隠居のつぶやき(番外編 1部)

(1) 久しぶり
  25日・26日市内の清林館高校(私立・本年男子も募集し校名変更)で第1回の中学女子の招待試合があった。 地元中学4校と瀬戸・一宮から一校ずつと小規模の大会だった。高校の監督からの要請で顔を出した。数は少ないが地区の上位の学校ばかりだった。O中時代、T中時代、ミニと20数年苦楽を共にしたW先生との再会。瀬戸の方から参加された女傑のA先生、8年前倅の招待試合でお会いした。あのとき彼女大きなお腹をしていた。産休で休職中とか。その熱心さに驚いたものだった。あのときお腹にいた子今小3で不二ミニの男子部に入っているとのこと。世間は狭いですね。
  私がかってミニで教えた子ばかりの佐屋中も来ていた。懐かしい娘たち大きくなっていた。親さんたちとも会話ができた。佐屋チームは私の時から、私のアシスタントヲしていた先生、息子、教え子(高校)が監督を引き継いで30数年郡市の上位をしめ、毎年県大会に出場している(最近は全中準優勝の大治中の台頭で2位に甘んじている)。新チームセンター162cm、以下全く小粒チーム。リーグ戦、決勝戦強豪甚目寺中と対戦する。リーグ戦では2コーターまで10点差でリードされ顔色なかった。決勝戦は抜きつ抜かれつ膠着状態。2試合ともたまらず助言を、ボールもらいのポイント、デフェンスの範囲を3点エリアに絞ってはなど。不思議なことにそれを契機にゲームが一方的になり、次々得点し第4コーターでは交代選手が次々出る場面となって優勝。
  岡目八目が当たったようである。もしかしてミニ時代4年も教えてくれた隠居の言葉で、安心しリズムをつかんだのかも知れない。いずれにしても充実した2日間だった。

(2) 雨ニモマケズ
  東で朝日さん 親父ギャグを連発すれば
    その才の豊かなるを讃え
  西にあすなろさんこければ
    吾も同じと足をさすり
  南の博多で蒙古来襲と店長さんわめけば
    それは夢だとメールで囁き
  北でzanpakuさん痛風で苦しめば
    ひたすら神仏に癒しを乞う
  そんな隠居に私はなりたい

(3) 与えよさらば与えられん(9月28日)
  今日郵便屋さんが印鑑が欲しいと言ってきた。何事かと家内が出ていった。封筒に赤い「配達記録」信用金庫と印刷されている。こんな封書もらったことがない。急いで封を切る。なかから熨斗袋、Wチャンスキャンペーン一等賞と記載されていた。なんだかまだ分からない。説明文があった。6月頃だったか定期の付け替えをやったとき記入した籤の結果だった。まさか当たるとは思わなかった。でもちゃちな商品だろうとなかの包装を開いた。旅行券1000円が顔を見せた。次は同じく1000円札・・・矢っ張り大したことがない。6枚目を見た、おや5000円札、次は一万円札3枚。これはラッキー。
  2週ごとに嫌々いく医者でいつもの血圧測定、ひさしぶりに少し下がっていた(それでも大分高い)。気分を良くして帰ったところへのこの一等賞。
  そう言えば少し前ジャンボさんに万座温泉の無料宿泊券をもらっていただいた。(娘夫婦が夏休みに宿泊して多数のなかで宿泊券1枚を籤で当てた。その処理に困っていたのでジャンボさんに郵送しました。)「与えよさらば与えられん」これは事実だった。先ほど信用金庫に言ってお礼の言葉を言い「お土産買ってくるよ」と伝えてきた。
  隠居の楽しい一日、ニコニコして今図書館から5冊借りて戻ったところです。

