介護の記録   




(1)介護の記録開設の趣旨 2005/9/25
  厳しい日々の生活ここで得ているいろいろな体験、心情のゆれ、将来への恐怖、もろもろの思いを赤裸々に掲示板に載せては。正直とても迷った。娘に相談したら同じ悩みを持つ方、認知症の疑いがある方の家族、また関心のある人達にとって何か役にたつかも分からない。恥ずかしくないからやりなさいと。次ぎに息子にメールで相談した。彼は多分駄目というと思っていた。ところが簡単に「いいよ」という返事だった。
  そこで早速婿さんに掲示板を設定してもらった。婿さんが公開にとても慎重で色々話し合った。最初は流行のプログにしてはと提案したら、プログの趣旨と離れているから一考を要すると。次ぎに日記形態の物を吟味したがやはりぴったりこない。結局今採用している掲示板と同じリンクでいくことに。タイトルはあえて「隠居の挑戦」と題した。 偉そうな題で恐縮ですが、真実は自らを奮い起こす意味で題しました。これからはこれを開く度に崩れいく弱気の自分を叱咤激励してくれると思う。



(2)ETVワイド”認知症”あなたはどう向き合いますか? 9/26
  一昨日7時から3時間番組で上記の主題でNHK教育番組が放映されていた。数は数えなかったがかなり沢山の方が階段式の舞台に座り番組に参加されていた。単なる参観者かなと思っていたら、全て介護の方たちだった。認知症の家族なのに堂々とテレビに出ておられるのに感心。そう言えば介護の番組で認知症の方、そして家族の方が縷々生活の実態を公開されている勇気にもいつも驚かせられている。
  確かに最近わが家の新聞でも毎週認知症関係の記事が掲載されている。この病が現在社会化しているようだ。2年ほど前私の家の事情を知った教え子が「ぼけの介護のHPがありますよ」といくつか紹介してくれた。こういった病気は密かにわが家だけにと思っていた私はアクセスしたら日記風にそのまま日常が書かれているのに一驚。
  今自分も認知症と向かい合って「介護の記録」を公表することも自他共に益するところがあると信じて一日一日を歩みたい。



(3)認定再審査の結果
 先日介護認定の結果が来ました。
「要介護5」 有効  17年8月1日から18年1月31日
 毎月 上限 358,300円の補助(うち 1割負担)
 「要介護5)は最高ランンクちなみに現在の支給限度額を書いてみます。
  要支援 (61,500円)  要介護1(165,800円) 要介護2(194,800円)
  要介護3(267,500円) 要介護4(306,000円)
  段階によりかなり高額な支援が受けられます。

 参 考
  要介護状態区分 身体の状態(例)
  要支援    日常生活はほぼ自分で行うことが可能であるが、入浴などに何らかの支援が必要な状態。
  要介護1   立ち上がりや歩行が不安定で、排泄や入浴などに部分的介護が必要な状態。
  要介護2   立ち上がりや歩行が自力では困難で、排泄や入浴などで一部または全体の介護が必要な状態。
  要介護3   立ち上がりや歩行など自力でできなく、排泄や入浴、衣服の着脱などで全体の介護が必要な状態。
  要介護4   排泄や入浴、衣服の着脱など介護なしには日常生活が困難な状態。
  要介護5   意思の伝達が困難で、生活全般介護なしには日常生活がほぼ不可能な状態。



(4)現状のサービス
 ヘルパーさん
  最初は家内が家にいるとき(デーサービスにいかない日)に来ていただいて2時間の 生活援助(掃除・料理など)で週2回ほど来ていただいた。段々日数が増え今は週6 日である(日曜日、祝日を除く)。土曜日2時間(生活援助1.5時間、身体介護  0.5時間)他は生活看護 1.5時間
 デーサービス
  これも最初はとても思案をしたが週1回から始め、現在は日曜日・祭日以外は全て行 くことに。大体朝9時前後に迎えの車が、そして午後4時半頃帰宅。いつも喜んで出 かけるが施設での記憶はなし。
参考
  身体介護とは 
    食事、おやつ、服薬、入浴、全身清拭、洗髪、口腔ケア、移動、衣類着脱,手足浴、
    ベッドメーキング、見守り、排泄、体位交換、爪切り、身だしなみ、連絡
 生活援助とは
    掃除、買い物、洗濯、布団干し、薬の受理、ゴミだし、調理・献立内容



(5)隠居は要支援 
  家内が「要介護1」の時月165,800円ではデーサービス、ホームヘルパーなど十分使えない。そのときJAの担当者(教え子)が「先生も介護認定を受けるといいよ。少なくとも「要支援」にはなる」と。まさかそんなことは全く考えていなかった。ともあれ実行しようと申請をし主治医の先生に書類の件をお願いした。   介護の申請書は市役所で行い、医師はこちらの要望で市から依頼される。なお調査員が市側から派遣されてきた。いろいろ指定事項の聞き取りが行われる。目をつぶって片足をあげる調査もあるのでふらふらする予行演習をやってみた。ところがわざとしなくても不安定なことが判明し驚いた。
  調査の方が来宅し色々聞かれた。そのとき家内が骨粗鬆症で背骨が激痛で寝台をリースして大変なときだった。その上私の高血圧症もあり審査は「要支援」となり月額61,500円の上限となった。おかげで介護サービスがかなりゆとりができた。


(6)初体験ショートステー(短期入所療養介護)その1
  今月11日(火)12日(水)初めてショートステーを体験させることにした。私はそんな気持ちは無かったが、 息子や娘が私の体を心配して「一泊旅行」をさせるつもりでやるようにと勧めた。簡単と思ったが案外手続きが面倒だ。
  施設側が主治医に患者の容態を問い合わせる。そのあと契約書を取り交わす。
 経費について
  老健短期U5・リハ  1,070円 2日で2,140円
  老健送迎加算       184円      368円
  栄養士配置加算       12円       24円
                       計 2,532円
        朝食:                400円
        昼食:(2回)          1,200円
        夕食:                600円
      日用品費:               125円
                       計 2,325円
             支払金額       4,857円
 実際にかかる金額 25,320円(この1割負担)+ 4,857円で  30,177円
 今回のショートステーが成功すれば毎月1,2回定期に予約する予定



(6)初体験ショートステー(短期入所療養介護)その2
  家内は今頃何をしているだろうか。デイサービスと同様園内を徘徊しているのでなかろうか。それとも全くデイサービスと違った環境(デイは1階、ショートステーは2階)
で家に帰れず嘆いて荒れていないか。心配し出すと際限がない。
  いつもは喜んでいくデーサービス(記憶は残らないが)、今朝玄関でバスを待つ間に「七宝園は楽しいだろう」と尋ねたら意外と首を横に振った。パジャマなど日用品をいつもと違うバッグで用意したのに気づいたのか。まさかそんな感覚はない。気になる。
  今独り部屋にいると様々な想いが交錯する。間もなく51年目の結婚記念日が来る。今まで私独りで夜を迎えたことは昨今ない。かってお産の時、元気なおり友人と旅行したときぐらい。
  家内の身になって考えれば、私を休めるため毎日デーサービスに、集団から離れて孤独に徘徊を、そして今宵また見知らぬ人たちと不安な一夜を過ごす。一緒におれば厄介をかけるばかり、瞬時も目が離せない。食事の準備をしながらもいつも気を配らねばならない。
  しかし永年連れ添った家内が身近にいない寂寥はまたひとしおである。学校帰りの娘が寄ってくれた。私が淋しくないかと。ありがたいことだ。
  今回の初体験やや後悔の想いがある。今後を考えるとこれも慣れかもしれない。ともあれ明日元気に帰ってくることを願うのみ。



(6)初体験ショートステー(短期入所療養介護)その3
  1日がこんなに長いか奇妙。朝方色々片づけ、掃除などゆっくり丁寧にし終わった。ついでに庭の掃除もやった。まだ9時前。いつもならまだ家内を送り出す時間。全くリズムが違う。就寝中でも常に家内の動きに神経を注いでいるのであろう。尾籠な話だが私の排便は日に3回程度、用をたしているとき「私も」とやってきたり、睡眠中に起きあがったりなど家内の気配に注意していると、ゆっくりしておれない。
  空いた時間図書館へ行ったり中学のバスケを覗いたり、でも頭の片隅に「大丈夫かな、帰りたがっているかな、でもそんな意識さえないのかな」など様々な想いが去来する。
  バスから「あと5分ほどで到着します」の携帯からの電話で門のところで待つ。不安な気持ちが増大する。車の中の彼女の顔は硬直した感じ。いつも降車が厄介。車が好きでなかなか降りてこない。「おやつがあるよ」と言って催促。部屋にあげ青汁、サツマイモ(快便用)おやつ、にんにくをあてがう。「疲れたから横になるか」と言って寝かせる。平素簡単に寝ないがあっという間に眠りに。娘が来るまで1時間半ほど眠る。よほど疲れていた様子。ヘルパーさんも顔にいつもの艶がないねと言われる。
  係の方からの「状況状態のお知らせ」を読む。身体:発熱 無。食欲:有り
  睡眠:良眠、排泄:1.失禁 有り 2.最終便 10/12
 「備考」欄にかなり多く記述あり。デーサービスの時と同じくよく歩いていた。夕食時箸と茶碗をもって歩き半分食べただけ。入浴は無機嫌ながら済ます。{21時から4時まで良眠。他の部屋にいき口論?尿失禁あり。}12日昼食後詰め所に行って会話をした。
 {21時から・・・}のところがよく分からないので電話で確認。「4時に目覚めたのでそのまま着替えさせた。(これはちょっと変、多分言い分を聞いたのか。今後は寝かせるよう話す)そのあと他の部屋へ入ってトラブル。(家内は4人部屋)その間に失禁。(家では滅多にない、やはり慣れないところだったため)」
  ともあれまあまあ無事済んだ。これなら大丈夫と今朝11月から1月までショートステー月2回の割で予約した。



(7)認知症の特徴的な症状
  ヘルパーさんからいただいた資料
 1.あたらしいことを覚えられない 直前のことを思いだせない(記憶障害)
 2.使える言葉が少なくなる
   例 (軽度)なかなか言葉がでてこないが、他人の話は理解する
     (中度)話題にまとまりがなくなる
     (重度)言葉を使うのが難しくなり同じ言葉を繰り返す  
 3.体の運動機能は落ちていないのに、動作をすることができない(失行)
   例 ネクタイの締め方がわからない  家電が使えない 洋服を前後逆に着る
 4.品物を見てもなんだか分からなくなる
   例 近所で迷子になる  家の中でトイレにいけない 鏡に向かって話しをする (重度)徘徊の症状が現れる(失認)
 5.夜起きだして歩き回ったり、騒いだりする
 6.「財布や着物を盗まれた」と言い出す(物とられ妄想)
 
 家内は1番から4番までの症状あり(重度)。詳細は次回「現状」で報告します。



(8)わが家の現状
 1.怒りっぽくなった。注意したりすると叩く(暴力的に)
 2.物品名が分からない。ザブトン、机、電化製品・・・身のまわりのもの
 3.外出したがる。何度も玄関の戸を開けようとする。(上でロックしてある)
 4.食事が直ぐ食べれない。間を置いて催促すると漸く食べる。
 5.「おしっこ」を頻繁に言う。済んだ後でも直ぐ言う。
 6.トイレが分からない時が多い。万事自信がないのですべて確認する。
 7.私と娘だけがどうにか分かるが時々間違う。
 8.妄想がある。特に常に「子どもが・・・・・」という。
 9.着替えができない。
10.デーサービスでは終日園内を徘徊いている。 

  記憶されていること
  童謡、昔の流行歌、文字がどうにか読める、包丁が使える。くす玉の前半がどうにか作れる。



(9) 「とうとう手が出てしまった」  10/22(日)
  5時に4回目のトイレを要求したので「さっきしたからまだいいよ」と言ったら再び眠った。6時に「オシッコにいかないかんか」と尋ねるので「行きたければいけばよいし、いやならやめればよい」と答えた。彼女は本当は行きたいのだ。
  結局一人でトイレへ。心配なので覗きに。中でうろうろしている。ズボンを下げたりあげたり、そして外に出てきてしまう。私自身が2回ほどトイレに夜半いっているので十分寝ていない。
  やむなくズボンを脱がしにかかったら突然頭を叩き暴力をふるってきた。私はしばし防御していたが、反射的に彼女の頭を平手で殴っていた(始めて)(中程度)。彼女は夜叉の形相でつかみかかってきた。「しまった」と思って逃げた。ああとうとうやってしまた。相手は病人ということを重々承知していながら。彼女は体に触られることを嫌がる。デーサービスでの入浴でも嫌がって、脱衣のさい介護の人を叩くようだ。

  このあと着替えこれが時々難儀。パジャマのズボンは脱がせた。ところがズボンを「こんなのははけん」とほってしまった。下はパンテイだけで寒いが履かない、履かせない。「勝手にせい!」とほっておく。直ぐに娘の携帯にSOSの電話。「直ぐ行く」と。家内はズボンを畳んでうろうろしている。「寒いから早く着なさい」と言ったら着てくれた。食事でも直ぐ食べないがしばらくして指示すると食べる。食事は多少後になっても良いが、下半身裸に近い状態では困ってしまう。



(10)前触れ
  今から思うと思い当たる前兆あり。
 1.御飯がうまく炊けていない(時々)
 2.副食がうまく作れない(時々)
 3.スーパーヘ買い物に行くとき「何を買うの、何が食べたいの」と言ってなかなか出かけない。自分で決められない。
 4.親類と城之崎温泉への旅行時(この夜テレビを見ていたらニューヨークでの飛行機による自爆報道有り・・・平成13年9月11日)、バスの中の土産の置き場で、わが家の袋が見つけれない。
 5.血縁の家族と実家の近くの食堂で夕食後実家へ。私は先頭で帰ったが、家内がなかなか戻らない。中で迷ったようだ。義妹が気づいて同伴。私が先に帰ったと怒った。
 6.毎月月の半ばで生活費がなくなる。家内の年金も追加。尚不足で私が補う。
   (現在私が会計を、かなり余る、何処で費消していたのかしら)



(11)総合老人福祉センターへ  平成12年10月
  あまり様子が変なのでもしかしてと思い総合老人福祉センターへ電話。予約して指定の日にうかがう。家内は何処へ行くのか、何しに行くのか尋ねる。いつもと違う道筋だから。「年寄りはきまりで健康診断を受けねばならないから、私も受けるよ」と説明。
  若い女性が長谷川式簡易知能評価スケールなるものを行う。家内の得点は20点を切っていた。痴呆の疑いである。(家で検査したら22点)
  私はパソコンみたいな器具を使って検査をされた。「40代」との診断。家内はやっぱり相当記憶力が落ちているなと思った。
  帰りぎわ別のところで説明を聞いた。要介護認定のこと、介護関係の施設、サービスの様子、専門医の紹介などされた。
  デーサービスについての説明を聞きながら、とても可哀想に思われた。「私もついていけませんか」と聞いたら、「貴男が要支援になれば共に行ける施設があります」と教えられた。今は少しでも離れていたいのに、当初はそんな想いを真剣にしていた。
(今朝初めてデーサービス迎えの車に乗るのを拒否。苦労して乗せた。施設では終日園内を歩き、最近はすれ違う人に手が出るとの連絡あり  17/10/28)



(12)参考:長谷川式簡易知能評価スケール
1.お年はいくつですか(2年までの誤差は正解)
                                  0 1

2.今日は何年の何月何日ですか? 何曜日ですか?
  (年月日、曜日が正解でそれぞれ1点ずつ)
                                  0〜4

3.私たちが今いるところはどこですか?
 (自発的にでれば2点、 5秒おいて、家ですか?、病院ですか?、施設ですか?
  のなかから正しい選択をすれば1点)
                                  0〜2

4.これから言う3つの言葉を言ってみてください。
  あとでまた聞きますのでよく覚えておいてください。
 (以下の系列のいずれか1つで、1つの言葉に対して各1点)
  1: a桜 b猫 c電車   2: a梅 b犬 c自動車
                                  0 1

5.100から7を順番にひいてください。
 (100−7は?それからまた7をひくと?と質問する。最初の答えが不正解の場合、打ち切る)
                            (93)  0 1
                            (86)  0 1
                             ・・   ・ ・
6.私がこれから言う数字を逆から言ってください。
 (6−8−2, 3−5−2−9を逆に言ってもらう、3桁逆唱に失敗したら打ち切る)
                                  0 1
                                  ・ ・
7.先ほど覚えてもらった言葉をもう一度言ってみてください。
 (自発的に回答があれば各2点、もし回答がない場合以下のヒントを与え、正解であれば1点)
      a)植物 b)動物 c)乗り物
                                  0〜2

8.これから5つの品物を見せます。それを隠しますので何があったか言ってください。
 (必ず相互に無関係な時計、鍵、煙草、ペン、硬貨など。正解に対して各1点)
                                  0〜5
9.知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください。
  (答えた野菜の名前を右欄に記入する。途中で詰まり、
   約10秒待っても答えが出ない場合にはそこで打ち切る)
  0〜5は0点、6は1点、7は2点、8は3点、9は4点、10は5点
                                  0〜5

