第2部

(31)巣立ち
  昨夜電話があった。K子の母親からだ。明日9時頃お邪魔したいと。今朝K子が母親と雨の中来宅。今から中京大入学に伴い、バスケ1年生揃って入寮するため出かけますと。あの今昔物語第4話「一通のメール」で登場しているK子である。大阪の薫英高校へ招かれ進学した子、よくぞ3年間辛抱したと感心していた。確か桜花高校と決勝戦をしたとき少し画面に登場したはず。村のミニに5年生の時入ってきた。父親も母親も高校教師で父親は教え子だった。一人娘をよくも遠くまで送ったと驚いていた。私はミニ時代の縁だったが大学に入るに当たって、わざわざ挨拶に来られた義理堅さに頭が下がった。K子と3年目に会えて嬉しかった。長身の色白の逞しい容姿に新たなる決意を感じ、大学生活の充実を祈った。彼女の父親も高校進学時に母親とわが家へ進路相談に見えた。親子2代の縁の深さをしみじみ感じた。可愛い娘とまた離ればなれ、両親は勿論お婆さんはさぞ淋しいだろう。


(32)奇 遇
  今日午前中天気も良いので高校へ行って来た。自分たちだけでやるということで練習計画は渡さなくなった。冬ということで健康面からほとんど顔を出さなかった。春休みになって1時間程度練習を時たまみている。昨年はじめの壊れそうな女子バスケも一応まじめに取り組むようになってきた。まだ試合には1回戦負けが続いている。1年生だけで勝負すればかなりいけるがそんなわけにはいかない。大会にはもちろん私はいかない。ミニの後継者がコーチとして付き添う。
  さて10時頃体育館に入るとバレーの方に年輩の長身の男性が立っていた。バレーの顧問かなと思っていたら、こちらのコートの椅子に腰掛けられた。あれ今度のバスケの監督かな・・と思っていると私の方に近づいてこられた。ちょっと言葉をかけていたら突然名詞を出された。みて驚いた。かってバスケで有名であり愛知国体の時は準備委員として県で活躍しておられたO先生、T校の校長として赴任されたのだ。
  私が過去何年もバスケの面倒をみていても管理職の誰も覗きもしなかったのに、O新校長4月2日まだ着任式も済まないのに体育館を訪れるとは。部員に話す「いい校長さんがきてくれたよ、いい加減にやっていると叱られるよ。」帰りに顧問のH女史に会う。彼女練習試合や大会には付き添ってくれていた。今度顧問を辞めると。今職員の平均年齢48歳ほど。顧問のなり手がないらしい?
  グランドではソフト部員が5人、先生のノックを受けていた。先生一人真冬グランドに土を入れならしていた。部員の一人に聞いた「あんたたち試合にどうしているの?」「中学経験者を臨時に頼んで出場しています」。熱心な先生がいても部員が不足。部員がやる気で人数も多いが顧問がいない。新校長さんがんばって!「ぼくは高体連の部長だよ」と彼は言っていた。


(33)2人2脚
  家内がサカタから球根ベゴニアを買って鉢に植えた。この球根は初めてである。室内において発芽を待っていた。私は花の栽培は菊以外はノータッチである。ところがいつまでたっても芽が出てこない。もしかして球根の置き方が違っていないかと家内に尋ねた。ふくらんでいる方を上にしたと。念のため一個を取り出してみたらふくらんでいる方に短いが細い根がついている。よく見るとへこんだ方から芽が出ているではないか。家内は上下逆に植えたのだ。気づいて良かった。
  先日高校へバイクで出かけた。堤の下のテニスコートやグランドには野球部員や陸上・サッカー部員の姿が見えない。上の校庭にもソフト部員の姿がない。なにか変だ。途中で一本のテープが張ってある。何だろうと下をかいくぐって体育館へ。物音ひとつしない。静寂。おかしい、確か今日は9時からやっているはず。出かけに予定表をみてきたが。改めて鞄から取り出して見直す。「あっ曜日が違っている。今日は定時制の入試で生徒の登校は中止」と記入してあった。
  2人3脚どころか二人で一人前、毎日こんなミスを繰り返す生活、年はとりたくないですね。


(34)穴があったら入りたい
  2月20日にデンドロビュームを花屋から贈ってくれたHさんから次のようなメールが入っていた。
 「 先生ごめんなさい。返事が遅くなりました。今年は桜の花も早く咲き今日の雨で一段と葉桜になってしまいましたね。
  3月23日は母の23回忌と父の7回忌をいたしておりました。その後も先生も新聞・テレビ等でご存じのことと思いますが、JA Xも大変な事になりまして、新年度に入りいろいろと忙しい毎日でした。
  隠居のつぶやきを拝見し、お花がまだまだ元気とのこと、先生の手入れのよさが伺われます。私は担任でもなかった先生に、教え子も多くある中で、中学を出てから今日まで遠くからいつも励ましのお手紙・メール本当に感謝致しております。振り返ってみますと、私が、卓球部で県大会に行くとき、朝早く先生が、自転車小屋に待っていてくださって、頑張ってこいよ!・・・と言ってくださったことは昨日の事のように思い出されます。
  今、このような教師がおみえになられるのかどうかわかりませんが、私も仕事の上で、新入職員に接するにあたり、本人が希望をもって、やる気がおきるよう、遠くより見守り指導にあたりたいとおもいます。」
      尊敬する偉大な先生へ                   H子

