第1部

(1)正月 11月29日
  今朝も接骨院へ2人で行く。その後神社まで、落ち葉の多いこと、場所によっては数センチも積もっている。銀杏も散り始めた。銀行の帰り大きな書店を訪れた。小型の手帳と家計簿を購入。スポーツ欄を覗くがバスケの月刊誌は滅多にお目にかからない。珍しく1冊出ていたのは家でとっているバスケットマガジンだった。月刊バスケは無い。よく売れるのか、売れないので出ていないのか?
  後約30時間で73歳、嬉しいのか悲しいのか。144才2人あわせた数字、金婚式まで後3年。
  昼頃電話、村役場に勤めるT君から、正月3日、第18回中学卒業生の同窓会をするから出席して下さいとの案内。昭和年40年3月の卒業生だ。正月早々楽しいことだ。
  テレビで時々実業団のゲームを放映しているが(有線)、観覧席の空席が目立つ。サッカーやNBAに比べてかなり低調なのが残念。
  高校もテスト期間、今後の練習計画を作成してやらねば。

(2)ファンダメンタル  12月5日
  ビーズを相変わらずやっています。今月千趣会から送ってきたセットは嫌いなTピン、9ピンを使う種類だった。チエコビーズやスワロコスキーという大きいビーズをピンで止めつなぎ用の丸を作らねばならない。説明書を読んでその要領でやっているがいつも不細工な出来映えである。だから嫌な作業だった。L字にピンを曲げ丸やっとこで丸を作る。
  あらためて説明書をよく見る。右にやっとこを回転していたが、右に回すのは手首だけでやっとこは左回転ではないか。それでやったらきれいな丸ができた。10ケ月近く逆でやっていた。
  ああ、基本が大切だ。ファンダメンタルだ。良い師匠が必要だ。バスケも全く同じですね。ある程度基本を身につけてこそ自分なりの発想工夫ができるのですね。その意味でも南予塾の存在は大きいです。


(3)なみ足歩行(正しいなんばー歩き)12月6日
  順序だって練習していないが早速やってみた、普通の歩きと比較しながら。不思議に楽です、軽いです、坂道を下っていくような気がします。普通の歩きはかなり力んでいるのが分かります。最近腿の付け根が痛いのですが、なみ足歩行だと痛みがない。これならクオーターダッシュ30セット50セットも可能かなーとも思った。なみ足走行は老人では無理かも分からないが、できたら研究したいですが・・・無理かな・・。今日高校の女子に中央から45度へ高いパス(レシーバーはIカットでボールを空中でもらい体をリングに向けリングにカットしてくるパッサーに空中でリターンパス。かなりできる。いろいろ試してみたい。


(4)我が家で苺狩り 12月14日
  晩酌を終わったときベル、出ていったところ村の教え子橋本君だった。採りたての苺とお饅頭とプランターに栽培された苺だった。「家で苺狩りをやって下さい」と。6月頃ミニ同級会(かって掲示板に書き込みました)をビニールハウスで苺狩りをやってくれた主人公だった。新しい企画かプランターでの苺栽培の商売を始めたらしい。「先生橋本農園を宣伝してね」とわらって帰宅された。今年還暦田舎には珍しい人物で芸名まで持つ素人歌手、天チンと仲良しでラジオに何度も登場しているそう。なんて田舎の人は律気なんだろう。ただただ合掌。そう言えばあのミニ同窓会で一番賑やかに  騒いでいたT君がその後3ケ月も経たないのに黄泉に旅立ったのは無念である。


(5)怒り 12月15日
  14日の新聞:警官襲撃は中3ら・・千葉県の交番前で警官2人が若者13・4名に襲われ発砲した。
  15日の新聞:「これが高校なのか」。昨年秋、田んぼや住宅に囲まれた、ある県立高校を視察した県議たちは目を疑った。
  授業を静かに聞いているのは十人ほど。残りの半分は机に突っ伏して寝ているか、漫画本をよみふけり、残りは教室の後ろの床に座ったり寝ころんだりして、缶コーヒーを飲んでいた。
  恐るべき荒廃、こんなことで日本は大丈夫か。今や不況は深刻化し親たちはリストラの嵐に戦々恐々としているのに。後進国の若者たちは日本を追い越せと必死に研鑽しているのに。戦後の復興に私たちはガンバッタ。多くの日本人は空腹を我慢し質素な暮らしの中に日本を立派に立て直した。そしてその結果若者たちは・・・。   日本の隅々でミニバスケを始め各種スポーツなどボランテアで教育の一端をささえておられるのに。退廃の風潮は若者の魂を汚染しつつある。
  ずいぶん前だが新聞記者の講演で「非行は平和のつけ」だと言われた。いったい何が原因かしら・・・?


(6)凋 落 12月17日
  昨日郡市の協会関係のミニバスの大会があった。今回の参加は女子は僅か9チームだった。社会体育のチームが8チーム、学校関係は1校のみ。2年前までは多くの小学校が参加していて盛況だった。それは学校単位の郡市の大会が行われていたからだった。それが最近無くなってきた。その他のスポーツも縮小されてきた。週休2日制の影響だと思う。多くのスポーツ好きの子供たちが、スポーツの機会が無くなっていく。
  週2日の休み子供たちはどうやって過ごすだろう。社会体育と言うがそんなに受け皿はない。ボランテアだけを国はたよりにしてもらっては困る。もっと予算を投入し社会体育を支援していかなければ絵に描いた餅になる。昨日会ったある母親は「来年から家の子のいく中学は、部活は希望者だけになるらしいですよ」と心配していた。中学生が放課と同時に校門をゾロゾロ帰って何をするのか・・・・。益々心配だ。