  総得点30点。20点以下は痴呆の疑いをもってよい。
  10点以下はかなり知能低下を示唆する。

(今朝トイレで脱がないので、かがんでズボんを下げていたら突然両肩をつかれ、あやうく倒れようとした。本当にむかついて頭にきた。でも堪えた。)



(13)家族の会 11月2日(水)
  今日は隣町(現市)のSaya町へいった。中学10年間バスケで生涯の思い出を作った町。またミニを創部して10余年通った土地。好天気に恵まれ愛用のバイクを走らせた。稲田はあちこち刈られていたが、台風などが無かったせいか稲穂はよく実っているようだった。
  この家族の会は昨年「ボケ老人をかかえる家族の会」の愛知県支部が県内6ケ所で月1回で6回の講座を開催すると新聞に出ていた。他地区だがSaya町に電話したら参加してくださいと言われた。有意義な講座が終わったところ、とてもよい試みだから継続して欲しいとの要望で、今年度「介護者の集い〜介護者交流会」が発足しました。
 毎回10名近くの方が参集、福祉士のかたケアマネジュアの方を介添えに、各自の介護の様子や、悩み事、疑問点などを和やかに話し合っている。とても有益な会である。
  実は吾がTusima市も広報をみると、介護方法や介護予防、健康作りなどを目的に家庭介護教室が開催されいるが、家族の会は存在していないようだ。 私は交流会の方がいいので少し遠いがいつも出席している。
  今日の出席者はなぜか少なく男性3人女性1人であと担当の福祉士のWashinoさん、ケアマネージュアのShimizuさん。温かい日差しのなか隣室のいつもの騒音無くゆっくり話し合いが行われた。人数が少なかったので気軽に各自の出身地などが話題となった。Wasinoさんは隣村在住で実家は私が最初に勤務した小学校の近くだそう。何となく親しみが増した。
  この福祉士、ケアマネジュアの二人の女性はとっても若くチャーミンングな方である。いつも親身になって相談にものってくれる。会の取りまわしも上手である。介護家庭の者はここでの交流で日頃のストレスがかなり払拭される。彼女たちの優しさが身にしみる。帰り際「まさか独身じゃないですね?」と確かめたら共に「はい」と答えられた。来月が楽しみです。



(14)これはたまらん 11月4日
  インフルエンザの予防注射。娘と3人で医院へ。玄関で靴を脱がない、スリッパを履かない。漸く中へ、私の顔は上気して真っ赤。患者さんは少なく、でもじっとしていない。まず私が血圧測定、180近くに上がっていた。直ぐ注射を。次ぎ仁家内血圧測定はおとなしかった。しかし注射は大変。最初動いてストップ、そこで二人して腕や体を固定「痛い・・」絶叫「殴ったろうか!」お医者さんに血相変えて言う。恥ずかしい・・・。   7時半前に着替えを、ズボンを脱がない、ひと騒動。今度はパジャマのズボンを片足だけ入れてもう一方が履けない。こちらが履かせようとすると叩く。腹が立って「勝手にせよ」と全ての電気を消してやった。彼女は暗闇の中をウロウロしている。これは虐待かな。
  しばらくして点灯、今度は素直に手伝ってあげたら着服した。やれやれ。ところが床を延べる途中で横たわってしまった、変な場所でそれも2枚の毛布の上に。いくら起きなさいといっても従わない。本当に困った。   恐ろしい病だ。こちらが壊れてしまう。今日息子が別の薬を調合してもらってきてくれた。明日でも届けてくれるだろう。深夜3度ほどトイレがあるが約12時間ほど眠ってもらう。寝ているときだけが気が休まる。



(15)市民病院へ  2002年 11月上旬
  神経内科へいく。例の長谷川式簡易知能評価スケールを受けた。そのあと脳血流とMIRの検査を予告された。
     11月25日 脳血流の検査
     11月25日 MRIの検査
     12月2日 アルツファイマ初期の診断  アリセプト錠3mg サアミオン錠
参考:アリセプト
  [2005年07月24日]
  アリセプトとは
  アルツハイマー型痴呆症の薬としては国内で唯一承認されているアリセプト
  介護職の方も、一度は聞いたことがあるお薬かと思います。

  愛知県厚生連・ 海南病院 老人科部長・河野和彦先生は、稀にアリセプトの投与により、「落ちつく」患者さんがいることは事実ですが、アリセプトは主に前頭葉を賦活する薬で、人間らしさ・やる気などを改善させる薬剤なので、落ちつかせることを目的にアリセプトを投与するのは邪道です。
  と、述べています。



(16)新しい薬を 6日(日)
  昨夜息子が新しい薬を持ってきてくれた。1ヶ月余調合してもらった興奮抑制の薬が効果が少ないので、新しく調合してもらった。ふらつきなどの異常があれば直ぐに報告と。薬のせいか朝から様子が違う。着替えもスムーズ。午後来宅した。姉妹も「前よりも穏和だと。」3時頃からドライブに連れていってくれた倅も良好だったと報告。就寝の着替えも全く抵抗無し。これが続けばありがたいが。明日のデーサービスどんなだろうか。連絡帳に観察方依頼の旨記載。7:45深い眠りに入っている。これからが私の時間。



(17)再び市民病院へ 2003年 1月6日
    神経内科へ      アリセプト錠5mg サアミオン錠
 市民病院への通院をいやがるので、近くの服部医院(内科)への転院をお願いする。
 以後服部医院(津島市南門前町2丁目58)にて薬をもらう。ここでは血圧関係の薬をいただいている。
 脳血流関係の薬がセロクラール にかえられた。
 5月  市民病院へ  最近の症状報告のみ



(18)至福の時間
  8時もう彼女は夢の中。前は8時に寝かせていたがかなり難儀になったので7時半には着替えをさせる。勿論手伝って。これから読書、パソコン、9時からはテレビと一番心が安まるとき。日曜日以外はデーサービスに行っていて世話はかからないが、終日園内を徘徊していると思うと、心が痛む。連絡表によると午後は疲れて前傾しながらもなお歩き続けていると。すれ違う人に暴言や手が出るそう。
  しかし今横でスヤスヤ眠っている。これは昔と同じである。私の心もなごむ。しかし昨夜は大変だった。1時頃何か声がした。隣を見たら彼女がいない。トイレと思って見たら玄関に裸足で降りていた。場所が分からなかったのだ。そのため失禁してしまっていた。以前は私を起こしていたがなぜかこの頃は時々自分でいってしまう。たいてい雰囲気で私が目覚めるが。
  早速着替えをさせ寝かせる。実は昨夜は間に合わず少し漏れていた。どうしたら彼女の行動を察知できるか?眠れないので起きて冷酒を少し飲む。床に入ってもねつかれない。玄関のチャイムを部屋に移動しては?彼女の腕と私の腕にひもを結んでは?それとも同じフトンに寝ようか?どれも支障がある。最後に私の上フトンを彼女のフトンに一部重ねてはどうかと思いついた。これは名案だと納得したら眠くなった。今夜から実行している。果たして効果は・・・・。



(19)2回目のショートステー  11月13日(日)
  昨夕は旧3Aの同級会に招待された。毎年この時期に行われているが今回は女性が多かった。ステーで家内がお世話になっているからゆっくり話し合いができた。お土産に美しい花と今一品いただいた。
  頭の片隅には家内のことがいつもひっかっかてる。でも今朝は8時まで熟睡できた。こんなことはいつもない。前回より家内の心配は少なかった。休日の為息子が迎えに。5時15分頃帰宅。車にぐったりもたれなかなか降りられない。かなりの疲れ。向こうでは午前午後そのうえ夜まで徘徊では。
  看護士のM さんの細かい「お知らせ」も今回は無事だったようす。ありがたいことです。倅が沢山の人がまだおられてびっくりしたと。夜中起きて宿泊者のお世話本当にありがたいことです。帰宅してもとても穏やかでスタッフの方に優しく接していただいた結果だと思います。来週日曜日も一泊の同窓会(62歳の教え子)に呼ばれていますので、ショートステーの予定です。少し自信ができたようです。



(20)殴られる・叩かれる、つねられる 11月15日(火)
  最近とみに暴力的である。デーサービスでも頻繁にあるようだ。家では着替えの時とか深夜トイレから戻っての床にはいるとき、位置の修正を喧しく言うとき。トイレの用足しで分からないとき無理にズボンに手をかけたとき・・・。突然叩きにくる。少しこちらが反撃すると形相が変わって飛びかかってくる。こんな時は逃げるが勝ち。
  娘がなにかのおりつねられたという。そんなこともするのかなと思っていたら、先日トイレでズボンを下げていたら突然つねられた。あっという間に。スピードがある。叩かれた時は本当に腹が立ってしばらく治まらなかった。一事が万事家内のために尽くしているのに。
  ところがつねられたときはあまり立腹しなかった。後から考えると何となくおかしくなって笑えてきた。殴る、叩くとつねるとはどう違うのかな?家内はどうな心境で使い分けているのかな?



(21)下着の工夫
  前にトイレでの下着のことを書いた。長めのパンツを買って使ったが、寒い日が多くなったので今少し工夫しなければならない。家族の会でその悩みを語った。そのとき「パンツって何だろう」この名称がどうもよくわからないので 説明が難しい。そこでこれが話題に。どうも長ズボンも「パンツ」短い下着も「パンツ」。スタッフの女性が教えてくれた「pants」アクセントが前にあるときと後ろにあるときで長短が区別されると。どうもよく分からない。
   昨夜気になって国語辞典を引く
   パンツ  pants    1. ズボン 2.陸上競技用の短いズボン
                3. ズロース drawers 婦人用のみじかい下ばき
   英語辞書
     主に(英)パンツ(男性、子ども用) パンテイー(女性用)panties(みじかい)ズボン下
        (米)underpants
   ついでに Shorts   1.ショートパンツ、半ズボン(暑いとき、運動の時、または子ども用)
                2.(米)パンツ(男性用下着)
  かえって混乱しそう。結局現在工夫したのは、ズボン下とパンテイを縫いつけて使用。これなら2回で脱げる。どうにかうまくできている。
 (後述: 私の縫い方がまずかったか洗濯機にかけると一部はずれてしまう。また家内が隙間に指をつっこんではがしてしまう。やむなく普通の仕方にもどした)



(22)これは驚いた
  今朝介護の記録のアクセス数が就寝時から18件あった。いつもは大体1日で10数件未満である。それが18件とは何故だろう。ふと思いついて「隠居の挑戦」で検索してみた。まさか載っているはずはないと思いつつ。すると「介護・・」がいっぱい出てきた。次ぎ・次ぎの3回目に「隠居の挑戦」あって驚いた。前後の題名とはかけ離れている。どうして登録されているのだろう。自動的にピックアップされるとは聞いていたが、私のアクセス数は少ないし始めたのも最近である。今朝のアクセス数の増加は、登録のせいなのかな?後ろの方を次々見たが沢山の介護関係のHPがあるのに驚いた。これからは一層心して記述しなければと思った。



(23)そういえばこんなことも 11月26日
  3年以上前だったかこんなことがあった。目医者へ白内障で通っていたいたとき、患者と家人が出入りする階段が別々だった。その間隔は狭かった。家内は家人用の階段から上がったから看護士たちがびっくりしたそう。家に帰って本人が報告した。
  また深夜トイレへ行こうとしてドアーを開けたら(物置)冷たい風でびっくりしたと。これも翌朝笑いながら報告した。
  町内にある医者に行ったらなかなか帰ってこない。あまりいかない医院だったので前日道を実地に教えたのだが。心配で医院へいったら待合室にいた。後で聞いたら場所が分からなく通行人に尋ねてようやく到着したと。
 どうもこの頃から病になり始めていたのだと今にして思う。そのときは全く気づかなかった。



(24)孫
  4番目の孫、中1、彼が 人権擁護の作文を書いて優秀賞を得た。娘の同僚の先生が会合に出席して発表物を持ってこられてのだ。彼の文のコピーを見て驚いた、題は「ぼくのおばあちゃん」難病の祖母を想う純真な気持ちが溢れていてジーんときた。
  少し前倅が彼が体験学習でお婆さんの通っている施設へ行くと言っていた。学校から10Km以上離れているのでそれは無理だろうと思っていた。でも祖母の施設に行こうと言っていると聞いて孫を見直した。今朝倅のメールで「今日彼が施設へいくよ」と知らせてくれた。今朝から悪天候で強風のとき自転車ではさぞ難儀だろう。
  家内は孫が来てくれても恐らく分からないだろう。相変わらず園内を徘徊していることだろう。もしかしたらいつものように手をつないで歩いてくれるかも。家内の病を通して私だけでなく娘も息子も、そして孫達まで人生の厳しさを実感し、魂が磨かれていくのだろう。



(25)もうたまらん 11月30日(水)
  昨夜8時就寝、9時半・11時・2時・3時半・4時半・5時・5時半・6時トイレ。最初のうちは優しく付き添っているが、間隔が狭まって来ると腹が立ってくる。先ほど行ってまだ眠らないうちにゴソゴソ頭を上げ起きあがろうとする。「何だ」の問いに「おしっこ」「まださっき行ったばかりだ、寝なさい」。そうかと言って横になるがまたむくむくフトンを持ち上げる。この繰り返し。「何遍行くんじゃ。起きろ」堪らなくなってこちらも起きる。トイレの暖房器具のスイッチをいれ。介助。折角夕べ息子が持ってきてくれた睡眠薬も効果なし。睡眠不足の体、そして先日から風邪気味、それでデーサービスで終日徘徊では・・・。
  これは病気のなせる行為だ。已むをえないと頭の片隅で思いつつも、出てくる言葉は怒声になってしまう。今日こそは優しく穏やかにすべて「ハイハイと肯定」と決意してスタートするのだが、連日慚愧、後悔の日々となってしまう。悲しい。



(26)スタッフの方へ 12月1日
  4回目のショートステー

  いろいろお世話をかけますが宜しくお願い致します。

 1.左目の異常は月曜日朝玄関で靴を直そうとして転んで打った後遺症だと思います。(実は夜中に何度も起きたとき凄く前屈みで変だなと思っていました。転んだときも前屈みだったため。  七宝園で検温で37.5度でレントゲン・・異常なし・・風邪薬を戴く・・午後37.9度・・夜平熱に)風邪の関係で前屈みだったようです。そのため入浴は中止 火曜日・水曜日。 金曜日平熱なら入浴はいいと思います。

 2.家でも最近尿漏れパットだけ使用しています。私が早く気づかないとき遅れて失禁しているようです。そちらでは常時ついてはおれませんので、就寝時には紙オムツと尿漏れパットを併用してください。

 3.30日夜から興奮を静める薬(院長さんに新しく調整していただいた・・まえより量を減らして一日1回夕方服用になりました。前は2回で量が多くふらつきました)。どうか服用後の状態に異常がないか観察ください。

 4.昨夜は何度もトイレに付き添いました。一度夜半に起きるとあと間隔が近くなり困っています。家では甘えがあるのいですね。



(27)これはなんだったろう?  12月4日
  数年以上前から家内はだんだん痩せてきた。髪の毛もよく抜け薄くなった。顔色も悪い。これは変な病気になったかも知れないと診察を受けた。老人性肺結核でなかろうかとレントゲンを。異常なし。では胃ガンかも。やや胃潰瘍のけがあって服薬。大腸癌の検便も大丈夫。勿論血液検査も。結局何もないようだった。でも何かが変・・・・。これはまさかアルツファイマーの前兆とは無関係とは思うが。原因不明のまま・・・。


(28)遂に大爆発   12月4日
  とうとうやった。本気ではり倒した。折角難儀して履かした靴下を脱いでしまった。注意したら頭を叩いた。初めて本気で思いっきり頭を平手で張ってやった。怒った、形相が変わった。逃げた。痛い痛いとわめいていた。3分経たないうちに忘れていた。危ないあぶない。貯まりにたまった感情が遂に飛び出してしまった。四六時中介護し家事全てを独りで、その間常にトイレを希求、紙面にでる虐待の気持ちが実感される。でもでもブレーキをかけなければ。もっと症状が進んだら現在の比ではないだろう。



(29)頻尿・・・?
  睡眠薬を飲ませ8時に寝かせた。私は10時半就寝。深夜ふと気づいたら家内がふすまのところで立っていた。あっトイレだと早速起き防寒着をかけ案内。ところがトイレに尿取りパットが落ちていた。「これは独りで用を足し部屋に戻ったとこだったのか」こんなことは初めてだ。パットには失禁のあとあり。新しいのをあてがう。3時だった。4時・5時・とまたまたトイレに。寝付く暇がない。5時40分また起きようとする。何度も止めたが起きだした。やむなく案内。なんと大便だった。「うんこ」と言えない悲しさ、知らずに吐いた暴言が悔やまれる。こちらも早く寝ないと睡眠不足だ。



(30)深夜の大事件
  睡眠薬で3時頃トイレだと予定していたら、12時頃ごそごそしだした。なかなかうまく立てない。薬が効いているのかな。こんな時はズオンが下げれない。1時また頭を上げた。先ほど行ったばかりだから寝なさいと言うと寝る。直ぐまた起きたがる。やむなくついていく。トイレ内で小型の暖房器、外には大きい暖房器をONに。いつものように尿取りパットを無造作に引き抜いたら、これは大変。大便がたっぷり、あちこち衣服に床に、それ大変。服は脱がせせねばならない 、体は拭かねば、そして着替えを。本人はよく分からないので着替えを嫌がる。作業をする私の頭を叩く。無理にでも履かせる。寝かせて置いてさあ後始末。これが一仕事。大分前に一度こんなことがあった。眠られないので酒を飲みテレビをしばらく見る。あと1時間も経たぬうちに起き出す。この繰り返し。床に入っても私が寝付かぬうちだ。
  この日の午前中図書館で昔の同僚と会った。彼は90歳余の母親をきょうだい3人で10数年間介護したと。徘徊も範囲が広く「実家に帰る」つもりで電車で途方もない遠方まで行ってしまったことがあると。ある時家族の会へ行ったらもっともっと大変で悲惨な様子を聞いてびっくりしたと。
  わが家はまだまだありがたいほうのようだ。今回も多分便秘を警戒して青汁、さつまいも、みかん、バナナ、りんごなど与えすぎた結果かも分からない。さて今夜は眠れるかな?