  最後の言葉は本当に恥ずかしいですが、厚かましくもそのまま掲載します。43年ほど前のこと、彼女にそんな言葉をかけたことは全く記憶にない。教師の一言はこんなにも大きく子供たちの心に残り続けるのか。ありがたいと思うと同時に怖くさえ思える。子供たちと接することの多い指導者の皆さん、言葉を選び彼らの仏性を認めつつ愛護賛嘆してやってください。
  デンドロビュームは今日もなお一輪も欠かさず咲き誇っています。


(35)招待 再びミニクラス会
  先日橋本君が夜やってきた。今年最初の苺をもってきてくれた。見事な出来映え、選りすぐって持ってきてくれた。昨年12月14日に書き込んだ「我が家で苺狩り」(独り言・・・No.4)の主人公で、ちょうど1年前彼の苺ハウス内でのミニクラス会(つぶやき No.12)をやってくれた。「先生4月20日午後6時から今年もミニクラス会をやるから来てください」と。すてきな苺は早速娘や息子のところに分配。舌がとろけそうな味だった。
  また懐かしい連中の顔が見れるので楽しい。そういえば昨年はバーベキュウの席でもっとも賑やかに騒いでいたT君、もっとも早く結婚し孫の数を自慢していたが、同級会後何日も経っていないのに急死してしまった。ようやく還暦を迎えたというのに。    教え子といってもたった1年担当しただけだったが、近くに住んでいるせいか私だけよく招いてくれる。もう一見どちらが先生でどちらが教え子かわからなくなってきた。隠居は比較的若く見えるようだ?


(36)悲しいことだ
  今日高校へ行った。午後4時、いつもなら外では各部が活躍しているのに誰もいない。はて何だろうと思っていたら生徒がぞろぞろ下校してきた。ピッカピッカ1年生だ。しばらく待ったら部員が出てきた。これから月・木は7時間授業だと。なるほどそれで遅いのか。彼女たち訴える。「今度の顧問N先生。3つの部を兼務するのよ。」これには驚いた。そこへ新校長がやってきた。「中学日本一に前になった猪子石の杉浦は新卒当時高校でバスケを教えてやった子だよ」と言った。初耳である。この校長さんは大昔公立の進学校でインターハイ出場の実績を持っている。突然部員たちが大声で学校長に迫った。「先生顧問をかえてください。バスケだけの顧問をお願いします」新校長は逃げ出した。2人の生徒が追っかけ校長に食い下がっていた。私は悲しくなった。たくさんの先生がいるのに・・・・・・。
  夜息子に電話した。「他地区で日曜日は部活はできないところが出てきたが、この地区はどうだ。」「郡市では日曜日は禁止になったと」やっぱりそうか。私と倅が過去に、そして教え子が今やっているS中は社会体育にして強化するらしい。社会体育なら学校長は責任がないから無視するらしい。ともあれ後ろ向きな施策がとられ初めて子供たちはどこへ行くのか???


(37)愛知の高校バスケ
  今高校は地区大会たけなわである。最近県の協会のHPで高体連がインタイハイの上位の歴史を掲載した。昭和46年(1971年)からである。
  男子は1975年から昨年まで1位2位は全部私学である。名電高校がその間23回優勝している。一方女子は1971年から昨年まで1位から3位まで全部私学、井上氏の名短・桜花が20回優勝している。全く私学の独壇場である。長い歴史の中で選抜大会で私の中学の選手が4人入学した県立津島高校が第2位になったのは奇跡的なことだった。この時は井上氏は高校にはいなかった。


(38)旧友 増田君の思いで
  市会議員を経て県会議員となり活躍した増田君、病を得てやむなく政界を去って療養していたが今年はじめ亡くなった。先日弟さんから連絡あり「彼を偲ぶ書籍を刊行したいので思い出を書いてほしい」と依頼された。早速原稿を送ったら6月頃完成で一応印刷した1ページを持参され推敲してほしいと持参された。ここに披瀝します。

  旧制津島中学時代が彼との接点だった。同じクラスの時もあったが何年生の時か記憶がない。しかし彼とは仲良しだった。彼の家にも行ったことがあるし、私の家にも遊びに来たことがあった。お互い模範生ではなくやんちゃ坊主だったから、気が合っていたかもしれない。
  彼の強烈な記憶は外の友人も書かれるかも知れないが、学校脱走事件である。3年生だった頃、彼が授業中、ノートの落書きの内容が不適切であるのが見つかり、先生に職員室へ連れられて行った。ところが途中から逃げ出してしまった。外で体育の授業をしていた下級生が、教師の命令で後を追ったと聞く。しかし行方は分からなかった。家でも探されたようだが杳として所在が分からなかった。
  翌日全校生徒は行軍だった。雪が激しく降る中吾々は黙々と歩き続けた。「この雪のなか増田は何処にいるだろう、きっと寒かろう」彼の安否を心配したのは私だけではなかった。彼は学年の人気者でいつもみんなを明るくさせる天真爛漫な性格だった。そのため誰もが彼に親しみを抱いていた。結局家の屋根裏に潜んでいたとかで一見落着。全く無鉄砲な少年だった。こんなことを書いてどうかと思うが、彼が家から極彩色の秘本を学校に持参した。みなが息を凝らして眺めたのも忘れ得ぬ青春の1ページである。
  4年生で卒業した私は以後あまり彼との交流はなかった。しかしある年の同窓会の折り、増田君が立って「母親が亡くなった年齢になった。志を持って市会議員に立候補する」と宣言した。あのときの彼の夢を抱いた勇姿は印象的だった。後に町内であった県議の選挙演説に顔を出したらとても喜んでくれた。彼は白のスーツを着ており精悍な気迫に溢れていた。握りあった握手、分厚い柔らかな掌、その暖かさは今もその感触は残っている。かって増田君は言った。「俺は怖い者はいない。でもお前だけが恐い」と。彼の息子と私の息子はともに津島高校、教育大と同級生、ともに中学の校務・教務の要職を。不思議な因縁、増田君は我が青春の友として今なお私の胸に生きている。


