私の有縁のKen君は東京のある大学で学んでいる大学院1年生である。純然たる理系なのになぜか文筆の仕事に関心がある。そのため最近からコラムを書いて習作に励んでおり、私の所へ送信してきた。折角の作品なので掲載することにしました。



(1) 『地震加速度・ガルって何だ!?』

  新潟県中越地震は、死者23人負傷2100人という甚大な被害をもたらした。今回の地震活動は、23日17時56分に発生したマグニチュード(M)6.8(震度6強)の揺れが本震で、18時34分に発生したM6.5(震度6強)の揺れが最大余震となっている。
  地震の規模・マグニチュードだけを比較すると、阪神大震災のM7.3よりも規模は小さい。しかし、瞬間的な揺れの強さを示す「地震加速度」では、十日町市で1750ガル、小千谷市で1500ガルを記録し、阪神大震災の818ガルを大きく上回った。
  ガルとはあまり聞きなれない単位だが、ジェットコースターなどで何G(ジー)と表現されるように、体が感じる加速度を思い出していただきたい。1Gは980ガルに等しく、地球上では垂直下向きに980ガルの加速度が働いている。エレベーターが下降するとき体が浮いた感じになるのは、垂直上向きに加速度が働き、差し引いて980ガルより値が小さくなるためである。仮に上向きに980ガル働けば、差し引き0(ゼロ)
で瞬間的に無重力を体感できることになる。
  今回の地震は直下型であり、しかも980ガルをはるかに越える加速度を記録したため、全ての物体が上に跳ね上げられる結果となった。あれほど重い新幹線すら脱線してしまったのも地震加速度の値からすれば納得できるのである。

2004/10/20 着信     .




(2) 『偉大なる先駆者・ここがスゴイ!』

  バスケットボール界の天才・田臥勇太がフェニックス・サンズと契約を結び、日本人初のNBA選手誕生に話題が沸騰している。近年、海外のプロスポーツ界に挑戦する日本人プレーヤーが増えてきて、嬉しいニュースがあとをたたない。野球ではイチロー、松井秀喜をはじめ多くいるし、サッカーの中田英寿、ゴルフの丸山茂樹、F1の佐藤琢磨とみな世界のトップレベルだ。
  そんな海外で活躍する日本人選手のなかで、最も偉大な選手は誰だろうか。私ならこう答える。野茂英雄と。現在の日本人選手の輝かしい活躍も、野茂の勇気ある渡米なくして語れないはずだ。彼が日本人に「世界のスポーツ」を教えてくれたのだと思う。
  1988年ソウル五輪で野球の銀メダルに貢献した野茂英雄投手は、90年近鉄バファローズに入団。トルネード投法と呼ばれる独特な投法で活躍し、5年間で78勝をあげるなど新人からのタイトルを総なめにした。西武の清原和博とならぶパリーグの大スターだった。しかし、95年突然野茂は近鉄を退団した。「メジャーに行きたいから」何の保証もない単身の渡米だった。私もそのニュースを聞いたときは、驚きを隠せなかった。球界の宝を失ったと思った。野茂は私の好きな選手の一人だったからだ。
  彼について、私は面白いエピソードを記憶している。近鉄時代、テレビのグルメ番組に野茂は出演したことがあった。料理を食べた後、女子アナに感想を求められた野茂はこう言い放った。「んー、そんなにおいしくなかったですね。」女子アナは絶句。視聴者の私は笑い転げた。まさかグルメ番組でこうも大胆な発言をする人間がいたなんて。それ以来、彼の何事にも動じずマイペースな姿勢・正直な物腰に惚れこんだ私は、メジャーリーガー野茂英雄を応援した。
  あれからまもなく10年。野茂はメジャーで118勝あげ、未踏の地に新しい文化を築き上げた。何も頼るもののない異国の地で活躍できたのはあのグルメ番組で見せた大胆さあってではないかと私は思う。そして彼の先駆者としての活躍が、今の日本人選手たちにつながっていることは言うまでもない。
  最近イチローがメジャーの最多安打記録を塗り替え、国民栄誉賞をという話が持ち上がった。イチローは「現役中はプレーに集中するため」、受賞を断った。イチローが受賞する前に、野茂に国民栄誉賞を与えてほしいと私は願っている。

2004/10/20 着信     .




(3) 『ダサくて単純だから、オモシロイ!』

  今年の年末商戦は、新型携帯ゲーム機が目玉らしい。ソニーが「プレイステーション・ポータブル(PSP)」を発売するのに対し、ライバルの任天堂は「ニンテンドーDS」で対抗する。PSPでは映画や音楽も再生できる機能もあるというので、ゲーム機も今やパソコンなみの発達を遂げている。
  そんな技術革新の進むゲーム業界だが、昨年ひとつの悲しいニュースを耳にした。元祖家庭用ゲーム機「ファミコン」の生産中止である。1983年に任天堂から発売され、国内外で計6200万台売れる空前の大ヒット商品となった。80年代の子どもの生活が一変したとも言われるそのファミコンが、昨年9月を最後にもう生産されることはなくなった。「えっ、まだ作っていたの!?」という感想もなくはなかったが、やはりもの寂しさに浸った。
  「1秒間16連射」を宣伝文句に一世を風靡(ふうび)した高橋名人(本名:高橋利幸)が、あの頃を振り返って語る記事を読んだことがある。「なんてったってファミコンのゲームキャラは、ダサかった。動きも単純で。でもそのキャラが動くこと自体驚きだったし、単純だからこそ夢中になれた。」 私も自分の経験を思い出しながら、うなづいてしまう。「スーパーマリオブラザーズ」のマリオは確かにダサく、キノコをとると体が2倍に大きくなる。いつも顔は横を向いていて、非常識なのだけれど、その怪しい動きが憎めない。画像が見にくく間違えて毒キノコをとってしまったことも少なくない。「燃えろプロ野球」という野球ゲームにいたっては、王貞治を使えばバントでホームランが打てた。バットにかするだけで、王貞治に設定された飛距離がでるのである。ファミコンの容量ではあまり細かいところまで区別できなかったためであるが、子供心にそんな非常識が面白かった。誰しもファミコンの限界を甘受しながら、ダサくて単純なキャラの動きを楽しんでいたのだ。
  ファミコン誕生から21年。今のゲームは、コンピュータグラフィックを駆使し、リアリティーを追求しつづけている。立体的で本物さながらの動きをするキャラは、我々に驚きを与えてくれるが、ゲーム本来の面白さはあのダサくて単純な動きをするキャラたちに宿っているのではないか。私はファミコンを懐かしみながら、ダサい二頭身キャラが出てくる「実況パワフルプロ野球」を楽しんでいる。