(7)縁は異なもの  12月20日
  娘から聞いた話
  名古屋の高校に通う高2の孫(娘の次男)が家に帰って「夢のような話がある」と興奮して両親にもったいぶって話したそう。「今日外人と日本人の人が来てバスケットを一緒にやったよ。凄いプレーヤーでゲームでは僕と1対1だった。ビックリするくらい速い。またいろいろ教えてもらって勉強できた」と。大会で名古屋へ来て、近くの高校に電話し偶然孫の学校に来たのです。アメリカの大学の有名選手だそうでみんなサインをしてもらったと喜んでいた」と。
  その後博多のヘッドコーチさんの掲示板でこんな書き込みを見ました。

  コーチ陣活躍&TV出演 投稿者:okaちゃん 投稿日:2001/12/16(Sun) 23:16 No.1758
  クリニックのコーチ3人(柴山くん、ハゲッツ、トリンプル)は本日・愛知県で
  UPS(名古屋の外国人中心のクラブチーム)に登録出場し、県大会で優勝!!
  来年の全日本クラブ選手権優勝を目指しています。
  トニーハゲッツはMVPをゲットしたとの事です。
  もしかして孫の話題の人は柴山君たちではないかと博多に問い合わせたら、まさしく同人物でした。詳しい情報をメールで戴いた。
  紹介されたHP
  これは柴山くんを応援している福岡のHPです。
   http://members.jcom.home.ne.jp/man-ok/main100.html
   UPS(名古屋のクラブチーム)http://www1.ocn.ne.jp/~ups/

  すると今度は広島のぜんちゃんというう方が掲示板に書き込んでみえた。

  Re: コーチ陣活躍&TV出演 ぜんちゃん -
  2001/12/20(Thu) 02:59 No.1764
  >愛知のご隠居さま、博多のヘッドコーチさま
  なんと!
  「縁」って素晴らしいですね。
  柴山さん達は、今月の25〜26日に広島で「ミニバスクリニック」を開いて貰います。
  ビデオ撮影もしますので、ダビングしてお送り致しましょう!
  (今夜、彼らのTV出演のビデオも観ました♪)

  愛知・博多・広島と瞬時にして情報が伝わる。ありがたいことです。X-masプレゼントなるビデオ心待ちしている。ネットの友情心にしみました。
  柴山君はバスケのために渡米し頑張っているなと感心した、また何人もの若者が異郷でバスケに打ち込んでいるのを知って胸を打たれました。


(8) 何となく変 12月29日
  朝刊で桜花の選抜優勝の記事を読んだ。県内板では”「桜花」冬に満開 韓国トリオV6けん引 河 「李に励まされる」18ページには{桜花未踏のV6,チーム一丸の栄冠」賛嘆の言葉で飾られていた。早速夕べ録画したテープを見た。河選手2mの威力いかんともしがたい。丹原のセンターは173cmという。確かに体力不足の河をここまで鍛えた井上監督の決断と努力は認めるが、それにしても丹原が可哀想だった。
  200/181/178/177/176/175/173/こんな長身者を全国から集めており寮生活をさせている桜花、かたや公立高校の丹原(学校の様子は知りませんが)
  判官贔屓かとても同情した。準決勝の富岡、これも公立ではないですか?もし河選手がいなかったら桜花の優勝は・・・・?
  正直なところ河が日本人だったらそれほどにも思わなかったかも、これは偏見でしょうか。他のスポーツでも留学生で補強しているので、私の狭い了見かも。しかし今朝の新聞に、「外国選手を男子は制限 全日本総合バスケ」という記事が出ていた。外国人の助っ人なしにやれないものか。
  かって楠中・守山中時代の井上監督と雌雄を決した私にとって、彼が快挙を賞賛する一方、公立高校で凄いチームを作られた指導者、敢闘した選手諸君に心から敬意を抱くものです。


(9)今日も名古屋へ   1月14日
  昨日にひきつづきまた名古屋高校へ。今日は単独行、娘は長男の成人式で応援には行けなかった。昨日の書き込みで中日球場と書いていたが間違い、ナゴヤドームだった。流石県トップレベルの名電高校シュート力が違う。孫の明和高校は苦戦、でもインサイドの攻防は互角で孫の成長を喜ぶ。大差だったが良い勉強をしたと思った。第1試合だったので早速千種スポーツセンターへ赴く。目的は豊田の応援がてら TJさんとKazuさんに会うことだった。念願かなって嬉しい。Kazuさんネットで言われる程肥満体ではなかった。なかなかの好男子でしたよ。
  さてゲームはちょうど豊田対岡崎だった。先回は接戦だったそうだが今回は不調だった。立ち上がリズムに乗れず一方的にリードされた。岡崎カントしたら1−2−1−1のゾンプレス、運ばれたら1−3−1のゾーン、体格の劣る豊田はパスが回らず結局予想外の点差で敗れた。残念でした。女子の方豊田は岡崎をリードしておりこれなら勝つと思っていたが後半に追い上げられ敗れた。岡崎は男女とも同じようなデフェンスだった。
  階上で全中2位だったO中のW君がいた。昭和の応援のようだった。「あそこにいる昭和の177cmの子、校区(市外)の子で今ケガで出ていませんが、今春入学します。彼女を擁して全中を狙います」と言っていた。
  午前午後にわたってバスケ観覧三昧満足な一日でした。今成人式の赤飯を食し晩酌でほろ酔い気分でキーを打ちました。TJさんに想像していたより若いと言ってもらって隠居は喜んでいます。