(39)総合型地域クラブ
  図書館であまり手にしない教育関係の叢書をめくった。そこに「完全学校5日制と学校・地域づくり」の表題で2,3の論文があった。冊子は教育評論だった。気にかかる文があったので抜粋します。
 中学校の部活動改革から総合型地域クラブづくりへ
      ー愛知県半田市成岩スポーツクラブの実践ー
  生涯スポーツの分野では、現在、総合型地域クラブ化への取り組みが、文化科学省をはじめ、各市町村で始まっている。部活動の問題との関連では、愛知県半田市の成岩(ならわ)スポーツクラブの実践が有名であり、各スポーツ関連雑誌などで「盛んに取り上げられている。・・・・・・・・
・・・・現在の学校の部活動を中心とした文化、スポーツ環境では、卒業と同時にその環境が無くなり、さらにすべての人にそれは保障されていないという限界がある。・・・・・・そして、現在の部活動には次のような問題がある。小学生のスポーツ環境では、スポーツチームで部員が集まらない。指導者の高齢化と後継者がいない。運営費の負担。練習場の確保。事故の責任。ワンマン的な指導などである。中学校の問題では、部活動に組み込まれ、地域の指導者と関係なく指導の一貫性がなくなる。保護者、生徒の意識の多様化、生徒数の減少、若手教員の減少、学校五日制の導入などにより、部活動そのものの活動が困難になっている。さらに部活動の民主的運営などの問題もある。
  これらの問題を克服するために、当時中学校教師だった榊原孝彦さんが中心となり、地域にスポーツ活動の拠点となる総合型地域クラブを創った。・・・中学校のクラブとも連携し、部活動の活動日を制限し、土曜、日曜日は地域クラブへ移行させた。教職員も指導者も自主的に登録し、指導者として派遣されるようにした。運営は地域住民の手による自主運営とし、受益者負担制としてボランテイアシップを基盤とし、「自分たちのクラブを自分たちで創る」という意識革命を行った。・・・学校では校長をはじめ教職員集団の協力と意識変革を行うことである。地域、学校、地域クラブの三者の信頼と協力があってはじめてなしとげられるのである。・・・・。
(隠居には実態がよく分からないが、学校五日制の施行にあったって部活動の今後にそれぞれ思いを馳せねばならないと感じた。)


(40)我が町 1
   神坂次郎著「サムライたちの自由時間」に信長が「二人の父」から学んだこと
という項目があり 戦さに勝つには銭にと数 と言う題で2ページ書いてある。そこに我が町のことが書いてあって興味を引いたので大要を記します。
  ・・・・このきらめくばかりの”独創”を展開して近世の幕を開けた信長に、強烈な影響を与えた男が二人いる。父の織田信秀と、戦国の蝮と言われた美濃の斉藤道三。
  信長がうまれたころ、織田本家は尾張の守護である斯波氏に仕え、守護代をつとめていた。信長の織田氏はその傍流で、祖父の代から勝幡(しょばた){隣の町にある}に城をかまえていた。
  信長は幼い頃から、この信秀の背中を見て生き抜くため、勝つための諸般を学んだ。その中で殊に強い影響を与えたのは、信秀の経済観である。「戦に勝つには」りも絶対優位な、「銭と数を持つことが必要」なのである。
  信秀が城をかまえた木曽川の下流の、地味肥沃な勝幡は、伊勢から尾張へ渡る東海道の要衝で、貿易港として殷賑をきわめた川港、津島(註:ここが隠居の町)がある。この津島を得てからの信秀の富裕ぶりは、・・・・・。またうつけ殿といわれた信長が、天文22年(1553)美濃富田の正徳寺で道三に逢ったとき、「500挺の鉄砲」を持った鉄砲隊を連れ、道三を愕かせたと言う鉄砲も、津島の商人を通じて堺から購めたものであった。・・・・
  信長が我が町の財力を背景に日本を制覇した偉業は、あまり市民に知られていない。かって繁栄したという我が町も今や繊維産業の衰退とともに活気のない街に化してしまっている。私が出た津島中学も前は愛知県第三中学校と言われた。県で第三番目に創立された学校だった。それほど発展していたのに現在小さな市としてようやく体面を保っている。再び戦国の時代の商人のごとき気概をもって町おこしをしてもらいたいものだ。


(41)死生夢のごとし
     津本陽の世界  津本陽  学陽書房
 「死生夢のごとし」は本の題名である。この中に興味ある一節を見いだした。
  秀吉は信長の家来になったために、大開運を招いた。彼は十五歳で尾張津島湊の商家の子守をやめ,家出して今川義元の家来になろうと志し、駿河へむかう途中、曳馬川(浜松市)のほとりで、義元ま(漢字がない)下(カ)の武将松下嘉平衛に会い、ある機縁で家来になった。・・・・
先日我が津島と信長のつながりを書いたが、太閤秀吉が幼き時この地でしばし過ごしたとは。そういえば一昨日のドラマ「利家とまつ」の放映の後、前田家一門の「蟹江城」について説明があったが、ここも郡内でよく昔訪れたところである。長く住み暮らしていてもいっこうに郷土の歴史を知らない自分を恥ずかしく思う。


