第19話  誇り高き県優勝

いよいよ最後の10年目、もっとも印象が深い大会であった。まず主役たちのことから語ろう。

(1)北上姉妹

 晴れた日、外での練習中、二人の新1年生が高鉄棒にまたがって遊んでいた。「君たちよく似ているが双子か」「はい、そうです」「クラブは何処に入るつもり」 「バスケットです。」150cmもないやや肥えた体である。この年の1年生は凄く長身者がいた。これがごっそりバスケに来たら日本一を狙える。こんなことを密かに思っていたので、「君たちは小さすぎるよ。他のクラブがの方がよいよ」と言っておいた。でもバスケに入部してしまった。
 体育館のすぐ隣が家で、2人とも熱心に競争的に練習した。一卵性双生児で区別がつかないので、姉を「北」妹を「上」と呼んだ。この2人のガードは県でも評判であった。妹の方がキャプテンとなった。
 卒業まで顔の識別はできなかった。ただ姉が左利きだったのでプレー中はよく分かった。この2人地元私立高校のバスケ強化のため、嘱望され大きな夢づくりの土台となった。

(2)待ち望んだ長身者(伊藤百合)

 入部を待ち焦がれたのはこの子一人だった。雄一(滝高校、名古屋学院大バスケ)の妹で群を抜く身長だそうだ。入学式の時校門のところで待っていた。顔を知らないので背の高い子がいつ来るかと待ち望んだ。すると自転車に乗って浅黒い目のぱっちりした長身の少女がやってきた。「おい、お前が雄一の妹か」「はい」「バスケをやれよ」「イヤー、バスケなんか大嫌い」そう言って逃げていった。
 各クラブの入部予備調査でバスケが少ない様子なので。クラブ員に1年生を勧誘せよと命ずる。ところがしばらくして百合がやってきた。
 「先生、上級生がバスケに入れと言って無理を言うので叱って」と訴えて来た。「バスケが嫌ならもう入るな」と怒鳴ってやった。本人は庭球部希望らしい。兄も私の学年で滝高校へいかせたので親の信頼は厚い。結局庭球部は希望者多くやむなくバスケ部に入る。身長入学当初166cm、他の入部者にも長身者多く、3年生を上まわるほど。(確か160cm以上が8人ぐらいいた。)
 練習開始でびっくり、百合脚が遅く運動神経が悪い。倒立が補助者がいても不能(3年間)。両足を持ってもらっての手歩きも10mも行けない。体育の小学校時代の評価はかなり低い。その上気が小さくて泣き虫、小さいとき父を失い末っ子の甘えん坊。彼女の一番嫌なことは背が高いということ。兄の雄一はとても妹を可愛がっており、食事制限までして身長の伸びを防ごうとしていた。
 背が高くてもそれを恥ずかしがらぬ人間にする。
 父親がいなくて立派に生きていける人間する。
 このふたつを目標に指導を開始した。
 2年生では未だ十分使えなかったが、3年生では172cmぐらいでよく頑張った。兄が県大会を始めて見て「これほどのプレができるとは夢にも思わなかった。」と言ってくれた。
 1年の頃ジャンプボールをすると、たいてい負けていた子、リバンドボールは「怖い、こわい」と言って逃げていた百合・・・・・。卒業後は同級生と高蔵高へ。2年でインタイハイへ。家族揃って「バスケとをやらせて良かった」と感謝されている。

(3)伊東厚子の奇跡

 県大会2回戦の相手は伊佐美中学だった。なかなか強敵で前半25ー28でリードされていた後半残り5分依然として3点差変わらず、焦燥感に駆られる。ふとメンバーチェンジを思いつき伊東厚子を指名した。彼女出場するや否やコナーからロングシュート、驚いた。我がチームはセンター勝負で勝ち続けて来たチーム、それを慣れないミドルを、血迷ったかと思った。ところが偶然ボールはリングに吸い込まれていった。みんな驚いた。選手たちに元気が湧いてきた。すると次の機会ローポストのトライアングルを組んだら、またも厚子センタにボールを入れないで打ってしまった。不思議なことにまたボールはリングに迷いなく入っていく。メンバーは勢いづいて得点を重ね、51−44で逆転してしまった。彼女のこの4点がなければこの夏の2連覇は不可能であったと思われる。彼女の出番までの過程を考えるとき、優勝はずっと以前に目に見えない世界で企画されていた気がする。
 ちょうど大会1ケ月前彼女が泣いてやってきた。「膝が悪く医者が50日休め」との診断だと。彼女は6番目の選手で絶対必要、私も困ってしまったがやむを得ないと判断した。
翌日再び彼女が来た。「先生、1年生のおり腰を痛めていた時、名古屋に良い医者があると言って見えたが、何処にありますか。」確かの私も言った記憶があった。彼女があちこちのマッサージや接骨医を回っていて効果がないのでそんな話をした。結局自然治癒してしまった。
早速名古屋の整形外科を紹介した。すると2日ほどして彼女が来て「お医者さんが大会まではやれるからやれ。試合後手術か何か考える。」と笑顔で報告してくれた。
 1年生の時のあの一言がなかったら、彼女の出番はなかったし、クリーンヒトも生まれず、優勝への道は閉ざされていたかもしれない。世間には優勝したからって案外得意顔をする人が多いが、私はそんな気持ちにはなれない。いくつかの不思議な事実、そして学校体制、父兄の力添え、仲間たちの援助、子どもたちの努力、私の力は小さいものだったと思っている。

