隠居のつぶやき(番外編 5部)



(41) NHKのど自慢
  暑中お見舞い申し上げます。酷暑のなかでもバスケの指導やら運営などご尽力いただいておりご苦労様です。
  さて今度の日曜日、NHKの”のど自慢”が佐屋町体育館完成に伴い行われます。平成2年立田村に続きこの町にもミニバスケを発足しました。今や50数名の女の子が嬉々として参加しています。また男子ミニも今年できました。
  もしお暇がありましたら歴史ある町の様子、体育館の様相など、のど自慢を聞きながら知っていただければ幸いです。隣の町に住む私はまだその体育館を見ていません。11月にここで初のミニバスケの招待試合を行うため準備中と聞きました。
  一粒の種がどんどん実を結んでいくのも、後継者の皆さんの努力、親さんたちの協力の賜と感謝しています。


(42) 忘れていた
  先日こんなメールが入っていた。
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  残暑お見舞い申し上げます。昨日、尾張選手権大会が終わりました。結果は、3位でした。五条高校始まって以来の好成績でした。私自身も3日間連続の公式戦は、久しぶりでさすがに昨日はぐったりしてしまいました。・・省略
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  今昔物語「第13話 一滴の涙」の主人公からのたよりだ。彼女母校の体育教師から今3つ目の進学校にいる。学校環境もあって久しくその成果は耳にしなかった。正直言ってすっかり忘れていた。県ベスト4の清林館高校や縁深き佐屋中、佐屋・立田ミニの動向に注目していた。このメールをもらって「あっTakakoも業績を上げているな、がんばっているな」とあらためて認識、心のなかで忘れていてゴメンねと呟いた。彼女170数センチ、結婚式で見たご主人それを遙かに超えていた。確か最初に女の子出生、今はきっと長身のお嬢さんになっているはず。もう高校生かな?


(43) 風のたよりで
  今夏全中女子の部で優勝した九州の某監督さんがマスコミで部員に対する差別語云々で批判されているらしい。どうも平素の行動への不満が保護者や周囲に反感をもたれていたかも。折角全国優勝の功績も一挙に消えてしまいそうである。
  このチームに不運にも決勝トーナメント1回戦にあたり、61対69で夢絶たれた大治中鷲野君から挨拶状がきていた。文中に「目標であった 中学生でもよく見て、考えて、判断して予測して工夫すれば、ここまでできる」というバスケットを見ていただき、試合内容としては決して負けていないと実感すことができました。・・・の文は印象的だった。なお文末に「大治バスケットの理念であるSkillよりWill、型よりも意志、意図を大切にするチーム、選手、中学生を育てて来年の東京全中で大きな大きな夢を叶えたいです。」 とあった。このチームの横断幕は「素晴らしい選手である前に素晴らしい生徒であれ」と言った文字が書かれていた記憶がある(多少違うかも)。
  とかく非難がある文頭の監督に破れた鷲野君も、横断幕の言葉に恥じない指導を実践すれば、きっと幸運を招くと信じる。


(44) バスケット漬け(11月29日)
  土、日と病院の付き添いを倅と娘に替わってもらったので久しぶりに?我が家で就寝。独居はなんとなく落ち着かずわびしい。
  立田ミニに春日井のJBCがこられると聞いていたので、会長さんに迎えに来てもらった。体育館に着いたら三重県より3チームも参加され計5チーム男女の練習試合であった。見覚えのある監督さんが挨拶に。10年ぶりかの再会で旧交を温めた。
  男子チームのチビッコたちがいっぱしの格好をして、スピーデイなプレーをしているのに驚き頼もしく思った。またBチームの女の子がシュートを成功させにっこりほほえんだ顔が印象的だった。きっと初ゴールだったのだろう。
   降りしきる雨の日、信号機一つない不便な村の体育館で、こんな盛大な練習会が催され子供達が嬉々としてゲームをし、親さん達も手に汗を握っての声援、15年前には夢にも思わなかった光景です。後継者の皆さんの絶え間ない努力にただただ感謝。次週の土日には第14回の立田村長旗争奪大会が行われます。あの舞台上に掲げるでっかい看板を14年前描いた思い出は今も鮮明に記憶している。
  午後3時頃帰宅倅の車で病院に行く。夜佐屋ミニへも顔を出そうと運営委員さんに迎えに来てもらった。もう顔見知りになった子供達が笑顔で迎えてくれる。AチームKコーチがセンター陣の指導で手薄だったので、反対側で残りの子たちを指導してあげた。
娘から「休養のため家へ帰ってのに・・・」とメールが来たが、終日バスケ漬けでかえって子供達からパワーをもらった気持ちです。