(42)なぜ学校5日制?
  学校5日制はどうして実施されたのか。教師歴40年の私でもよく分からない。週休2日制だから授業数は減る。教育内容は3割カット。学力が落ちる。だから宿題や補習を。このあたりの論議はよく分かる。
  平素暇だからテレビも新聞もよく見る。しかし何故学校5日制をしなければならないかの報道は気づかない。どうも最初に学校5日制ありきのようである。先進国の趨勢なのかしら。企業が週休2日制だから同歩調をとるのかな。誰か教えてほしい。
  先日私の葉書通信に対して尊敬する先輩から書面をいただいた。K先生は82歳,将校でシベリヤ抑留後教師に。定年前に退職全国の亡くなった部下の家を訪問。転任後今日まで30年近く会っていない。年1度の交信は続いている。先輩の書簡の一部を紹介します。
  「・・・・ブランド品を追いかけ携帯電話に現をぬかし、暖衣飽食とどまる所を知らぬ人たちに、終日一滴の水もなく数日飢えと闘い酷寒に身を曝す経験をさせてみたいと思うのは暴論でしょうか。小人閑居して不善をなす、月月火水木金金で叩き込まれてきた私にとって受け入れ体制も不十分なのに土・日休み週五日制、ゆとりある教育も納得できません。学力低下など必至でしょう。・・・・」
(先日の中日新聞に民主党の中野寛成氏が書いていた「実施は何年も前から決まっていたのに、文部科学省が地域や家庭に説明する努力をかいてきたために、今になって混乱しているのが実態だ」)


(43)我が町 2
  織田信定(信長の祖父)というのは、信長の原型と言われる通り、常識はづれの男であった。
  木曽川の河口に津島湊がある。そこは津島千軒といわれて、千軒の大金持ちの商人が軒を連ねていた。津島は、桑名を外港とする東西の物資の交流の接点であったから、堺港と博多港の二つを合わせたより貿易量が多いといわれていた。
  武田信玄とか斉藤道三がお金を貸してもらいたくて。津島湊へ家老を住まわせていた。斉藤道三の家老の堀田道空の屋敷跡が、今でも津島湊にある。
  津島商人というのは、宗祇とか宋長という連歌師が泊まりこんだりするから、天下の形勢をよく知っている。京都の皇室にどんどんお金を貢いでも、金は貸さない。
  ところが下4群の三家老のひとりにすぎない信定が大金を借り出した。その金で信秀(信長の父)ほ五千人の兵を養う力ができて、一遍に大大名になった。信定はどんな手を打ったか、津島湊の一番有力な商人に自分の娘を嫁にやったのである。・・・・・(津本陽)
  (作家というのは実によく勉強しているものだと驚嘆する。こんな話は地元に住んでいても全く知らなかった。歴史のある町であることをあらためて痛感した。故老が昔言っていた。津島は国鉄が通らなかったから寂れたと。そういえば古い地図には津島町、一宮村と書かれていた。今は一宮市ははるか我が町を凌駕する地方都市になっている。)


(44)聞く 聴く hear lissten /  見る 観る see watch
  私の中学の最初の卒業生の同窓会でI先生と一緒になる。彼は私と同年齢である。この学年最近は一泊をする。I先生と同部屋だが昨今先生耳が遠くて会話が難儀である。「先生補聴器をつけてはどう」と言ったら「補聴器やってみたよ。ところがあの器具すべての音をまんべんなく拾って煩くてしようがないので止めたよ」と言われた。そうすると私たちの耳は必要な音はよく捉えるのか。聞く、聞こえるのhearでなく聴く、注意深く聴くのlistenなのか。
  そういえば見る 見える のsee と 観る のwatchも同じことである。私は新聞を見ていてもバスケの文字があると小さい記事でもすぐ発見する。バレーとかサッカーの記事はたとい大きな紙面でもあまり目に留まらない。結局意識の有無がhear-listen,see-watchの差を生み出すようだ。まことに人間の耳・目はすごい、そういえば目は遠近明暗ともに対応できる。創造の神はすごい。バスケの指導でも良く観させよく聴かせることが大事だと思う。


(45)持つべきものは
  娘が昨日両親学級で今日は休みだったので、養老の温泉に私たちを連れていってくれた。車で1時間ぐらいで到着した。10時開館で5分ほど待つ。入湯前に砂風呂?とか足マッサージなどを予約する。娘は砂風呂と足マッサージ、私たちは足マッサージのみ。浴場は水風呂、高温、低温の2種類あった。家では烏の行水であっという間に入浴終了ですが、高価な風呂なのでゆっくり2回も入った。
  足のマッサージは女の子が15分ほどいろいろやってくれた。予想していたより痛くなかった。何となく眠気を催した。後昼食、土産品を買って帰路に。孝行息子の逸話で有名な養老の滝も近くにある。孝行娘のお陰で今日は素敵な温泉に、持つべきものは娘かな。支払い娘がするのをとどめ私が払った。子供に財布の紐をゆるめさせるのはやはりできない。そういえば先日の母の日倅が珍しく花籠を持ってきたのには驚いた。さて今月は父の日・・・・・・。ところで自分は親の生前に何かしたか、何もしていない。昔はそんな習慣無かった・・・。といいわけをしている。


