第28話 水谷竜二君  37年卒


 中学2年の時校内陸上競技大会に抜群の強さを発揮したのは、野球部の投手竜二だった。3年生よりもはるかに強い。百メートル12秒3ぐらいだった。前年臨時陸上部で補欠にしておいたがさしたる記録ではなかった。
 当時郡市の新記録は昭和22年市立T中の生徒が出した12秒2が15年間続いていた。大会では普通予選記録は13秒前後、優勝は12秒7・8の時代。
 竜二は大会で11秒9の大記録をだした。会場の人々はとても驚いた。これを機会に彼を中心に男子陸上部を、女子は1年生のみで陸上部を創設した。このころ私は体操部を閉部して女子バレー部の監督をしていた。素人監督ながら県大会にも出場した。隣の町(金魚で有名)に背の高い選手がいて驚いたが、彼女のちにオリンピックで活躍した飯田選手であった。
竜二に一人の兄がいた。とても弟に力を入れいつも熱心に応援していた。私の家まで挨拶に来られた。進学関係で来宅される父兄は時々あるが、部活で世話になるからといって、わざわざ家にこられるなんて永い監督生活でも滅多にないことである。
 翌年の竜二の活躍はめざましかった。郡市大会決勝で「パーン」と聞こえたと思うや、彼が50メートル付近をもう大差をつけて走っている。「11秒7」この記録は以来17年間破られなかった。尾西大会、放送陸上、県大会悉く常勝だった。県大会は追い風参考記録11秒5だった。高校は東邦高校に進学、インターハイリレーで疾走している姿を偶然テレビで見て以来音信不通。村からは一家出て行かれたそう。竜二は今どこでどんな生活をしているだろうか。