(31)あれっ  12月10日 (土)
  7時40分に床に入れた。しばらくパソコンをみていて「しまった。また睡眠薬を忘れた」と気づいた。もう寝入っているので駄目だ。昨夜倅が「今日院長さんに会うから薬効果が少ないので相談しようか」とメールをくれていた。「今夜一晩様子を見てから」と返信。ところがこの始末。さて今夜はどうなるかと案じつつ私も睡眠不足を防ぐ意味でいつもより早く就寝。
  2時40分 トイレ(排尿) 7時間何事もなく、薬飲んでいないのに。失禁無し。
  4時  排尿    5時 大便    6時 排尿
  長時間の就寝なのでこれくらいなら上出来かも。さて睡眠薬の使用はどんなもんだろう。迷ってしまう。デーサービスの連絡帳にはいつも終日園内徘徊とある。昨日は3秒と座っておられないと。徘徊、頻尿、暴力が頭痛の種。今日は5回目のショートステー。私は名古屋へバスケの観戦に。



(32)ああ 便秘
  今日で4日目未だ通じ無し。今までだいたい毎朝、時々2日目に。ごくたまに3日目朝に。2日目夜以前痔の手術のおりもらった粉薬を飲ませたが駄目だった。昨年便通悪く主治医にもらっていた錠剤が残っていたので3日目朝1錠のませた。デーサービス中排便があるのを期待したが空振り。
  薬の袋を見たら2錠ずつと書いてあった。そこで昨夕2錠を与えた。8時就寝、1時半、3時40分トイレへ。睡眠薬のせいか足下がフラフラしているので抱えながら行く。大便も出ないかとお腹をあちこち押さえてやる。寒いので両側から直ぐ熱くなる温熱器(名前を忘れた・・ハロゲンだったかな・)をつけて。
  4時半また起きようとする、いよいよ便意かとジャンバーを着て点灯。どうも違うようでまた横たわる。もう寝るのは止めた。ストーブをONに。石油がないので注油。焼酎を湯で割り少し飲む。晩酌は清酒だが最近焼酎をもらって飲んだら、後から体がいつまでも火照って気分が良かった。それで1本婿さんと同じのを買って飲んでいる。
  習い覚えし気功で便意が起きるようパワーを送る。今日も出なかったらどうしよう。浣腸でも買ってこようか。でも意味が分からない家内が浣腸を受けつけることは恐らくないだろう。今日デーサービスで頼んだらやってくれないかしら。一応尋ねてみよう。
  どうせ起きて家内の動向を見守っているなら、パソコンを開こうとと思い先ほどスッチを入れた。ついでに現況を載せようとキーを打っている。5:19家内はぐっすり寝入っている。 あっまた起きだした。もしかしたら・・・。やっぱり駄目だった。床に寝かせた。すぐまた起き始めた・・・おかしいなでも・・・再びトイレへ。お腹を押したら彼女も力んでいる。かすかに匂いが・・懐中電灯で見たらほんの少し出ていた。これなら成功するかも・・・お腹をあちこち圧迫する。だいぶんたって諦めかかったら「ウンチが出た」という。彼女はすべてオシッコしか言えない。突然ウンチと・・・悪臭が強く匂う・・・おお凄い量のウンチ・・涙が出た・・声になって 嬉しくって・・。なんと当たり前のことが当たり前にできたことがこんなにありがたいことか。



(33)雪の後遺症
  昨日は路面が危険の恐れがあるので1時間早めに帰宅。何故か右足が痛いと、いつものように歩けない。家でも立ち上がることが困難。膝か、つま先か、足首かよくわからない。また厄介なことが増えた。でもハンドパワーで挑戦だ。
  間もなく9時デーサービスに送り出す段取り完了。そのとき電話「今朝は路面が凍結しているので通所のお迎えは中止です」と。「送ってきていただければ受け入れます。帰りは状況次第で迎えにきていただくかも知れません。」これは困った。1日お守は大変だ。息子の携帯に電話、通じない。しばらくしてかかってきた。「なんとかやりくりして迎えにいく」と。
  家から12km程離れているS町まで、S町の学校からわが家へそしてリターして再びS町へ。息子に申し訳ないが助かった。もう雪は降らないで。



(34)手の甲 12月22日(木)
  右手の甲に痣みたいなものが2,3ある。これなんだと気にしていた。ふと思い出した。家内に爪をたてられた傷跡だ。内出血しているのだ。トイレや着替えの時嫌がって爪を立てて掴む。凄い力だ。これは名誉の負傷かな。
  昨日の朝左瞼の上が異常だった。みみず腫れ見たいに膨れあがっていた。少し前から何となくめくれていて、「めんぼ」でも中にできたのかと思っていた。おかしい。そういえば一昨日左手がこぎざみに震えている。体の前傾、左傾き、小走り、震え、パーキンソン病を検索したらいくつか当てはまる。次々心配が増加。
  4時半3回目のトイレに付き添ったが(いつもよりやや少ない)足が痛いと訴えるのでふとんの中へ両手をいれ、ハンドパワーを行う。そのあとパソコンを開いてこの文を作っている。また起きあがりかかった。5時半だ4回目。立たせるのが厄介。一度トイレにいくとあと1時間置きぐらいにいく。また頭をもちあげる。「まだ早い」といって頭を押さえた。素直に従った。



(35)またまた大失敗
  昨日昼前降り出した大雪で家内はもう2時に返されてきた。最近二人だけで過ごすことは滅多にない。お守りに苦労した。そして今日は先回以上の積雪、娘も息子も来れそうにない。朝からいらいらしていた。
  お歳暮に戴いた高級なお饅頭をあてがった。手を汚しながら食べているので注意した。そしたら突然つきとばした。私は横でコーヒーを飲んでいる最中中身が全部飛び出した。「何をする」と怒鳴って反射的に腕を横に払った。あいにく目の部分を手の甲で強打した。しばらくして目に出血白いところが真っ赤に。しまった、後悔しても後の祭り。
  以前相向かいで食卓に(普通の机)座っていたが、家内がテレビが見にくく離れていて淋しいと思い、6畳の部屋では変な向きに机を設置し並んで座ることにした。それが禍となったのだ。隣にいることが最近危険になった。食事のおり箸を私に何気なく向ける。リンゴをむかせていると包丁をさっとこちらに話しついでに向ける。一方私が反応して手を出してしまう。
  彼女もうテレビも興味がないので昔のように相向かいに座るように先ほど変更した。彼女の行動を常識で注意する事は禁物だ。しばらくして静かに注意すべきだ。大いに反省することと、事前に物理的危険が生じないよう工夫しておくことが肝要である。
  雪の中娘が朝方来てくれた。近くで車立ち往生で除雪をした。午後息子が来てくれた。そして買い物に連れていってくれた。助かった。



(36)試行錯誤 12月26日
  今日まで家内の興味を喚起するためいろいろなことをやってきた。最初はビーズだった。ビーズで娘の学年の1年生の子に男子はイニシャル、女子にはリングを作ってあげた。2クラス。だんだん進んで高尚なネックレス、リングのセットのものを購入して作り始めた。私自身が興味があった。家内はビーズを通すだけだ。作品は皆さんにもらっていただいた。
  折り紙は広告紙でお人形さんを作ることを教わった。それがくす玉へ進化したのである。学校の子ども達へ、ミニバスケの部員たちへと広範囲に配った。折り目をつける折り方だけ家内はマスターした。後は私やヘルパーさんで完成。小さいくす玉から現在大きいくす玉へと発展。今は折り方が怪しくなってきたので見守っている。
  塗り絵はどうかと材料を用意したがすぐ駄目になった。色紙を型抜きする道具を揃えたが直ぐ嫌になった。娘が低学年の工作材料をもってきたが興味が出ない。粘土細工も駄目。動物はどうか?犬猫は嫌い。では金魚はとでっかい水槽、安い金魚10匹購入。あっと言う間にばたばた死んだ。3匹残った。今は大きくなった。でも家内は一瞥もしない。私の仕事が増えただけ。餌やりから水換え清掃とあんがい世話がかかる。
  歌も記憶に残っていることが分かったので、インターネットで童謡をテープに録音、流行歌は妹が持ってきてくれた。テープはCDへと発展。これは案外長続き。でも最近は興味が薄らいだ。倅が昔話の絵本を買ってきた。最初はたどたどしく読んでくれたが今は拒否する。東京の孫が脳活性によいと朗読用の本と計算の本を送ってくれたが駄目だった。曲がりなりにも続いているのはくす玉づくりだけ。デーサービスで帰って座るや目の前の折り紙を折り出す。私が家事で部屋を出るときは折り紙を渡すことにしている。
  今やくす玉は東京に四国に滋賀県に北海道に岐阜にと飛んでいった。隠居夫婦の思いが籠もっている。バスケチームのお守りとして部室に団旗にそして各自の部屋に飾られている。いつまで続くか分からないがくす玉を折らない日はない。



(37)大晦日
  後3時間20分、あっと言う間の1年でした。今朝は娘が帰省の息子2人を連れて来てくれた。家内の介護のため、年末の家事もあまりできないのに、私や母を思って。大学院の孫が「お婆さんの昔作ってくれたチャーハンが凄くおいしかった。だからそれを僕が作ってあげる」といってお勝手に立った。なかなかの味だった。でっかい孫二人に挟まれた家内は何となく表情が穏やかだった。これが血のつながりなのかな。
  午後は息子が家内を買い物に連れていってくれた。嫁さんや中学生の孫も同行した。お陰で私はとても助かった。どうにか正月を迎える準備が完了。いつも作ってくれたおせちが無いのが何となく淋しい。



(38)迷いつつ?
  介護の記録継続すべきか中断すべきか心が揺れている。血縁の者にとってはショッキングなようだ。勿論掲示板に載せることには賛同だったが。いざここに載ると・・・・。表現の仕方にも問題があると思う。明るい所も描写すべきだが現実はそれどころでない。今ネットで介護の記録のHPを検索しどんな書きぶりか読んでいる。予想以上に数が多いようだ。
  わが家とは雲泥の症状のところが多い。介護認定がかなり低い段階でも家内より悪い例が見あたる。何故わが家ではまだまだ何とかなっている。ハンドパワーの効果かしら。
  ともあれ今しばらく継続の有無を吟味したいと思う。



(39)デーサービスの朝
  夜7:30に寝かせ朝7:30に起こす。夜間6回ほどトイレ(勿論付き添い介護)私がプラス2回ほど。なるべく遅くまで起こしているのがベターですが何分お守りが困難なので早く寝かせてしまいます。
  私は6:30起床・洗面・朝食の準備・洗濯ものを干す・ゴミだし(静かに・・ストーブを切って、鍵をかけて)・新聞をとりにいく(ざっと目を通す)・パソコンの電源を入れる(受信欄・掲示板を若干見る)
  7:30起床・着替え(これが一苦労)・トイレへ・フトンを仕舞う・洗面(湯を出す・ブラシを持たせハミガキ用のチューブをしぼる)・居間に戻ってはたきをかけ掃除機を設置・駆け足で洗面所に戻って・口をゆすがせる・顔を洗わせる(手本をしめす)・次ぎに髪をとかせる(この間に再び居間の掃除を)(今は櫛が扱えない)
  飯台を二人で居間へ(最近は飯台がつれないときが多い)(やむなく一人で引っ張って移動)・みそ汁を温める(ヘルパーさんに2日分作って置いてもらう)・朝食(御飯だけはつけさせる・・ついていて指示・茶碗を持たせ食べさせる・みそ汁のお椀を持たせる)・薬の服用(1個づつ渡す)トイレ(大便の時はお腹を押したり・・すべてオシッコという・・・ハロゲンランプ2コで暖房)
  デーサービスの5分前の電話まで折り紙をさせて時間稼ぎ、でももううまく折れなくなってきた。施設でも家でも広告紙などをちぎって畳んでポケットへ。目が回る忙しさ、自分がなかなかトイレへいけない。デーサービス用の鞄を再点検し出発に備える。



(40)名誉の負傷か?
  私の左手甲に内出血の跡あり。右の甲に3ヶ所あったのはようやく消えた。最初は年寄りだからと思っていたがそうでなかった。家内が意に添わないとき爪をたてて握りこむ。その後遺症だった。入浴の際腿にやはり内出血があった。これは抓られたあとのようだ。
  今またやられた。就寝前のトイレ、2日ほど前うっかりしていてショーツを下げないで用をたしてしまった。なるべくよく分かるようにと色違いのを買ってきたばかりだのに。先ほどは注意していたのに「まだだめだ」と言っているのに座ってしまった。「立ちなさい」と言ってもてこでも動かない。放水されては大変と無理に立たせようとした。すると怒って腕を鷲掴みにした。左手首に激しい痛み。でも怒ってはいけないと必死に説得、漸く立った。手首に2つの爪痕、これも内出血となるだろう。虐待の被害者は私だ。これは名誉の負傷か!



(41)要介護状態区分
  昨日漸く認定が到着した「要介護5」前回と同じ。半年前5になった。段階が上がった場合は次回は半年後の申請である。有効期間は2月1日より20年1月31日までの2年間である。少し前市から申請が多く少し遅れると沙汰があった。早速担当のケアマネージュアに一報した。これは介護保険被保険者証を提出しなければならない(コピーをとるため)
  デイケア(通所リハビリテーション)やショートステー(短期入所療養介護)での介護料は介護の認定度によってちがう。



(42)定期便
    息子と娘へ (朝・晩 私たちの安否を連絡)
  昨夜は特に異常?風邪のせいか、薬の影響かトイレ・トイレ。10回を超えた。オシッコが出たとき、出ないとき?朝方排便(それで何度も?)6時頃自ら立って部屋を出ようと・・・。2回も(初めて)、結局また排便だった。何故か足腰しっかりしていた。検温36.5度。デーサービス行かせるが、電話がかかるとドキットします。



(43)凡夫の悲しさ
  先週木曜日頃より二人とも同じような症状の風邪を引いたが私はどうにか良くなった。医者で薬はもらっている。家内は診察がなかなか受けれない。娘と二人で逃げるのを捕まえ医者が立ち上がって聴診器を衣類の上からあてる。一昨日昨日とデーサービスから午後電話、37.5度熱が出たと。連日ではいけないと今日は休ませた。終日お守り。これが至難の業。
  朝から冷静に穏やかにといってスタートしたが、やはり午後37.5度に上がった。床を敷いたが直ぐに起きあがる。「おしっこ」、先ほど行ったばかりなのに。この繰り返し。「子どもが待っているから」とトイレへ。遂に切れてしまい怒鳴りまくった「死んでしまうぞ」と。
  娘がいつものように寄ってくれた。彼女も寝かせようとするがすぐ起きあがってくるので困り果てていた。今夜はそして明日はどうなるのかな。



(44)何だろう 1月19日
  風邪でデーサービスを昨日に続いて休んだ。昨日は手に負えないくらい難しくて、怒鳴りまくっていた。ところが今日はなんと穏やかであった。折り紙もどうにか折れていた。そして素直だった。ヘルパーさんの報告書に久しぶりに署名ができた。
  少し前までは上手な文字を漢字で署名していた。昨年後半ひらがなになった。・・・子と。そして昨今は最初の一文字だけ。それも困難で殆ど印鑑となった。名前がどんどんかけなくなっていくのをみるのはとても悲しい。
  そんなこの頃なのに今日名前がひらがなと「子」で書いたのを見て涙が滲んだ。雲ばかりの大空の一角から太陽が覗いた気がした。



