第5話  監督1年目   1月10日投稿


 小学校4年、中学14年(当時同一校は14年まで)で佐屋中学へ転任。どいうわけかPTA会長、副会長揃って赴任校へ酒などを持参で挨拶にきていただいた。
 また村中に奉加帳を回して餞別が集められた。(その後そう言ったことは中止)私はその尊いお金で大きな書棚と世界文学全集51冊を求めた。折角の文学全集ちょっと高尚だったのと、中学の仕事の多忙のため?殆ど読まず埃をかぶったまま。申し訳ないと思っている。  
 立田中学では体操部、陸上部の創部、バレー部の顧問、臨時クラブのハンドボール、相撲、駅伝と経験したがバスケは正式には初めて。家のすぐ近くの中学に入学した娘もなぜかバスケ部に入った。
 練習試合は2回やった覚え、一回は自分たちの学校のグランドで(体育館のある中学はわずかだった)、今一度は小さな村の中学の体育館で。役場のバスで男女で行った。ゲームは簡単に負けた。帰りのバスの中は遠足気分でみんな楽しんでいる。だれ一人悔しいといった顔をしていなかった。
 このチームがどういう訳か郡市大会で優勝してしまった。続いて尾西大会で第2位。そして初の県大会に駒を進めた。会場は名古屋市の中学だった。相手校の記憶は無いがゲームは一方的で、こちらはタイムの取り方も要領をえず、次々と退場で選手が無くなりそうで大わらわ。屈辱の大敗。
 誰でも負けるのは嫌だが特に名前が「勝」の私は「よし来年こそ」はと歯をくいしばった。