第1部 隠居のつぶやき

(1)バスケの魅力
  引退後めったにミニの試合には顔を出さなかった。しかし4日の日曜日は家のすぐ近くの小学校が会場だったので応援に出かけた。私が創部した二つのクラブがリーグ戦で対戦していて、応援に困った。
  私のとなりに美人の若い監督が座った。あの水害で有名になった西枇杷島町のとなりの町の人だった。防寒用のコート(名前を知りません)の中に赤ちゃんを入れている。「まさかまた生まれたの?」「いいえ、妹の子よ。まだ6ケ月。母が病身で守ができないので、私の子は少し大きいから家に置いてきた」と。そう言えば妹さんはベンチで立ち上がって大声でわめいて怒っている。姉は女子の監督、妹は男子を、弟は姉さんたちを助けている。まだ 20代の姉妹弟である。交代で赤ちゃんをカンガルーのように懐に抱き寒い体育館に終日いる。
  バスケの魅力か、はたまた教え育てる喜びか、何が彼らをかくまでも引きつけているのか、バスケの持つ魔力?にあらためて想いを巡らした。
  (同じ内容のつぶやきですが同志の方たちへ同時に書き込みます。)

(2)ミニの功罪
  現在ミニがあるところの中学はとても助かっている。現に私の創部したミニの出身者は中学で活躍し県大会にいつも出場していた。中学の先生はとてもミニに感謝していた。ところが一つだけ深刻な問題がある。それはバスケ部への入部の件である。毎年12、3名進学し入部するのは半分以下である。スタートメンバーに入れそうにないと他の部を選択してしまう。一方未経験者は経験者に比べ差が大きいので敬遠してしまう。結局バスケ部は少人数になってしまう。 (S中の2年生はわずか4人入って退部2人、1年生が6名入ってどうにか伝統を守っている。)
  一方ミニのない中学は能力のある子が大勢入部しているようです。多分皆さんの所も同様でないでしょうか。なかなか難しい問題ですね。

(3)皆さんの方が偉いよ
  隠居は大した人物ではないですよ。皆さんの方が遙かに立派です。私は教員の仕事として部活にも励んだだけです。職場の先生たちと大差ないです。子供運、師匠運、保護者運、学校運が良かっただけです。
  ミニの創部でも、運営でも、退職して暇な体でしたことです。皆さんは民間でしっかり仕事をし多忙の中でクラブの指導や、お手伝い、HPの管理をしてみえるのです。それこそ献身的です。私はその姿を尊敬しています。
  どうかヨボヨボの老骨のボケ封じのために、気楽にご意見やら投稿をいただければ嬉しいです。
  なお本日北海道の「愛Love友」へ連載していた「隠居の秘話」をzanpakuさんのお勧めもあり、そのまま私のHPに載せました。まだお読みになっていなければ一度見てやって下さい。ちょっとバスケとは異なりますが参考にでもなれば幸甚です。またご意見でもいただければとても嬉しいです。。

(4)小学校の応援?
  小学校はミニの応援をしてくれていますか?これは千差万別だと思います。私のささやかな経験では余り積極的な支援はなかった。勿論募集要項は毎回教室で配ってもらっていた。学校側の担当者が会場が使えないことを忘れていて、直前にわかり緊急連絡で中止したり、行事の後片づけがしてなく椅子やシーツを部員たちとしまったりしたことが再々あった。学校では「週2日も休日があるので地域の社会教育に参加するように」と言われているようだが。現実はなかなかそうはいかない。せめて募集要項を配るとき「ミニバスケはとてもよいクラブなので入部するとよい」とだけでも言ってくれたら。
  ある教師は部屋の隅に要項を積んで置いて「欲しい人は勝手にもって行け」なんて言っていた。なかには「こんなクラブやらない方がいい」なんて言った教師もあったそう。これらは極端な例だが本当のことです。元教師ですらこんな場面に出くわした。
  先日もある女性監督が「学校は募集要項は配ってくれないので、校門で配っている」と。「スポーツ少年団に登録し教育委員会や学校の支援を要請しては」とアドバイスした。
  きっと皆さんも様々も苦労をしながら子供たちのために頑張ってみえると思います。ご苦労さまです。

(5)本物とは
  昭和45年(1950年)日本最初の大学通信教育の夏のスクーリングに東京(日大)に出た。教員免許状がもらえるという広告は嘘だった。卒業までに認可がおりる予定という。驚いた各県の県人会長は揃って各官庁へ陳情に出かけた。愛知県の会長だった私も同行した。記憶に残っている2つの官庁について語ります。
  まず最高裁判所、一人の最高裁判官が会ってくれました。豪華な広い部屋だった。私たちをソファーに座らせ扇風機を私たちに向け陳情を聞いてくれた。「君たち勤労学生の諸君は偉いですね。陳情の趣承知しました。これからも体を大切に頑張って下さい」と柔和な態度で話された。みんな感動し満足して次へ。
  今度は文部省へ ここでは多くの役人のいる部屋で片隅の課長のデスクのところが会見の場だった。課長は座ったまま扇風機は自分の方に向けたまま、横柄な態度で陳情を聞く。もちろん我々は立ったまま。何の情愛も感じなかった。学生一同憤慨しながら官庁をあとにした。
  位人臣を極めた最高裁判官の謙虚な態度、一介の文部官僚の傲慢さ、いつまで経っても記憶に新た。後年文部省汚職が起こったのもむべなるかなと思った。