(46)「ゆとり」大丈夫かな
  中日新聞今朝の朝刊にこんな記事。中国の南京市人民中学(日本の中学・高校併設に相当)教育研修団が桜花学園高校を訪問。質問タイムに、人民中学の生徒たちの勉強時間を尋ねたら「中国は受験事情が厳しく、40分授業が1日9−10時間はあります」との説明で桜花学園の生徒は驚いた様子だったと。
  私もびっくり、凄い授業時間。すべての産業が日本を凌駕しつつある中国、若者たちは必死の様子。片や日本はいかがか。先生たちは生徒や親たちにおどおどして勤務、生徒は無軌道な生活をしている者が増加しつつある。「ゆとり」なんて言っている余裕があるかしらと思えてならない。


(47)黒髪したたる
  今イタリア対クロアチアの試合が終わったところ。少量の晩酌をしつつ観戦。サッカーはあまり興味がなかったが連日世界レベルの闘いを見ている。サッカーがあれほど身体接触が多いとは思わなかった。先ほどの両国の激しい闘いに、果たして日本チームは大丈夫かなと心配になってきた。
  サッカーの戦略は分からないので専ら両チームの髪の色を観察していた。驚いたことにほとんど黒髪。日本人ばかりではないかと錯覚した。ヨーロッパの人はすべて茶髪、金髪ばかりと思っていたが。
  日本人の黒髪は西洋の人が羨ましく思っていると聞いていたが。正直言って日本人が最近髪を染めている心境がよく理解できない。私は多分西洋崇拝のコンプレックスの表れと思う。日本を代表する選手諸君には黒髪を誇りに戦って欲しいと隠居は切望する。8時からの中国・ブラジル戦で中国選手の髪の毛の色は・・・。(中国は全員黒髪だった)


(48)報道2001を観て
  番組の後半は「W杯日本代表の活躍が国をかえる」を話題にしていた。女性アナンサー、国会議員、政治評論家まで青のサポーターのシャツを着て、顔に日の丸を描いていたのには驚いた。スポーツ評論家の二宮清純氏は、この日本サッカーの成果は「構造改革の報酬」と断じていた。従来学校、企業に依存していたスポーツを地域へと変革した勇断の結果だと。また政治評論家は「会場を埋めていた日の丸、君が代の声は永年の国旗国歌ににたいするコンプレクスを解消した」と言っていた。私はお祭り気分の熱狂的な声援を、一面やや冷やかな目で見ていたが、だんだん本物の愛国心に結びつくならばこれもまたよしと思った。先日もロシア戦について石原都知事が「この勝敗の結果は北方領土の返還に影響する。外交とはそんなものだ」と冗談交じりで言っていた。それならばと思ってロシア戦を声援した。
  今朝の新聞に「14日のチュニジュア戦後、大阪・道頓堀川に約900人が飛び込んだ」と書いてあった。90人の間違いでは無かろうかと、信じられない。なお紙面では英人メデアはこの熱狂ぶりは「10年に及ぶ不況と政治的な行き詰まりから日本人は大騒ぎできる理由に飢えている」と論評している。 先ほどの二宮氏は「日本人は熱しやすく醒めやすい。ワールドカップが終わった後こそ真価が問われる」と。
  国中がサッカー一色で燃えているため、国会での重要法案の山積、中国での領事館の主権侵害の問題、秘書問題など国民の関心が薄れていくことに不安を感じるこのごろである。
  テレビで「フーリガンは日本人だった」と誰か言っていたのが耳に残っている。


(49)金髪の魅力
  29日の中日新聞朝刊に「W杯みんなで金髪に・・・」GK楢崎選手が”秘話” 本社来訪
の記事が写真入りで出ていた。
楢崎選手は日本代表全員が、みんなで金髪にしようかという話もあったが、さすがに気がひけた」と明かした。「目立って(存在を)アピールするためなんですよ」とも語った。
  そんなに金髪や茶髪が魅力があるのかしら。流行と言えばそれまでだが、日本代表と言うからには日本人としてのプライドをもってほしかった。世界の最高のプレーに感動を抱きつつも、画面でうかがわれる応援の様子に、これはお祭りだと実感した。そうなら異様な服装やフェースペイントをしたり、馬鹿騒ぎする心境が理解できる。
  さて4年後は大変だと思う。人々は今回以上の成績を求める。しかし今度は予選がある。予選突破だけでも至難である。関係者の方々の一層の努力が必要であろう。
  隠居がまたも頭髪に不満を漏らしたのは、自分の髪がはなはだ少なくなったひがみで書き込んでいるのでは無いことを念のため追記しておきます。


