社 殿

 「尾張造」と呼ばれ「本殿」「祭文殿」「回廊」「拝殿」が左右対称に配置され、それらの拝殿が回廊等によってつながっている。

本 殿
三間社流造 檜皮葺
大正九年四月十五日 特別保護建造物指定
昭和二十五年八月二十九日 重要文化財指定

 慶長十年(一六○五)清洲城主松平忠吉公(家康四男)健康祈願の為、室政子の方の寄進。
蟇股内には一部桃山文化の影響を遺す立体写生的彫刻と室町末期の平面文様が混在している。

楼 門
三間一戸楼門 入母屋造 檜皮葺
昭和三十三年五月十四日 重要文化財指定
天正十九年(一五九一)豊臣秀吉の寄進

 神社建築上、この位置は脇門であるが、明治以前天王川が川であった時、現在の馬場町の大銀杏付近に御旅所があり、この門より神輿御幸が行われていた為、神橋を構えあたかも正門の如き壮大な門とされたようである。
以前は、銅板葺であったが、昭和の造営に他の社殿に併せ檜皮葺に改められた。

南 門
四脚門 檜皮葺
昭和四十三年三月十一日 愛知県文化財指定

 慶長三年(一五九八)豊臣秀吉病気平癒祈願の為、子秀頼の寄進と伝えられていたが、真偽の程は定かで無かったが、昭和三十四年伊勢湾台風で、隣接の杉の大木が倒れかかり倒壊し、復元の際組木内より墨書きがが見つかり確証された。

祭文殿
切妻造 檜皮葺      
昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定

 文政六年(一八二三)の再建であるが、本殿と釣殿で繋がっていることと、飾り金具より本殿と同時期に建立されていたと思われる。

回 廊

切妻造(中殿正面軒唐破風付) 檜皮葺
昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定

 文政の大改修に際し、文政八年(一八二五)御師服部乙若大夫の三河・遠江・駿河の檀家より寄進再建。
          


拝 殿
切妻造妻入 檜皮葺
昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定

 建立年は不詳であるが、棟札に元和五年(一六一九)・寛永三年(一六二六)の修理記録や、慶安二年(一六四九)藩主より材の寄進をもって再建された記録があり、本殿の建立に併せ建てられたと思われる。以前は銅板葺であったが、昭和の造営に他の社殿に併せ檜皮葺に改めら現在の様式となった。

蕃 塀
切妻造 檜皮葺
昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定

摂末社

(摂社)彌五郎殿社(やごろうでんしゃ) 大己牟遅命(おおなむちのみこと)・武内宿祢(たけうちのすくね)
     本殿 一間流造 銅板葺
     拝殿 切妻造妻入 銅板葺
     昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定
     津島神社社地の地主神。式内社「國玉神社」との説も有る。
     津島神社の社家「紀姓」の姓祖武内宿祢を祀る。堀田姓は、正応二年(一二八九)彌五郎正泰
    の父之高が中島郡堀田村を拝領して堀田氏と称したと伝えられる。

     堀田彌五郎正泰(後述)は吉野朝廷に仕え、姓祖を祀る此の社を再建、己の佩刀「大原真守作の太刀」(現津島神
    社社宝重要文化財)を寄進された事により、彌五郎殿社と称する。

     現在の拝殿は、寛文十三年(一六七三)の再建。
     

(摂社)八柱社(やはしらしゃ) 須佐之男命の五男三女の御子神
     天之忍穂耳命
(あめのおしほみみのみこと)・天之菩卑命(あめのほひのみこと)・天津日子根命(あまつひこねのみ
      こと)
活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野樟毘命(くまのくすびのみこと)・多紀理毘売命(たぎりひめの
      みこと)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比売命(たぎつひめのみこと)
     本殿 一間流造 銅板葺
     昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定
     元八王子社と称し、寛文年間までは本殿相殿に祀られていた。


    稲荷社(いなりのやしろ) 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
     商売繁盛・授福の神

    多賀社(たがのやしろ) 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)(須佐之男命御父神)

