌)と七草の野菜を含めた三方神饌をお供えし、国家の隆昌・
皇室の長久・国民の繁栄安泰を祈る。
「小朝拝」の意は、旧正月を小正月と呼称したことが根源と思われる。
昭和三十四年の伊勢湾台風迄、この地も農耕の盛んな地方の風習により、境内にはサーカス
小屋を始め数多くの露天が立ち並び、現在は五月に行われている花の撓(はなのとう)が行われ境
内は新正月をしのぐ賑わいであった。
七草祭 旧正月二日より七日まで午前七時半
古来「津島の七草まつり」と称し、旧暦正月松の内の盛儀で昭和三十年代まで、境に数々の
小屋露天が並び、遠近よりの参拝者で賑わったが、昨今は旧暦が廃れるに併せ神事のみとなっ
ている。
末社市神社十日市祭 旧正月十日午前七時
旧「上街道」の繁華街「米の座」の古跡で、正月十日に初市が開かれた古例に倣い、典後商
売繁盛祈祷を行い終日賑わう。旧来一 般家庭では、小豆雑煮(ぜんざい)を食す習慣があ
ったが今はすたれている。
小豆粥調進祭(あずきがゆちょうしんさい)(小祭式) 旧正月十五日午前十時
古来の宮中行事や民間の風習と同様に小正月に小豆粥を本社・摂末社にお供えし、皇室の長
久と国家国民の安泰繁栄を祈願する。
本殿祭典後摂末社に神饌を供え巡拝。
奉射祭(ぶしゃさい)(小祭式) 旧正月十六日午後一時
古来より宮中・武衛にて行われた、世の悪鬼・枉神を射除く神事で、本殿にて祭典後拝殿前
において宮司が柳矢にて葦矢を天地に射て、天下万民の安泰を祈る。その後射手六名が二矢づ
つ三回、奉幣を挿し立てた大的に向かい矢を射る。大的の中心に付く千木の裏面には「鬼」と
書かれており、これを射ることは「鬼儺い」の意を持つ。
この神事は一般には「歩射神事(ほしゃしんじ)」と呼称されているが、これの転移か、射奉る
の意であるとおもわれる。
神前に特殊神饌山飾(蓬莱飾)を供える。
以前は、南広場において行なわれ、神事の終了と共に参拝者は大的に駈けより千木を奪い合
ったが、現在は拝殿前において行われこの賑わいも無い。
三月(弥生 やよい)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
祈年祭(きねんさい)・春縣祭(はるあがたさい)(大祭式) 十七日午前十時半
年中三大祭の一つ
「祈年祭」の「年」とは稲を意味し、五穀豊穣・諸業繁栄を祈る。
春縣祭は、明治中期まで祈年祭の代りに旧一月午の日に行なわれていた津島神社の特有祭儀
で、「縣」は農地を意味し、五穀豊穣を祈る。全国でも珍しい、「大御田遊」・「鯉のまな箸
料理」を行い、現在は同日に斎行する。
お供えとして御贄組(尾張藩主より漁業権をゆるされていた日光川流域の十二部落)より鯉
の奉納があったが、河川の汚れから漁が出来なくなり、その後津島の魚商からの奉納もあった
が、現在はそれもなくなった。
本殿祭典後、上宮(居森社)下宮(柏樹社)に奉幣し、しもと棚に神饌と掛鮒を供し拝礼後
摂末社に神饌を供え巡拝後、神前において直会。
上宮・下宮での拝礼後しもと棚と神饌はそのままにされるので、以前は参拝者が奪い合い、
これを「棚壊し」と称したが、今はこれも行われてはいない。
皇霊殿遥拝式 春分の日前十時
天皇陛下が宮中賢所・神殿・皇霊殿を参拝されるに当り、神宮以下全国の神社に於いて時刻
遥拝する。
末社菅原社例祭 二十五日午前九時半
開扉祭(かいひさい)(中祭式) 旧二月一日午後八時
通称「おみと」、古来「由貴供祭(ゆきのくさい)」又「御戸開神事(みとひらきしんじ)」と称し
当社特殊神事中の厳儀。
以前は深夜一時に行はれていたが、諸般の事情により現時刻に改められた。
高杯の特殊神饌を内陣に奉奠し、「神」の象徴である本社・摂社奉幣の更新、葦で作られた
大松明の奉献が行われる。
奉幣は、津島神社においては御祭神「須佐之男命」の象徴として、最も神聖で重要なものと
して扱われており、津島祭を始め年間の祭礼の中において、奉幣を捧持し奉幣の前で祭儀を行
なう神事が幾度かある。「開扉祭」に於いて更新される奉幣は、本殿の他、居森社・弥五郎殿
社・八柱社・荒御魂社に頒幣される。
葭で作られた二本の大松明は、社務所前から東大鳥居前に移され、時刻点火後東境内をねり