(4) ありがたいことだ
  直ぐ近くのサークルKで買い物をしての帰り、交差点で止まっていたトラックの老人?こちらを見て手を振る。よく見たら中学で最初に卒業させた渡辺君だった。彼の息子も娘も教えた。「先生元気そうでいいな、来月の湯ノ山一泊同窓会出席してくれる?」「勿論楽しみにしているよ」と答えた。20歩も歩かないうちに道の反対側から真っ赤なセーターを着た婦人が近づいてきた。よく見ると大河内さんだ。「今先生のうちにこの間の旧3Aの同級会の記念写真をポストに入れてきました」と。車で去っていく彼女に心で合掌。家につくや否や写真を取り出す。ビーズのお礼を入れた挨拶状、みんなと撮した写真、美しい花束を贈られているスナップ、家内と共に見る。隣に座った、私にもっとも多く叱られたと言う、ダンプの運転手の大野君があまりにもでかい体躯で、何となく小さく見える自分の姿に少し老いを感じた。教師冥利に尽きる。

(5) IT講習効果か
  昨日中学最初の教え子(兵庫県在住・女性・59歳)からメールがあって驚きました。まだ2日ほど前から始めたばかりだと。先月も56歳の教え子(女性)がIT講習を受け娘さんのコーチでメールをくれました。隠居は女性にもてるのかな?莫大な予算で行われているIT講習会は徐々にその効果を顕わすだろう。
  1歳年上の姉もメールをやっています。最近は私のHPも読んでくれています。冠婚葬祭しか余り会えない姉妹たちともメール交換が始まりました。私の「終戦秘話」などもみて「お兄ちゃんのすばらしさに感心した。子供や孫たちに自慢している」と誉めてくれています。メールは血族や縁あった人たちとの距離を一段と縮めてくれます。またHPは未知の多くの心温かい人たちと交流できて、大変ありがたいことです。

(6) 旧3A同級会余談
  あの楽しかった同級会の席で出席できなかった美容師をしているN子さんから私へのプレゼントがあった。salon professional BASIC SHAMPOO とBASIC CONDITIONNER それぞれ1000mLであった。また出席していた女の子が美容室を開店しますので宜しくと挨拶、全員に小型の洗髪剤を2個ずつ配ってくれた。
  隠居は九州から取り寄せた馬油の石鹸を使用していて、SHAMPOO とかCONDITIONNERとかよく分からない。N子さん私の頭髪の少ないのを心配してくれたに違いない。これを使ったら頂上まで光ってきたところに、ふさふさと黒髪が・・・。
  それにしてもいつも苦々しく思うことがある。それは理髪店である。頭髪が若いときの3分の1ぐらいになっているのに、理髪料は同じである。不公平ではないか。心中ぶつぶつ言いながら出てくる。ああ、若き日は紅顔の美少年だったのに・・・。

(7) Re: 隠居のつぶやき 番外... ぼんじゅーる - 2001/10/15(Mon) 19:31 No.61
  「御隠居様には、去年の立田で行われたクリスマスマッチでちらっとお会いしたのが、最後でその後フランスに来てしまった私達家族です。こんなに離れているのに会話に参加できるなんて、本当にすばらしい事ですね。E子は現地のバスケットチームで頑張っていますよ。これも一つの国際化かなと思って見守っています。これからも「つぶやき」を楽しみにしています。このように海外にいると、テロの報復などの戦争についても緊張感が違いますよ。早く平和解決ができるといいなと、願っています。」
  私が播いた一粒の種、佐屋ミニ、皆さんのお陰で生長しました。私の引退後入部したエミちゃんが今小4でフランスでバスケをやっているそう。いよいよ国際的。関心のある方覗いて下さい。
  佐屋ミニ  http://www7.plala.or.jp/sayamini/ の「エミちゃんのフランス日記」
  フランスのミニ   www.kangourous-basket.com

