隠居のつぶやき(番外編 4部)

(31)元旦早々びっくり
  元日夜掲示板を見て一瞬誰かしら「困った部員 N」なんてHNは見たことがない。誰だろう?と文を読んでみて「彼か」と気づいた。初冬に偶然会った彼が「パソコンの高いのを買ったがメールもインターネットもできない」と言うので初めて彼の家を訪問し少し手ほどきをした。彼は私の「隠居のつぶやき 第5部 (41)困った部員」の主人公である。しまったN男が「つぶやき」で自分について書かれた文章を読んでしまった。それも私が見方を伝授した結果・・・・。やむなし。でも正月の挨拶に[困った部員N」のHNで書き込んでくれて嬉しかった。あのやんちゃな彼が立派に成人し、2児の父親として、また仕事にミニに全力を尽くしているのを知ってとても嬉しく思う。正月から感動しました。
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  明けましておめでとうございます
困った部員 N(930) 投稿日:2003年1月1日<水>20時52分
ご隠居様、昨年はありがとうございました。少しはパソコンが使えるようになりました。今年も、先生に負けないぐらい頑張りますわ。今は男子チームを軌道に乗せるので大変なんですけど、結構楽しいです、又見に来てください。


(32)無双の闘魂 我らバスケット14姉妹
  余り使っていない部屋を掃除しようとしたら、寄せ書きの額縁に気づいた。中央に「無双の闘魂」と太く書かれている。昭和52年卒の子たちで私がS中10年目最後の年で県2連覇したときのメンバーがくれたものである。。この子たちは「今昔物語 第12話、19話」に登場している。「無双の闘魂」は手製の横断幕の文字だった。ちなみに彼女たちが書いてくれた文を紹介させていただきます。
この思い出をいつまでも   S  ・  赤パンに思い出がいっぱい   M
3ケ年の積み重ねを忘れずに F  ・  バスケットで得た友情を大切に A
つらかった。でも今は満足です。呼吸困難もいい思い出  O
いつまでも忘れません忍耐の尊さをー  I ・ バスケットの出会いありがとう T   先生のバミューダーもう一度見たい   G ・友の笑顔とはずんだ声   K
試合の終わった後の先生の顔忘れられない M
ぞうきんがけつらかったなー  F  ・ バスケットにかけた青春の一ページ Y   ボールににかけた3年間決して忘れはしない  B
バスケットを通して学んだファイトでガンバリます   T
すでに彼女たち41才、もう子供も何人かいるだろう。母親が頑張ったように子供たちも部活で活躍しただろう。現に今ガンバッテいる子も。無双の闘魂で母も子たちも天下無双の幸せをつかんで欲しい。


(33) 想い出の校長さんたち 1
  数えてみたら在職中世話になった校長さんは15人に及ぶ。温厚な人、積極的な人、強引なひと、交際上手な人、碁が好きな人、スポーツマン、音楽家・・・様々であった。その中で印象的だった方たちについて語りたい。
I校長
  村の小学校での2番目の校長さん。10Kmほどの距離を自転車で登校。温厚篤実な方だった。いつもポケットマネーで饅頭を買ってこられた(当時は抹茶を休憩時に飲んでいた)私が町へ帰るときよく饅頭屋さんに誘って貰って和菓子を奢ってもらっていた。
  私が宿直中の風の強い真夜中、部屋の雨戸を叩く音に目覚めた。校長さんが強風の中学校に来られたのだ。「この強風で建築中の新校舎に異常は無いか見に来たと」(木造校舎)これには驚いた。校長とはここまで責任を負うものかと。
  この時代学校には電話が無かった。校長さんは同窓会の幹部とともに有力な同窓生を各地に訪れ寄付の要請に努力された。寄付金だけで当時高価な電話が田圃の真ん中の学校に施設された。お陰でとても便利になった。当時は始業のベルもなく鐘をついていた時代である。
  ある日校長さんが病気で休まれた。先生の月給をもって家まで行った。そこでご馳走をよばれ酒に酔って泊まってしまった。翌朝弁当まで作ってもらって登校した。なんと厚かましい若者であったのだろう。昔の校長さんと部下にはこんなつながりもあった。