一気に楼門をくぐり拝殿前に供える。
この大松明の間を神職は本殿に進み、燃え盛る大松明の灯りの中祭儀が行なわれる。
大明火をかつぐと厄除けになるといわれ、以前は遠く遠州・三河から厄年等の参詣者達が争
ってかついだ。今は、津島消防団の人達によって奉仕されている。
大明火の燃え残った葭は、箸の変わりとして用いると「中風除け」・「歯痛除け」の効き目
鮮かと云い伝えられ、又、「厄除け」・「災難除け」のお守り「田の虫除け」として、今も参
拝者は争って持ち帰る。
「開扉祭」の意は定かではないが、本殿御扉を開き内陣に神饌を供すのは、この祭典の他に
「大御饌調進祭」があるが、これは津島祭の深夜行なわれる秘儀であり、参拝者が間近に拝す
る事は出来ないが、古書物によると廻廊は現在より一段高く作られ、「開扉祭」には廻廊間際
にて参拝されていた様子が覗え、又、明治に神仏分離が行なわれるまで津島神社には神宮寺三
寺が境内に祀られており、神社の祭礼には社僧が深くかかわっていたことも「張州雑志」等の
古書によるとあきらかであり、参拝者が本殿を間近に拝する事が出来る仏教的な「御開帳」の
意があるのかもしれない。
末社稲荷社例祭 旧二月初午午前九時半
四月(卯月 うづき)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
末社大土社例祭 四日午前十時
以前は旧二月一日に行っていたが、現在は四月第一日曜日に執行。
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
五穀豊凶神卜祭(ごこくほうきょうしんぼくさい)(小祭式)二十日午前九時半
五穀豊凶を占う祭儀でこの結果を以って、五月一日より行われる、「花の撓」が飾り付けら
れる。
闘鶏転供祭(とうけいてんくさい)(小祭式) 旧三月三日午後一時半
古来「三月上巳祓(やよいじょうしのはらい)」と称し、人形を贖物(あがないもの)とし諸邪を祓い
清める事を起源に、後に雛人形を飾り子女の節句として祝い。亦節句の行事として、闘鶏が行
われたことがこの祭典の基と見られ、社務所書院に奉幣を迎え転供祭を奉仕し、本殿に奉幣を
還御して特殊神饌(甕神酒・人形箱折入沓形餅)を供え、式中本社拝殿前・摂社八柱社前で闘
鶏を行う。
当日、楼門に獅子頭と鈴の付いた鉾を飾る。
五月(皐月 さつき)
月次祭・五穀豊凶報告祭(小祭式) 一日午前九時半
神卜にて飾られた「花の撓(はなのとう)」(一日〜五日)の公開に先立ち、大神に報告する。
献茶祭(小祭式) 三日午前十時
松尾流宗家の奉仕により濃茶・薄茶を奉る。
流鏑馬祭(やぶさめさい)(小祭式) 五日午前九時半
古来旧五月五日御旅所に神輿渡御し流鏑馬が奉納されたが、近年馬の調達、神輿渡御供奉奉
仕者の手当が困難になり、現在は祭典
後拝殿前にて神事のみを行う。
献詠祭(小祭式) 五日午後二時
御祭神建速須佐之男命が櫛稲田比売との御婚礼に詠まれた「八雲立つ出雲八重垣妻篭に八重
垣作るその八重垣を」が大和歌の始めとされ、大神の御神徳を仰ぎ明治二十四年に興され、毎
年近隣より投稿され、秀歌は神前に於いて披講される。
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
御田植祭 下旬午前十時半
お田植祭に先立ち本殿にて御田植奉告祭を斎行し、奉耕長・早乙女が神前に参列し祭典斎行
の奉告を行い、立田村御神田に於いて早乙女(清林館高校女生徒)がお田植を奉仕する。
平成十年より約五十年ぶりに復興された。
六月(水無月 みなづき)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
例祭(大祭式) 十五日午前十時
年中三大祭の一つ。最も厳粛な祭典で、神社本庁より献幣使が参進し本庁幣を奉る。
祭典後、摂末社に神饌を供し巡拝す。
大祓 三十日午後四時
「みなづきのおおはらえ」と称し、日々の生活の中で知らず知らずの内に犯した罪穢れを祓
い除く。
七月(文月 ふみづき)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
照魂社みたま祭 十五日午後七時