(45)何が起きたのだろう 偶然かも?
  昨夜は7:20就寝させた。10時になって疲れているから早めに床に入って報道ステーションでも見ようかと着替えていた。「あれっ、トイレに起きていないぞ、珍しいなあ」と思ってフトンにもぐる。深夜2時自分がトイレへ。そう言えば家内は依然眠り続けていた。再び床に。呼び声に目覚めた。さあトイレだ。時計を見て驚いた。もう5時だ。10時間近く彼女は起きなかったのだ。こんなことは1年有余なかった。たいていは一晩7,8回、一昨日は10回を超えた(勿論就寝時間は12時間程度)。
  ところが5時20分頃再びトイレという。やっぱり頻尿かと思ったら大便だった。嬉しい悲鳴、たった1回でもよい。こんなにぐっすり寝てくれた、そして私も。予期しない現象に驚き子ども達に「奇蹟かも」とメールの定期便を送信。
昨日の穏和さそして昨晩からの眠りの深さ、ありがたいことだ、余り期待してはいけないが今宵もまたと願わずにはおれない。



(46)糠喜びか
  残念ながら夕べは駄目だった。10回ほどのトイレ。朝が近づくほど頻度が高くなる。寝付く暇がない。風邪も午前中は平熱だが午後になると徐々に高くなるようだ。夕方は37.5度。勿論薬は服用している。
  娘と相談して今日別の病院へ行く予定。前のように睡眠薬を飲ませた方がいいかも。前に服用したとき夜中にトイレに行くときふらふらのためとても困った。また朝も足取りが悪く玄関で転んで額に怪我をしてしまった。なかなか介護が難儀だ。



(47)ショートステー
  先週始めから夫婦揃って風邪をひいた。私は早く治ったが家内は長引いた。木曜日にデーサービスから午後熱が37,5度出たと連絡。2日休ませて施設に行ったが連日午後発熱また2日休ませ土曜日病院へ。この日は発熱無くデーサービスに送り込んだ。
  そして日曜日の今日から初めて2泊3日のショートステー。睡眠薬やら脳の薬など増え体調も心配なので1泊減らした。娘の車で施設へ送り込んだ。いつもは子どもが送っていたが今日は初めて私が付き添った(休日は送迎はなし)。エレベーターで3階に上がった。広い部屋に40人前後の方が車椅子やら椅子にかけておられた。話し声もなく静かだった。係の方に健康状態など説明した。家内は介護の人に手を曳かれ座席に案内された。血圧測定である。デーサービスでも最近は検温、血圧測定は嫌がってさせない。大きな声で拒否していた。私たちは見るに忍びなく退散。
  多くの病める老人達、何故か声が聞こえない。皆じっと座ったまま。どこかで奇声を発していた。あの異様な雰囲気のなかで家内を置いていくのが辛かった。デーサービスなら2年近く通っているので記憶が無くても、何となく慣れた環境であるが。
  今連絡あり「家内の唇に怪我発見、原因不明、申し訳ない」と。何かトラブルか転倒でもしたか。また心配が増えた。でも仕方がないことだ。明日帰ったら家内の好きな甘い物を用意しておこう。



(48)ショートステーから帰って 1月23日(月)
  口の左上部に大きな内出血の痕があった。拳で叩かれた感じ。恐らく諍いがあったかも。手首に爪痕あり(。食事も余り食べていない。薬も睡眠薬など拒否。錠剤は昼吐き出す。夜は2時間起きぐらいで起きて他の人に邪魔するなど記録あり。かなり良くなっていた右足首がまた腫れ上がっていた。転んだのか?
  折角ショートにご厄介になったのにこの結果では困った。デーサービスでは無難に薬も工夫して飲ませてくださっている。ショートステーの担当者に十分お願いする必要がある。折角院長さんが2週間程度のステーを勧められたが、現状では実行できない。今少し観察の必要がある。何分にも病人であるのでこちらの方にも問題があることは了解しています。ステーの環境に本人も慣れることと、介護の方たちが扱い方の要領を早期に会得していただけるとありがたい。



(49)これは驚いた
  一昨日デーサービスから戻った家内の鞄に悪臭があった。こんなことはは初めてで中を見たら紙オムツがビニールに入れてある。園で失敗した汚物がそのまま入れてあったのだ。施設ではどんなきまりかと翌日メモで質問した。
  家から持参された紙オムツ、尿取りパットはこちらで処分するとお金がかかるからお返しすると。園のものを使用したときは焼却する費用を加算して請求していると。
  なるほど大勢の利用者がいるので処分には相当の経費がかかるはず。納得した。今回たまたま体調の関係で紙オムツを履かせたが、これからは先方のものを使った方が楽だ。困ったお土産はお断りだ。



(50)これはどうしたのだろう 1月29日
  土曜日の夜睡眠薬を飲んで7時半に就寝。ところが1時間半毎に起きる。起床が翌朝7時半だから就寝時間は長いが7回はちょっと多い。うち4回は失禁。こんなことは初めて。薬のせいで早く行動できないので多分洩らしていると思う。
  日曜か月曜までショートステー。ところが10時頃施設から電話「朝37度、今37,6度どうしましょうか」と。風邪は先週末よくなって薬をやめたが、またぶりかえしたかな?ともあれ迎えにいってもらう。車中で寝てしまって降ろすのが大変。部屋に入っても眠ろうとする。巻き寿司を3個ほど食べさせる。熱は全くない。机にもたれて熟睡。トイレに行かせようとしても立てない。ふたりで必死に立たす。やっぱり失禁している。なんとかパジャマに着替えさせ床に入れる。依然として眠っている。どうしたのだろう。どうなったのだろう。心配。ショートステーで精神的に疲れたのか(でももう8回目ぐらい)薬は別に飲んでいない・・。何か変異が生じたのか、しっかり話せないのでよけい困る。明日デーサービスにいけるかしら?今夜は大丈夫かな・・・・。



(51)ピンチ
  3時頃起きようとする。起きあがれない。睡眠薬ももう影響ないと思うが。腰が痛いと訴える。足首は前から痛がっている。介添えして立たせようとするが駄目。やむなくストーブを点火し部屋を暖める。4時にもう着替えて今一度起こそうとする。やはり駄目。これは重大だ、救急車を呼ぼうか、子ども達にメールして家にきてもらって相談しようか。諦めつつ再度挑戦・・・本人の意思がでたか起きる気が生じたか補助してやったらどうにか立ち上がった。勿論かなり腰が曲がって不安定。両手を向かい合って持ってやりゆっくりゆっくりトイレへ。着座させ尿漏れパットを外すが失禁なし。不思議、ところが排尿が起こらない感じ(よく分からない)。かなり長時間待つ。でも駄目。
  部屋に戻ろうとするがここでも立てない。2回も3回も試みるが「痛い痛い」と言って挫折。ハンドパワー(気功)を施す。今一度やはり本人の意思が働いたかどうにか立ち上がり部屋に戻る。フトンの端っこに座りこむ。うつぶせで寝ようとする。無理に横にさせる。
  ともあれ心配している子ども達にメールしようか?今迷いつつある。、果たして家内どうなるのか?今日一日様子を確かめようか。慌てて即断しては悔いを残す恐れがある。この病は入院などすればもう出られなくなってしまう傾向がある。居宅介護がベターかも。現況原因不明のため判断に迷う。眠り続ける家内が哀れ。



(52)原因はなにか?
  依然家内は殆ど眠り続けようとしている。机に頭をひたすらたれている。トイレに行かせるのが実に大変である。たまたま薬の追加で院長さんと電話で話し合ったとき、家内の現況を伝えた。「心配だから今日連れていらっしゃい」。車まで運ぶが難しかった。勿論乗降も。院長さん「薬が合わなかったか多すぎたかも。脳の薬を当分ストップしてください」と。
  私は気が早いので直ぐケアマネージュアに電動寝台とポータブルトイレを依頼。業者名を聞いたので直接に納品を催促した。寝台はリースだがトイレは買い取りだ。でも1割負担であるから助かる。午後7時に注文の品物が組み立てられた。今家内はベッドで寝ている。
  1年ほど前背骨が老化のため激しく痛んだおり寝台をリースしたので経験がある。でも座敷にベッドとトイレしかし人間が一番大切、お陰で厄介な問題がいくつか解決できる。先ほどトイレを要求。ベッドの上部を電動であげ直ぐ近くのポータブルに。ところが立たせて動かすのが一苦労だった。また用が済んで立たせるこれまた難しい。漸く床につかせたが睡眠薬を忘れていた。カプセル〔細粒はいやがるのでカプセルに入れた〕と錠剤、ご機嫌悪くカプセルを吐き出す。仕方がないので水にとかし砂糖を入れて飲ませる。寝たまま(やや斜めにして)だからうまく飲めない。そこでストローにしたら飲み干した。常に工夫しなければいけない。さあベッド生活から早く卒業して欲しい、そしてデーサービスやショートステーに行って欲しい。



(53)これは難儀
  家内の容態変わらず。何かが壊れたように気力がない。折角の電動寝台も起こすことが難儀。腰の激痛で簡単にできない。あれやこれやと試行錯誤。甲野先生の介護のビデオを思い出し試みる。さっと楽に上がった。これは不思議、でもその要領まだ定着せず。
  食欲もないのでスプーンで口にいれてやる。部屋に入れたポータブルトイレを使わせるのも必死。120%の介護。頼りの綱の娘が体調を悪く昨夕通院、昨夜痛くてねられなかったと。それでも登校の途中母親の様子を見に立ち寄った。インフルエンザに感染したが予防接種しているのでいま攻防の最中か。
 入院させた方がよいか、いや点滴などじっとしていない家内では無理だろう。ただでさえ機能が衰えていく病、入院は別の意味で車椅子の厄介に・・・。ただひたすらハンドパワーを。



(54)山を越えたか
  昨夕あたりから椅子からたまに自力で立てるようになった。昨日は熱が37度の前後を上下していた。椅子に座れば必ず食卓の上に2段重ねた箱にうつ伏せになっている。そのため顔が浮腫んでしまう。体力がないのか腰が痛いためか分からない。
  1週間に及ぶ便秘(初めて)2.3日前から薬を飲ませたが駄目。浣腸でもしようか、恐らく無理だろう。結局今日病院へ行き浣腸をしてもらうが駄目。食事の量が少なく運動もしていないからだろう。ベッドでの乗り降り激痛を伴うので介護が大変だが、深夜の排泄何度も空振り。特に頻尿だったのにこれまたストップ。排泄機能が退化してしまったのか。朝になって大量の排尿ヤレヤレ。
  子ども達が車での輸送や薬の整理、食事の介助と尽くしてくれている、ありがたいことだ。彼らが帰ったあと諦めていた排便がおこった。胸の支えが降りた。ヤレヤレ。「出た出た出た数個万歳」「出した出した風邪薬プイと」携帯にメールを子たちに。心配だった娘の容態、整形外科へ行ったら原因は老化?のようだと・・・。家内の顔がひきしまっていて院長も「良くなっていますね」と言ってくれた。どうにかひとまず当面の障害を乗り越えた感じ。
  部屋のポーターブルトイレは椅子になってしまった。



(55)老いては子に従え
  夕方娘からメール「弟からお婆さんを入院させた方がよいと思う。よければ院長さんに連絡すると。私も賛成です」と。ちょっとショックだった。今日も娘は朝から倅は午後から一生懸命介護してくれた。今日だけでなく娘は平日も毎日学校帰りに寄ってくれた。倅は激職の中暇を見つけて介護に努めてくれた。子ども達が求めるなら入院させることにするか。「そうか、二人がそう言うなら入院させよう。」と返事。
  多少足腰はしっかりしてきたが熱が出たりさがったりの繰り返し、食欲があまりなくスプーンで押し込んでいる始末。ベッドから出たら顔を伏せているだけ。でも今しばらく様子をみてやりたい。メールを二人に送信「念のため後一週間ほど待ってください。」と。直ぐに娘から電話「1週間遅れたら手遅れになるかも、今まで頑張ってきたから」。あれほど母を想い尽くしている子ども達の願いだ。「老いては子に従え」の教訓どおりに実行しよう。



(56)とうとう 2月6日(月)
  家内が入ったのは私が想像していた病院と違っていた。介護施設(特別養護老人ホーム・老人保健施設・療養型医療施設)のなかの3番目療養型医療施設だった。家から送り出すとき再び家に戻れないかもそんな不安が頭をよぎった。しかし夕方面会に行って大分考え違いが分かった。
  家内はちょうど食事をスタッフの介助でしていた。薬は吐き出す、御飯は受けつけない、やむなくなにかたわらかいプリーンみたいなものを与えられていた。でもそれも拒否。娘が代わってスプーンで与えると素直に口を開いていた。でも途中で何か気にさわったか娘の横っ面を見事に一発。
  こういった施設について正直不明だった。案外先入観で誤解している面がある。実際に体験して初めてわかる。   家内は「帰る 帰る」と言っていた。わが家でも同じようなことを言う。でも本当に帰りたいに違いない。車椅子にのって点滴をしながら「御飯を食べたい」と始終叫んでいる方もおられた。皆部屋に帰ってもひとり「ごはんまだ・・・」と呼んでいる人も。何故か女性が多かったようだ。女性は長生きだからかも知れない。
  スタッフが慣れていないからと管理室?の自分の席の所へ連れていってくれた。間もなく点滴とのこと。この機会に顔を見せないで帰路に。 明日は所定の数の着替えや服、パジャマに何かおいしいオヤツを用意して面会にいくつもり。



(57)いちははさんへ
  書き込みありがとうございます。入院のあくる朝寝過ぎましたが、まだ眠かったです。いつもは睡眠時間が短くても、早朝眠気は感じませんでした。入院の夕方娘と面会に、食事、薬を拒否していると報告がありました。昨日は朝から衣服を揃え、りんご、バナナ、プリーン、小瓶の牛乳など、娘はいちごやお菓子をもって見舞いに。
  殆どの入院者は食事の場についておられたが、家内が見あたらない。部屋に行ったら点滴の最中でした。両手胴体が幅の広い帯で拘束されていました。案外私たちに話し掛けていました。食事のためスタッフに抱かれたとき強く抓っていました。車椅子にのせてもらって食事。薬をお粥に乗せて係の人がスプーンで口に入れていましたが受けつけません。私たちが代わって少し食べさせました。お粥を試食してみたら何の味もないのでこれはまずいと思いました。持参の果物やケーキは口を開きます。ほんの1週間前は箸も使えたのに突然の容態の変化、薬の回数を1回増やしたのが強かったらしいと医者はいっておられた。
  点滴のせいか昨日よりもしっかりしていました。おいしいものなら食べれそう。係の人もずっと付き添って食べさせるわけにはいかないと思います。家内は卵焼きが好きなので先ほど焼いて準備しました。   何人かの人が車椅子やベッドで鼻にチューブをつけて点滴みたいなものが繋がっているので尋ねたら、点滴だけ続けるわけにいかないので鼻から胃へチューブで栄養物を流し込んでいるとのこと驚きました。間断なくでっかい声の叫び声が聞こえて来ます。  老いのため患い家におれなくなった老人の皆さんの悲哀、ご家族の心中、自らも体験する現在よくよく理解されます。
  藤浪、塾長さん親子都合が悪かったFanさんが11日午後には到着とのこと。北海道のzanpakuさんは10日に出発とのこと、ゲームよりそちらの方が楽しみです。新チームゆっくり拝見いたします。



(58)入院4日目
  昨日と多分同じ容態だろうと思いつつ病院へ出かけた。係の方に尋ねたら「熱はなくトイレも歩いて行かれました。勿論付き添って」と聞いて驚いた。「でも相変わらず食事は食べられません」と。でも歩けた事実は嬉しい。
  病室に入ったら点滴の最中だった。私たちの顔を見てぶつぶつ文句を言っていた。両脚が凄く動いていた。これも点滴のお陰か。起こして面会室へ車椅子で行く。ちょうど夕食が配られたので早速食べさせる。薬がついてきたのでお粥に混ぜ飲ませる。睡眠薬が無いので請求する。実は先ほど飲ませたのがそれだった。風邪薬はストップしていた。「しまった」先に睡眠薬を飲ませたら食事中に眠ってしまうぞ。
  娘があれやこれやと話しながら「あーんお口を開いて」と促しどろどろにした副食を入れる。その間に持参したヤクルト、野菜ジュース、ヤクルト、卵焼き、バナナ、サツマイモ(私が味付けした)等をスプーンで。
  完全介護と言うものの拒否する者に長時間かかって食べさせる余裕は残念ながら施設にはない。ただ点滴でカバーするだけだ。オムツも常時着けていて自然の排尿はなかなまやってもらえない。これではいろいろの機能が忘れ去ってしまう。
  体力が戻ったら早めに退院した方が良さそうだ。院長さんもそれを示唆しておられたそう。家ならゆっくり食事も与えられるし、トイレへも介助できる。でもこちらが大変だが。また点滴が必要なら病院へ通院すればよい。
  4日もいくと施設の実態が段々見えてくる。2階は軽度の人だそうだが正直かなり大変な方たちがおれれる。悲惨の想いがする。3階は重度だそうだがはたしてどんな状態だろうか。悲しい現実をみて胸がいたむ。交代制とはいえ徹夜で介護するスタッフの方たちの献身的なご努力に頭が下がる。毎日倅も勤めの帰りに面会に来てくれる。家内は幸せです。



