第6話  監督2年目   1月14日

 (1)
 今度の3年生は強いぞ。昨年2年生ながら大活躍した本田がいる。彼女はジャンプショットができる。5月の郡市大会では臨時陸上部にバスケ部員が多く参加し、走り高跳び1位・2位、200m優勝、勿論400mリレーも優勝など、彼女たちの活躍で総合優勝をしてしまった。
 予想道理夏の郡市大会は楽勝、続く地区大会も優勝破竹の勢いだった。(古い記録みな処分してしまって今、後悔している。残っているスコアブックは1冊しかない)
 さあ待ちに待った県大会選手一同期待を抱いて名古屋へ。予想道理準決勝まで勝ち進んだ。相手は前年度優勝で、今回も優勝の呼び声の高い豊橋中部中学校だった。特にマンツーマンの得意なチームと現場で聞く。マンツーマンに対する準備も殆どしてなかった。わが方は2−1−2のゾーンで今まで来た。どうせ負けるならこちらもオールコートマンツーでやってやろう。ところがゲームが始まると相手チームが萎縮したのかどんどん得点を加えていく。これ以上やってはスタミナがなくなる。点差の開いたところでゾンーをひいた。とうとう優勝候補を破ってしまった。観衆は驚いた。無名の田舎チームが強敵を倒してしまった。現実に優勝戦線に乗り出したのだ。

 (2)  1月14日
 県大会初めての優勝戦はAコートで単独にあった。観覧席はコートの横で床に座ってであった。相手チームの応援はエンドからエンドまでぎっしり親さんたちで1埋まっていた。なかには一升瓶を前に据えて真っ赤な顔をしている人もいた。一方我が方は応援ゼロ。勿論教師は私一人。
 試合は準決勝で精力を使い果たしたか、コート際での激しい応援に消極的になったのか、ダブルスコアで破れた。残念だったがわずか2年で決勝戦までこれた、「バスケットって簡単だな、2年生はメンバーが揃っているから来年こそは優勝だ」と夢はふくらんだ。ちょっと傲慢になった。しかしこの好成績がバスケにのめり込むきっかけで、あたかも麻薬のごとく離れなくなった。
 いま思うにあの真夏の大会は本当に暑かった。特にコートを縦横に走り回る選手、審判はさぞかし大変だったと思われる。私が前後20年間勤務した村の中学は、数年前冷暖房付きの体育館完成で、郡市の大会は勿論地区の大会すら交通不便なこの村の学校で行っている。選手たちは好環境で十二分にプレーができる。観衆も快適な気分で応援ができる。昨日も高校生の孫の応援で中日球場の横の市の体育館へ行った。実に立派な施設だ。32年前と比べて昔日の感がする。準優勝メンバーのキャプテン本田さんは名女商に誘われたが地元の公立高校へ進学して活躍した。2年ほど前公民館の前で中学卒業以来初めて偶然会った。48才の主婦、現在ママさんバレーに熱中していると言っていた。