(45) 廃墟の館
  家内の入院(もうすぐ退院)に昼夜つきそっているが、日中親族にしばし交代してもらって家へ。バイクで12分ぐらい、途中にでっかい廃墟の館がある。窓ガラスはすべて割れている。幽霊でも出そうな不気味な館。「東洋ボール」と書かれた大看板があがっている。あの天下に有名な横井英樹氏が郷里に建造した大ボーリング場の跡だ。彼は病院のある町の出身で若くして財をなした。郷土の出世頭である。聞くところによれば彼の父親はいつも私たちの町で酔いつぶれていたとの噂。
  実は私が小学校教師になった昭和25年頃、先輩教師が横井英樹氏と血縁があり、職員旅行で彼の箱根の別荘に宿泊したことがある。当時破竹の勢いの氏が買い漁った別荘の一つで某宮様の所有だったそう。
  横井氏は後年作家阿部譲二氏が旧親分安藤某氏に拳銃で撃たれ社会面をにぎわせた。安藤氏は殺し屋第1号とか喧伝された。また氏が経営していたホテルニュージャパンの大火災で死者33名の大惨事、さすがの時代の風雲児もついに獄舎の人となる。
  大成功者であった彼が盛衰、廃墟の館が語る無言の教え、私はこの建物の前を通るたびに、厳しい現実をひしひしと感じる。驕る者は久しからず。バスケの名門もなかなか永続しない。ひたすら謙虚なることが大切だと思うこの頃です。


(46) 古武術と時代小説
  「伊真の前後斬りは、前を2度斬るよりも速い。そのまま脇構えに流用され、後ろ足が即、前足へと変じる。それに合わせて首を振り向け、目線も二の敵へ向ける。頭と心の切り替え一つだ。この一瞬に身体の重みを移し替えることで、剣に威力を与えるのだ。」「肩甲骨や骨盤の各骨を動かすことで、体内に流れを生み出すのだ。身の重みを操って動力とすれば、大きな技も繰り出される。」時代小説「甘水岩」の一節である。
  著者は多田容子氏である。内容ははぐれ忍者の物語。近年著名になった女流作家である。かって「秘剣の黙示」で紹介したことがある。彼女居合道三段。柳生新陰流。小転中伝。手裏剣も嗜む。勿論あの古武術研究家の甲野善紀氏の関係者である。


(47) 貴重な体験の転載 2月25日
  今朝大阪のPLマジック&PLミラクルさんの連絡コーナーで
  (http://www2.odn.ne.jp/~cdt50040/)で「ある保護者」さんの書き込みがありました。とても貴重な内容でしたので管理人さん、「ある保護者」さんの承諾を得て転載いたしました。
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  私の娘は母子医療センターで重度仮死状態で産まれました。九分九厘、障害が残るであろうと宣告されましたが、小さいことを除いては、健康に普通に育ちました。超未熟児の会というものがあり、その会合への参加依頼があったので、就園前や就学前の子供達の、親御さんの参考になるなら、何か人の役にたちたいと言うので参加しました。
  その際、母子センターのNICU(新生児集中管理室)のDr.の娘さんが中学からバスケを始め、その時女子が10人入部した中で8人までが、夏休みまでに膝などの故障が出たのに、娘さんともう一人だけがどこにも痛みが出なかったと言う話が出ました。
  Dr.が不思議に思って、もう一人子のお母さんと話をしたところ、2軒とも1年中、クリスマスやお誕生会以外は、冷蔵庫にはお茶と牛乳以外は入っていないことがわかったそうです。それとスナック菓子も買わないようにしている家庭でした。
  そのことを聞いたとき、私も家の冷蔵庫には、お誕生会などお友達が来る時以外は、お茶と牛乳以外は入れないことを思い出しました。無論、普段出来るだけスナック菓子は買わないようにしています。
  それまで、ミニバスの子がよく、膝や腰などを痛めることが多い中、娘は、どこも痛いと言わないのは、体重が軽いため、関節への負担が少ないのかと思っていたましたが、そうではありませんでした。
  糖分の取りすぎによって関節が弱くなるのがわかりました。Dr.がこのことを、健康に産まれて普通に育っている子供さんの親にもぜひ教えてあげて欲しいと切望されました。
  ジュース類特に炭酸飲料は出来るだけ子供には飲ませないことをお医者さんは提案しています。(試合中や試合直後は、エナルギー補給のためスポーツドリンクや糖分を取る必要があるとは思いますが、スポーツドリンクも非常に糖分が多いことは盲点です。)
  スポーツをしている子供たちの指導者や保護者の方にこのことを少しでも知っていただきたいと思います。