2004/10/20 着信     .




(4) 『とどけ新札!野口英世の生き方』

  20年ぶりの紙幣刷新に日本中が沸いている。中でもひときわ注目されているのが、5000円札の樋口一葉だ。紙幣に女性が扱われるのが初めてであり、女性の社会的地位の向上のあらわれと見る人も多い。しかし、私は1000円札の野口英世に愛着を感じる。樋口一葉の場合、文学者という意味では夏目漱石に続く紙幣だが、野口英世は科学者として初の紙幣になる。
  ではなぜ、科学者の代表として野口英世なのか。他にも代表格ならノーベル賞受賞者の湯川秀樹など幾人でも挙げられる。野口英世は黄熱病の研究で有名だが、その黄熱病にかかり命を落とす。いわば研究を成し遂げることなく、この世を去った人間だ。それでもなお、科学者の代表として扱われるのは、彼の生き方が賞賛に値するからだと私は思う。
  野口英世は、本名野口清作といい、福島県猪苗代町で生まれた。1歳半のときいろりに転落し、左手に大やけどをおったため左手の指はくっついたままになった。小学校を卒業し、家の仕事を手伝って暮らそうとした野口は、恩師に進学を薦められる。学費がないからと断るが、恩師は学費を援助する。それだけでなく、野口の左手の手術費まで工面した。左手の指に自由が戻った野口は、医学の力に感銘を受け、医学の道を志す。そして実家の柱に「志を得ざれば再びこの地を踏まず」と書き残し、上京するのであった。まさか地球の裏側まで行って活躍するとは、そのとき誰も想像しなかったであろうが。
  私は幼い頃、祖父からいつもそんな話を聞いた。社会に恩返しをしようと努力を重ねる野口英世の姿は、まさに人間の鑑であり、私が田舎を出て上京してきたのも、問いつめてゆけば野口英世の影響による。それほどまでに彼の生き方は、多くの人々に理想像を提供してくれている。今回の新札発行を契機に、再び野口英世の生き方を見つめ、そして新札が出回っていくように、少年少女たちに学問を志す心が芽生えていって欲しいと思う。子供の「理科離れ」がささやかれる21世紀においても、科学者の顔として野口英世が日本を支えてくれると信じたい。

2004/11/7 着信     .




(5) 『科学と技術・・・役に立つのか?』

  われわれ理学研究に携わる人間が、もっとも返答に困るのは「それは何の役に立つの?」という質問である。ノーベル賞を受賞した直後の小柴昌俊教授も「ニュートリノ発見は、何の役に立つのでしょうか?」とインタビューされ、非常に困っていた。物質の根源や宇宙の始まりへのアプローチとして偉大な功績と呼べても、庶民が日常生活で恩恵をこうむることはまず無いからだ。
 結論から言うと、「役に立つ」という発想は産業・技術いわば工学の視点であり、理学そのものは単純な知的作業で「役に立つ」という発想にはいたらない。「なぜ?」と思い、それを解こうとするのが科学(厳密に言えば、科学の中で自然を対象とするのが自然科学)であり、それを利用・応用するのが技術である。
  同じノーベル賞受賞者である田中耕一さんは、技術者であり、「役に立つ」研究をしているから会社から給料をもらえるわけだ。  日本では「科学・技術」と一口に言ってしまうが、これは切り離して考えるべきなのだ。欧米では「science(サイエンス)」と「technology(テクノロジー)」は完全に区別されている。サイエンスは、日本で考えられているよりもっとアカデミックなものなのである。「なぜ空は青いのか?」「なぜ海の水はしょっぱいのか?」という素朴な疑問から、「物質は何で構成されているか?」「宇宙の始まりはいつか?」という難解な疑問まで、明らかにしていこうとする知的探究心こそが「科学」なのだ。疑問を解明することこそ、「科学」の終着点であり、そこからの応用は「技術」へバトンタッチといっても過言ではない。   人間は「科学」で発見した法則や定理を利用して、いろいろなものを発明・実用化してきた。しかし、利用できる発見ばかりではないことを、はっきり認識しておかなければならない。何でも科学で解明されたことが「役に立つ」と思うから、「科学」と「技術」が混同してしまうのである。
  「役に立たない」という理由で「科学」が軽視されるのは、あまりに悲しい。ニュートリノ研究が総合科学技術会議のランク付けで最低の「C」となり、小柴教授が抗議したのも無理はない。「科学」と「技術」を区別できないから、そういったことになってしまうのだと思う。

2004/11/7 着信     .