(59)入院5日目
  二階までエレベーター、降りて直ぐ前の扉をベルで合図して開けてもらう。また病室で寝ているかと思って入室したら「あっお婆さんそこに座っているよ」と娘が叫んだ。見たら直ぐそばの車椅子に家内が洋服姿で座っていた。何人もの人が車椅子だがそれぞれの会話は殆どない。早速面会室へ運ぶ。耳体温計で37.2度何熱なんだろう。風邪は治っているようだが。
  係の方に今日の様子を聞く。「お昼お嫁さんがこられてた時一緒に歩いてトイレへ行かれましたよ」これには驚いた。「でもお食事は全然駄目です」と。部屋で持参のものを食べさせた。リンゴは手に持って自分で食べた。牛乳も自分で。少し介助しながら。ほかのものも案外スムーズに口を開いた。昨日とは大分違っていて嬉しかった。息子も後からやってきてこの変貌に驚いていた。
  明日明後日は私が行けないので子ども達に行ってもらうことに。昼の食事時と夕食どきと手分けしてもらって。後微熱が無くなり食欲が出てくれば・・・。



(60)入院8日目
  藤浪トレーニングマッチで2日間ご無沙汰、子ども達に任せていた。今夕は面会にいける。さつまいもの煮たものは細長く切って娘が冷蔵庫に入れて置いてくれた。バナナ・リンゴを持ちやすく切った。イチゴは二つに切断。活力牛乳・ヤクルト・野菜ジュースは小瓶に、葛湯用に湯も、念のため御飯を少量、カロリメイト・「薬が楽々飲めるオブラート」スプーン・フォーーク・ストロー・体温計(耳用)・もう忘れ物はないか。着替えは準備終了。今日の容態の変化は・・・。あっ洗濯物をしまわねば、西側に2階建てがあって午後すぐ日陰に。こちらは今は倉庫代わり。



(61)入院9日目
  食事を拒否しているので夕食だけ毎日私たちが介助に行く。ボツボツ退院許可を得ようと院長に相談。今朝の血液検査で白血球が多いので感染病の恐れがある。退院しても毎日通院せねばならないので今しばらく入院とのこと。また容態観察のためオヤツは食べさせないようにと院長の指示、子どもから電話。
  今夕はわが家へ帰るかと心待ちていたが残念。でも毎回の食事を食べないことには駄目だ。係の人はゆっくり時間をかけては食べさせてくれない。「よし俺が行って昼食を食べさせてやるぞ」駅までバイクあとバスで・・でもそれでは昼に間に合わないかも。思い切ってバイクで走れ。29年前は病院のはるか向こうの大治中まで通ったではないか。子ども達に叱られるが隠居は頑張るぞ。
  病院に着いたら家内が入浴を終わって車椅子で出てきた。何日ぶりだろう。1ヶ月ぶりか。食事はいつもより多く6分目ほど摂取した。平熱だった。歩こうといったが意欲はなかった。お腹が膨れたか眠り始めた。暖房が熱く私はセーターまで脱いだ。検温したら37.4度私の方が熱がある。
  家内を係に渡して帰路に、大体20数分で家に着く。体温は平熱になっていた。明日も行くぞ。



(62)入院10日目
  昨日もお昼を目指して病院へ。ドアーを開けてもらうとテーブルに患者の皆さんが首かけをして着座。家内は何処だろうかとしばらく探す。「居た 居た」直ぐ近くにいた。ここでは会話をしている人はめったにいない。それぞれ何を思っておられるのだろうか。車椅子を面会室に運ぶ。食事をもらってきて食べさせる。彼女は何故か首かけを両手でいじっている。なるべくスプーンを持たせ口に介助して食べさせる。夕食の時は娘と二人係で。自分でやるときは口を大きく開く。何故か両手の機能まで落ちてしまった。とても手間取るが食べさせること、自分で食べれるよう援助が必要。病院でそれを望むのは無理だ。
  点滴が無いので尋ねた「点滴で感染病を治さねばならないから入院延長と院長はおっしゃったが?」「内科の先生の指示で内服薬で治療中と」。そんなら退院させてもらってよかったのに。
  入院が長くなると体の機能が衰えてしまうのを私は恐れる。左手が十分機能しない。でも昨日はヤクルトを持たせたら口に運んだ。食事の摂取量も増えてきた。御飯にはふりかけを持参。また沢庵が好きなので、細かく切って御飯や副食に混ぜてやる。少しずつ機能が戻るのを嬉しく想う。
  5時に再び病院へ。病院でこんなに来る家族は少ないようで食事を取りに行っても名前を言わないのに「はいどうぞ」と渡してくれる。あとから息子まできて3人係で介助。少しは歩かせねばと室内を散歩、私が両手を前で持ち、娘が横で支えつつ「1,2,1,2」と。ついでに病室まで。息子と二人でベッドに腰掛けた家内を吊って寝かせた。足を持った私に「落としていかんよ」言った。「おおこんな言葉を使ったぞ」3人でお笑い。嬉しいまだ記憶している。
  さあ今日はどうする。昨夜戻りの車中で娘が「明日は雨だからお爺さん行ってはいかんよ。係がどれほど食べさせるか知る必要もある。もしかなり食べるならお昼行かなくても好い。」一理ある。しかしいつも訪問したとき淋しそうに車椅子に終始座っている様を想像すると無性に可哀想になってくる。周囲のもっともっと重症の人たちの行動や状態をみるにつけ、なんとか家内を守ってやりたい。何の贅沢も言わずひたすら育児と家庭を守り続けてくれた彼女への私のつとめだ。今日は道を間違えずに行こう。



(63)入院11日目
  11時小雨の中スタート。距離を測ったら約8km,所要時間やく26分。淋しく座っていた。直ぐに車椅子を面会室に運ぶ。係の女性が食事を運んでくれた。鯖が煮てあった。みそ汁ほかに1品ついていた。なだめすかして副食は大半、御飯は6分程食べた。熱は無かった。食事が終わる頃眠り始めた。皆が座っているテーブルに運び部屋を出る。
  夕食には娘と5時に出る。勤務後の毎日の介護にかなり体調を壊している。入室するが家内が見あたらない。部屋に行くと暗い病室で寝かされていた。「どうして寝かせていますか」とたづねたら曖昧な返事?男子の方が抱いて車椅子に乗せてくれた。
  額が熱い、手も温かい。耳用の体温計で測る。37.7度。日中は平熱だったのに。顔つきもぼんやりしていた。いつも突発的に熱が出る。何が原因だろうか。食事はエビフライ、娘がハンケチで包んで手に持たせ食べさせた。時間をかけ根気よく。副食は大半平らげた。熱は若干下がってきた。もう食事をしている人は皆無だ。「さあ寝よう、立って」と言ったら立ち上がった。素晴らしい。いつものように両手をもって歩いて病室へ。足取りは今までより軽かった。食事がかなり摂取できるので体力がついてきたようだ。熱さえなければ・・・。
  間断なく叫んでいる人がいる。頭にヘルメットを着用の人、相変わらず廊下に寝ている人様々。悲しい風景が散在している。倅に後を任せて私たちは帰った。



(64)入院12日目 哀れだが 幸せな妻
  いつものように介護した。でも朝の食事は1割だったそう。昼夕はかなり摂取した。時間をかければよく食べる。娘がスプーンに御飯やら副食を乗せる。私がスプーンを持たせ介助しつつ口へ、こぼれるのを箸で娘が押し込む。倅が左手に(これがちょっと不自由になっているので)わざと湯飲みを持たせ飲ませる。
  食事前立たせて歩かせた。いつものように私が両手をもって、娘が後ろから支えつつ。二人で童謡を歌いながら家内の記憶を引き出す。昼私ひとりで手を引いたときは彼女も小声で歌った。常に何かしゃべっているが以前と違って音量が無い。
  面会室から病室に戻るときもリハビリのつもりで歩かせた。最初は歩幅も狭いがだんだん足取りが軽くなる。息子と二人でベッドに。前は「痛い」と激痛を訴えたが今はない。
  娘は疲れた体で毎日毎日家に寄って慰め、休日は介護に、そして入院してからは連日夕食の介助に。息子は激職のなか色々世話をしてくれている。勤務後も立ち寄って介護の応援。家内は幸せだ。彼女は私たちに「ありがとう、ありがとう」とよく言います。大変な日々ですが親孝行な子ども達の存在が私を支えてくれている 。その子どもを育てたのは家内なのだ。



(65)入院14日目
  zanpakuさんからいただいた色紙「幸福だから 笑うのでなく 笑うから 幸福なんです」を思い出し昔教えられた「嬉しい楽しいありがたい。きっと良くなる 無限の力湧きいでよ」わっは は わっは は と哄笑を繰り返した。
  娘と11時に病院に出かけた。ドアーを開けてもらって正面を見てびっくり。何もできないはずの家内が湯飲みをもってお茶を飲んでいるところだった。そしてじっとこちらを見ている。もしかしてと手を振ったら彼女も手を振って答えた。これは驚きである。係に尋ねたら平熱で朝食5割とか。これは益々好調だ。
  しかし面会室で検温したら37.4度。箸を持たせたらこれまた珍しく上手に持って少しだけ自分で口に運んだ。嬉しくって涙が滲んだ。食取りもよく今までよりも短時間に終わった。食事の前後相当歩かせた。昨日までの倍近く。
  朝大声で「笑った」御利益かな。 係の人たちに昨晩ネットから印刷した「古武術介護入門」をスタッフに渡し少し説明。皆さん興味をもたれたようだ。少しでもこれが介護する方される方に役立ったら嬉しい。明日は2年もお世話になっているデーサービスの皆さんに今一冊お渡しよう。隠居は相変わらずお節介です。



(66)入院15日目 いちははさんへ
  書き込みありがとうございます。殆どの方が車椅子で会話もなく座っておられる。家内も同様です。多分朝飯は食べていないだろう。そう思うと堪らない。かなりの雨でしたがバイクで走りました。狭い道路を車が次々追い抜いていきます。大型車は恐いです。やっぱり朝食は食べていませんでした。1時間ほどかけ7割ほど食べさせました。無理に口を開かせることも何度もありました。帰り際「お父さんもう帰るがいいか」「帰って駄目」っと言うかなと思ったが、彼女はなにかぶつぶつ言っているだけ。後ろ髪を引かれる思いで部屋を出ました。
  隣のデーサービスの施設を訪れ、昨日と同様「古武術介護入門」を責任者のYさんに渡しました。ピンクの上下のトレニングウェアのYさんには特に家内がお世話になっていました。とても綺麗な方で生き生きしておられた。献身的な日々のお働きで心身共に輝きが増したのでしょう。一日も早く再び通園させたいです。
  いちははさんやっぱり成徳は日本1ですよ。格段の違いです。塾長さんもベルさんが凄く上達しているのに驚かれていました。児玉との対戦が無かったのが残念でした。
いちははさんの書き込みを読んでから老人のお風呂へいきました。施設は閉まっていました。よく考えたら今日は月曜日で休みの日でした。全く頭に曜日はありませんでした。
  間もなく3時ヘルパーさんがきます。夕方再び病院へ娘といきます。



(67)入院17日目
  今日病院へ行って受付で午後1番で院長さんに面接できるよう頼む。家内を外の見えるところへ移動。すると主任さんが院長が今会ってくれると連絡。早速診察室へ。昨日息子との面談を忘れたことを謝られた。「白血球も減少しており、食事も70%も食べれるから明日退院してもよろしい」と。やれやれ、でもこれからの家での介護は一段難しい。襁褓常用の習慣、車椅子ばかりの生活、食べさせてもらうばかりの食事、すこしずつ戻していかなければならない。
それにしてもバイクで7日間、夕方は娘と連日車で病院へ、息子も勤務後立ち寄ってくれた。ケアマネージュアにトイレや玄関に手すりをつける手配を頼んだ。市は上限20万円(1割負担)まで補助してくれる。



(68)退院
  午後4時退院の約束。15分前に娘と到着。家内に「もう家にかえれるよ。迎えに来たよ」と言ったら「嬉しい」と答えた。ああ意味が分かったのだ。そのひと声が心底嬉しかった。主任さんに挨拶し薬などを受け取る。倅もやってきた。スタッフの皆さんに見送られエレベーターに乗る。若い体格の良いスタッフの方が車に乗せるため同伴。余りしっかり歩けないので下までは車椅子で。さぞ乗車は無理だと思ったが少しの介助で乗車できた。
  久しぶりの乗車間断なく話し掛けてくる。でも意味はよく分からない。さて降車は大丈夫か、玄関まで段差がいくつかあるが大丈夫か。まして玄関は落差が大きい。でも心配した割にはうまくいった。でも靴を履いたまま廊下を。
  早速いろいろなオヤツを与えた。自分で持って上手に食べる。病院とは様変わり、やっぱり家は良いのかな。夕食も箸で上手に口に運んでいてびっくり。機能は消失していなかった。しかし直ぐに箸は降ろしてしまった。食べさせてもらおうとしているのだ。やむなし娘がスプーンと箸で口に入れる。
  息子もやってきて娘と交代。案外元気な様子に喜んでいた。着替えをさして気づいたが両足が凄く浮腫んでいた。多分車椅子でじっと座ったままだったためだろう。すぐ足湯の道具をだし温めてやった。ポータブルトイレで排尿、排便ができた。ずっとオムツを着用だったので便器を使うことを忘れてしまっていないか心配だった。予想以上の様子に満足です。
  念のため2月末までヘルパーさんを8;00から9:30までお願いした。午後は週3日1時間ずつ来ていただく。もう7時から熟睡している(睡眠薬)。私も何か安定した気分だ。やはり二人揃っていなければいけないのだ。



(69)退院3日目
  毎日少しずつ機能回復に努めている。散歩、トイレ、食事など。今日はとても温かかったので頑張って道路まで出た。勿論娘と二人で。廊下で靴を履かせ玄関の落差をブロックや木片で少なくした。なお挑戦として入浴を試みた。以前から脱衣は大変でずっと家での入浴はなし。デーサービスでやってもらっていた。ところが意外とスムーズに入ってくれた。しかし私が先に入っていて迎える。湯船に足を入れるがやや難儀だった。
  よく分からないがなんとなく優しくなっているようだ。以前のように絶え間なく家で立ち上がってあちこち歩くことはない(ひとりで歩けない)。夜何度も起きない。そのかわり2朝尿漏れで大騒動。パジャマまでびしょぬれ。ヘルパーさんに尋ねたら夜用の紙パンツがあるという。さっそく買いに行く。ついでに布オムツも買ってきた。   私たちは最近電気毛布を使っている。そのためか夜半喉が乾いて困っている。乾きを感じたときは遅いとか聞いている。万一脳梗塞などになってはかなわない。まして家内は乾きを訴えれない。息子に電話で湯たんぽを買ってくるよう頼む。家内のためなら隠居の行動は早い。トイレや玄関の手すりも手配済み。介護テーブルも発注。
  2月まで毎朝ヘルパーさんを1時間半毎日お願いした。食事の介助だ。これだけは機能がなかなか戻らない。甘えのためか箸やスプーンが使えない。ヘルパーさんは午後3日お願いしている。
  先ほど3月の企画を作ってみた。休日以外毎日だったデーサービスを半分にする。
ヘルパーさんをAコース、Bコース、Cコースの3種として、早朝、夕方〔2種〕やっていただく。3月よりデーサビスにいくための段取りを考え企画した。
  病の進行に竿をさし隠居親子力を合わせ挑戦を続けます。



(70)3つの施設
  特別養護老人ホーム、老人保健施設、介護療養型医療施設の3っが介護関係の施設です。漠然とは知っていましたが実態はよく知らなかった。毎日通園させていたデーサービスは老人保健施設だったとはつい最近知ったばかりです。また先日来ご厄介になった施設は介護療養型医療施設でした。実際に当たってから初めて実態が理解されます。できたら事前にある程度知識があると選択する上でもプラスだとおもい、参考資料をのせたいと思います。
  ある市での介護老人保健施設の用料金(負担金)(ネットで検索 古い資料で若干違いがあると思います)
◆施設入所療養介護利用料
   ○介護老人保健施設T型
   要介護1  849円/日  要介護2   898円/日  要介護3  951円/日
   要介護4 1005円/日  要介護5  1058円/日

◆通所系療養介護利用料
   ○短期入所療養介護:介護老人保健施設T型
   要支援   978円/日  要介護1  1013円/日  要介護2 1062円/日
   要介護3 1115円/日  要介護4  1169円/日  要介護5 1222円/日

   ○通所リハビリテーション 6時間以上8時間未満の場合
   要支援   563円/日  要介護1、2 699円/日  要介護3〜5 972円/日



(71)介護療養型医療施設
  入院18日間果たして利用料金はいかほどかしら。薬や点滴代などはどうなるだろう?来月15日電話で確認して支払うきまり
事前に渡されたプリント
老人1割 保険適用費用 63600円(40200円+23400円)+保険適用外費用25000円=約90000円+オムツ代・個室料など)