(6)知っていますか?  
  昨年11月原付2輪車の免許の更新に行った。白内障のせいで視力が落ちているので心配していたが無事合格、優良運転手とて即日交付。次回は平成17年、その時は77才バイクに乗れるかしらと新免許証を見てびっくり。「あれ、平成15年?どうなってるの?」
  あらためてよく見たら高齢者は3年間とあった。前回は60才台だったので5年だったのだ。
  70歳以上は3年間らしい。皆さんこのこと知ってみえますか。あまり関係ありませんね。くれぐれも運転に留意して下さい。
  私のバイク愛用は低公害のため????

(7)校長さんたち  
  私は退職後毎夏郡市の中学バスケの大会を見に行きます。壇上の片隅で観戦することすでに12回を越えました。ミニでの教え子たちの声援のためでした。
  こんな時いろんな校長さんたちと顔を合わせる。昔のなじみの人にも会う。「えーもう校長にさんになったの」なんてこともままある。今夏中央に偉い人が座っていた。「誰かしら?」よく見たら昔S中で男子の監督をしていたY君。私が女子の方でいろいろ教えてあげたり、応援してもらった先生。大分肥えていて見違えた。彼バスケ部の校長会の部長だった。私の方をちらっと見たが知らぬ顔、多分照れていたかも。
  また大校長でありながら私の顔を見つけてわざわざ近くまで来て、丁重な挨拶をされる方もある。顔見知りながら無視する校長さんもいる。人様々である。もう何の関わりもない昔の教師にねんごろに言葉をかけられる校長さんの、学校経営はきっと立派だろうと推察する。(あちこちのHPに同じ内容で申し訳ありません。ご容赦を。)

(8)年賀状あれこれ  
  45歳までバスケット頑張るつもりです。
                  元名電キャプテン 子供3人
  上の娘が今年中学生になります。どうもバスケは余り上手でない様子
                  高校体育教師 インカレ優勝(筑波大出身)
  長男が浄心中でバスケを始めました。毎日がんばっています。
                  (ボールを持った写真)県準優勝の時のキャプテン
  息子がミニバスがんばっています。うごきまわっている姿を見ると、昔の自分の姿を思い出します。
                  県初優勝のガード 伊勢市
  ぜひぜひお願いがあります。体が動かなくなるまでミニバスとかかわってもらいたいなあ・・・・と思っています。復帰を願っています。多度招待絶対ぜひ来てくださいね。
                  三重県 小学校教頭さん
  親子2代バスケをやっていると聞くととっても嬉しい。

(9)ミニバスケに補助金ありますか 
  私の引退前村から年間10万円の補助金があった(今もあるはず)。なおスポーツ少年団の指導者登録分を負担してくれた。施設使用(総合体育館)の料金は無料です。ただしその補助金の半分は村長旗争奪大会の費用に使っていた。
  一方隣町の方は(私は2ケ所運営していました)補助金は2万円程度、そのかわり傷害保険は全額(児童・コーチ・役員)80名近く負担してくれた。なおスポ少登録も全額負担していただいた。開設当初は夜間使うクラブ(小・中学校の体育館)は照明料1面1500円、2面3000円で大変でした。しばらくして抗議が出てスポ少関係は無料となった。
  さて皆さんのところはいかがですか。多分大きな市などはクラブも多く補助金も余りないのではないでしょうか?

(10)ネットの凄さ暖かさ  
  3月2日朝、富山のコーチKさんの掲示板で「千葉の高校生コーチ松本」さんの書きこみを見た。「中学の体制が変わって辞めさせられそう」と。奇特な少年と考え「千葉のオービッツに書き込んでみなさい」とメールした。昼に松本さんからメールあり。早速書き込んだとのこと。オービッツさんを見ると投稿してある。ベルさん、ザビエルさんに支援を書き込む。2日、すぐにベルさんのコメント。富山の方で3日、ラゾンドさん、007さん、5日、コーチKさん。千葉で6日、ザビエルさん、あみさん、7日、青葉の監督さん、ジャンボ鈴木さんの励まし。何と有り難い励ましの数々、ネットの反響の速さ先輩たちの暖かい言葉、松本君は感激しているはず、有為な若者がきっと育っていくものと信じます。皆さんの厚情を謝す。