(10) ゴッドハンド 1月16日
  2・3日前面白い番組をやっていた。途中から見ただけだが特技の持ち主を紹介していた。布団屋さんだったか路上から2階の部屋へ綿の梱包(かなりの重量と容積がある)をベランダを越えて後ろ向きで放り込んでいた。2階まで階段を上っていくのが面倒だからと。正確に何個も投げあげている。試みに他の条件で実験をしていた。良く電柱などの工事に使うクレン車を3階ほどの高さにし、そこの小さなボックスに梱包を投入するのだ。布団屋さんは高い位置にあるボックスを瞬時首を後ろに向ける(仰ぎ見て)やいなや両手で後方へ放りあげる。狭いボックス内に着地、何回やっても成功。恐るべし。
  バスケでやったらどうなる?フックショットならぬバックショット、ハーフからでも楽に飛ぶ、デフェンスは守りようがない。誰かやってみては!
  今ひとつはドラム管を立てたまま回転させながら遠くの目標まで管だけを走らせる技だった。熟練とは恐ろしいものだと感嘆した。


(11)矛盾 1月19日
  遠山敦子文部科学相が児童・生徒の学力向上のための重点方針を発表。「ゆとり教育」が後退「放課後の補習や宿題の拡充を強調」いったいどうなってるの。完全学校週休2日制導入が原因である。週休2日制になれば学力低下は当然である。それを指摘され慌てて学力補充、何をやっているのか。現場は困ってしまう。賢明な学識者が多い文部科学省しっかりして欲しい。そんなことより荒れた生徒、学級崩壊、非行問題をもっと真剣に考えて欲しい。電車の床に座り込む生徒・駅の階段に「ここに座らないように」と書いてある事実、先生たちがこわごわ生徒に対処している。このままで日本の将来は大丈夫か!何か文部科学省は現実無視で理想だけを追っている気がしてならない。もっともっと先生たちが情熱を持って教育の一線で夢を持って活躍できる施策をして欲しい。(隠居は別に週休2日制を反対しているわけではない)


(12)この頃学校は  2002・1・27
  昨日倅と小3の孫が来たとき「明日も来いよ、爺ちゃんが野球やってあげるよ」と言ってしまった。明日は雨だから大丈夫と思った。ところが今日は雨があがって強風の日だった。ビニールのバットとグラブ2コを持ってやってきた。やむなく近所の中学校へ行った。一部部活があったので校門が開いていた。ネット囲まれたバスケのコートでしばらくバッチングをさせた。帰ろうとしたら校門が閉じられていた。やむなく門扉を乗り越えた。大阪の小学校襲撃の惨事の影響だろう。わが市の学校もすべて設置されたようだ。。ところでこれで侵入者を阻止できるだろうか。簡単に侵入できる。責任回避の形式的な措置としか考えられない。でも休日や夜バイクや車の侵入は阻止できるだろう。
  先程ニュースで中2の生徒たちがホームレスの男性を殺害したと報道していた。悲しい時代になったものだ。これでは日本の未来は暗い。景気回復も大切です。米百俵ではないが教育も大切です。なぜ国会で教育を正面に据えて論議されないものか。


(13)利家とまつ 1・28
  午前中は先日到着したビーズのセットで「スエード調ひもチョーカー」を家内と共同で完成した。明日娘が学校の帰りに寄るのできっと喜ぶだろう。午後散歩に出かけた。
  途中で梅が少し開いていたのに春の兆しを感じた。
  一軒の書店に入った。いろいろ物色中薄い小型な冊子があった。「津島の歴史」関係のものだった。ペラペラとめくったら「服部小平太今川義元へ一番槍」の文字が飛び込んできた。彼はわが津島の人物だったと。昨晩のNHKドラマ桶狭間の合戦で今川義元と戦っている武士の場面があった。そう言えば織田信長の天下制覇の陰の力は津島衆の財力だったと聞く。かって津島衆は後醍醐天皇のとき南朝・北朝の争いに南朝に味方して戦ったと。そして皇孫を守って津島に逃れたそう。こんな史実は永年住んでいても最近までよく知らなかった。古い歴史ある吾が郷土、信長は勿論秀吉も訪れたそう。街には「清正公」と言う神社(加藤清正)もある。娘が勤務する美和町は蜂須賀小六や福島政則の出身地である。
  かって盛大を誇った津島神社の門前町も時代の変遷で、元気のない町に化してしまった。私の出身旧制中学は県立第三中学校として明治33年に開校された。即ち名古屋、豊橋に続いて3番目にできたのである。今誇れるのは絢爛豪華な巻藁船の出る夏の川祭り、伝統ある山車の出る秋祭りぐらいかな


(14)嬉しいメールとテレビ 1月30日
  夕方パソコンを6回目、夕方開いたらこんなメールがバスケの教え子から入っていた。
  「またご無沙汰してしまいました。毎日寒いですね。一月は忙しかったです。成人式も晴天で良かったですね。お孫さん晴れ姿見せに来てくれましたか?娘はどこか出かけそうなのをつかまえ見せに行きました。お母さんすごく喜んでくれました。自分の成人式でもないのにどたばたしていました。写真館で撮影してもらったんですが¥37700(3ポーズ)びっくりしました。一生に一度だから、と奮発しました。・・・・・。」
  これを読み終わったときテレビから気になる声が聞こえていたので視線を移した。
  20才の引きこもり2年の青年の話だった。この青年石垣智弘君で旭川市の住人。長田と言う女性が体当たりでこういった引きこもりの人を「長田寮」で指導しているとのこと。新聞で題名を見たら「なぜ歯車が狂ったか、親が変わらなければ、子供は変われないんだ」
  とあった。1年前の無表情の智弘君の顔、そして表情が明るく一変した現在の顔、両親の素顔まで見せた真剣な親の姿勢、心を打たれた。
  娘さんの成人式の晴れ姿にほほえむ教え子の顔、そして引きごもりを脱却した20才の倅を雪の旭川市で待つ両親、長男の成人式の写真を持って得意げな我が娘の姿、こもごもに映じて人生の喜びと難しさをしみじみ感じた。