(6) 『最強軍団のオーラ』

  一点を見つめる鋭い眼差し、かたくなな意思を前面に押し出した険しい面持ち、頑丈に鍛え上げられた肉体。私は圧倒された。身長は180センチ前後。大きいには違いないが、何かそれ以上の威圧感が伝わってくる。「ボブ・サップや曙と対決したらどっちが勝つのだろう。」ふとそんな考えがよぎった。いやしかし、一対一ならまだしも彼らは何千人でひとつの軍団を作っている。勝てるはずがない。それもそのはず、彼らは最強の護衛軍団。2200年にわたって、秦の始皇帝を守り続けてきた兵馬俑(へいばよう)なのだ。
  私は、大兵馬俑展に来ていた。発掘から30周年を記念して東京・上野の森美術館で開催されている。観客も1ヶ月余で10万人を超える盛況ぶりらしい。 兵馬俑は、中国・西安にある始皇帝陵の地下から発掘された。「不老不死」に最期まで執着したといわれる秦の始皇帝は、死に対する恐怖から兵馬俑を作らせたのか。それとも、死後の世界の存在を信じて伴わせようとしたものなのか。私はそこに歴史の偉大なロマンを感じる。謎ではなくロマンなのだ。誰も始皇帝の考えたことなど分かりはしない。分からないことを分からないままにして、様々な可能性に想いをめぐらす。
  「万里の長城など大建築ばかり目立つ始皇帝なのに、兵馬俑はなんて繊細なのか。」一体一体表情がすべて違うし、同じ格好をしているようで微妙に異なる。今でこそ灰色だが、できた当時は精巧に着色されていたと説明があった。「秦帝国は圧政を強いたために短命に終わった。もしかしたら、技術者たちの憎悪が宿っているのかも。」考え出したら止まらない。ついつい時間が流れるのを忘れてしまう。 そうだこのロマンを持ち帰ろう、とひらめいた私は、展示場出口で兵馬俑レプリカ4体を衝動的に購入。まるでリカちゃん人形を手に入れた少女のごとく、スキップしながら兵馬俑レプリカを持ち帰った。

2004/11/7 着信     .




(7) 『配本制度を見直そう!』

  「この雑誌たくさん欲しいんで、来週からもっと仕入れてくれない。」私が書店バイトをしていたころ、悩まされた注文のひとつだ。お客様のこの要望に対して、ただ理路整然と説明してそれが不可能であるとご理解をいただくほかない。原因は配本制度とよばれるものにある。出版社の刷った部数を取次店が書店の規模・売り上げ等に応じて分配する仕組みをいう。
  例えば某エリアの書店に、ある雑誌を100冊分配するとする。A書店は規模も大きく売り上げもよいため50冊、B書店は規模は小さいがその雑誌の読者層の来店が多いため30冊というように分けていく。おのずと小さい書店ほど配本が少なくなり、マイナーな雑誌は大きな書店でしか見かけないということになる。この配本の割合は、そんなに簡単に変わるものではないらしく、そのためお客様の要望どおり「はい、来週から仕入れを増やします。」というわけにはいかない。しかも雑誌は書籍と違い増刷などめったにしない。
  綿矢りさ・金原ひとみの芥川賞受賞で沸いた「文芸春秋」の増刷は異例なほうだと思う。消費者が望み、書店が望んでも、仕入れる冊数は増えないのが現状だ。
  10月末、新宿三越内にジュンク堂書店がオープンした。紀伊国屋書店本店の目の前である。配本という観点からいえば、打撃を受けるのは紀伊国屋書店だけではない。新宿エリア、もしくはそれ以上に影響が及ぶと考えられる。中小規模の書店が相次いで閉店していく昨今、出版社・取次・書店そして消費者の皆が満足いく流通システムに変えていくべきではないだろうか。ただ勝ち組だけが台頭していく業界では、消費者としてもおもしろくない。
  マイナーな雑誌だけでも配本制度を撤廃すれば、音楽雑誌の充実した書店やファッション雑誌の充実した書店といった、中小規模書店の生き残りが可能だと思う。

2004/11/13 着信     .




(8) 『秋の味わい・カメラを持って』

  「そうだ、紅葉を撮りに行こう。」
  私は、愛用のカメラを手にして高尾山へ向かった。四季折々の自然を写真として永遠のものとする、それが私の趣味のひとつだ。もちろん自然と触れ合うこと自体好きで、そこにカメラというアイテムを加えることでもっと格調高く味わえる気がする。カメラはマニュアル式一眼レフカメラ。いまどきカメラと言うとデジカメと受け取られがちだが、私はアナログを固持している。撮りたい景色を決めて、対象物を絞り込む。ファインダーを覗きながら"しぼり"で光の量を調節し、対象物を区画のどこに置くか考え、遠近・焦点を合わせる。全体の明るさなどから、シャッタースピードを設定。動きの速いものを写すならシャッタースピードも速いほうがいいが、私の相手は景色。手ぶれしない程度の遅さでよい。そんな過程を経て、ようやく一枚シャッターを押す。「ギギギーッ!」フィルムを巻く音も大好きだ。デジカメでは味わえない趣が山ほどある。
  しかし、残念なのは東京に自然が少ないことである。神宮外苑も千鳥ケ淵も悪くないが、少し目をそらせばコンクリートジャングル。撮りたい衝動は沸き起こらない。やはり郊外へ出よう、そう思い高尾山へ足を向けることになった。高尾山口駅を降り、そこから1時間かけて山を登る。自然と触れ合いながら、すれ違う人と挨拶を交わしながら。
ようやく山頂にたどり着き、私はカメラのファインダーから景色を見た。そしてそこに写しだされたもの、それはほのかな陽射しを浴びた深緑の山々であった。「えっ、まだ緑なの!?」

2004/11/13 着信     .