(34) 想い出の校長さんたち 2
  小学校3番目のU校長さん
  この先生は町の学校の教頭から赴任された。どうも校長になったのが不満だった様子。同級生の親父さんで音楽家であった。音楽の教科書にも曲が出ていた。この校長さん一風変わっていた。当時校長さんは何か行事のある度に金一封を出すのが慣例だった。この先生それが嫌でたまらんという。「そんな金は使いたくない、もっと役に立つことに使いたい」と。運動会に私が組み立て体操を指導していたら、「私が伴奏を作ってあげよう」と言われ、実技を見ながら曲を作られた。さすが音楽家だと感心した。
  私が中学へ変わりたいと言ったら、隣の村の校長の家へ酒を持って頼みにいかれたとあとから中学の校長に聞いた。人を見るのに上辺だけで評価してはいけない。U校長さんの隠れた行為に感謝したものである。


(35) 想い出の校長さんたち 3
   バスケに夢中だった中学でのO校長さん。有名なスポーツマンである。昔職員旅行があったが、途中から単独行動である。健脚をもって好きなところへと出発。特に山登りは得意だった。校内水泳大会では自ら飛び込んで模範水泳。実に若々しく見事だった。旧制中学教員の検定にも体育の部で合格されていた。視聴覚教育関係で県の委員長もしておれれた。海沿いの村の名家で私たち職員大勢が招待されたことがある。大きな旧家で昔庄屋などされていたようだ。部屋には立派な七宝焼きの壺がいくつも陳列されていた。庭には珍しい草花がいっぱい作られていた。
  定年前村で押され村長選に立候補しわずか10数票の差で落選された。その後何年も経ずして亡くなられた。選挙の後遺症だったのかしら。
  息子さんはO先生と瓜ふたつと言うほど酷似されていた。高校のやはり体育の先生で倅のバスケの監督でもあった。 親子2代世話になったわけです。この息子さんも教師を辞め村長選に出馬されたが、やはり落選された。選挙は教員には無理だろうか。
  今でも人情こまやかで一方豪快だったO先生が懐かしく思い出される。息子の大学進学にあって親身になってお世話いただいたことは終生忘れられない。


(36) 想い出の校長さんたち 4
  M校長さんとは私が15年ぶりに戻った中学で出会った。真面目さを絵に描いたような人物で、木曽川の向こうの三重県から私同様バイクで通って見えた。毎朝必ず一番の登校である。誰かが校長さんより早く来ると、翌朝それより前に到着。どうも若いときから一番乗りだったらしい。
  出張があってもほとんど学校に戻ってこられた(校長で勤務時間以後に帰校する人は皆無)。そして校舎を一回りして施錠などを点検された。夏休みになっても連日登校。鎌を持って炎熱下膨大な量の草刈りを一人黙々としておられた。
  こんなこともあった。「歯が痛い」と頬を押さえておられた。「歯医者へ行っては」と何度も周囲が言っても頑として動かれない。勤務中だからだろう。この頑固さに驚く。学期末になると教務主任の私が各担任の提出された通知票を点検し、学校長に出す建前になっている。ところが私が部活にいってしまい、部活終了後通知票をみようとすると通知票が無い。「先生私が先に見せて貰いました」とM校長さんが言われた。全く逆である。こんな献身的で人格者の先生は見たことがない。
  国道沿いの小学校へ転勤された。「先生、交通の激しい地帯だから、これからは余り早く登校しないように」と忠告した。しばらくはゆっくり学校へ行かれたようだが、また一番乗りが再開されたようだ。「どうもゆっくり登校すると体の調子が悪いから」と。