(15)時の流れ  2月1日
  全国優勝もしたこともある〇電高校が地区の大会で早々と敗れたそう。2回戦孫のチームと戦ったが大分余裕のある勝ち方をしていたので意外であった。そう言えば部員も少なく下り坂だったよう。30何年前監督さんと一緒に私の勤務校の生徒の家をスカウトで訪問した草創期を思い出す(私は女子だったが)。身長僅か160前後の子も進学しキャプテンまで勤め県も制覇した。彼は今子供も3人で上は高校生かな?未だ本人は会社でバスケをやっていると年賀状にあった。彼の結婚の仲人を頼まれてやった。この頃は新興勢力の高校に優秀な選手が進むようになった。時は移り変わる現実に複雑な思いをするこの頃である。


(16)信じられない合気の技 佐川幸義 2月6日
  図書館で文芸春秋を珍しく開いた。これは創刊80周年記念2月特別号だった。「80人心に残る鮮やかな日本人」の一覧のなかに津本陽の「信じられない合気の業 佐川幸義」があった。大要を紹介します。
  佐川先生にはじめてお目にかかったのは、先生が85才の誕生日であった。・・・高弟には各種武道の専門家がいたが、先生と立ち会うとどんな攻撃を仕掛けてもまったく無力にされ道場の隅まで吹っ飛ばされた。・・・木村氏(筑波大教授)は剣道4段。合気道4段であったが・・・70才の先生は165cm・・・それを投げようと胸ぐらをつかんだとたん木村氏の体が、鞠のように道場の隅まで飛んだ。木村氏は6度飛ばされ即座に門人になったという・・・。
  合気を会得すれば左右から2人の敵に両手をつかまれ、さらに前から襟をしめられ、うしろか一人抱きしめられても、4人の敵を一瞬に倒し、そのまま重ねて動けなくしまうような業がある。大の字に寝て、四人の者に両手両足を押さえさせ、一人を馬乗りにさせ、首を絞めさせて一瞬に5人を吹っ飛ばす・・・・。佐川先生は、昭和初期の謎の武道家といわれた武田惣角の弟子であった。相弟子は植芝盛平氏であった・・・・。
  最後にお目にかかったのは、先生が九十三才のときであった。・・その時も様々な秘術を披露してくださった。自分の体重の2倍もある高弟に充分にもろ差に、さて投げさせる瞬間気合いを入れると、高弟の体がはじかれたように仰向けに飛んだ。「合気の原理は、相手の皮膚のしたの筋肉の動きを察知してその力を利用して倒すところにある」と教えて下さったがそれは今も謎である。合気の秘奥は佐川先生とともに消え失せた。先生は九十五才で亡くなられた。」
  チョット信じられない話だがこれも古武術にかかわる奥深い事実かな。いろいろなスポーツに活用されてもよい驚くべき技が潜んでいると思う。


(17)和田一夫氏 2月7日
  図書館の書棚に「和田一夫の 失敗に学ぶ ゼロからの経営学 オンリーワンを目指して」が目に入った。彼はあのテレビドラマ「おしん」のモデルとなった方の長男である。巻末の著者プロフィールを借用する。
  1929年、熱海の八百屋の長男として産まれる。年商1000万の八百屋を、世界 16ヶ国グループ総売上5000億円までの国際流通企業ヤオハングループへと成長させた。「祈りの経営」は出店したすべての国の国民たちを感動させ、経済界に、とりわけ流通業界に多大の影響を与えた。
  1997年9月18日、ヤオハンジャパン倒産の責任をとり、全てのヤオハンの役職を辞任する。約半年の謹慎蟄居を経て、カンパニドクターとして、70才からの再起に挑戦する。現在「アイ・エム・エーグループ」を設立し、21世紀をになう若手企業家を育てている。
  私と同じ年昭和3年生まれだ。昭和25年熱海の大火で店舗・自宅全焼、26年八百半商店入社(自分の家)、以来ブラジルに業界初めてのスーパーマーケットの進出、以後次々と海外進出。倒産直前の上海ネクステージ店では、初日の来店者が107万人を記録し、ギネスブックに掲載された。(倒産は国内の経営をまかせ切っていたのが2000億円の負債を作ってしまったため、会社更生法を申請し倒産となった)。
  私はずっと以前から和田氏の存在、活躍を知っていた。しかしあの倒産で全く経済界から消え失意の人に成っているものと思っていた。それが無一文ながら全く元気になって失敗を教材にして全国を講演行脚、インターネットを駆使し、”21世紀IT新時代の「経営の心」”を鼓吹している和田氏の生き方に感動した。


(18)荒れる中学に警察OB 新年度から埼玉県「教師の対応では限界」 重点対策校指定
  校内巡視も   「スクールサポター制度」
  中日新聞の今朝の新聞に上のような見出しの記事があって驚いた。今少し記事を紹介します。
  中学生の校内暴力が深刻化していることから、埼玉県は新年度、退職した警察官を含む学校外の大人を学校に直接派遣する「スクールサポーター制度」を導入する方針を固めた。計画によると、校内暴力などで現場が荒れている30数校を「最重点対策校」に指定。
  8人を同県警の予算で非常勤職員として雇用、派遣する。・・・・
  不景気の風は吹き荒れる、義務教育の現場もまた荒廃していく。そう言えば福島のジャンボさんも学校支援員とかいって学校に勤務し生徒指導のお手伝いをしているそう。嘆かわしい限りである。


