第25話 バスケ以前 体操部の閉鎖 昭和35年


 創部以来男子5回、女子3回優勝した体操部をどうして廃部したか。
第1の理由は体育館がないということ。当時県のトップレベルの学校は殆ど体育館を持っていた。残念ながら吾々の地方には体育館のある学校は皆無だった。郡市大会も真夏にグランドで演技をしていた。子どもたちはいつも戸外で危険な高鉄棒もやっていた。技は年々高度になっていく。負けず嫌いな私は何とか県の上位を目指したかった。しかしこれ以上の技を指導するには屋外ではダメである。万一のことがあってはいけない。
 第2の理由は創部の第1の目的は達したということである。各クラブの台頭を促すためにこの部を創った。今やいくつかのクラブが立派にできた。
 このふたつの理由で体操部を廃部した。1年生2年生は他の部へ転部させた。今にして思えば大変酷なことを若気でしてしまったと思っている。でもその時はかなり悩んだ上での決断だった。しかしこのクラブで青春の汗を流した子たちが、成人後クラブ同窓会を開いてくれ、特に私の部活引退を記念して贈ってくれた「私の戦いの跡」を刻んだ大きな盾は我が家の宝となった。