預かり金管理料  3600円(120円・日)これがよく分からない(1万円先に預けた・・これから一部支払う・・その管理料?)
私物管理料    6000円(200円・日)(着替えを置いておく)
入浴介助料    5200円(650円・回、週2回
タオルリース    3600円(120円・日)
おやつ代      1650円 (55円・日)
エプロンリース料 2700円 (90円・日)
散髪代       1500円
オムツ代      1万円〜3万円



(72)失われた機能?
  介護療養型医療施設より退院して6日目、家内の機能がかなり衰えていた。歩けない、食事が自分でできない、着替えができない、排泄がなにもできない、座れない(畳)入院少し前は部屋を徘徊、デーサービスでは終日徘徊していた。最低の生活はできていたのだが。
  病が及ぼした急激な変化か、入院中ベッドで何日も過ごし、後は車椅子での生活のためか、はたまた薬の副作用の影響か、分からない。原因の探求は無意味である。今は少しでも機能が戻るよう根気よく工夫努力する事が肝要。
  むつきひとつでも大問題、いろいろな紙おむつなど(尿とりパット併用)使うが朝パジャマまで濡れている。ポータブルトイレは結局余り使えない。現在椅子として利用しているが、私が座っていて気づいた。長時間座っていると足が痛くなる。今朝普通の椅子に変更。彼女何故か右傾している。座っていると右斜め前にうつむいてしまう。この解決に介護テーブルをリース(月300円)した。トイレ・玄関の手すり、段差の改良も手配した。
  当たり前のことができたときどんなに嬉しいか。毎食、はじめに箸と茶碗を持たせる。たまにゆっくりと箸を正しく持ち御飯を口に運ぶ。ありがたい、まだ機能が残っている。涙が滲む。しかしすぐ止めてしまう。いよいよ明日からデーサービス週3日で再出発します。(前は週6日)



(73)お願い(デーサービス再開に際して)
  いろいろご心配かけました。おかげで退院できましたが折角の機能が衰えてしまいました。食事が自分でできない。歩くことが十分できない。着替えは勿論だめ。病院でずっと寝ていたり、車椅子で終日座っていたりで、機能が衰えたようです。勿論病気のせいかも知れませんが。
  退院後歩かせたり箸やスプーンを持たせたりしました。ほんの少しの間正しく箸が使えますが、直ぐ止めてしまいます。食べさせてもらう、楽な方がインプットされたよう。 病院で食事を拒否していたので昼食、夕食の介助に毎日いきました。そのおり手を引いて歩かせました。
  3月から実験的に週3日体勢でデーサービスに参加させます。前とはちがっことでご厄介かけるとおもいますが宜しくお願いいたします。

 できたら下記の点ご考慮いただければ幸いです。

 1.椅子は危険です(右傾します)。車椅子でテーブルに接しておれば多分大丈夫と思いますが、危険でしたら帯で拘束?してください。
 2.午前、午後近距離を歩かせてやってください(退院したら両脚が膨れあがっていました。車椅子のせいと思います)
 3.食事はほんの短時間で結構ですが、箸など自分で使わせてください。多分無理でしょうがなんとか快復させたいので。あとは介助してやってください。
 4.毎朝新しい紙おむつを着用させます。入浴時汚れていなかったら再使用していただけたらありがたいですが。
 5.整髪(カット・顔すり)できたらお願いします。
 6.多少微熱が出るかも分かりませんが、直ぐに平熱になると思います。なお。
   午後1時間半ほど午睡させていただくとよいかも(家では寝かせました)



(74)晴れたり曇ったり
  昨日は終日ぐっだりしていた。常に右傾し仰向けになっているかテーブルに顔を伏せているか。顔面はやや紅潮している。微熱のせいだ。37.3度ぐらいか。1日デーサービスの再開の日は37.5度で入浴は駄目だった。食事もなかなか口を開けなかった。箸やスプーンを持たせても嫌がった。全く前途が暗かった。
  ところが今日は平熱だったので入浴してきた。6日ぶりだ。顔色もしろっぽかった。私がお勝手にいるとCDの童謡に合わせくちづさんでいた。娘がいつものように学校帰りに寄って食べさせてくれた(朝も必ず短時間だが寄ってくれる)。今日私が買ってきたスプーンで娘が少し手伝ってやると自分で運んで大きく口を開けて食べていた。私たちは「今日は絶好調だ」と喜び合った。倅にも「婆さん絶好調だ」とメールした。
  最近気づいたが足が異常に冷たい、そう言えば手も冷たい。足先や手先までの血流が悪いようだ。そこでマッサージしたり足湯をすることにした。また足下に毛布に電気コタツをくるんで温めることにした。
  電気毛布は喉が乾く、健康に悪いとゆたんぽを買ったが1回使っただけ。あんなに手足が冷えるならやっぱり電気毛布だ。夕べ実行したら尿漏れはなかった。温かったので回数が少なかったようだ。
  今日も晴れ間があったので家内のフトンを干した。介護用エプロン(1,800円)ウエットタオル、トイレに流せるおしりふき等購入。月曜日1割引なのでオムツ、尿とりパットを視察。6畳の部屋にでっかい椅子(娘の所から2脚借りた)毎日適当な位置を探して移動。右傾を防ぐため重い本箱をこれまたあちこち動かしている。
  どうしたら家内が気持ちよく暮らせるか、そして元気になって欲しいと願いつつ一日の殆どを費やしている。
  今日は全てにおいて良好だった。声もずっと小さかったが大きくなった。その代わり乱暴な言葉が出てきた。「バカ」だとか「あほんだれ!」など。さて明日は



(75)わが家の観世音菩薩
  家内には世間普通の欲望はない。嫉妬、名声、富み、化粧、遊び、行楽・・・全てない。穏やかに笑みを湛えているときは仏像をみる想いがする。全てを私に全託している。「お父さん、お父さん」といつも言っている。「お父さんここへ来て」とよぶ。そばにいると安心するようだ。
  今夕は珍しくしばし箸を使ったり、スプーンで御飯などを食べていた。介助の娘が「お利口 偉いね」と誉めていた。但しトイレでの介助には悪態をつく。デーサービスでも入浴の脱衣には手こずるようだ。
現在退院間が無いのでデーサービスは月・水・金の3日、ヘルパーさんは朝3日、午後4日お願いしている。髪も長くなったので明日特別デーサービスに行ってカットしてもらうことに。美容師さんは毎週火曜日だから。明日はわが家の観世音菩薩様はひときわ美人となってご帰還される。
  今朝18日間の入院費54,842円送金(1万円は既納)送金代630円。これで1件落着。



(76)本日の「通所リハビリお便り」
  体温 36.4度、 脈拍 72回、 血圧 128 66、入浴 一般浴
  食事量 主食8割・副食8割、 リクリエーション 午前 入浴、 午後 散歩
  一日の様子  「穏やかに過ごされました」
 「一言メモ」 スタッフと車イスを押し1Fフロアー一周歩きました。歌をくちづさんだり、皆さんの声に反応しよくお話されていました。

 「家族からの伝言」
 私の書き込み(過去2年間毎回何か感想やらお願い、感謝の言葉を書くことにしています)
 運転手さんが「今日は良かったですよ」と言われ嬉しくなりました。家内は「今日は楽しかった」と問いかけに答えました。段々元気が出てくるようでありがたいです。間もなく毎日行けるよう企画したいと思います。
 夕食娘の少しの手助けで、スプーンでずっと食べていました。園で指導された結果かしら。毎日プラスの変化感動です。
 (少しずつ機能の復活をめざして努力しています。やはり希望を捨ててはいけないですね。)



(77)決断
  来週からデーサービスに休日以外は全部行くことにした。最近の様子をみていると日毎元気になり、デーの方がプラスが多いと断定。以前は徘徊ばかりでしたが、現在は足が弱っているのでじっとしている。その結果リクリエーションなどできないまでもある程度参加。スタッフとの会話もよくするようで、特に歌などは口ずさんでいるそうです。
  3月のヘルパー派遣の計画も変わるので申し訳ないが、本人を第1に考えることにした。結局朝が大変だからヘルパーさんは、デーの日は全て一時間半(身体介護30分・生活介護一時間)来てもらうことに。身体介護は主に食事の介助です。
  朝起こしてオムツなどの始末、トイレ、着替え等一人でするのはとても難儀です。7時起床、朝食開始7時40分、箸、スプーンを使う練習、8時からヘルパーさんがスプーンで食べさせる。食べる気が無いと口を開かなくて困る。
  今日は6回分持つという尿とりパット(夜間用)を購入。月曜にも紙おむつ、尿とりパット(2回分)を買ったばかり。これらは医療控除の対象なので来年は申告書に記入しなければ。バイクの後ろに中身が分かる代物をつけて町中を走るのは気が引けるが、そんなことを気にしてはおられない。さて今夜から使用開始、効果は・・・・・・。
  参考  パット 2回分 51枚で  780円
            6回分 30枚 1,449円



(78)家内がいく老人保健施設
  通所者(デーサービス)
    食費  昼食・夕食  550円、  日用品費(入浴なし) 50円
    日用品費(入浴あり) 120円、  娯楽行事費       実費
  おむつ
    布おむつ   50円、 おむつカバー 150円、 尿とりパット 50円
    紙おむつ  120円、 トレーニングパンツ 200円
  延長料(30分) 600円
  入所者・短期入所者
   ・入所   食費 1600円、特別食 50円
   ・短期入所 朝食 400円、昼食・夕食  600円
    日用品費  125円、娯楽費 実費、  電気代 26円
    居住費(滞在型) 従来型個室 1640円、  他床室 500円
    特別室料(1人)1229円、(2人)525円
  理美容
    セット 2415円、 調髪 1575円、 顔剃り 840円
    洗髪   525円、 パーマ6248円、 毛染め3833円
  私物洗濯   630円



(79)尿とりパット談義
  尿とりパット以前は1枚15円程度の物を使用していた。朝になったら漏れて大騒動。紙おむつ、ズボン下、パジャマ、時に上衣まで濡れている。この着替えが難儀。もっと高価な紙おむつを購入したが結果は同じ。ドラッグストアで品物を検討した。
  尿とりパットに6回分というのがあった。1枚48円程度。これを使ってみたらうまくいった。朝それを取り替えるだけでOK。助かった。日中は安いパットでよい。勿論一日に2,3枚は必要(デーサービス)。こういったことは余り教えてくれない。だから私はこの掲示板に色々書いているのです。お一人でも参考にされれば幸いです。
 参考: 紙オムツ 5回 2,380円(18枚)、2380円 5回 (16枚)    夜用 1,764円(10枚)、尿とりパットなし 1,980円(14枚)   パンツ型(薄型)1,498円(18枚)



(80)ヘルパー・デーサービス支払金額(平成17年より)
     ヘルパー        デーサービス(ショートステーを含む)
 1月  5,859円       29,364円
 2月  4,654円       26,181円
 3月  5,865円       35,055円
 4月  8,168円       29,421円
 5月  8,566円       25,665円
 6月  7,831円       33,693円
 7月  5,687円       31,299円
 8月  5,611円       42,520円
 9月  5,741円       41,158円
10月  6,183円       49,679円
11月  5,223円       55,675円
12月  5,223円       53,691円
 1月  3,766円       44,799円
 ヘルパーサンの回数を増やしたり、デーサービスの日数の増加、ショートステーの体験などで金額が増えています。



(81)これが高いか安いか?
  トイレ手すり取り付け工事
   木製手すり 補強版付    1本 11,000  11,000
   上記手すり取り付け費    1本  9,000   9,000
  玄関手すり取り付け工事
   木製手すり           2本  4,000   8,000
   上記手すり取り付け費    2本  5,000  10,000

  玄関式台設置工事
   木製 幅450MM 高さ 102MM  1個     54,000
  式台造作、設置工事       一式         36,000
  諸経費               一式          6,300
         小計                    134,300
消費税及び地方消費税                    6,715
         合計                    141,015円

  出来上がりをみてこれは高いなと思った。しかし見積もりに二人、取り付け日に営業の人、大工さん、材料運搬2人、作業後写真撮りに、そのうえ厄介な書類の作成。この値段適切かな。でも手すりなんか玄関はあっと言う間に。式台も54,000円は驚き。式台もわずか45cm・90cmのできあがり(切断した90cmはもらった)もし普通の大工さんにやってもらったら書類の関係でとても世話がかかるようだ。わが家は医療関係の会社に依頼したので、手続きは全てやってもらった。介護関係は何かと高いような気がする。先日もスーパーでエプロン(食事用)を買ったら1,800円「介護用だから高いですよ」と言われた。
 介護のための住宅改修費は市が9割負担してくれる(20万円まで)。わが家の負担は今回は14,100円大変安かった。もしかして市町村の9割の負担があるから多少高めでも受益者には負担が少ないので、利益の良い商売かも・・・と変な邪推をしている



(82)3月14日の通所リハビリお便り
  一口メモ
  昼食は半分ぐらい、ご自分で箸を持ち召し上がっていました。「お父さんいた!!」と嬉しそうに話してみえました。今日のレクはスタッフをまねして2〜3本投げてみえました。歌は、一点をじっと見つめ口ずさんだり、歌を止めてお話をされたりしていました。  主食  10割 ・ 副食  8割
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の書き込み
  送っていただいたYさん「今日はにこにこしていらしゃったよ」といわれた。上記の記述、とってもとっても感激です。主食10割、50%は自分で箸で、本当かしら。奇蹟かも。トイレ、玄関、手すり、段差解消明朝より利用、家内のために尽くしてやりたいです。51年余献身的に家を守り子ども達を立派に育ててくれたから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  家では箸が殆ど使えない、スプーンで口に運んでやってもなかなか口を開かない。それが箸を使って5割も、そして全部食べてしまったとは。施設の食事は案外ボリュームがあるはず。入院前は終日徘徊し、リクリエーションにはいっさい関わらなかったのに。輪投げまで参加していると。
  デーサービスにおけるスタッフの皆さんの温かい介助が、日毎家内を元気にしてくださったのだ。本当にありがたい。足を東に向けて眠れない。



(83)観世音菩薩ときに夜叉
  家内は私がお勝手から、洗濯場から顔を出すたびに「お父さんお父さん」と常に呼びかける。「お父さんは大変だね。ありがとう」。また「こちらへ来なさい」と優しく言う。どうも私が近くにいないと淋しいようだ、心が安定しないせいかも。いつも服の一部をつまんでいる。歩行を手伝っているときも私の服を直ぐ掴む。
  優しい顔つきでいるが服の着替えや、気に入らないことを強制(トイレで立たせたり、始末をしてあげるとき)したりすると、突如「バカ」「バカヤロウ」と悪態をつく。この頃はバカが連続する。娘が「バカじゃない、お利口だよ」というとすかさず「バカ」と反発,「お利口お利口」というと「バカバカバカ・・」の連呼。そのうち手が飛んでくる。娘の眼鏡が飛んだ。
  健康なときそんな言葉を使ったことがない。「バカヤロウ」って言葉も今使う。施設で覚えてくるはずはない。過去に記憶されていたのが突如蘇ってきたんか。入院中からぐったりしていた体が日増しに元気になってきた(機能的にはかなり残っていた能力が恐ろしいほど欠如した)。それに比例して暴言がすざましくなってきた。(前そんな粗暴を押さえるために飲んでいた薬の量を増やしたのが、体調の変調の一因かも)
  多くの言葉を失ったのに、悪い言葉だけ記憶しているとは。菩薩様になったり夜叉になったり目まぐるしい。



(84)比較 入院前と入院後
 1.機能面
 食事は独りでできた。着替えも手伝えば楽にやれた。起床も就寝もどうにかできた。正座は勿論、歩行はかなり歩けた。文字も読めた、名前は段々書けなくなってきた。トイレも自分でやれた。
 退院後は上記のことができなくなった。辛うじて童謡などが歌える。
 2.感情面
 退院後は元気なく声量も乏しかったが日増しに声が大きくなってきた。以前のように怒りぽっくなった。「ばか、あほんだら」と悪態が出る。また手が出たり強く爪を立て握ったりする。これは入院前後で大差はない。
 3.介護面では
 相対的には楽になったと言って良い。夜以前のように何回もトイレに付き添わなくてもよい。睡眠薬のおかげか。常時椅子にかけさせているが、自分で立って行動しないから安心して目が離せる。就寝中も同様で寝返りもうたず横になっているので安心である。

  以前にあったような喧嘩のような状態は現在はないので案外平和である。特に難儀なことは、排泄、排尿、食事関係、衣服の脱着、デーサービスの車への乗車まで、またその逆などである。楽になったのが病の進行のためと客観的に言われるが、そうは思いたく無いのは肉親の情かも。