(19)村の成人式 2月15日
  昨夕娘が学校の帰りに成人式の写真とビデオを持ってきた。写真は全員撮ってもらった。
 ビデオは企画委員長(東京在住だが旧友たちが推薦してくれた)をやったから特別戴いたらしい。
  式典では来賓の上座に議長のY君(番外編 10話 嬉しいな)が座っていた。中学最初の教え子の助役が開式の言葉、村長、議長、教育委員長の祝辞、記念品授与に続き孫の謝辞が始まった。余り朗読が得意でないが上出来の出来映えだった。ビデオであるのにはらはらして観た。そのあと女性代表で可愛い子が「交通安全宣言」をした。名前を呼ばれてあっK子ちゃんだと気づいた。ミニバスケの卒業生だった。和服姿もよく似合っていた。
  式の最中新成人の人たちは私語一つなく粛然として座っていた。流石私が20年勤務した中学の卒業生だと嬉しかった。こんな真面目な若者が日本には沢山いるんだなあと一安心したところである。


(20)戸塚 宏氏 2月27日
  図書館で「正論」を見た。そこに戸塚氏の論文があった。彼は今なお元気な様子。家に帰ってネットで検索した。こんなに積極的に活動し、また支援されているかと驚いた。
  参考に一部を載せてみます。

 ●戸塚校長が広島の高校で講演!
  1月19日、広島市の私立・桜ヶ丘高校で、約40名の高校教師を前に戸塚校長の講演「不登校生徒と日本の教育」が開かれました。・・・講演終了後、「信念を貫いてゆける"強い"校長がうらやましい」という感想が多く聞かれたそうです。現場で充分な指導力を発揮することができず、ジレンマを抱えている教師の、行政やマスコミに対する恨みを垣間見た気がしました。('02.2.4)
 ●平和のための戦争は暴力ではない!
  「平和を目的とした戦争は暴力ではない」――戸塚校長が雑誌「正論」2月号(12/20発売)で訴えています(特集「戦争を子供たちにどう教えるか」)。
     ――戸塚宏が斬る!――
  中高年向けの漫画雑誌「天誅」(集英社・1月号)で、戸塚校長が戦後教育を一刀両断しています。
  「戦前の教育は"物を考える力"をトレーニングすることができていた。ところが、戦後の教育は、"物を覚える力"しかつけさせていない。これではまともな人間は育たない。戦後教育を推進したインテリ達が正しい人間論を持っていなかったのが原因だ。」(「ニッポンのオヤジ」前編)('01.11.29)
 ●教育選択の自由を認めよ!――渡部昇一氏が主張
  渡部昇一氏が、新著『国民の教育』(産経新聞社)で「教育の選択肢をもっと広げよ」と主張しています。
     ――そうした流れの中で見る時、「戸塚ヨットスクールは豊かな生活の中で狂ってしまった本能を正常にするには大変有効な方法。・・・・私は、日本の公的機関が戸塚さんを犯罪者扱いすることに非常な不満を抱いている」としています。('01.11.22)
 ●「子供の顔が輝いていた!」
     ――戸塚校長がロシアの教育事情を視察――
  戸塚校長は10月初旬、ロシアの小学校や大学、刑務所などの視察旅行を行いました。「ロシアの子供達は皆貧しく、劣悪な環境で育っているが、その顔には子供らしい輝きがあった。彼らには"未来"があるからだ。ところが日本に戻ったら、死んだ目をした子供達と、売春婦のような下品な娘ばかり。改めて日本の教育の間違いを実感した」と感想を述べています。→詳細('01.11.2)

  多湖輝氏((財)幼児開発協会理事長)が、新著『日本創新』で日本再生のための7つの視点を提起。第1の視点「日本を硬直化させる正論を打ち破れ」の中で、"マスコミが作る正論"とその危険性を説き、"教育の正論"を打ち破るものとして戸塚ヨットスクールを紹介しています
  戸塚ヨットスクールを支援する会 会長  石原 慎太郎
 ●石原都知事、MXテレビ(UHF)でも「脳幹論」を力説!   1999
  知事は、10月31日午後7時〜8時放送の「フォーラム家庭教育」と題した番組内で、「耐性(をつくる)というのは1番大事なこと、戸塚ヨットスクールのやっていたことは間違っていなかった」と、“脳幹トレーニング”の重要性を説かれた。

  入校金
  315万円(税込)。入校前に入金して頂きます。
  期間が1年を越えても追加費用は一切ありません。また、卒業後も、合宿やキャンプに参加することができます
  最高裁判決 2月27日  懲役 6年

  (一瞬高額だと思った。でもよく考えれば子供の一生に関わる問題だ。大学へ行かせればもっとかかる。でも問題児を抱える家はその費用さえないかも。20何年前、町の講演会で戸塚氏の講演会があった。小さな部屋での夜の会だった。すざましい迫力の演説だった。中日新聞にも彼の連載があった。氏が裁判沙汰になり、世論の攻撃を一身に受けながらも、現在もその主義主張を堅持している男の生き様に感嘆した。 隠居)