    塵社(ちりのやしろ) 聖神(ひじりのかみ)
     俗に山神と云われる。

    熊野社(くまののやしろ) 伊邪那美命(いざなみのみこと)(須佐之男命御母神)

    久斯社(くしのやしろ) 少名毘古那神(すくなひこなのかみ)
     医薬の祖神

    庭津日社(にわつひのやしろ) 庭津日神
     元は屋根御前と称したが、八子御前の名も見られる。

    龍田社(たつたのやしろ) 志那津比古命(しなつひこのみこと)

    忍穂耳社(おしほみみのやしろ) 正哉吾勝々速日天之忍穂耳命(まさやあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)
     眼病治癒の神 元は星宮と称した。

    戸隠社(とがくしのやしろ)

    手力雄命(たじからおのみこと)

    内宮(ないぐう) 天照大神(あまてらすおおみかみ)

    多度社(たどのやしろ) 羽山戸神(はやまどのかみ)

    船付社(ふなつきのやしろ) 庭高津日神(にわたかつひのかみ)
     元は船着御前と称した。

    外宮(げぐう) 豊宇気比売命(とようけひめのみこと)

    大社(おおやしろ) 大山咋命(おおやまつみのみこと)   
     元は大社御前と称した。


    児之社(ちごのやしろ) 若年神(わかとしのかみ)
     幼児生育の神
     元は児御前と称した。

    米之社(こめのやしろ) 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
     五穀豊穣の神

     元は米の御前と称した。

    熱田社(あつたのやしろ) 倭建命(やまとたけるのみこと)

    和御魂社(にぎみたまのやしろ) 須佐之男命和御魂(すさのおのみことにぎみたま)
     元は蘇民将来を祀る「蘇民社」と称され、姥が森(現海部郡佐織町町方新田)に鎮座されていたのを
    瑞垣内に移したと伝う。
正月四日に祭礼を斎行し、本社拝殿前に「茅の輪」を立て、一年の無病息災を
    願い輪くぐりを行う。明治維新までは社領地の姥が森「姥社」に、祭礼後神供の焼団子をお供えしてい
    た。「姥社」は、古伝に「素盞鳴尊来臨の時、此所にて老嫗神託を蒙りしゆゑ社を建つ」とあり、又昔
    此の所に岩窟があり、蘇民将来の末裔が住んでいたとも伝わる。惟新後社領は上地し、お社も廃絶され
    古例も絶えて、永く荒れ果てていたが、昭和三十三年に松川部落の有志の努力により整備され、平成二
    年には社殿も再興され、本社と同じく正月四日に「茅の輪くぐり」が行われるようになった。

    大歳社(おおとしのやしろ) 大年神(おおとしのかみ)
     元は矢の御前と称した。


(摂社)柏樹社(かしわぎのやしろ) 須佐之男命奇御魂(すさのおのみことくしみたま)
     元は柏宮・柏社と称し、神託により須佐之男命を居森の地よりを此処に移された。社の後に古柏樹一
    株が生えていたところよりその名がある。

    愛宕社(あたごのやしろ) 迦具土神(かぐつちのかみ)
     元は楼門外北側に橋守社と相対し鎮座していた。

    橋守社(はしもりのやしろ) 猿田彦命(さるたひこのみこと)
     昔天王川に架かっていた天王橋の守神として橋の袂に祀られていたとも云われる。
     元は橋姫社と称した。

    秋津比梼ミ(あきつひめのやしろ) 速秋津比売命 (はやあきつひめのみこと)
     元は王御前と称した。

    瀧之社(たきのやしろ) 彌豆麻岐神(みずまきのかみ)
     元は瀧御前と称した。

    大屋津姫社(おおやつひめのやしろ) 大屋津比売命(おおやつひめのみこと)
     元は當下御前と称した。

(摂社)荒御魂社(あらみたまのやしろ) 須佐之男命荒御魂(すさのおのみことあらみたま)
       本殿 一間流造 銅板葺
       昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定
     元は八岐大蛇の霊を祀る「蛇毒神社」と称された。