(37)想い出の校長さんたち 5
  1ケ月ほど前私の留守中O校長さんが3冊の冊子を持って訪問された。家内はびっくりしたと。それもそのはず一度も会ったことがない。有名な金魚の町から訪問された。よく私の家が分かったものだと感心した。昭和61年に退職された。
  私がS中10年終わって今バスケで著名なO中に転じた時、O中の教頭から小学校校長に転出された。そして2年後O中に戻ってこられた。私は3年間接してきたが実に精力的な先生だった。学校が荒れたとき「学校を救うのはあんたしかない」といわれ「3年菊組」を創った。
  冊子は退職時に作られた「教職回顧」今年製本された「落葉集めて」「歌集 天寿園」でした。町でかなり活躍されているとの噂は聞いていたが、冊子でみると凄い行動力である。公民館長、シルバーセンター創立、文化協会顧問、老人クラブ連合会長、文学碑建設・・・・。高齢でありながら席の温まる暇も無き活躍、頭が下がる思いである。
  そういえば在職中は郡市・尾西。県の陸上部長を歴任された。また男子生徒の長髪を禁止されたり、劇団を招いたりと次々と施策を実行された。今だに衰えを知らないO先生の生き様に尊敬の念を抱きつつ、少しでもあやかりたいと思うこの頃です。


(38)世にも奇特な・・・No1(長くなるので4回に分けて書き込みます)
  娘が「このアンケート記入して出すといいよ」と言って一枚の葉書を渡した。コーヒー用のスジャーター3ml20個(売価128円)を買ったらコーヒーの試供品一個(5袋いり・・同等品は158円を100円)がつき、先のアンケートがついていたのだ。アンケートに記入して送るとコーヒーの試供品 がいくつか送ってくれると書いてあった。半信半疑簡単なアンケートに答え切手を貼ってポストへ。
  本当かしらと疑いつつ何日も経った。すっかり忘れていたある日、宅配で一個の箱が届けられた。中を見てびっくり試供品 が8個も入っているではないか。全部で40袋、  「きくのIFCコーヒー、ドリップバッグ、スペシャルブレンド」と袋に印刷されていた。この世知辛い時代によくもこんなサービスができるのかと仰天した。まだ驚くべきことが続いてあった。  続く


(38)世にも奇特な・・・No2
  もう一度アンケートが入っているスジャーターがないかとスーパーで見ていた。残念ながら試供品もついていない。家内とぶつぶつしゃべっていたらそこにいた青年が話しかけてきた。メーカーから来ていた社員のようだ。「人づてに聞いたが切手を送ると特別のにんにくがいただけるそうだが」と尋ねてみた。「会社のHPをみてメールでもされては」と教えてくれた。
  帰宅して早速ネットで会社を検索。問い合わせで「にんにく」についてメールした。翌日返信あり指示に従い住所、電話、氏名、生年月日など書いてfaxで送った。これで品物を待つばかりと思っていた。ところが先方から一通の封書。規定の申し込み用紙が入っていてそれで提出とのこと。50歳以上の方、1人なら200円切手、2人なら270円切手を封入されたしと。
  どんなにんにくがどのくらい無償で送られてくるのか?多分1回分だけだがもしかしたら継続されるかも。そんなことはあり得ないが。          続く