(50)教え子たち
  月曜日白内障で通院している医者へ行った。最近とみに視力減退でレンズを変えようかと検査のために。矯正視力がなかなか出ず2時間もかかってしまった。遅くなったお陰で嬉しいことがあった。「隠居のつぶやき番外編18話」の主人公のひで美さんと出会ったのだ。「先生肥えたのじゃないの」彼女の方が昔より遙かに肉付きがよくなっているのに・・。何年ぶりかに会えて嬉しかった。彼女もう58歳ぐらいかな。
  翌日金魚の町の眼鏡屋さんに嫁いでいる美津子さん宅に電話したら、お店は休みで彼女は旅行中とのこと。翌日電話があり彼女が迎に来てくれた。我が家から10Kmぐらいの距離なのでいつも送迎してもらっている。店についてしばらくすると急に暗くなり雷とともに土砂降り。でも間もなく回復した。三津子さんは村の実家に寄ったときもらった苺やレンコン、家で作ったおはぎなどしばしば我が家に運んでくれている。母親を20数年前て亡くし、父親も3年ほど前に失った。隠居を父親代わりにみていてくれるのかしら。とにかく大事にしてくれる。日曜日にレンズができるそう。また送迎、まったく商売にはならないので恐縮している。彼女は一男一女、娘さんは適齢期。
  今朝メールが入っていた。高校の英語教師をやっている教え子の茂文君からだった。
「何度もメールをいただきながら、ぼーっとしており、本日になってやっと先生のホームページに到達しました。渡辺将人君や鶴見節先輩の活躍の記述を読んで、あのころの二人の顔が浮かびました。いつも元気元気とばかり思っていた先生が当時体調不良を抱えていられたということを今になって知り、ただただ驚くばかりです。
  どうがんばっても届く距離ではありませんが、1cmでも5mmでも先生に近づくことを目標にできればと思います。・・・・」チョット過大な評価でしたがHPを見てくれてこれまた嬉しかった。教え子たちが社会に出たそれぞれガンバッテいる姿を喜んでいる。教師の仕事は私にとってはすばらしい仕事でした。
  今少し文を進めたいが午前中F中のIto先生からチームを見て欲しいとメールが有り、その時刻が迫っているのでこの辺で閉じます。


(51)老骨なれど
  水曜日朝F中のIto先生からdefenseを見てもらいたいとのメールがあった。ビデオのdefenseを活用したいとのこと。蒸し暑い天候その上風通しの悪い体育館でまずビデオをみる。私が前に高校生に教えたdefenseと大差なかった。早速各場面ごとの動きの指導。(詳しくは大会前なので書けません)その後は激しく声を出して動かす。前近代的かも知れないが私のコーチングは職人式で全身全霊をコートにぶっつけて手作りする(皆さんも同じかも)。ただでさえ体調の悪いこのごろ帰宅したら疲労困憊していた。やはり年かな・・・・。家で今日の指導を反省してみる。いくつか問題点が浮かんできた。夜メールでビデオを学校へ借りに行くと連絡。翌日11時炎熱下バイクでF中へ。家で繰り返しビデオを見直す。どう考えても私のdefenseの方がよい。再び放課後体育館へ。監督さんとどちらの方式をとるかを話し合い、結局私の方式に決定。約1時間動きの徹底と相手のoffenseの変更への対応を指導した。私がこんなに力を注ぐのは今年こそ監督さんに優勝してもらいたい、子供たちに県大会出場の喜びを味合わせてやりたい一念からである。そんな想いを込め短時間だったが声を枯らし叱咤激励した。毎日もやもやしていた体の不調が汗とともに消えていってしまったのか、すがすがしい気持ちで我が家へ帰ってこられた。やはり健康はコートの上に存在しているのかも。今日は久しぶりにT高校を訪問してみようか。


(52)これが元英語教師か?
  このごろ暇に任せて部屋のあちこちの整理をしている。すると変な小箱が出てきた。家内が化粧品店でもらってきたらしい。聞いても用途は知らないのでずっとほっておいたと。いい香りがする。中に小皿と細い棒や四角い小さな物がなん個も入っている。箱にはLiving with incense と書いてある。incenseの意味を知らなかったが線香のようなもらしい。説明書を読む。絵で説明をしている。小皿の上で燃えている絵だ。文中にトイレのステイック用ホールに・・・を見て、これはトイレの臭い消しだと一瞬思った。でもどうもおかしいひとまず部屋で燃してみようと考え点火した。何とも言えぬ香りが漂った。
  夕方立ち寄った娘に珍しい物があるだろうと見せてやった。どうもトイレではなさそうだと言ったら「それトイレでなくトレイでないの」と。早速辞書を引く。「tray 盆、浅皿」とある。ついでにincenseを調べる。「香・香料・香のかおり、芳香」とあった。そう言えば説明書に「やすらぎの小箱」とあった。ああ恥ずかしい。これがもと英語教師のなれの果てかと・・・・。


(53)隠 居
  神坂次郎著より再び抜粋
  ・・・・歴史の中の”隠居”は前述したように武士、町人、農夫、漁夫と、それぞれの生活や条件、特質は複雑多岐である。年齢や時期にしても明治民法(752条から761条)では{(隠居)は満60年以上なること}と法定年齢が規定されておる。
  この明治憲法のもとになったのが近世武家社会の法制で、サムライ世界での”隠居”というのは、嫡男への”相続”に強く結びついている。
  サムライが家禄と家名を継ぐには、戸主の隠居による家督相続(隠居相続)、戸主の死亡による跡目相続(遺領相続)の2種類あって、いずれも主君の許可が必要であり、殊に家督(隠居)相続となると、諸藩それぞれに、{尾張藩では(隠居年齢が)六十歳・・・・紀州藩では五十歳・・会津藩は七十歳}という、年齢制限が付けられていた。・・・・・・・
  さて自称「愛知の隠居」はどれに属するか?年齢だけは合格だが。嫡男への相続はまだしていない。でもネットにおける「愛知の隠居」はわれながら良い名前だと満足している。バスケは14年前に一応引退したのに未だに足が洗えなく、ネットの上では益々のめり込んでいる。隠居なれど73歳にして日々惑う業深き凡人である。