(85)てんやわんや
  てんやわんやこんな言葉は若い人は知らないかも。昨日のデーサービスの便りに、「両足の親指と次の指との間がじめじめしています、水虫かも」と記載してあった。見てみると境目はじめじめしており少し水膨れもできていた。朝再び見たら水膨れは一層ひどくなっており色も赤く腫れあがっていた。
  これは大変とデーサービスーを断って皮膚科の医院を訪れた。「水虫にばい菌が入った 。外来ではちょっと無理かも。できたら入院して点滴で細菌をやっつけなければ。もし糖尿でもあったら足の切断もありうるよ。」これにはショック。
  普通の病院では入院はできない。いつもの病院に電話、院長さんが直ぐ来なさいの指示ででかけた。皮膚科に行ったときは看護婦さんに頼んで車の乗降を応援してもらった。診察も特別早くやっていただいた。でも大きな声で暴言を吐くのには困った。
  病院は皮膚科専門では無いがひとまず抗生物質の内服薬で様子をみよう。また皮膚科の先生が来たとき見させますと。診察が終わってそのあと併設の施設(デーサービス)に連れていった。
  今日は娘夫婦と帰省していた孫が車で上京した。長男の宿替えの為(就職)。娘が月曜まではわが家に来れないので困る。まして薬を塗ったりする仕事が増えた。(朝・晩飲ませるだけでも厄介だが)塗られたりするのが嫌だから手が出る。やむなくヘルメットで防御して手当をした。叩いた家内はびっくり。一難去ってまた一難。



(86)親切な皆さん
  今日は皮膚科の先生が見えるので休暇中の娘の車で七○病院へ。珍しく3月30日桜もちらほらしてきたというのに、さんさんと雪が降っていた。全く異常である。いつも病院へ行って感ずることはとっても看護婦さん達が親切であるということ。特に家内は暴言暴力が時にでるので本当に恐縮であるが、まことに優しくく接していただける。また薬などの件についても付属のデーサービスの方へ連絡を取って善処していただける。この病院を選んだことは賢明だったと思う。
  七○園の皆さんも素晴らしい方たちばかりだ。入院前後からかなり機能低下した家内が、退院後日増しに元気になり、殆ど使えなくなっていた箸やスプーンがどうにか使えるようになった。これも昼食時に一時間有余もかけて面倒をみていただいた結果です。
  もう何日も足の傷で入浴できなかったのに、今日病院の指示でデーのほうでシャワーをしていただき、その上、足のほうだけ特別湯で洗っていただいたとのこと。至れり尽くせりの介護ただただ感謝。お陰でとても心配していた足の方も快方に向かいつつあるので一安心。
  病院、園の皆さんの温かい振る舞いはやはり院長さんの薫陶の結果かも。院長さん接するたびに気さくなお人柄で、いつも私自身の健康を案じてくださっている。またいろいろ無理を聞いていただける。将来何かと心配だが七○病院の存在がいつも私たちを支えてくれている。ありがたいことだ。



(87)これはショック
  ケアマネージュアから今朝電話。「介護の内容が変更になってので、4月の予定3日ほど点数が不足するので何曜日を削りますか」。「土曜日を切ります」と答えた。折角日曜祭日以外は毎朝8時から来ていただいたヘルパーさん、土曜日来てもらえないと食事送り出しなど難儀だなーと思った。
  午後サービス利用票がfaxで送られてきた、。少し不明な点があったのでケアマネージュアに電話した。そしたら私の勘違いがわかった。ヘルパーさんでなくデーサービスが今までのようにフルにできなくなったのだ。4月で3日は減らさなくては。
  利用票でみたら今までデーサービスは1日利用者負担が1,110円だったのが4月からは約1380円と値上がり(従来介護3から5まで同じだったのが介護度に応じUP)。
  介護関係が大きく変わったのは聞いていたが、かくもストレートに身近で負担が生じてくると身にしみる。今回の改正でどれだけ多くの介護家庭が、本人を含め苦渋をしいられるか。介護保険料が高くなりサービスが反比例して悪くなる今後、淋しい限りである。せめて老後くらいは・・・・・・。



(88)トイレ工夫の変遷
  最初の頃トイレの位置がややあやふやになった。そこで戸に大きな紙に「トイレ」と書いて貼っておいた。家内は文字が読めたのでしばらくはよかった。しかしそれでは不十分になったので戸を開けておくことにした。トイレに行く回数が徐々に増えた。
  トイレットペーパーについてはとても苦労した。最初の頃何故かロールのペーパーがよく減るの不審に思っていた。そして家内が中でどんどん引っ張っていたのに気づいた。そこで昔式の一枚一枚の紙を購入し箱に入れておいた。これも失敗だった。何枚も何枚も使ってしまう。
 遂に1回分ずつ紙をおり。箱にしきりを入れ10回分ぐらいセットした。これも失敗。遂に1回分だけおいておくことに。この面倒なこと。頻尿になってからは行く度に次のを用意。
  頻尿は就寝中にも何度もおきた。そのたび厳寒の時も何度もつきあった。自分も2度ほど起きていたので合計数はかなり多かった。
  しかし今はトイレットペーパーも頻尿も関係がなくなった。常時オムツを使っておりトイレでの始末は全て介助しているから。特に困ることはズボンなどを降ろすのをとても嫌がり、しっかりと掴んではなさない。そして暴言を吐くこと。



(89)違和感「ありがとうございました」
  わが家ではデ−サービス・ヘルパーさんとも週6日世話になっている。デーサービースで送っていただいたとき、ヘルパーさんが帰られるとき、「ありがとうございました」と言われる。何となく変?感謝の言葉はこちらが言うべきだが。勿論私は毎回心から「ありがとう」と言っている。
  家にいたらお守りができない、外出もできない。それを一日預かっていただける。それも入浴あり娯楽ありおやつあり、あまつさえ昼食の介護。そんなに世話して「ありがとうございます」と係の方は異口同音におっしゃられる。そんな指導がされているようだが。ヘルパーさんも同様食事の介助、トイレの付き添い、料理、掃除と息つく暇なし。それでもやはり 「ありがとうございました」。
  食事・おやつ別で1日1,380円のデーサービス、1時間半のヘルパーサン(身体介護・生活介護)439円の支払い、でも本当に助かる。業者側は13,800円、4,390円それぞれ入るから大事なお得意さんでもあるわけ。だから「ありがとうございました」。
  スーパーで買い物をしたら当然「毎度ありがとうございます」はあたりまえ。でも介護の場合何となく違和感がある。これもビズネスと割り切るか。いやそうではない、やはり感謝の念を込め「ありがとう」と言わなければ。



(90)未だ主権は吾にありか?
  現在ヘルパーさんは日曜・火曜以外は毎朝8時に来ていただく。ヘルパーさんが部屋に入られ挨拶されるやいなや「もう帰っていって」と家内は言う。「ご馳走を作っていただけるから、ありがとうと言うのだよ」と教えるが駄目。でもスプーンで御飯を口にもってこられると、素直に開く。
 意識のどこかに「自分の城に見知らぬ部外者が入り、自由に振る舞っているのが嫌なようだ。」でもしばらくすると、にこにこ会話をし始める。私や娘にも時々「もう帰っていけ!」と暴言を吐く。時にテレビのセリフに怒りを発することもある。ご機嫌斜めの時は多少体調が悪いときらしい。



(91)ヤレヤレ
  「(85)てんやわんや」で大騒動した足の傷、漸く全快近くになった。今日皮膚科の先生に診察受け、その様子を看護士さんより電話で伺った。毎日患部の薬の処置など、園でやっていただいて本当に助かった。特別診察も手配していただいた。 最初近くの皮膚科の医院へ行ったとき、なんの検査もなく一瞥しただけで、水虫が原因と言われ(専門家は一見しただけで分かるのかしら?)、入院して点滴治療が望ましいと言われた。しかし平素認知症で世話になっている病院の院長さんの指導で救われた。30日皮膚科の先生に見ていただいたときは、直ぐに指の間から採取して検査され水虫は居なかったと言われた(既に薬を塗っていたから居なかったかも)。とにもかくにも新しい皮がはりヤレヤレ、一時はとても心配した。皆さんのおかげで一山乗り越えれました。



(92)さらば折り紙
  先ほど娘が来て「折り紙をちょうだい」と言う。もう必要はないと全部あげた。多分2000枚 ぐらいはあっただろう。先日Sayaミニの代表さんから「新入部員が9名あるのでくす玉をください」との電話。居間にぶら下げてあったくす玉10個を渡してあげた。もう作れないから今後はありませんよと伝えた。   今までになん個作ったのか?数百個かな?家内はもう少しも折れない。今できることはCDにあわせていろいろな童謡や古い流行歌を口ずさむ程度。でもそれだけでも嬉しい。
  テレビにたまに視線を送って、突然登場人物に罵声を浴びせることがある。私や娘も何かするとき(着替え、トイレ)、悪態をつかれる。そのあとすぐ「お父さんは大変だね。ありがとう」としんみり言う。
  視界が不十分なのか、なかなか焦点が決まらない?茶碗と箸がうまく適合しない。右目はかなり以前白内障の手術をしたが、左目が相当悪くなっているようだ。こちらも手術しておけば良かったと後悔している。
  特に段差は難しい。ほんの2・3cmの敷居のところが越えるのに躊躇。まして15cmもあるところは不安で足が降ろせない。盲目の人のようだ。毎朝の車の乗降の難儀なこと。出迎えの人、ヘルパーさん、私と3人ががかり。最近雨が多い、運転手の叔父さんまで傘を差しだし4人係。
  でも平素はまことに穏和で話し好き(昔は案外無口だった)。いつも何かしゃべっている。適当に返答をしている。



(93)今から心配
  家内は日曜祭日以外は大体デーサービスに行っている。そのため彼女の介護の点数(358,300点{円})は消化してしまう。これは4月からの介護の仕組みが変更されたため。介護度の高い家内はかなりのベースアップ。そのためヘルパーさんは頼めない。幸い私が要支援(月 61,500点)であるのでこれを使って来てもらっている。(実はこの4月から要支援は大幅に変わってくるので、もう認定は受けないつもりだったが、担当の教え子に再認定を極力勧められたので受けた。認定が2月だったので4月からの変更は受けない)。
  それで現在朝8:00から9時半まで生活援助で来てもらっている。1回が291点だから月に21日は来てもらえる。主に夕食、明朝のみそ汁の準備と掃除である。日曜や休みの日は2日分用意してもらっている。そのため私は殆ど料理をしなくてもよい。昼食はたいてい温めればよいウドンを食している。
  問題は来年2月からだ。要支援の者は殆どヘルパーさんに来てもらえないらしい。予防関係の方に方針が変わったようだ。すると私が料理をしなければならなくなる。2年ほど前までは料理の本を買ったり、テレビ番組で勉強したり、またインターネットで検索したりして調理していた。でもこれだけヘルパーさんにご厄介になった今では、再び調理する気にならない。でもそんなことを言っておられない。
  来年のことを言うと鬼が笑うというが今から心配している。ぼつぼつテレビの料理番組でも見ることにしようか。


(94)ちょっとショック
  今日(平成18年4月25日)デーサービスで送っていただいたおり「リハビリテーション実施計画書」なる書類を渡された。各項目について目標(する活動)実行状況(している活動)能力(出来る活動)具体的なアプロ−チと記載されていた。多くは一部介助で全介助も排泄、整容、更衣、入浴などである。
  認知症に関する評価で 30点中3点(昨年8月8日)とあった。記憶が殆どないことは熟知していたが、客観的な数値を見てやはりショックだった。確か少し変だと2年半ほど前保険センターへ相談にいったときこの長谷川式をやってもらった。そのときは18点ぐらいだった。20点を下回るとやや認知症の疑いがあると。それが今や3点とは。 脳の記憶は体の機能面にまで及ぼすのか、運動的能力まで(立ったり座ったり、あらゆる動作)機能が劣化してきた。進行が少しでも遅いことを願う。



(95)ある介護記録のHPに初めての書き込み
  私は77歳、家内は76歳アルツファイマー、認定5です(2年少し前に気づきました)。数年前からバスケット関係のHPを立ち上げ、全国の皆さんと交流してきました。最近「隠居の挑戦」と名付けて介護の記録をUPしました。
  ネットで多くの介護記録があり、生々しい書き込みを見て驚いています。私もどこかに一度書き込んでみようとあちらこちらを見てみました。しかしなかなか書けませんでした。たまたまこちらのHPを見て、ここなら勇気を出して書いてみようと決心しました。
  Tomyさんの実にこまめに記録をまとめておられるのに一驚しました。とても参考になります。家内は現在日曜・祭日以外は毎日デーサービスに行っています(日曜・祭日は休み)。ヘルパーさんは月、21回ほど私名義で8:00〜9:30生活介護で(私が要支援・2月に更新で以前のまま)夕食用意と掃除。
 家内は1月頃まで足腰は普通で名前も書け食事・トイレも出来ていました。それが以後文字があやしくなりました。薬が強かったせいか体調が悪くなり、また熱が出て老健に入院(18日間)。以来多くの機能が欠落して、全てに介助が必要になりました。
 過去いろいろ争ったり難儀しました。今は行動が自由にできないのと、おむつの使用で案外お守りは楽になりました。 
  ざっとこちらの掲示板を読んですざましいばかりの内容に言葉がありません。こんな隠居で申し訳ありませんが今後とも宜しくお願い致します。
 (追記;わが家は夫婦だけです。近くに 息子の家族がおり、娘が近くに嫁いでいます。娘は休みは半日は来てくれます。近くの小学校の教師で毎夕寄って食事の介助をしてくれます。)

  Tomyさんの掲示板へ 投稿者:愛知の隠居 投稿日:05/08(月) 20:23 PC [HOME] [返信] [削除]


(96)投稿
  先輩としてのはなさんのタイムスリップ日記を最初から読破しようと思っています。
  今朝は歯磨きできないのでフリーダイヤルで3ヶ所尋ねました。飲んでしまっても良い物はないとのこと。まずお茶をしっかり飲ませてくださいと。前はブラシを持たせ私もブラシで見本を見せてみましたが、だめでした。Tomyさんのマネして後ろからブラシを入れてやると少しの時間だけ可能です。ブラシは刷毛の部分の小さいのを買ってきました。これは根気ですね、ぼつぼつやらねば。
  家内は椅子に座らせています。直ぐ顔をテーブル(介護用で高くしている)に伏せてしまいます。体がだるいのか、退屈なのか分かりません。デーでもよく伏せているようです。テレビも余り見ませんが時々画面の人物に怒りをぶっつけています。
  今日はとうとう腰が砕けて畳の上に寝ころんでしまいました。これは大変、でも古武術活用の介護法を使って起こしました。スポーツに古武術を活用するととてもよいと、私は以前からネットで宣伝していました。
  最近は介護にも活用されていますが、私自身がそれが必要になるとは思いませんでした。
  連休が済んでデー開始やれやれです。



(97)首が痛い
  昨日から首の左がわが痛い。畳に崩れ落ちたとき起こしたのが原因かなと思っていた。今朝その原因に気づいた。起床したときポータブルトイレに座らせる為、ズボンなどを下げるとき、座り込まないように首で体を支え作業をする。またデーに出発前にトイレにいかせ、立ち上がっての処理にやはり首で支えて行う。かなりの負荷ががかかるので首が痛くなるはず。もう少し足腰がしっかりしているとありがたいが。
  今日はヘルパーさんが来ない日なので、一人で玄関まで降ろした。二人の時より少し楽に降ろせた。二人で介助するときは甘えがあるようです。



(98)施設見学
  一度見学したいなあと思っていたが足が重かった。(家内は既に2年有余前からやや遠方の老健へデーサービスに行っている)。将来特養などにやむなく入れる羽目になったとき、今から申し込んでおかねばならない。しかし在宅介護を貫きたい現状で申し込みは気が進まぬ。しかし早くから施設などは見学しておく必要があるとよく聞く。
  そんなおり「あんずさん」が80回もみられたとのこと驚きました。そこで私も直ぐ近くにある近年出来た5階建ての立派な施設に足を運んだ。看板に特別養護老人ホームと看板が出ていて、デーサービス・ショートステーだけと思っていたが違っていた。
  施設長の綺麗な女性の案内でざっと館内を見学。養護の方はプライバシーとかで中止。
特養へ将来入るため現在デーとかショートを利用されていると。建物が新しいので雰囲気がとても明るかった。しかし中身が問題だが・・・。お試しホリデーサービスがあるからどうぞと勧められた。
  ここで気づいたことが二つあった。(知らないのは私だけだったかも)

1.料金表をみてあれっと思った。デーサービス 要介護5で1,090円とあった。家内の所は1,373円である。1,090円なら土日もあるので月の全部行っても大丈夫。念のためケアマネに電話したら、施設によって若干違うとのこと。
2.特養における負担は所得によって異なる。ここまでは知っていた。私が多少年金が多いので負担が大きいと思っていたら、違っていた。入所している本人の所得だそうだ。それなら国民年金だけなので低所得者となる。
  徒歩で12分ぐらいの距離、新設、もし特養に入っても毎日でも面会など出来る。少し心が動く。しかし病気になったとき困る。現在は病院の施設、体調が悪いときなど外来で診察してもらえる。先回熱が続いて困ったとき療養型施設に入院も簡単にできた。でも8Kmほどあって私のバイクではちょっと危険(入院18日間の時は食事の介護で毎日走った・・係の人では口を開かなかったから)。
  特養も恐らく多くの人が順番待ちをしているだろう。切羽詰まったらグループホームか介護付き有料老人ホームのお世話になろうか。こんなことを考えていたら早く目覚めてしまった。



