第3話  バスケットとの出会い  1月3日投稿分


 昭和43年木曽川の西の村、立田中学14年目(最後の年)私は陸上部の監督だった。女子のバスケ部が新監督ともめて監督不在になった。6月にすでに郡市大会、尾西大会を終わっていたので助っ人に入った。でもバスケの知識は皆無。どういうわけか郡市で2位で尾西大会に出場。1回戦で敗退。
このチーム小さな学校に関わらず大きい子が3人もいた。そのうち2人が当時日本一の名女商(名古屋女子商業・・現在 市邨高校)に特待生で入った。どんな接点で入学させたかその経緯は記憶に無い。
翌年佐屋中に変わり女子バスケの監督になったおり、名女商の練習を見てその厳しさにびっくりした。近藤という女の監督さん、確かインタハイ3連勝とか言っていた。練習がうまくいかないとボールを選手に激しくぶっつけていた。
 私の送った子はスタートにはならなかったようだ。でも日本一のチームでプレイしたことはきっと素敵な財産になったと思う。
 後年ミニを初めて作って県のフェステバルに参加したとき(以後県は辞退した)一人の婦人が「先生」と呼びかけてきた。振り返ってみると名女商に送った子だった。彼女娘が名古屋のミニのチームで応援に来ているという。久しぶりに再会でき嬉しかった。愛娘のユニホーム姿に彼女の中学時代を思い起こした。  (年賀状にその娘さん今年成人式と書いてあった。)