(48) 七つの顔
  「ある時は説教じじい、またあるときはBBマッドおやじ、時に館の主、さらに”う”さん・・・・そしてその実体は・・・」。私が少年時代銀幕で片岡知恵蔵が七つの顔を演じ、映画の終わりに悪人を前にその正体を独特のしわがれた声で現す名セリフ。いまだに耳朶に残っている。
  上記のBBマッドおやじ、彼は愛媛県にあって南予塾を塾長、塾頭と三人で作りユニークな活動を展開している。南予塾の掲示板は25ヶ月で30万を突破、1日平均400のアクセスである。親父はここに殆ど毎日健筆を揮っている。
  その彼が「鶏助の宿」と言う奇妙なHPを昨年開設。バスケは勿論、音楽あり、美術あり、書籍、時事評論、名言集等々、まことに7つの顔。ここには出ていないが彼は料理も趣味の一つだそう。まだ1年経ったばかりに33,000台。驚異的なアクセス数。
  バスケに関わりたいが為夜の仕事、そして日中はバスケ指導、大会、練習試合など観戦の明け暮れ。双子の兄は塾長、ともに50歳、塾頭は幼児から大学まで彼らと一心同体。兄もまた夜の職務。塾頭はバスケのため自営業を、なんと凄い男達だろうか。
  以前南予塾については紹介いたしました。今回は「鶏助の宿」を一度訪問してやってください。得るものが多々有ると思います。私は日に数回は開いています。
南予塾 http://www.cnw.ne.jp/~morimori/
鶏助の宿 http://www11.ocn.ne.jp/~oo18/index.htm


(49) この人も本物
  今朝久しぶりにO先生のメールが入っていた。3年前に男子の監督を若い先生に譲って工業高校で女子バスケ部を創られた。最初は同好会で数人のメンバー、勿論中学時代はスタートでなかったそう。悪戦苦闘しながらチームを育成。かって掲示板で紹介したことがあります。先年度から部として大会に出場。弱小ではあるが工業高校では珍しいと。今朝のメールで新1年生が10名も入ったと(但し経験者は6人)。
  {・・・こちらが終了後「我が家が家庭不和になるから、もう終わりにしようぜ」と言うまで自主練習続けている7〜8人の生徒を見ていると弱いながら、そんな生徒と接することができる幸せをかみ締めています。}
  O先生私の近くの普通高校で素人監督、当初私が指導していたがバスケが嫌だったらしい。今では我が子を離れた村のミニまで送迎する熱の入れよう。
  {やっぱり辛抱ですね。「石の上にも3年」の諺のとおり実ってきましたね。「日本一の工業高校での女子バスケ」への実現を目指し次なる1歩を踏み出してください。チームに崇高な理念があると夢は実現していきます。成長の過程をまたお聞かせください。}と返信しました。ここにも地味ながら本物を目指す方がおられるのを嬉しく思います。


(50) おか目六目?
  オリンピック報道がたけなわだったが私は全中のバスケの経過に関心が強かった。地元大治中の挑戦、呼び声高かった東京成徳の戦いぶりなど。大治を破って東海2位、リーグ1回戦で東京成徳を破った朝明の快挙。168cmの2年生が最高で、選手も3年生6人、2年生4人、、1年生5人の構成。監督さんも女性。どんな指導をされているのだろう。
  東京成徳は6試合中3試合は1stは19−13(朝明)19−23(樟蔭東)11−17(児玉)とリードされている。それが2ndはそれぞれ圧倒している。ベンチワークの冴えだろう。 一方準々決勝の折尾ー常葉の対戦はさぞ凄かっただろう。延長戦で決着がついた。準決勝折尾ー児玉は1ゴール差。全く甲乙つけたがし。実力伯仲。聞くところによれば堂々優勝した東京成徳も有力選手の怪我や直前の病気の子もあり満身創痍のチーム状況だったそう。1年生まで総動員しての栄冠の獲得だった。
  大治中の東京成徳との組み合わせの不運、リーグ戦で負けたのに優勝までしてしまった東京成徳、勝利の女神はどうしたらそのほほえみを与えてくれるのだろう。男子では九州1位の沖縄のゴザが準々決勝で敗北し、九州2位のやはり沖縄の北中城が準決勝、優勝戦で大差で楽勝した事実も、何か私たちに勝負の機微を物語っている気がしてならない。
  間もなく待望のビデオが送られてきます。ありがたいことです。合掌して包みを開きます。