(9) 『たったの44%・愛知万博』

  <愛知万博・『知らない』44%>
  日曜朝刊のこの見出しに、私は驚いた。内閣府の「愛・地球博(愛知万博)に関する世論調査」で44.0%の人が愛知万博を「知らない」と答えたという。これは同様の調査、70年日本万国博覧会(大阪開催)の97.6%、85年科学技術博覧会(つくば開催)の77.0%に比べ、著しく低い。44%とは、およそ半分の人が知らないことになる。
 愛・地球博(愛知万博)は、来年05年3月から半年間にわたって愛知県瀬戸市で開催される。テーマは「自然の英知」である。緑色の毛むくじゃらマスコットの「モリゾー」「キッコロ」が描かれた「愛・地球博まであと○○日」という看板が、新宿駅や渋谷駅周辺に掲げられている。しかし、その程度のPR活動だからなかなか認知されないのかもしれない。思えば、前売り券発売開始のとき(実はもう前売り券が発売されている)、小泉首相は「多くの人が足を運んでくれることを願います。」などとあたりさわりのないコメントをしていた。万国博覧会という国家規模のプロジェクトを、政府がもっとPRしないからダメなのだと思う。「芸術は爆発だ!!」くらいインパクトのある発言を、小泉首相がしてくれればこんな認知度にはなっていないはずだ。
  愛知県は今、この愛知万博と中部国際空港建設の2大プロジェクトで活性化している。中日ドラゴンズが落合監督の「オレ流」采配で5年ぶりリーグ優勝を果たせば、「コメ兵(中古ブランド売買店)」が名古屋から東京・銀座へ進出。おまけに、味噌カツ屋「矢場とん」まで銀座にやってきた。今年始め、名古屋市内の駅を利用したら「05年の愛知万博を成功させよう」という垂れ幕があった。おいおい今年はまだ04年だろ、と突っ込みたくなったが、愛知県だけでなく日本全国これくらい盛り上がっても良いのではないか。と言う私も、何を隠そう愛知県出身者で、今年は微力ながら友人に愛知万博をPRしてきた。新宿駅を利用すれば、「ほらほら、愛知万博まであと○○日だよ。」というように看板を指差す。これも立派なPR活動だ。こういった私の血のにじむような努力あっての44%。今後さらなるPR活動で、仮に100%に近い認知度になったとしよう。「知っている」のうち一体何人が「来てくれる」のだろうか。

2004/11/19 着信     .




(10) 『あるプロデューサーの涙』

  「ひとつくらい違う視点で報道するメディアがあっても、いいじゃないですか・・・。」しぼり出すような声でそう言った人物は、しばらく涙で言葉をつまらせていた。私は思わず目頭が熱くなった。
  某TV局のプロデューサーの話を、聴衆として聴く機会を私は得た。内容は、そのプロデューサーが担当した「臨界事故」のドキュメントについて。
  臨界事故は1999年9月に茨城県東海村の核燃料加工工場で発生。2人の死亡者を出した国内最悪の原子力事故である。事故から5日後、TV局がドキュメント制作を決定。即プロデューサーらが集められ、どういった視点で番組を作るか話し合われたという。
 その人は語る。「事故から5日後の時点では、あらゆるメディアが"なぜ起きたのか?""誰が悪いのか?""対策は充分だったのか?"という視点でしか報道していませんでした。国民もその視点に関して何の疑念も抱いていませんでした。しかし、私はそのドキュメントに新しい視点を含ませたかったのです。臨界を止めるため被ばく覚悟で決死隊に志願した工場の作業員、それを送り出さねばならなかった関連工場の責任者、そういった人の取材もとりました。普通に考えたら、責任を問われ悪者にしかされない人たちです。私はその人たちの声もどうしてもドキュメントに組み入れたかったのです。そういうふうにとらえたメディアはひとつもなかったから・・・。ひとつくらい違う視点で報道するメディアがあっても、いいじゃないですか・・・。」
  実際にそのドキュメントを映像で見せてもらったが、責任者のコメントは約15秒。決死隊のコメントはプライバシーの問題もあって扱われていなかった。たったの15秒だが、そこに込められた想いははかりしれない。その人は、「取材した人たちのことを思い出してしまって・・・」と、涙で言葉をつまらせたことを詫びた。
  臨界事故という事実はひとつしかない。しかし、それをどういった視点で見るかで印象は大きく異なる。そしてメディアは、その視点を提供していくもの。そのプロデューサーが組み入れた15秒は、まぎれもなく新しい視点を提供したのだと思う。心打たれた私は、「ひとつの事実を自分の視点でとらえ、一言一句おろそかにせずそれを提供しなくては」と肝に銘じ、この文章を書くことにした。

2004/11/19 着信     .