(21) とうとう愛知県も 2月28日
  26日の中日新聞朝刊に囲み記事あり。「荒れる中学校に警察OB配置」
  {愛知県半田市は、荒れる中学校への対策として警察OBなど学校外の市民を「生徒指導アドバイザーとして採用し、市内の各中学校に配置することを決めた。新年度当初予算案に関係予算千百五十五万三千円を計上した。・・・市内の五つの中学校のうち「落ち着いた状況」とされる一校を除く四校に一人ずつ配置する。}
  先日他県で同様な報道があったがまさか愛知県でも実施されるとは。文面によれば五校中四校は荒れているとのこと。警察OBが入らなければ学園の平和が保たれない。こんな状況で落ち着いた授業が展開されるはずはないし、子どもたちは充分な学習が出来ない。まことに哀しい現実である。大切な大切な学舎が荒(すさ)みきった生徒によって蹂躙されている。問題生徒自体もある意味で被害者であるかもしれない。このままでは日本の将来が危ぶまれる。


(22)これは驚いた  3月1日
  午後読書中チャイムがなった。私が出ていくとK先生ではないか。隠居のつぶやき (48)に書いた「こんな校長さんがいる」の主人公である。何事かと思ったら一冊の冊子を持ってきていただいたのだ。「平成13年度 Tクラブ  1年の活動の足跡」と記してあった。約50ページのものだった。年間全ての練習試合、大会でのスコアブックが載せられてあった。恐らく保護者に配られたものと思う。
  市内4校で指導されており、選抜教室も別にある。今まで余り強くはなかったがK校長さんが力を入れるときっと強くなると思う。K先生がわが家へ来たことは今までなかった。立派な1年の記録を作られた腰の入れよう、きっと立派なクラブに育っていくと思う。


(23)小さな村  3月2日
  今朝新聞の小さな記事に目が止まった。「医療費無料の対象 中学卒業時までに 
  飛島村が新年度から ・・・・ 医療費を中学卒業時まで無料にする自治体は県内初。人口約四千五百人の同村の出生者数は年々減少し、本年度は最少の二十一人。現在中学生は百六十五人で、村の新年度予算に約二千百万円を計上する。うち中学生分が約五百万円。」
  私たちの郡市には四つの村がある。飛島村はもっとも小さい。伊勢湾台風後大きな道路が開通し、工場などが沢山でき税収なども凄いそうだ。この村の総合体育館の立派なこと。隣の公民館のデラックスなこと。大劇場を思わせる施設である。この村では飛島村長杯ミニバスケットボール争奪大会(女子)が古い歴史を誇っている。十四年前私がミニを作る前から存在していた。少ない児童数ながらきちんと運営されており、いつも各大会で交流している。
  今年度出生数僅か二十一人、女子は多分十名前後、果たして十年後ミニは存在しているだろうか?
  先程娘が学校の帰りに寄っていった。そのおり飛島村の話をしたら「あそこの中学修学旅行アメリカだよ」と言った。そう言えば何年か前大きく新聞にそのニュース載っていた。今も続いているようだ。相当の補助金が支給されているにちがいない。


(24)これまた残念な記事 3月3日
    学校窓ガラス対策強化
    甚目寺、大治町当初予算案   センサー費など計上
  ・・・・・甚目寺町は、学校のもっとも利用される校門にカメラを、職員室にモニターを設置。車や人が通過すると、センサーが作動して職員室でブザーが鳴り、教職員に知らせる。・・・ビデオでも録画す破損事件が続いている大治町は、ガラスが割られると警備会社へ自動通報するシステムを導入する。四校すべての一階の窓ガラスに取り付ける。設備費として五百六十万円かける。
  同町内の学校では昨年四月から今年一月までガラス破損事件が十一件発生。合わせて百十枚が割られた。貴重な税金をこんな事に使わねばならない。大治中は私も昔勤務した。今女子バスケは全国に名を売っており、横断幕に「素晴らしい選手である前に すばらしい生徒であれ」と謳い大活躍しているのに・・・。


(25)いよいよ名古屋市も 3月6日
  今テレビでニュース 。名古屋市も遂に中学部活の学校統合を認めたと。平成10年から15%の部活が減少した。平成15年度からは全国大会にも適用と。流石愛知県は進歩的だ。先日の私のニュースは愛知県で名古屋市は別だったかも。(愛知県では教員でも名古屋市教育委員会と愛知県教育委員会は別である。採用試験も別である)
  多分他県でも次々部活学校統合が促進されると思う。ところが実施は難しいと思う。統合すれば良いと言ってもバスケで3/4名で部活が存続してくれるだろうか???


(26)はぐれ鳥 還る  3月7日
  暖かい日だったのでT高校へ散歩がてら行った。20分ほど観て助言し体育館を出た。するとK子がやってきた。「先生もう一度、部活やらせて下さい」と、高2の彼女の顔は見違えるほど輝いており美しかった。「私は賛成だよ、顧問にメールしておこう」と答えた。この学校退職した翌年からミニと並行して面倒を数年見た。ミニを引退し何年ぶりかに再び覗いたら全く沈滞したチームに変貌していた。顧問は女性でバスケの経験なく多忙で練習試合、大会の付き添いだけの現状である。
  子どもたちの要請で練習計画を作ってやったり少しコーチしたりした。チームはだんだん纏まってきた。少ない2年生のなかに一人だけS町で3年間ミニを教えたK子がいた。能力ももっとも高かったが休みがちであり、顔色も悪く、眉も変な形をしていた。夏休み過ぎから全く顔を見せなくなった。私も寒くなって体が心配で「自分たちでガンバッテやります」の言葉に安心し殆ど顔を出さなかった。
  そんな矢先のK子の登場であった。嬉しかった。私が3年も教えた子が高校で挫折したのが残念でたまらなかった。それが戻ってきた。私は顧問に、キャプテンに、1年生代表にメールした。夜それぞれ喜びの返事が来た。翌日覗いたらK子が元気に参加していた。
  之も一つの優勝と考えた。