(54) 大丈夫かな?
  学校5日制、そして絶対評価、子供さんのある家庭、せんだっての通知票いかが思われましたか。聞くところによると各学校評価を巡って混乱し、多くの時間が費やされたよう。先生方も慣れないことでもあるが、授業が評価のための授業に化したようだ。果たして到達度評価だとか絶対評価が簡単にできるものだろうか。評定した先生がたの何人が自信を持ってつけられたことだろう。
  私は以前の相対評価がすべて良いとは思わない。しかし絶対評価の難しさ煩雑さが授業の質を落とし、先生のゆとりを無くすることの影響の方が心配である。現場にはその上総合学習という厄介な?科目まである。
  今朝の新聞によれば、来春公立高校入試の中学校内申書で絶対評価導入は31都道府県(66%)とのこと。高校側は内申書をどうやって入試判定の資料にするのか。おそらく内申書は昔と同様無意味な物になり、入試テスト一本で当落が判定されるだろう。
  評価を簡単にし先生のゆとりを増やし、質の高い授業が工夫でき、いろいろ子供と語り、また接触できる時間を増やしてやって欲しい。文部科学省、県教委は現在の学校荒廃の現状をなんと考えているのか。学校の窓ガラスを割られないように夜警までする教師たち、教室から飛び出し非行を重ねる子供たち、生徒の暴行におびえる先生たち。ここにはどんな理想論も教育論も評価も無意味である。教育こそ国の根幹である。大樹は今根っこがむしばまれている。為政者の皆さん、文部行政のお偉方、もっともっと基本的な点を大切に間違いのない学校づくりを支援してやってほしい。


(55)JABBA認定コーチ
  ある掲示板でこの制度についての悩みが書かれていた。隠居は全くこんな情報は知らなかった。早速JABBAのdeta を検索してみた。
  コーチライセンス について(抜粋)
  指導者養成制度の流れ
  <<背 景>>
  2002年の学校週5日制の完全実施に伴い、生涯学習・生涯スポーツの観点から、学校体育での部活動指導のあり方を検討すると、教師の高齢化が進み、顧問のなり手がなく、廃部になっていく学校が増えて いる。その中で、外部コーチ制度があるが、なかなか人材がいないのが現状である。一方では、指導者を目指す若手がいるが、働き場がないのが現状である。
  シドニーオリンピックでの出場が期待されていながら、男女とも出場できなかったことは、選手だけでなく全国の指導者に負う部分も少なくない。よって、指導者の登録制度を行うと共に、指導者ライセンスを細分化し、競技力の向上に役立てるものとする。
  第2条
  (2) 登録されたコーチ以外の者は、いかなる公式試合にもチームの指揮をとることができない。中学、ミニ 6,000円 2年間(但し、日体協公認コーチは10,000円)
  講習料 10500円  5回
  ミニの県大会にコーチが出るには、それぞれ10500円を納入して5回の講習を受け試験に合格せねばならない。何となく納得ができない。何かコーチをさせてやるから資格を取れと言った感じがする。取ったら試合ごとに手当でも出してくれるのか。特にミニの指導者の方は献身的に尽くしておられるのだ。各自仕事を持ちながらである。年3000円も納入し、また更新の講習まで。何かチョット変だ。
  協会は資金が欲しいので無かろうか。昔の悪代官が過酷な年貢を取り立てる様子に似てはいないか。日本のバスケはミニが土台である。ミニが存在しやすくコーチがやりやすい環境を作ることが大切だ。うっかり真摯なコーチの皆さんの意欲をそぐぐ施策は悔いを将来に残す。隠居には何かお上が無理を言っている気がしてしようがない。時代は規制廃止の流れではないのか。隠居は年のせいと酷暑で判断が誤っているかしら・・・・。


(56)こんな意見も
  先日こんなメールがありました。彼女は外部コーチをしている若い熱心な指導者です。今まで何回もメールを交信しており将来を期待している方です。
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  こんばんわ。
  掲示板で話題になっている“C級地域スポーツ指導者”の講習に昨日、今日と行ってきました。私は、なんの実績もないし、バスケのこと以外に何にも知らないので受けにいきました。
  昨日、今日とアイシンの鈴木貴美一さんのクリニックを受けました。鈴木さんは私たちのわからないこと(技術・子供に対しての教え方・用語など)たくさん教えてもらいました。私の印象は、とにかくソフトな方だなぁ。と。何に対しても細かく教えてくださるし、聞けば丁寧だし。すごいなぁ。と感じたのは、私達と同じコーチだから勉強しあおうと。普段は身内とばかり話していることが多いのですが、こんな風に言われると、あーもっと色々な人と質問しあったりすることが日本を強くするんだなぁと。感じました。
  今回の講習、私はかなり勉強になりました。ただ、お金はたくさんとられますけどね。講習すべて受けると7万くらいです。2日間で1万5百円!でした。あはは。笑い事じゃないんですが、内容がいいので、なにもいえません。
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  喜ばれ感謝された講習会これは結構なことです。私が触れたのはJABBA認定コーチの件でした。「特に(2) 登録されたコーチ以外の者は、いかなる公式試合にもチームの指揮をとることができない(註:協会が主催する大会だと思う)」と言う文面です。「ベンチに入れてあげる。そのためには講習を受けなさい」と言う強制的な態度です。
  優れた講習会が行われ受講者が上の女性のように喜ばれるメリットがあれば、それはとてもよいことです。世の指導者の方は分野の違いがあってもそれぞれボランテア精神でやっておられるのです。できる限り負担を軽減するようにしてもらいたい。
    繰り返して言いますが、目線を底辺で献身的にバスケの向上に努力しておられる多くの指導者にあわせて施策を行って欲しい。