(11) 『武双山引退を耳にして』

  「相撲界の星飛雄馬、引退かぁ」
大関・武双山の引退を耳にし、私はそう思った。ケガに苦しみながら、いつも力強い相撲を見せつづけてくれた武双山は、「平成の怪物」の異名を持つ。しかし、私はあえて彼を「相撲界の星飛雄馬」と呼ぶ。
  スポ根マンガの象徴ともいえる「巨人の星」の主人公・星飛雄馬。元プロ野球選手の父・星一徹に、幼い頃から野球を叩き込まれる飛雄馬の姿が、私の知っている武双山の少年時代の話と重なったからである。
  武双山が破竹の勢いで昇進を続けていた頃、彼はスポーツ選手が多く出演するTVのバラエティ番組に出ていた。「武双山関は、どういったきっかけで相撲を始められたんですか?」司会の島田紳助が尋ねた。「あまり覚えてないんですけど、小学生のとき自分から『とうさん、相撲やりたい。』って言ったらしいっす。そしたら、大学まで相撲経験のある親父が『そうか、やりたいか。』って言って、さっそく庭に土俵を作って・・。それから毎日毎日親父と稽古しました。」
  「それ、ちょっと失礼ですけど、お父さん勘違いしてません?小学生が相撲やりたいって言うのは、お父さんと遊びたかっただけじゃないですか?」と島田紳助の絶妙なツッコミが入る。武双山は照れ笑いしながら、「そうかも知れないっすねぇ。」と頭を掻いていた。
  その武双山の憎めない笑顔が、私は今でも忘れることができない。もし島田紳助の指摘が正しければ、かなり強引に相撲の道に引きずり込まれたことになる。さぞかし、熱血漢の父親なのだろう。ちゃぶ台をひっくり返す様子も容易に想像がつく。まさに相撲界の「巨人の星」、父子二人三脚で上った栄光の階段なのだ。
  あるスポーツ紙が、武双山引退の記事に父親のコメントを載せていた。引退と聞いて「ホッとしたのが3割、悔しさが7割」らしい。星一徹が夜空に輝く星を指さし飛雄馬に語ったように、やはり武双山の父も息子に相撲界の星・「横綱」をつかみとってほしかったに違いない。

2004/11/19 着信     .




(12) 『黒電話はどこへいった?』

  「なんて美しいボディなんだ。」私は携帯電話の広告を見て思った。最近の携帯電話には、デザイン重視の傾向がある。これまでの多機能・高性能の追求から、「機能美」追求への路線変更なのだろう。その象徴は、auの新機種「タルビー」。私が思わず見とれてしまったボディはそれだ。プロダクトデザイナー、マーク・ニューソン氏がデザインを担当し話題を集めている。まるでかまぼこ板のような形の携帯電話で、シルバーをベースとしたボディにはグリーン一色でボタンが配置されている。その美しさに目を奪われしばらく眺めていると、ふとしたことに気づく。「あっ、こんなところに黒電話の概念が!?」"通話"のボタンには、黒電話の受話器が描かれている。受話器が傾いていれば"通話"で、受話器が横に伏せていれば"切る"ことになる。当たり前のことかもしれないが、この概念は黒電話あってのものだ。
  これは概念の標識化なのだと思う。トイレの標識、道路標識などは、言葉を用いず誰にでも分かる記号・マークで描かれている。トイレの場合、逆三角形に丸がのっていれば男性用を指す。それを女性用と間違える人はまずいない。余分な情報を全て取り除いて、それでいて全ての人に分かる記号にするのは難しいことだと思う。
  だからこそ、黒電話の受話器をシンプルに描き、"通話"が標識化されているに感心してしまう。もう世の中に、黒電話自体はほとんど残っていないのだ。その概念のみが標識化され、最新のデザイン系携帯電話のボタンとして扱われるのは、化石のようなものではあるが、黒電話が生き残っている証拠だ。
  これも黒電話が、長年人々に利用されつづけたゆえの共通概念なのに違いない。しかし、黒電話を知らない世代が携帯電話を作る側に立つ頃には、ボタンに残された標識すらも消えてしまうかもしれない。私は、標識化された概念だけでも黒電話に21世紀を生き抜いて欲しいと思っている。

2004/11/27 着信     .




(13) 『サイエンス・カフェをどう広めるか』

  イギリスには、「サイエンス・カフェ」というものがあるらしい。カフェやバーを2時間ほど貸切、市民40人ほどが科学者を囲んで話を聞いたり、質問したりするイベントだ。講演会やシンポジウムよりも気軽に参加でき、お茶を飲みながら話せるところが堅苦しくなくて良い。話のトピックも、「進化論と政治」「末期医療」「惑星探査」といった社会性のあるものが中心と聞く。
  このサイエンス・カフェが今、国際的な広がりをみせていると、授業で習った。「現在世界約30都市で催されていて、どうやら日本にもサイエンス・カフェがあるらしいんだよね。どこかというと京都」と、教授は語る。確かに、京都は大学もありアカデミックな都市であるし、景観からしても街なかで科学対話が似合いそうだ。東京の高層ビル街にはちょっと不向きなイベントかもしれない。
  しかし、私はこのサイエンス・カフェを東京にも広めていくべきだと思う。最近ではカフェを併設した大型書店も多い。サイン会みたいな感じで、サイエンス・カフェを催してみたらどうだろうか。著名な科学者なら人が自然と集まるだろうし、そんなに名が知れてなくても、話のトピックをとびきり面白いものにする。例えば『生物進化学者が語る!"女の勘"はこう働く!!』というトピックなら、たまたま書店に来ていた人も参加したくなるのではないだろうか。
  そういう動きが盛んになればもっと科学が身近なものになるだろうし、専門家と言葉を交わすということが、科学者にとっても市民にとっても意義のあることだと思う。もちろん、問題もある。そういうボランティア的な活動に、ただでさえ閉鎖的な科学者が応じてくれるかどうか。儲けを求めないにしても、宣伝費などを考慮すると赤字必至であること。難点はいろいろあるが、サイエンス・カフェは推し進めていくべき企画だと思う。
  もし私に企画を担当させてもらえれば、参加者にはガスバーナーで沸かしたコーヒーをビーカーに入れてご馳走する。その名のとおり、サイエンスな味を楽しんでもらいたい。

2004/11/27 着信     .