(99)お陰様で
  就寝中の尿漏れのため、上下の着替えでいつも悩んでいました。それがTomyさんの掲示板に書き込んだら、いいヒントをいただいた。私が2枚重ねを一度実行したがそれでも失敗でした。助言は「重ねる上のパットの背中部分に穴を開ける或いはカッターで数カ所切り削く」でした。私はカッターでやりました。以後一度も失敗なし。朝相当重量感があります。本当に助かりました。
  昨夜の福祉番組(介護百人一首)でご主人がいろいろ器具を自分で製作して、リハビリをされているのに感心した。自分も折り紙や、童謡、流行歌の録音、その他いろんなことを試行錯誤やってきたが、リハビリについては無関心だった。デーで何かやってもらえるだろうと思っていた。この間まではその必要も感じなかったが、入院前後より機能が驚くほど低下したので(両腕もしっかり上がらない)、今後は少しでもリハビリを実行しなければと思う。



(100)何でも体験、常に工夫を
 1.敷居の段差に抵抗がある。
  あり合わせの板やマットで臨時に段差を無くした。注文の板が来たが3.5cmもあり削るのが大変。そこでちょっと距離があったがカーマーへ行った。厚さ1.2cmしかない。これを2枚合わせあと6mmの板で、そう思いつつ会計の方へ、そこで係の人に介護用品の場所を尋ねた。そこにはそれほど用品が無かったが段差用の板があった。「なんだあるではないか」板を戻して2個3,600円ほどで購入した。
  教訓1 一応介護の専門店でも見てどんな物があるか勉強する必要がある。
 2.トイレでの工夫
 部屋のポーターブルでの起床時の排便排尿を変えることに。気温も高くなりポーターブルで着替えも行っていたが、肘掛けのためとてもやりにくい。またズボンを立ったまま下げたりするときしゃがみ込んでしまう。
 そこでトイレの縦の手すりにロープを結びその先に連結用の金具を着ける。家内を中に入れたらロープで背中を支えるように、入り口につけた取っ手に金具でつなぐ。これで安心して脱がせたり履かせたりが可能になった。
 教訓2 困った困ったと嘆いていたが、その解決に積極的に努力する必要がある。



(101)一難去ってまた一難
  朝家内が左手に何か握っている。確かめたらかぶせてあった連結3本分の歯だった。これは大変。左下の奥歯ちかくのもの。右のほう上下の奥歯の義歯はかなり前から使用を止めている。これでは食事が難しい。
  虫歯になってはいかんと、この頃ブラシに子ども用のゼリーを着けて無理に歯磨きをやってあげていた。嫌になって怒ってブラシの柄を噛んでいた。それが原因だったか?
さあどうしよう。歯医者で口が開けるかしら。罵声を発するだろう。ともあれ娘に同級生の歯科医さんに連絡をとってほしいとメール。
  水虫が一応治まってきたのに次なる心配、なかなか苦労が絶えない。



(102)嵐のようにつぎつぎと
  歯のことで頭が一杯のところまたまた問題発生。8時に「おしっこ」と言う。本当かな7時に起きたときトイレへ行ったのに(パットがずいぶん濡れており、多分排尿はなかった?)。そしたら排便だった。教えてくれたのが一応当たっていたので嬉しかった。
  ところが始末していたら肛門のところで堅い突起があった。あれっと思って・・・脱肛しているようだ。これは大変。3年ほど前手術した。私も泊まり込んで。とても苦労した。ひとまず押し込んで残っていた座薬を押し込んだ。そのあとかかりつけの医者に行って座薬とむつきかぶれの塗り薬をもらってきた。
  朝一番でデーの方から教えてもらった関係の歯科医に電話した。しかし口を開かない年寄りの治療はしたことがないと。子どもなら強引に時にはしますけどと言う返事。すると娘から電話「歯医者5時半予約したよ。認知症の人もよくこられると」。この歯科医さんは直ぐ近くで娘の小・中の同級生でバスケ仲間。ありがたいことだ。
  最近目やにがでる。眼科も以前検査させなかった。前にもらっていた薬を点眼。目・歯・かぶれ・肛門・・・。押し寄せる症状に右往左往。でも肛門の処理をしているとき家内はじっとしていた。普通なら怒って暴言を吐くはずだが。何となく分かっているのかしら。
  そういえば夕べ食事の世話をしていて、諸々の辛さ、そしてもっと悲しいであろう家内の顔をみていて、自然に涙が頬を流れた。すると家内もとても心配そうにじっと見つめていた。家内に沈んだ顔を見せてはいけないと反省。
  私の掲示板を隠居の挑戦と名付けた。世間にはもともっと難儀な 家族がある。以前は介護法もなかった。施設の方、介護関係のネットの方そして子ども達に支えられている。逃げないで挑戦していかなければ。Tomyさんに腰を痛めないようにとお言葉をいただいたが、膝を痛めたようです。首は大分楽になったが。はなさん助言ありがとう。



(103)老々介護
  老々介護って人ごとに思っていたが、体調を崩してつくづく大変だなと実感した。家内最近とみに足下が不安定で両手をもっての移動がかなり難儀。施設では案外箸が使えるのに家では直ぐ止めてしまう。食べさせてもらうのを待っているようだ。甘えているのだろう。
  体調が悪いと自分のことさえままにならない。それでも介護は休めない。大分風邪も治まったので明日からはもっと笑顔で暮らそう。



(104)まさかここで
  先日勇気をふるって近くのまだ新しい老人施設を見学に行った。そして近日村の施設を訪問する予定だった。前後20年村の中学に奉職していた。またミニバスケでも何年も通った土地。しかし施設の名前は聞いていたがその場所を知らなかった。今朝図書館へ本を返却に行ったおり地図で調べた。なるほどあそこにあったのかと知る。よしついでに見学に行こう。
  バイクで思い出の道を走る。ここはイチゴを毎年くれるHasimoto君のハウス、こちらの工場は進学で家庭訪問したSuzuki君の家・・・。養老院のイメージが強いが実際は明るい施設だった。
  受付で「あっ○○先生」って女性が叫ぶ、名札を見たら2度目赴任してからのバスケ部員だった。まさかここで彼女に出会おうとは(17年ぶり)。最初は母親の方かと一瞬思ってしまった。母親(担当学年・陸上を指導)は教師でこれまた教え子。そういえばこの施設母親の弟さんが最初開設。
  案内してくれ説明してくれた人はこれまた中学の卒業生、その父親も記憶にある。施設長さんは元収入役のSumiさんと最近聞いたばかり。たまたま外出中で会えなかった。廊下を歩いていたら最近市会議員(前村会議員)に当選したばかりの30歳前のHinaga君に会う。彼のお父さん、叔父さん達も生徒だった。そして有名だった祖父の方にはとても世話になった。勤務している方の多くはきっと何らかの縁があると思った。
  玄関に出たら最初に出会った彼女の叔父さん(事務長さん)がおられ挨拶をした。思い切って足を運んで良かったと思う。いつの日か家内がお世話になるかも知れない。もしかして私も・・・・。



(105)テレビETVを見て
  昨夜7時から3時間番組で認知症関係の報道があった。認知症の方も登場しいろいろ発言されていた。また番組をみた視聴者からのメールやFaxも感動の感想が寄せられていた。たしかにそれなりの放映の価値はあったろう。
  しかし私は終始反発、怒り、不満を感じていた。あの出演されたご夫婦、大変な勇気があっただろう。でも何も知らない視聴者の方は「なんだ、認知症なんてたいしたことないなー。みんなしっかりお話しできるし、講演までなさっているじゃないか」。
  重度の家族を介護されている方は多分私と同じ感情を抱かれたのでなかろうか。一つ救いがあるとすれば、みのもんたさんが繰り返し悲惨な重度の認知者の実態を語り、社会に対しまた為政者に対しての怠慢の実態に、警鐘を鳴らされていたことである。



(106)危なかった
  昨日のこと、トイレに誘導、最近腰を引いてしまってなかなか足が前に出ない。時々軽く両手の引きをゆるめて注意を喚起。それが昨日は大失敗。ゆるめた途端足が滑った(靴下のせいか)、後方へ倒れていく、支えようとしたが止まらない。私も共に倒れた。廊下に頭をぶっつけなかったのが幸い。ふとみると直ぐ近くに柱の角があった。もしそこに当たっていたら大変なことになっていただろう。冷や汗が流れた。神仏の加護を感じた。自分の力が劣っている現実に驚いた。
  さて廊下に寝ころんだ家内を起こすのが大変。最初両膝を曲げさて上半身を起こそうとしたが全然だめ(よく腹筋運動で行う種目だが)。やむなく足をのばさせ古武術の起し方で上半身を起こす。ついで後ろに回って腋に腕を入れ一気に持ち上げた。
  今朝もトイレの帰り椅子に座らせるに失敗。早く座ろうとして不十分な位置で座ってしまう。そのため落下。またまた立てるに一苦労。最近とみに足が弱ってきたようだ。
  退院後少しずつ食欲が増したのでかなりの量を食べさせていた。そのため顔も円くなってきた。しかし運動がないのでこれは要注意。以後食事の量を減らしている。体重を若干下げないと取り扱いが困難。



(107)Tomyさんありがとう(Tomyさんの掲示板に投稿)
  先ほど下の方へ下げてみていたら「特養って」の回答が出ていました。おかげでよく理解できました。今日近くの施設を再び訪問し質疑しました。ついでに特養の申し込み書をもらってきました(将来の用心のため。待ち人数が300名ぐらい。定員80名)。 デーサービスは40名定員。5階建ての新しい建物だがどうしてこんなにでっかいのか?
  説明を聞いていて驚いたことがあった。現在家内は週6日デーケアに通っているが、リハマネジメント加算やリハ口腔機能向上加算など領収書にのっているが、これらは希望によっておこなうもので、内容の選択も可能とのこと。
  今までケアマネジュアに任せきりだったが一考の余地あり。実は近くの施設を考慮しはじめたのは、デーケアーは1日1373点、で月24日が限度です。デーサービスなら1090点で多少余裕が出る。また祭日も休みでない。そこで一応週1日近くの施設に切り替えようと思う。慣れたら週2日を。
  デーケアの方は病院の関連施設なので週4日はキープしたい。いずれにしても介護に関わる諸知識が少ないので、こういった掲示板を通じて学びまた教えていただきたいと思います。



(108)特別養護老人ホーム
 某施設の料金表より
  第2段階 課税年金収入額と合計所得金額が80万円以下 (多床室)
  要介護5の場合
         基本利用料(957)   居住費      (   320)
         食費     (390)   財産など管理料( 1,000)
         月   (52,677)   従来型個室   (53,855)
         襁褓なども含む。

 比較: 最近開設された有料老人ホーム
     月額 169,000円
         家賃    70,000円
         食費    54,000円
         管理費  45,000円
     入居一時金   395,000円(事務手数料 15万円 保証料24万5千円)
     介護保険料
        養介護5で 24,840円
     襁褓代やその他で 計 月に20何万円かかる

 特別養護老人ホームのほうは格安。しかし順番待ちが多い。某施設は70床で約300人待ちとのこと。



(109)車椅子
  半月ほど前子どもが福祉協議会から無料の車椅子を借りてきてくれた。日曜日など買い物に連れていってくれるとき、スーパ内を運搬に使っているようだ。一昨日玄関に放置してある車椅子、廊下にあげてはと思いついた。家内を乗せ廊下を行ったり来たり。庭も見えて部屋より良い。残念なことに住宅地で殆ど人や車の往来が少ない。
  部屋へも入れてみようか。敷物を敷いて乗り入れる。座る状態が良い。今まで幅広の肘掛け椅子、体が一方へ倒れるので枕をあてがっていた。また椅子だと足首が腫れ上がって困っていたが、車椅子は足の乗せ場がある。やはり介護用なので工夫されている。さっそくいぐさの敷物を買ってきた。
  トイレへ行ったりデーのおり移動が楽になった。でもあまり楽させると足が弱ってしまう。(実は介護者は助かるが)。
  昨日近くの公園まで娘の車でいき、現地を車椅子で散策。車の乗り降りが大変なので帰りは私が押して帰宅。案外エネルギーが要る。ただ門の所の段差が上がるときには抵抗がある。いろいろ試行錯誤しなければ。



(110)特別養護老人ーム入居申し込み
  旧村の施設に入居申込書をだしに行った。自宅介護を可能な限りするつもりでいる。しかしいつの日かそれが出来ない日がくるかも知れない。その時になって慌てふためいても困る。「なぜ前もって申し込みしておかなかった」と言われるだろう。迷いに迷った。子ども達にも相談した。ともあれ申し込みだけしておくことにした。
  先回会えなかったが今日は施設長さんに久しぶりに会えた。私は村の中学に前後20年奉職した。親子2代の教え子も沢山いる。施設長さんは役場吏員で50年近く前からの知人だった。応接室で昔話に華を咲かせた。村は私にとっては故郷のようなところ、退職後ミニバスケを創部して10何年、この村との縁は30年を越える。いつの日か家内が世話になるかも知れない。もしかして私も・・・・・。



(111)ちょっと気にかかる
  最近体調がよく熱も余り出ていなかった。今朝もトイレでうまく排便があり良便だった。ところが帰宅したらスタッフが「朝車中で下利便あり、ズボンなど替えた。午後2回も下痢便あり、帰路車中で顔が火照っていたので検温したら37.5度でした。」
  家では37.2度。時々良便の後軟便がある。娘が折角おいしいプリーンを買ってきてくれたが、少しだけ食べさせた。父の日のプレゼントと言ってシャツを娘がくれた。いつもいつも世話を掛けていてそのうえ母の日に続いて私まで。家内なかなか安心させてくれない。



(112)車椅子介護用ワンタッチスロープ
  楽天の通販で車椅子介護用ワンタッチスロープ(40,845円)を注文した。2mまでで伸縮可能。ただし2本で車椅子だけが通る。巾の広いのが人も車も同時に乗れるが高価なのと伸縮できないので止めた。
  わが家の玄関は落差40cmである。今後これを使うと多分楽になるだろうが、本人の自助努力が減ってしまう恐れもある。このあたりの判断が難しい。



(114)スロープ試運転
  品物が届いたとき驚いた。箱が大きく重量があった。短くしてあったが2mまでのびる。写真のイメージとは大きく違っていた。車椅子に乗った人間を支えるのだから頑丈なはずだ。日曜日娘が来たとき試運転。一人では万一のミスを心配してできなかった。はじめ180cmで空で運行したが勾配がややきつい。結局2mで。
  家内を乗せゆっくり後ろ向きで降りる。娘が付き添う。半分ぐらい降りたところで負荷が一段と増した。慎重に慎重にバック。バックでいかないと家内が前に転する恐れあり。登るときはかなり力を入れなければならない。女の細腕では心配だ。
  デーケアの時はまだ自力(介助しつつ)で送迎車まで、スロープは休日にドライブなどに行くときだけに使用予定。



(115)救急袋
  大分前から避難用にとリックが二つある。年2回衣服を入れ替えている。大分暑くなったので今朝入れ替えをした。しかし2個かずいて避難できない。でも気休めでも作業を続けた。家内のリックからパンテイがいくつも出てきた。
  まだこの間までは使用できいたのに。もう2度とこれらを履くことはないのか。リックにおむつ関係の物をいれなければ。
  そういえば過去2回の床上浸水をうけ、教え子に高上げをして2階建てをつくってもらった。しかし歩行困難な家内、2階に登ることは不可能・・・。退職時平屋で母屋をこれまた前の棟梁に作ってもらった。じたばたしてもしかたがない。運はは天にまかせて。 今月の広報に「災害時要援護者支援のための名簿登録を始めます」とあったので、念のため書類を提出してきた。



(116)どこまで続くヌカルミぞ 俵孝太郎著
  老老介護奮戦記と副題がついていた。図書館で見つけたので参考になるかと借用してきた。表紙裏に次の文が書いてあった。
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  親の「介護」をどうしたらよいのか?これはもはや個人で負担できる問題ではない。老齢にさしかかった子どもが超高齢の親を介護する「老老介護」。その当事者として日々直面する、老親の嘘・見栄・打算。出すのは口だけ、事態をますます混乱させる妹たち・・・・・。「ここまで親のことを書くなんて」という避難を重々承知で書き上げたという、痛快なまでの介護論。
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  内容は飽くことなき頑迷な両親、妹たちのことが縷々記述されていた。かって読んだ舛添さんや落合恵子さんのものとは全く違っていた。有名政治家の御曹司だった父親、大地主だった家に育った母親。共に落剥したのに気位だけ高い両親、そして同調する妹たち。すなわち人間関係の相克を書いている。
  身内の恥を詳細に書く。真実を知ってもらうにはやむをえないが、読む方は嫌になってくる。とうとう1割ほど残して返却した。
  私が期待していたものとは大きく違っていた。