(57)桑田選手
  いつもよく見る甲野先生の武術稽古研究会http://www.shouseikan.com/の随感録に興味ある記事がありました。
  2002年9月7日(土)
  今日は思いがけず嬉しいことが2つあった。1つは、稽古を終えた桑田氏から通算161勝目、3年ぶりの完投勝利の記念として、それらの来歴を記したウイニングボールをプレゼントされた事。そして、その時行われた「読売ウイークリー」の取材に対して、「フォームの改造は今までの野球界の常識にはなかったことで、聞く人もいませんでしたから、先生と僕とで作ってきたのです」とのコメントを聞いていると思わず胸が熱くなった。
  桑田選手のひたむきな努力と志に心からの祝福を送りたい。
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  甲野先生は、桐朋高校の金田先生の古武術活用のバスケに深く関わった方である。少しまえにどこかの掲示板で「桑田投手は古武術で体を改造して奇跡のカムバックをしたようだ・・・」そんな意味の書き込みを見たが半信半疑だった。私は野球には無関心なのであまり実態は知らない。しかし上の随感録をみてやっぱりそうかと納得した。そういえば今朝の新聞に「桑田4年ぶり完封」と出ていた。やはり古武術は凄いと思った。
  無断で随感録の一部を掲載させて戴いた無礼をご容赦ください)


(58)敬老の日
  午前中は娘の車で郊外の大型店に買い物について行った。以前は全く娘と家内だけだったが最近は学習のため?についていくことにしている。しかし服を買う二人を待っているのにはかなりの忍耐力がいる。しかしいいことがあった。帰り際出口のところで「先生」と呼ぶ声に驚いて見ると、昔バスケを教えた子だった。立派なご婦人である。「先生Aさんもいるよ」と言う。向こうからAさんが出てきた。実力No1のチームのメンバーである。彼女たち違う町に住んでいるが時々会っているそう。トリオで今一人とは昨日一緒だったと。いつまでも仲良くつき合っているのを喜ぶ。
  午後佐屋ミニが気になって訪問した。引退以来ほとんどお邪魔していない。やめた者がのこのこと顔を出すべきではないと。でも不振が続いているようなので激励に行った。40人近くの部員が熱心に練習していた。帰り中学にも寄った。外部コーチが社会体育として指導していた。2年生は5年まで、1年生は4年までミニで面倒を見た。みんな懐かしい顔ぶれである。
  家に帰ると倅が孫を連れてきた。敬老の日とて2鉢の花を持ってきてくれた。そしてレターを。「・・・・じいちゃんとばあちゃんがかわいがってくれると、とてもうれしいです。今日はけいろうの日なので、ひだりうえにあるけんはささやかなプレゼントです。いつもかわいがってくれてありがとう。これからも、長生きしてね。めざせ100才!!」   左上に「かたたたきけん 有こうきげん 来年の12月31日( 註:肩叩き券)」 なかなか面白いアイデア、早速肩を叩いて貰う。ああ今日は嬉しい日だった。昔の部員たちと出会ったこと、ミニや中学生の顔が見れたこと、そして末っ子の孫のプレゼント。 あっ忘れていた娘との同行・・・・。


(59)予 見
  古武術活用のブーム到来?
  先回も書き込んだ古武術の甲野先生の13日の随感録に、桑田投手の投法との関わりでTV出演の要請に意を決してこの日録画されたそう。「スポーツうるぐす」と言う私は知らないがそんな番組だそう。
  革命 バスケットボール で古武術の活用に拍車がかかった今、プロ野球で注目の桑田投手の再生の謎が古武術にあると喧伝されれば、大変な影響を与えると思う。日本人は熱しやすく醒めやすい。おそらくブームになるであろう古武術の活用が、一時の流行に終わらないことを今から危惧しているものである。古武術の活用は奥が深いようでじっくり腰をいれて学習実践しなければ成果が上がらないと思う。


(60)何かと遅れている
  敬老の日孫が作文と盛り花と観葉植物を持ってきてくれた。観葉植物は”虎の尾”と言うそうだ。「爺ちゃんパソコンのそばへ置くと良いよ」と言った。盛り花は高そうだが”虎の尾”はあちこちでよく見かけるので安いものだと思っていた。翌日パソコンの処では邪魔になるので庭に出して置いた。ところが娘が来たとき「これ貴重だよ、マイナスイオンが出るそうだから室内に置かないかんよ」と言われ驚いた。
  今後の管理法を調べようと検索した。虎の尾では不十分だったのでサンセベリアで検索。値段が出ていてびっくりかなり高価である。倅も無理をしたようだ。小さな芽が出ているので来年株分けしてあげようかと思った。今年1月にマイナスイオンが出るとTVで取り上げられて有名になり品薄になったとのこと。
  それにしても毎日暇でTVもよく見、新聞も隅から隅まで読んでいるのに全く虎の尾の効能なんて知らなかった。やはり年のせいか?いや昔カラオケを「風呂の空の手桶」と思っていたのだから、うっかりしている性格かも。