     社殿は、華麗な彫刻と極彩色で飾られ、屋根は津島神社独特の古い形式を遺す美しい社殿である。

    若宮社(わかみやのやしろ) 尹良親王(ゆきよししんのう)   
     後醍醐天皇の御孫尹良親王(後述)をお祀りし、永亨八年(一四三六)の創立と伝えられる。

     元は事代主命を祀るとされ、若宮御前と称された。

    大国玉社(おおくにたまのやしろ) 宇都志国玉命(うつしくにたまのみこと)

    稲田社(いなたのやしろ) 櫛名田比売命(くしなたひめのみこと)
      須佐之男命の御妃、元一王子社と称し俗にうつくしの御前と呼称され、寛文年間まで本殿相殿に祀られいた。

(摂社)居森社(いもりのやしろ) 須佐之男命幸御魂(すさのうのみことさきみたま)
       本殿 一間流造 銅板葺
       昭和五十六年二月二十三日 愛知県文化財指定
     社伝によると、欽明天皇元年に須佐之男命を最初にお祀りしたと伝えられている処。天王が始め
    て来臨され神船を高津の湊の森に寄せて奉ると、蘇民将来の裔孫と云う。老女が霊鳩の詫によって
    森の中に居え奉った事により「居森社」と云われる。

     社殿は、天正十九年(一五九一)豊臣秀吉母、大政所の寄進。
      
    疹社(はしかのやしろ) 須佐之男命和御魂(すさのおのみことにぎみたま)
     古くより、子供のとの守神と厚く信仰され、米俵の蓋に一合徳利の酒と赤飯を載せ赤い御幣をつけ、三本のわら縄
    で境内の木に吊り下げて、子供の疹と疱瘡の軽症を祈願する信仰が昭和三十年代まで見られた。

    大日霎社(おおひるめのやしろ) 大日霎貴命(おおひるめのみこと)
     天照大神の別称

 其他の境内社

    照魂社(てるたましゃ) 戦没者の御魂一、一七〇柱   
     昭和二十六年御垣内に津島出身の英霊六百五十八柱を祀る祖霊社を建立したのが始まり
    で昭和二十九年に現地に移され、照魂社と改称された。

    菅原社(すがわらしゃ) 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
    稲荷社(いなりしゃ) 宇迦之御魂神(うかのみたましゃ) 
    祖霊社
(それいしゃ) 氷室家の祖霊
     以上三社は、神主氷室家の邸内社であった。

   境外末社

    竈社(かまどのやしろ) (祢宜町)
     中央に天知流迦流美豆比売命
(あめのちるかるみずひめのみこと)
     左に奥津比売神
(おくつひめのかみ)
     右に奥津比古神
(おおつひこのかみ)を祀る。
     元は三寶荒神社と称した。

    山祇社(やまつみのやしろ) (下新田町) 大山津見命(おおやまつみのみこと)

    八剣社(やつるぎのやしろ) (中野町)  須佐之男命荒御魂(すさのおのみことあらみたま)

    大土社(おおつちのやしろ) (今市場町) 大土御祖神(おおつちのみおやがみ)
     元は土御前社と称し、境内に石神社と琴平社を祀る、此の二社は今町の辻にあったが、明治四十三年に災上し、転
    移の上、大正三年現地に遷座された。石神社跡地は現存する。
     今社標には「土」の字に「、」がつけられているが、古文書には無い。

    堤下社(とうげのやしろ)  (本町)   須佐之男命奇御魂(すさのおのみことくしまたま)
     元は金燈篭社と称した。
     昔、金燈篭(現御神宝鉄燈篭)が在り、天王川を隔てた津島神社の遥拝場であった。

    市神社(いちがみのやしろ) (米之座町)   
     中央に大市比売命
(おおいちひめのみこと)
     左に大歳神
(おおとしのかみ)
     右に宇迦之御魂神
(うかのみたまのかみ)を祀
     昔より正月十日(現在旧暦一月十日)に初市(十日市)が賑やかに催される。
 

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