境内に奉祀する津島市内の戦没者(一、一七三柱)の御霊を、境内にぼんぼり・提灯を飾り
生花を奉納し慰め奉る。
摂社居森社例祭(せっしゃいもりしゃれいさい) 旧六月一日午前時九時半
大神がこの地に来臨の砌、森の中に据奉り後に社を設けて幸御魂を奉斎したことにより、こ
の日を例祭日として奉る。
御鎮座祭(ごちんざさい)(小祭式) 旧六月一日午前時十時
社伝によれば、大神は欽明天皇元年六月一日西海對馬よりこの地に来臨されたと伝承された
事を記念する祭礼。
川祭は別記
八月(葉月 はづき)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
九月(長月 ながつき)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
皇霊殿遥拝式 秋分の日午前十時
天皇陛下が宮中賢所・神殿・皇霊殿を参拝されるに当り、神宮以下全国の神社に於いて時刻
遥拝する。
末社市神社例祭 旧八月十五日午前十時
十月(神無月 かんなづき)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
秋祭(小祭式) 第一日曜日午前十時
大正十五年十月一日国幣小社に昇格したのを記念し、翌年より神賑行事として、向島・七切
今の山車、石取車を始め郷土芸能の奉納、子供獅子大会が行われたのが始まりで、以前は第一
土曜日に山車の奉納、翌日曜日に子供獅子大会として神社に各町内の子供獅子が集まり、その
後天王川公園を一周して解散したが、交通等諸事情により現在は前日子供獅子大会、当日山車
石取車奉納・神前武道大会等が盛大に行われている。
照魂社例祭 十日午前九時半
境内に奉祀する津島市内の戦没者(一、一七三)の御霊を慰め奉る。
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
摂末社例祭 十五日午前十時
神嘗祭(かんなめさい)当日祭遥拝式(小祭式) 十七日午前十時
神宮に於いて、その年の新穀を奉る神嘗祭は重要祭儀であり。宮中に於いては、陛下が時刻
神宮を遥拝されると共に、賢所に新穀
を奉られるにあたり、全国の神社は当日祭・遥拝式を斎行する。
重陽祭(ちょうようさい)(小祭式) 旧九月九日午前九時半
重陽とは菊の節句の事であり、古来当神社では、五節句の祭典を執り行い祭典に伴諸行事を
行ってきたが、現在七月七日の七夕祭は行われていない。
十一月(霜月 しもつき)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
明治祭(小祭式) 三日午前九時半
明治天皇の御信徳を崇め慕う。
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
新嘗祭(にいなめさい)・秋縣祭(あきあがたさい)(大祭式) 二十三日午前十時半
年中三大祭の一つ。
天皇陛下が新穀を天神地祇にお供え、自らも食され神恩に感謝される宮中の大祭に併せ、全
国の神社において奉仕される厳儀である。神饌田にて収穫された稲束を「懸税(かけぢから)」と
して神前に飾る。
本殿祭典後、上宮(居森社)下宮(柏樹社)に奉幣し、しもと棚に神饌と掛鮒を供し拝礼後
摂末社に神饌を供え巡拝後、神前にて直会。・・・・・この祭事「春県祭」に準ずる。
十二月(師走 しはす)
月次祭(小祭式) 一日午前九時半
月次祭(小祭式) 十五日午前九時半
天長祭(小祭式) 二十三日午前九時半
今上天皇の誕生を祝し、皇室の長久と国家の安泰を祈る。
煤払神事(すすはらいしんじ) 二十五日午後三時
本殿以下諸殿の一年の煤を払い新年を迎える神事。
大祓 三十一日午後四時
「しはすのおおはらえ」と称し、日々の生活の中で知らず知らずの内に犯した罪穢れを祓い
除き、清らかな肉体と精神で新年を迎える。
除夜祭(じょやさい)(小祭式) 三十一日午後五時
除夜にあたりその年の大神の御恵みを奉賽し、新年の崇敬を誓う。
末社山祇社例祭 旧十一月七日午後一時半
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