(27)井上眞一著 勝利にひそむ運と必然  3月8日
  先日桜花高校で講師をしている元中学校長のIさんから一冊の書籍を送っていただいた。封を切ったら上記の書籍だった。縦19.5cm 横13cmの小型なもので六法出版社版だった。帯には「その直径45cmの目標へ」裏側には「爽やかに、たくましく、そして華麗に! 桜花バスケットの強さの秘密」と記されている。
  私は時々書店へ行くがこの本のことは知らなかった。昨年の六月二〇日 初版発行で 1,470円となっている。すでに読まれた方もあると思いますが、私が心ひかれた所を紹介したいと思います。
  最初の部分でバスケとの出会いが書かれています。
  「・・・実は私は、中学に入ってクラブ活動ができるようになったら、剣道部に入ろうと胸をときめかせていた。・・・入学して早々、私ははやる想いで入部の申し込みに向かった。そこでたまたま道場が閉まっていたのが、今日に至る運命の始まりだった。がっかりして踵を返し運動場を横切って帰ろうとする私の行く手にバスケットコートがあった。そこでバスケットの練習にいそしむ生徒のなかに、家の近所の顔見知りの先輩がいたのである。彼はとぼとぼ歩いている私の姿を認めて、いとも気軽に”おい、バスケットをやらないか”と声をかけた。どういうわけか気持ちが”ふぃっ”と動いた・・・・」
  (こんなチョットしたきっかけで入られたバスケの世界、そして後年高校女子日本一の井上監督が誕生したのである。不思議な奇縁である)           続く
●早稲田大学へ進んだのは、実に短絡的である。人生劇場と言う本を読み、ただそれだけで早稲田へ行く気になった。勿論早稲田でもバスケット部に入部したが、私の大嫌いなシゴキがあり、全ての一年生が辞めてしまって、マネージヤー一人が残った。かといってバスケットはやりたいので仕方なく同好会を作り一般クラブの大会に出場していた。練習は週に一,二回。
○昨日の師が今日の敵となる
  その頃名古屋市のバスケットでは北陵中学がもっとも強く、全国大会にも三回出場していて、その中学へ変わりたい、そこをもっと強くしたいという想いが抑えきれなくなった。自分はこういう想いでいるんだと、北陵の校長に直談判に行ったこともある。これは不調に終わったが、考えれば分かることで、前任者を追い出す訳にいかないのである。若気の至りというのか、あの頃は情熱で突っ走っていた。
 (ここを読んでビックリした。井上氏の無謀を。確かに北陵中は連覇していた。然し全国大会に三回も行っていたことは記憶がない。私も何度も負けており、最後の対戦は残り七秒で逆転され優勝できなかった。初めて県優勝できたのは浅井中が準決勝で北陵中を下してくれたお陰であった。)
○学校スポーツは大人社会へのトレーニング
   子どもたちよ、外へ出でよ。そして体力・精神力を。
○フレッシュなパワーこそチームの生命力
   新入生を迎えての最初の仕事はメデイカルチェックである。
○デイフェンスはドリルである
   高校バスケトという地表に一歩を踏み出した新人にとって大事なことはデイフェンスである。
○前日の想定練習が大切
  勝敗の8割は直前の練習で決まると私は思っている。
○下級生を育てる
  3年生と同じくらいの力を持つ下級生がいれば、そちらを使いたい。
   (間接的にその言葉を聞いたがやはり本当だ。この辺が日本一を目標とする監督の考え方。到底私には出来ない。)
○ 進路とリクルート
  夏のインターハイで試合に出られず応援団に回って一所懸命やった、そういう選手の進路決定を私は優先する。
★私は酒が飲めないので、しいて言えばストレス解除は映画やビデオになる。テレビも映画のチャンネルが10チャンネルぐらい契約してあるが、少々凝りが過ぎて、物置を改造してミニ・シアターにしつらえた。
○”不惑”は運命の分岐点
  コーチ人生の大きなターニングポイントとなった、私にとっての桜花学園の歴史は昭和五七年に始まる。大谷理事長が守山中を訪れ「昭和五八年の安城インターハイに出たいし、
  新しい体育館も完成するのでバスケットを強化したい。是非選手を送って下さい。」と言われた。・・・・・そこで思い切って高校に変わろうと決意した。それが昭和六一年の四月のことである。
  その時、私は四〇才。不惑とは良く言ったものだ。公務員としての立場、保障、退職金、そして年金。トータルに考え数値化すれば明らかに損であるし、リスクも大きい。
○油断が生む天国と地獄・高校初優勝の教訓
  余裕のあるとき程慎重にと言う教訓を得て、今もなお私は、石橋を叩いても渡らない男のままである。
★・・・思えば前半十一点もリードされ、それが後半に至っては十八点差まで開いたのだった。昭和にとっては楽々の勝ちゲームであったろう。ところが、その余裕がメンバーを下げたことによってスキに転じたのかも知れない。そこから桜花は徐々に点差をつめていき、昭和は慌てて選手を戻してきたが「勢い」というものは時として「実力」を凌ぐ。この時に私は「勝ちがはっきりと見えるところまではメンバーを落としてはいけない」ということを肝に銘じた。
○無心が勝ちを招く
  勝ちを意識する心が邪心だ。魔物はその邪心に取り憑く。
○普通がよければ栄冠は捨てろ
  得ようとするものが大きれば大きいほど、制約し切り捨てていかなければならないものもまた大きい。
○全体のバランスが至上
  バスケットは、いい選手がたくさんいたら勝てるというものではない。 ○「勝ち負けは関係ない」ことはない
  試合であるからには勝たねばならない。どんな試合にも「勝ち」あるのみである。
  (大変な覚悟である。だからこそ勝ち続けれるのか。なかなか一般には言えないセリフ)
●練習メニューをどのように組むかということも大きな問題である。昨日と同じメニューというのは意識的に避けるようにしている。今日は何の練習になるのか、選手は想像できないでコートに来るわけである。
  (矢っ張り日本一の練習は違うようですね。個々の選手のレベルが高いからだろう)○教えることにプライドを
  コーチのコーチたるゆえんは「こうすれば勝てる」であるべきだと思う。
○だから諦めない
  できるまでやらせるという粘り強さこそがコーチの最低条件。
○愛情に尽きる
  バスケットを教えるということは、誠に泥くさい仕事だ。しっこさと我慢を張り合わせていくようなものである。
○根性主義は終焉
  根性だけで勝てるほどスポーツも人間の身体も単純なものではない。
○運動部で社会性を造る
  「運動部の選手がたくさんいる学級は崩壊しない」と、私は断言する。
○ストレスは「必然」
  ストレスは生きていく上で当然あるもの。それを処理して快適になることが生きて いくことだ。
●・・・スポーツ会の体質は十年一日の如し。何も変わっていないことにあらためて失望した。
  運動部はなぜか、旧陸軍的体質を引きずって今日に至っている。先輩・後輩に始まるあまりにも旧弊な年功序列型社会。それがそのまま「協会体質」を造りあげている。
○上下関係ない運動部に
○プロの養成期間を
  日本バスケット界をメジャーに導くスタープレーヤーを育ててみたい。
○日本女子バスケット界全体のレベルアップを
  三木がガードとして活躍するシャンソンを、大神のガードで迎え撃つジャパンエナ ジー。
  (中学より数えて三十三回に及ぶ日本一の前人未踏の著者の書籍、いろいろ感銘をうけた。彼が中学の教師時代三回も対戦した私にとって、彼の高校女子の制覇とその軌跡にはいつも関心を持っていた。しかし余り交流はなかったので詳しいことは知らなかった。此の本を読んで彼が心境やら細やかな心遣いが分かり、流石傑物だなと思った。彼が業績が高まるほど二勝一敗の隠居は鼻が高い。)