(14) 『悲劇の戦艦大和(やまと)』

  「なんだこりゃあ!?戦艦大和がぶつ切りだ。」久しぶりにコンビニの食玩コーナーに足を運んだら、すごいものを見つけてしまった。タカラから発売されている戦艦模型で、戦艦大和が7等分されそれぞれ別の箱に入っている。戦艦の食玩はこれまでにいくつかあったが、こんなロースカツのように分割されたものは初めて見る。つなげればそれなりの大きさになるようで、文字通り"斬新"なシロモノだ。
 しかし、こんな無惨に切り分けられた戦艦大和を見て、マニアは黙っていられるのだろうか。実物の『大和』も悲劇の戦艦だっただけに、私は心が痛む。
  『大和』は太平洋戦争中、連合艦隊の旗艦として投入された「大艦巨砲主義」の象徴的存在だ。「大艦巨砲主義」とは、海戦においては大きい大砲をもつ大きい戦艦が有利だという考え方である。つまり、「デカければ強い」という思想だ。しかし、太平洋戦争は飛行機の戦争と呼ばれるほど、その戦略が移り変わった戦争だった。「大艦巨砲主義」は明らかに時代遅れの思想だったのである。実際、乗組員3000人を誇る超ド級戦艦『大和』は「大和ホテル」と揶揄され、さしたる戦果をあげることなく太平洋に沈む。
  「大艦巨砲主義」という古い思想に振り回された戦艦の運命は、あまりに悲しい。そんな悲劇を知ってか知らずか、戦艦大和の模型を欲するマニアが結構多い。他にも戦艦『長門(ながと)』や空母『赤城(あかぎ)』など模型にする価値のあるものがいくつもあるにもかかわらず、なぜか『大和』ばかり目立つ。これは、模型マニアにも大艦巨砲主義者が数多くいるということだ。私はそんな時代遅れな彼らに「いまどき大艦巨砲主義は流行らんよ。」と諭してあげたくなる。しかし、コンビニの食玩コーナーで見られるように戦艦大和に根強い人気があるのもまた事実。
  しかし、どうして7等分して売るのか分からない。少なくとも、私は痛々しくて見ていられない。もしかすると、完成品の『大和』を良しとする主義は古くて、「7つ集めて願いをかなえる」主義に移り変わったということだろうか。

2004/12/6 着信     .




(15) 『毛布はホントに暖かい!?』

  「近頃寒いよね。夜、毛布にくるまってもなかなか暖まらないし・・。」なんて言葉をよく耳にする。いたって平凡な言葉だが、私はおおいに反論したくなる。「毛布はものを暖める道具ではないよ。」と。
  冬になれば、みんな毛布のお世話になる。朝起きても、なかなか離れることのできない最愛のパートナーだ。そして誰しも、毛布が私たちに熱を与えてくれていると錯覚する。そう、錯覚なのだ。
  毛布の働きは「熱の交換を妨げる」ことにある。つまり、暖かいものを暖かいままに、冷たいものを冷たいままに"維持"する効果を持っている。平安貴族は、夏の暑さをしのぐため山から氷を切り出し都へ運ばせたという。その氷を溶けないようにするためにどうしたか。答えは、動物の毛皮でくるむ、である。一見、毛皮でくるむと暖まって早く溶けてしまうのでは!?と思う。しかし、それが錯覚なのだ。氷は、毛皮という厚い壁により夏の暑い空気に触れないですむ。だから、冷たさを"維持"できるのだ。
  私たちが普段毛布を暖かいと感じるのは、実は自分自身の熱を"維持"してもらっているに過ぎない。仮にあなたが湯冷めして、体の芯まで冷え切った状態で毛布を頼っても、毛布は期待するほどのことはしてくれない。それは、あなた自身が熱を十分に持っていないからであって、毛布のせいではないのだ。だから「毛布にくるまってもなかなか暖まらない」は、他ならぬ自分の責任なのである。
  そもそも熱を与えてくれるもの、コタツ・ストーブ・エアコンなどはエネルギーを必要とする道具だ。もし毛布が錯覚どおり熱を与えてくれるとしたら、それは夢の道具になる。なんのエネルギーも必要とせず熱を生み出す道具があれば、現代のエネルギー問題は即解決できてしまうからだ。
  人間は道具を使う生き物である。しかし、使うからにはその性質を理解しなくてはならない。「バカは風邪をひかない」なんて風聞もあるが、毛布の性質を知って生活する人と、知らずに生活する人では風邪のひく頻度も違うのではないかと思う。すくなくとも、私は前者に該当するので、いたって健康だ。

2004/12/6 着信     .