(4)破った準優勝の賞状

 前にも記載したが東海大会には愛知の第2位で出場した(この頃東海大会は正式の県大会前に別に予選で代表校を決めていた)。すなわち決勝であの富貴中学に敗れたのだ。この時のことを少し説明します。
 大変な接戦で一進一退のゲーム展開だった。(スコアブックは最後の大会のものが1冊記念で残しただけで、このゲームの記録は無し。)終わりが近づいてこれはどちらが勝つかわからない。きっと大事な最後の県大会で富貴中にあたる可能性がある。東海大会なんてどうせ優勝できないだろう。まずは県の2連覇が大切だ。この試合負けてやろう。こんな意識が働いた。実際全力投球しても勝てなかったかも知れないが、最後はタイムもとらず1ゴール差ぐらいで負けた そしてその後別の場所で準優勝の賞状を部員の前で破いた。「わしはこんな賞状は欲しくない。正式の県大会での優勝の賞状を取って欲しい」と大声で訴えた。(賞状を破るのは本質的には失礼な振る舞いだったが)
 県大会1回戦井上真一先生率いる守山中を、38−33で破り、2回戦伊佐美中を51−44で下し、準決勝戦はやはり優勝候補筆頭の強敵富貴中だった。富貴中圧倒的な強さを発揮して勝ち進んできた。前回と同様厳しい戦況だった。かろうじて前半23−18とリードする。これなら押し切れると思ったが後半じりじり追いつかれ17−22で延長戦に入る。延長戦は運良く4−2で勝てた。思うにもしあの東海大会の予選で僅少さで勝っていたら、今回の試合の結果は負けたのではないか。富貴中は前に勝っていたので若干緊張感が不足して出足が悪かったのでないか。無理して勝たず、賞状を破ったのが強豪富貴中を本番で下した要因ではなかろうかと思った。
(註:「誇り高き県優勝」この題名自分ながら気にかかります。しかし第19話の終わりでその気持ちを多少理解していただけると期待しています。しばらく生意気なこの題名をお許し下さい)

(5ー1)我に悔い無し

 S中10年目(当時10年以内に転出しなければならない)最後のご奉公と、25年に及ぶクラブ指導にピリオッドを打とうとかねがね考えていた。幸いにも準決勝延長戦で辛うじて2点差で富貴中を倒し決勝戦に出られることになった。前年は小柄チーム、3年生7人を中心に念願の県優勝を果たした。今年は入学時160cm以上8人の大型チームで12名全員が3年生。決勝前部員を体育館(金山にあった名古屋市体育館)の外に集結させこんな決意を披露した。
 「ここまでこれて嬉しい。いよいよ最後の試合だが、私に理想的な勝負をさせて欲しい。即ち今まで大舞台でゲームができるからと皆をしごいてきた。しかし正直なところ大試合ほどスタートメンバーが中心である。他の者はベンチを温めているのが現状である。私はこの最高の舞台県の決勝戦に全員出場させたい。そのため負けるかも知れない。そしてこの無謀なベンチワークで県下の笑い者になるかも知れない。それでもよい。できたらこの方針で勝ちたい。県大会決勝を全員出場で勝ちたい」と訴えた。昭和52年8月11日頭上では 真夏の太陽がぎらぎら輝いていた。

(5ー2)我に悔い無し

 決勝戦の相手は名古屋市のあずま中学だった。若い外部コーチであの名門名女商に頻繁にチームを連れていって鍛えてもらっていた。試合はスタートメンバーで点差を広げ、第2チームの登場と考えていた。ところがあずま中学の見事なハーフのゾンプレスで攻められない。「よし、調子が出ないなら約束道理第2チームで」と5人そっくり交代させた。メンバーが豊富だったのでいつも2チームを作って練習していた。やはり結果は同じで差は広がるだけ。残りの2人も出場させた。ローゲームで前半11−18で負けていた。
 後半再びスタートメンバーで戦わせた。ゲーム開始早々センターの伊藤が4点先取し俄然調子が出始めた。真夏の蒸し暑い体育館(当時は冷房なんて皆無)私のチームは交代しているので疲労度が少なかった。前半2点しか入れられなかったセンター伊藤が後半だけで17点(こんなことは今までなかった)も得点する快挙。5分前に相手は闘志を失った。終わってみれば38−31。
 私の理想は達せられた。こんなゲームは2度とできない。子どもたちに感謝したい。私はかって優勝に関して威張った覚えは一度もなかった。しかしこの全員出場の愛知県大会優勝戦の一戦のみは、誇り高き優勝と子どもたちと、己自身を賞賛するものである。私の引退ゲームにこれ以上の贈り物はなかった。
残されたたった一冊のスコアブックより (自慢めいて恐縮ですが、参考に掲載しました)

郡市大会 
     7月21日  対 E中学    104−17    K中学  93−20
       23日     T中学     80 −24
       25日     F中学     65−31
尾西大会
       28日     N中学      70−23
                 S中学     75−13
東海4県
     7月31日  対 精華中学   45−32
     8月 1日  対 江西中学   39−51       第3位
愛知県大会
     8月 9日   対 守山中学  38−33
              (監督は現桜花高校監督の井上真一先生)
               伊佐美中学  51−44
       11日    富貴中学    44−42(延長戦)
               あずま中学  38−31        優 勝

 翌年からは守山中学が優勝を続け、全国まで制覇し始めた。いいところで引退できたものだとつくづく思う。