(8) サックサック
  静寂な朝境内を歩む足下で玉砂利が鳴く「サックサック」と。この小さな砂利どこから・・・・。テレビで砂利とり船転覆の報道、海で採石なのか。これからの季節落ち葉が多い。神社では毎朝巫女さん神官さんらが竹箒で清掃。難儀なこと、落ち葉だけ吸い込む掃除機はないのか?
  山の岩石が砕け流れ流れて海へ、そして今足下に、サックサック悠久の歴史を感じ心が澄んでくる。こんなおりいろいろな思索をする。バスケの指導の問題点を工夫、隠居のつぶやきの草稿を考える。各地の掲示板の話題など・・・。
  サックサック向こうから老夫婦、奥さんに縋りつつ肢体不自由な老人、奥さんも足にはサポータを。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に従いつつ・・」子供の時ラジオから流れていた浪曲「壺坂霊験」の一節が甦ってくる。サックサック私たちは生かされている。

(9) 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
  11月23日中学で最初に送り出した子供たちの同窓会に招かれた。当年59歳の人たちである。村の体育館に集結迎えの旅館のバスで三重県の湯ノ山へ。
  宴席での挨拶で隠居夫婦の力作を?チョット早いクリスマスプレゼントを、女性陣だけに抽選で配ると発表。みんな何かとのし袋を開ける。それぞれ異なったビーズのリングに喜んでくれた。   遙か兵庫から来てくれたY子さん、東京からはすっかり頭髪がなくなった長身のN君、女房4人目と豪語するI君、2男1女すべて片づけたという村会議長のK君、8人兄弟の末子に生まれみんな夫婦とも健在を誇る腕白少年だったH君、未だ娘が30過ぎて残っているH君、おれも孫ができたと笑顔のK 君・・・応接に忙しい。すると1人小太りの女性がやってきた。かっての住所と旧姓を名乗る。初めての同窓会出席のようだ。チョット記憶がない。彼女曰く「先生が1年生の時背面黒板に書いた語句・・・・・為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり・・これをずっと心に刻み子供たちを育てました。先生有り難う」と。書いた覚えは全然ない。
  後になったが会の冒頭幹事が一枚の小さな写真を見せ紹介した。「昨年参加したO君病のため亡くなった。奥さんから出席できないから、せめてこの写真を置かしてやってくださいと」。あの学年1番のやんちゃ坊主だった彼、隠居に先だったとは無念。今キーを打ちつつ眼鏡が曇ってきて文字がかすんだ。
  翌朝ロープウェーで御在所頂上に登る。快晴で眼下に見える景観は見事であった。もう昼には村に戻る。体育館では2日間にわたるミニバスケの大会が行われていた。男女16チームで会場は溢れていた。正面を見ると私たちが何年も前に作った大きな看板が舞台上に架かっていた「第12回立田村長旗争奪ミニバスケットボール大会」。ああもうこんなになるのかと往時を思い起こしつつ家路に急いだ。

(10) 嬉しいな 10月30日記す
  夕べベルがなったので私が出ていったらY君だった。いつものように新鮮な茄子を持参してくれた。彼は初めて中学で送り出した教え子で今村会の議長をやっている。村会議員の4期目である。もう亡くなられたが父親も議員をしておられた。全く親子2代とも温厚な人柄である。彼は秀才だったがやや病身だったので近くの昼間定時制の農業科を出て施設園芸に励んでいる。青年団の団長もやりその面倒を見ていた私とも縁深く、キャンプの世話や盆踊りの開催など共に取り組んだ。彼の結婚式にも招かれた。次男が生まれたとき電話で「先生の名前をもらうよ」と言ってきた。15年ぶりに村の中学に戻ってきて長男、長女、次男を教えた。みんな優等生だった。私の名(勝)をもらったという次男はちょっと女性的な感じで全く私の正反対だった。 Y君は毎年「茄子」を持ってきてくれる。それも40年続いている。私はそれほどたいした教師ではなかった。昔の教師に何年も新鮮なその年の収穫を持参し、直ぐ立ち去っていく彼の心情にただただ頭が下がる。こんな人物が村のリーダーになったことを心から喜ぶ。この村には娘が教え子と結婚し2人の孫がいる。2人とも中学はバスケ部員、次男は高2で現役である。