(38)世にも奇特な・・・No3
  投函して大分経った4月21日ふと郵便受けを覗いたら「めいらくグループ名古屋製酪株式会社バイオ開発研究所 蓬莱係」から2人分のにんにくが送られてきた。一袋200粒、1粒〜3粒(1日)2ケ月分。希望なら継続手続きで切手を送ればよいと。
  会社発行の百寿より抜粋{・・・にんにくの研究に日夜励んでいます。特に、蓬莱に含まれる「アオヘン」の有効性については痴呆症予防、ピロリ菌撃退、脳卒中予防、強心作用など、数多くの有効性を証明し、特許を収得したり、論文発表を行っています。・・・}またページの終わりにはこんな文がありました。{ お陰様で、”蓬莱”の送付は20万人を突破致しました。たとえ経費は多大でも、健康になった皆様の喜びが、めいらくを支えてくださっております。}これはこれは大変なことだ。20万人の人に継続して無償で配布されるとは。気の遠くなるような慈善事業、こんな奇特な方が実在されているのですね。そういえば以前読んだことがある。創業者がにんにくで健康になり事業が成功したので、社会に還元すると書いてあったのを。     次回手続きについて書き込みします。これをお読みの皆さん親さんのために申し込まれたらいかがですか。     続く(38)世にも奇特な・・・No4
  20万人にサービスいくらのお金がかかるのだろう。手元にある冊子の卵油の広告は320粒入り9,800円、送料350円とある。これから想像すると莫大な費用がこのにんにくのサービスに投ぜられている。世の中には本当に奇特な方がおられるものだ。 『蓬莱』のお申し込み方法 (転載)
官制はがきに、郵便番号・住所・氏名・年令(生年月日)・性別・職業・電話番号を明記の上、下記までお申し込み下さい。 〒468−8588(住所記入不要)
名古屋製酪株式会社 蓬莱 HP係  ※50歳以上の方に限らせて頂きます。
(註:無臭です。品名 生にんにくカプセル。被包材はゼラチン、グリセリン)
{どなたか教えて:娘の担任する小2のクラスと同学年のクラス2組の子の誕生日のプレゼントに、折紙で玉を作っています。折紙を4等分しそれで円錐状の星形を作り、40ケ程糸で結びます。(これで人形もできます)部品は大丈夫ですが数の問題と結び方が不明のためか、綺麗にできません。既に凄く時間をかけ夫婦で30数個作りましたが気に入りません。ご存知の方があったら教えて下さい。こんなところでお願いしてご免なさい。}


(39)ミニ日本1の内情
  今年3月初出場で全国大会で優勝したチームの監督さんが手記を掲載。南予塾塾長のたっての要請で。(南予塾http://www.cnw.ne.jp/~morimori/)
  03年 ☆全国ミニ大会@☆ 投稿者:リトルホーク    こんな題名で出ています。5/6年生でわずか7名、大会最低身長で、常識を超えるユニークな指導で全国優勝をされた。私はびっくりしました。凄いチーム、すばらしい指導者が見えることに。
  なおコーチKさんの質問に対して直ちに返事をKさんの掲示板(http://www3.nsknet.or.jp/~demachi/)に投稿されています。是非皆さん一見してください。リトルホークさんのHP  http://www.icnet.ne.jp/~yakiko/index.htm
  (あちこちのHPにいつも駄文を書き込み迷惑をおかけしています。そのため最近は自粛しています。でもこのレポートはとっても有意義ですので、あえて紹介させて戴きます。)


(40)この数字は???
148・・・平均 、  6・・・147/148/156/157
5・・・・139/146/150   4・・・155  3・・・140/142もうお分かりでしょう。あるチームの学年別の出場選手です。この子たちで全国優勝、千葉の中山MBCです。誰しも信じられない低身長軍団です。
 島根の理事長さんのmocchin先生が中山の小鷹監督さんへの掲示板でのコメンとで  「 超スーパー小学生〇木さんを擁する島根県代表の三刀屋ミニを撃墜されて日本の頂点に立たれたことにも奇縁を感じます」とあります。2回戦170cmを楽に超えると思われるセンターに次々得点されるもついに44−49で勝利。
 この構成で中山同様週5日(火日以外)を私が練習を見たとしても、地区の大会での1勝さえおぼつかない。それが強敵をねじふせ決勝では20ー54の快勝。
 お互い指導を預かる者往々にしてチームの構成を嘆くものですが、中山の快挙をみて指導のあり方を内省し、可能性への夢を育みたいものです。
   mocchin先生のHP  http://www2.matsue-ct.ac.jp:8088/~y-mori/
   中山MBC       http://www.icnet.ne.jp/~yakiko/index.htm