(16) 『自己ベスト!おじさん記録』

  「小田和正の『自己ベスト』が200万枚突破したらしいですよ。」私同様、小田和正好きの後輩がそう教えてくれた。「えっ、それ2年前出たCDじゃん。」寝耳に水のニュースだったが、実際調べてみると本当らしい。
  オリコン調べで、史上最年長(57歳3ヶ月)での200万枚突破。男性ソロアーティストでは河村隆一の『Love』以来、史上2人目の快挙らしい。2年がかりで達成したこの記録は、ひとえにその楽曲の良さを指示されてのことだろう。『自己ベスト』は小田和正のベストアルバムであり、「ラブストーリーは突然に」などの名曲が収録されている。明治安田生命のCMにタイアップされた「言葉にできない」が、印象に残っている人も多いのではないだろうか。
  それにしても57歳の小田和正、今もっとも元気なおじさんの一人だろう。音楽活動はもちろん、自らのCDジャケットにイラストを書くなどいろいろな才能を見せつけてくれる。私はまだ見たことはないが、今年の秋から「月曜組曲」という小田和正の初レギュラーTV番組が放送されているらしい。そして恒例となりつつあるクリスマスの夜のTV番組「クリスマスの約束」も積極的な活動といえるだろう。この番組、2001年に始まったばかりだが、ファンの間では非常に好評なのだ。小田和正がMr.Childrenやゆずなど他のアーティストを招いて、語ったり歌ったりするクリスマスらしいロマンティックな番組だ。私は1年に1度のこの番組が非常に楽しみで、毎年この時期になると待ち遠しくてたまらない。・・と、小田和正の元気ぶりの例を挙げたらきりがない。
  日本では定年は60歳となっているが、小田和正の活躍を見るとなんで60歳まで!?と私は思ってしまう。長寿の国・日本では、60歳はただの通過点になりつつあり、定年制というシステムだけが残っているようなものだ。日本にはまだまだ元気なおじさんたちがたくさんいる。小田和正は、その一例に過ぎない。60歳過ぎたら「老後の生活」なんて言わずにぜひ「自己ベスト更新」を目指してほしい。

2004/12/11 着信     .




(17) 『朝のコーヒー』

  「えっ!コーヒーのCMだったの!?」と思った視聴者は、私だけではないと思う。谷川俊太郎氏の詩「朝のリレー」の朗読で、非常に印象深いネスカフェのCM。何かしていてもついつい手を止めて、TV画面に引き込まれてしまう。心が晴れるCMだ。このCMが、2004年ACC・CMフェスティバルの総務大臣賞・グランプリを受賞した。「確かにこれなら・・」と納得いく選考だと私は思う。
  しかし、ネスカフェのコーヒーと「朝のリレー」の詩がなぜ結びついたのだろう。私はその点でいろいろ思考を巡らせてみて、思い出した。「ああ、モーニングショットの影響か!」所ジョージのCMでおなじみのワンダ・モーニングショット。この缶コーヒーの宣伝では、「調査によると缶コーヒーは、実は朝もっとも飲まれている。」と紹介しており、そこから生まれたのがこの缶コーヒーらしい。それまでの缶コーヒーというと、味の違いでいくつもの種類が発売されていて、どうも区別がつかなかった。"コクがある"とか"深みがある"とか宣伝されても、普通ピンとくるものではない。それを味の違いから飲む時間の違いに変えたことで、ワンダ・モーニングショットは大ヒットした。味の違いが分からない人でも「ああ、これは朝飲めばいいんだ」と思えたからだ。他社が、二番煎じで時間帯別の缶コーヒーを発売しても、モーニングショットは朝専用の象徴として売れつづけている。やはりパイオニアは強いと感心する。
  その"コーヒー"と"朝"というつながりが、ネスカフェのCMを生んだのではないかというのが私の見当だ。もともと喫茶店などでモーニングサービスといえばコーヒーはつきものだったが、自販機の普及やコーヒーショップの氾濫で、最近は"朝"というイメージは薄れていた。私などは、むしろ眠気覚ましに夜飲むものというイメージがあったくらいだ。しかし最近は朝、大学に着いてから気合いを入れるために缶コーヒーを飲むことが多い。そして、気合いが足りてないばかりに私はどんどんコーヒー愛飲家になってゆく。コーヒーで気合いを"リレー"していくのだ。

2004/12/11 着信     .




(18) 『いいわけ・エントロピー増大の法則』

  「マズイ!この空間のエントロピーが非常に大きくなりすぎている。」と、私は自分の部屋を眺めて思う。
  「エントロピー」という言葉は専門用語なので、普通の人には親しみが持てない言葉かもしれない。一言で表せば、状態の乱雑さを示す指標である。つまり、エントロピーが小さければ秩序のある状態で、大きければ混沌とした状態を表すことになる。
  私の部屋のエントロピー増大も、言い換えればただ「部屋が汚くなった」に過ぎない。しかし、これこそが自然の摂理にかなった現象なのだ。これを「エントロピー増大の法則」という。自然界では特別な力が働かない限り、状態は秩序から混沌へと変化する、という法則だ。
  例を挙げて説明しよう。小学校の体育館に数百人の児童を入れるとする。先生が来るまではどう考えても児童が整列するわけがない。みんな思い思いの動きをする。これがエントロピーが大きい状態(混沌)。そこへ先生がやってきて「こら!早く並ばないか!」と怒鳴ると、たちまちエントロピーは減少し、やがて児童は整列する(秩序)。しかし、ひとたび先生が体育館を離れれば、徐々にざわつき始め長時間経てば元の混沌状態に戻ってしまう。この現象が「エントロピー増大の法則」と呼ばれるものだ。先生という"特別な力"が働かない限り、エントロピーは増大する一方なのだ。そしてこれは自然の摂理なので、私たち人間は"特別な力"を用いることでしか対処できないものなのだ。拡散現象もこの法則に当てはまる。水の中にインクを落とせば、最初は1本の線だったのが次第に広がり、乱れた状態になっていく。
  こういった例同様に、私の部屋も大掃除という"特別な力"を用いなければならない状態になってきた。気づけばもう年末で、あまりのん気に混沌状態を見過ごしているわけにもいかない。しかしながら、私は増大しつづけるエントロピーを前にこうつぶやくのである。「自然の摂理の前では、私たち人間はあまりに無力な存在である。」と。

2004/12/18 着信     .