(28)文武両道 3月19日
  愛知県の最西部、木曽川の畔の村から名古屋城の近くの公立高校へ通う高2の孫の話。先日卒業したばっかりのガードの先輩が大きなリックをかづいて体育館にやってきた。東京大学に合格したので使っていた参考書をみんなにあげるという。2年生の面々先を争い希望の問題集を、ジャンケンしたりして分けた。ところが東大の問題集(赤本)だけは誰も取らなくて残っていたと。
  確か7番をつけていた。ボール運びもうまく私も何回も彼のプレーを見ていた。見事超難関の大学合格、心から祝福したい。かなり熱心に練習しているバスケ部にいながらの快挙に頭が下がる。
  孫も私が起床する頃には村を出て早朝練習に自転車をこぎ、2時間目の放課には早弁をして昼のシュート練習、そして放課後の練習と夢中になっている。遠距離通学の日々、勉強の時間も充分ない。先輩のように文武両道を達成してくれたらよいなーと思っている。


(29)うっかりして 3月20日
  午後図書館に行った。小雨が降っていたので傘をさして。新しい図書館には100円でセットする傘立て(外すときお金は戻る)が常備されている。手前の空いている所にセットし枠を閉じキーを抜こうとしたらキーがない。よく見たらキーの先端のみが折れて中に入っている。下を見たら10本ぐらいの折れたキーが散乱している。キーが折れて無いところでセットしてしまったのだ。さあ大変、係員が手持ちの器具で外そうとするが効果なし。やむなく家に帰ってヤットコを持ってきて何とか傘を取り出した。
  勿論不注意の私が悪いが、出来て間もない図書館の施設のお粗末さに呆れた。また何カ所も故障がありながら何の注意書きや失敗防止の策もしていない不親切に立腹した。


(30)嬉しい挨拶状
  数日前1葉の写真入り葉書が到着、美男・美女のスナップ。「2月にハワイの教会で結婚しました・・・」隠居のつぶやき(42)の主人公である。早速携帯にメールを送る。
  今朝彼女からメールあり
  {こんばんわ。話題は救急車のテーマになっていましたね。(^O^) なつかしいです。あの時の事は記憶にあります。試合に勝ちたくて真剣で緊張していたのか、朝ごはんがどうしても少ししか食べれずお昼はお弁当を食べたものの、すごい試合が準決&決と続きエネルギー切れの状態でした。f^_^;照れますが書いて頂いてありがとうございます。母にもHPに載ったらぜひ見せたいです。パソコンなんてって言っていた両親でしたが、先日まで立田のパソコン教室に通っていたんですよ。ところで昨日はちひろの結婚式でした。私は仕事後、二次会に駆け付け先月に引き続き同窓会でした。やはりかつて同じ目標を一生懸命追い掛けた仲間は、一生大切にしたい仲間だと実感する今日この頃です。社会人になってからこんな風に思えるのも先生のおかげです。感謝しています。おやすみなさい。}
  この学年昨年お産をした子、間もなく出産予定の子、昨日結婚した子、めでたしめでたし。喜びの声が聞けれる幸せをしみじみ感じています。「みんな幸せになれ」。