(19) 『悲しき玩具』

  「ゆとり教育見直し」という見出しを今年いったい何度見たことか。先日、読解力低下などの記事が紙面を飾ったかと思うと、今回は数学・理科の基礎学力が低下らしい。
 小学4年と中学2年を対象とした国際数学・理科教育動向調査で、日本は中2理科が前回の4位から6位に転落。平均点もダウンするなど、小中学生の基礎学力低下が明らかになった。そして中山文科相、自ら「ゆとり教育」の見直しを打ち出す結果となった。
  しかしながら「ゆとり教育」が悪いのはすでに分かっていたことだ。私はあえて別の観点から、理科の基礎学力低下を論じたい。
  それは子供の遊び、特に玩具(おもちゃ)の移り変わりだ。かつて、玩具は自ら作り出すものであった。竹とんぼ・竹馬はもちろん野球で遊ぶにしても、ボールはありあわせのもので作ったと聞く。私の父は、ラジオが壊れても自分で分解して直していたらしい。物をゼロから作り出せる世代なのだ。それから、日本が豊かになるにつれ玩具も変化する。お店に行けば既製品が手に入る時代になる。それでも物を作る喜びは、子供に必要不可欠な要素なのだ。プラモデルがそうだ。いくら説明書付きで、ニッパーと接着剤だけで作れるにしても、自分で物を作り上げる感動は作った人にしか味わえない。私も子供の頃はプラモデルをよく作った。ミニ四駆・ガンダム・ゾイド・お城の模型など、作ることで物の仕組みや構造が理解できた。そして何より、完成させてそれが動いたときの達成感・満足感は今になっても忘れることができない。今にして思えば、あの頃育んだ創造力や構築力などが、総じて私の理科力になっていると言っても過言ではない。
  そして今、子供の遊びと言えば専らTVゲームである。彼らの得る喜びというものは、しょせんゲームの中に設定されたワンパターンな達成感に過ぎない。TVゲームという玩具は、喜びまで既製品にしてしまったのだ。昨今取り沙汰されている理科の学力低下は、そこに起因するところが大きいと私は考える。TVゲームが子供から奪った最も大切なもの。それは勉強時間や意欲なのではない。物を作り上げる喜びなのだ。
  この冬のクリスマス商戦は、PSP(プレイステーションポータブル)とニンテンドーDSの売れ行きが好調で、ゲーム業界はにぎわっている。大人たちが景気よしと喜べば喜ぶほど子供は物作りの喜びを失っていくのだから、もはや皮肉としか言いようがない。売れて喜ぶ大人あれば、喜びを失う子供あり。まさに悲しき玩具なのである。

2004/12/18 着信     .




(20) 『近所づきあい・日中韓』

  「冬ソナ」「ヨン様」といった韓流ブームの勢いは、相変わらず凄い。今年を総決算 する時期になって、もはやその認識は不動のものとなった。内閣府が発表した「外交に関する世論調査」で、「韓国に親しみを感じる」と答えた人が57%。過去最高の結果となった。02年の日韓共催サッカーワールドカップ以降、韓国に対する親近感が上昇傾向にある。そして、今年の韓流ブーム。あまり過激になるのは良くないが、日韓の友好関係を思えば喜ばしい出来事といえる。しかしその一方で、中国に対する親近感は急落している。「中国に親しみを感じる」と答えた人は、過去最低の38%。中国の東シナ海のガス田開発や、中国人の反日感情を受けての影響とみられている。
  日中関係は非常に難しい。対華21か条の要求から、日中の国交が険悪化したとみれば90年にわたる問題である。一朝一夕に友好的になれるものではない。しかし、だからこそ小さなことからコツコツと歩み寄っていくしかないと私は思う。韓流ブームを良き手本として、文化交流を通じて中国への理解を深めていくのだ。90年代後半からSMAPやPuffyといったアーティストが韓国に進出し、逆に韓国からはBoAなどが日本にやってきた。映画では「シュリ」「猟奇的な彼女」などが輸入された上での、今年のTV番組「冬のソナタ」の大ヒットがある。これも地道な文化交流の賜物なのだ。
  興味深いデータがある。「日本は韓国の植民地化について充分に謝罪したか?」という問いを韓国の学生にしたところ、日本ポップス音楽を好む人のほうが欧米ポップス音楽を好む人より寛容であることがわかった。「していない」と答えたのが、日本ポップス派が52%。欧米ポップス派が60%である。まだまだ数値は高いが、日本の文化を理解してもらうことが重要であることを示している。
  やはり文化交流・理解こそが、友好化への第一歩なのだ。私が中国に対して理解を示すようになったのも、中国の歴史の偉大さに触れたからだ。吉川英治の「三国志」に心をときめかせ、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」に感嘆したからこそ、もっと日中関係を良くしたいと思う。音楽でも映画でもスポーツでも文学でもいい。もちろんマンガでもかまわない。文化で親近感が生まれるのなら、どんどん文化交流を推し進めていくべきだ。
  韓国、中国という国との近所づきあい。共有できる文化があれば接しやすい。主婦たちが井戸端会議で「冬ソナ」話で交流したように、国同士も他愛もない話から歩み寄っていこう。

2004/12/26 着信     .