第2部 隠居のつぶやき

(11)夫唱婦随?,婦唱夫随?  
  PLマジックさんはお二人でミニの運営やら審判をしてみえる。有度一のブンパパさんは奥さんまでご活躍、船越では茶坊主さん、姉御さんのペア、とても心温まるご夫婦のようである。
  私がミニの時代桑名の精義ミニのご夫婦、ミニはもちろん娘さんが中学へ入学と同時に外部コーチとして中学まで。
  また三重県の四日市市の桜ミニ、老夫婦の監督、コーチー、脳の腫瘍の手術2回もやったばかりで大会に出席、67歳とか言っておられた。今は手術後とて娘婿にベンチはまかせていると。
  世間にはいろんな形で夫婦協力してミニを支えておられる方が沢山おられますね。

(12) ミニクラス会   
  毎年苺を持参してくれる橋本君よりFaxで「21日バーベキューでミニクラス会をやるので迎えに行く」と。前日彼が沢山の苺を持ってきてくれた。早速一族郎党に分配。
  夕方訪れるとビニールハウスの中に20数名のメンバーが参集していた。橋本君の苺園の一角である。今年度中に還暦を迎える面々だ。私が中学へ転勤して1年間だけ担任した学年である。直ぐにあの少年少女時代の面影が刻んだしわの中に浮かび上がってきた。
  和気藹々とにぎやかな雰囲気、「孫がもう高校2年生だ」と言う男性、日本最初の水耕栽培を仲間と開発した元体操部員、上下真っ赤な下着をつけたこの日誕生日の橋本君。話題は尽きない。各自が作っているトマトや漬け物などの差し入れ、巻き寿司まで手作りで至れり尽くせりの歓待。教師をやって良かった。やらさしていただいて良かったと思った。
  最後に一本一本のバラが配られた。これも差し入れのようだった。なにをするかと思ったら私に一人一人が進呈してくれるのであった。熱い思いを胸に我が家へ戻った。
  この文を読んで戴いた指導者の皆さんも、きっといつの日か生徒や部員が成長して招待してくれる日があると思います。努力した分は何倍かになって戻ってきます。有り難いことです。

(13)450mmから1mmへ  
  教師時代は部活、退職したらミニバスケットと小説の乱読、ミニを引退したらパソコン一辺倒。家内は淋しそう。少しはサービスを・・・。姪がビーズのセットを幾箱か持っており1セットもらって家内がやるという。ところが穴が小さくテグスが通らないと悲鳴を上げた。やむなく私が応援。ネックレス、ラリエット、ブレスレット、リング、イアリング、ヘアピン、次々と挑戦。2人頭をつきあわせ毎日共同作業。
  娘の同僚のお嬢さんたちにヘアピン、ブレスレットを進呈、5歳と1年生のお嬢さんからお礼の手紙。材料購入に大きなショップ店へバイクで出かけ、手芸品売場で品物選び。余り良い風景では無い。娘が1年生担任で2組あるので31人分のリングを作れと言う。頑張って完成。今男の子には何を作ろうか検討中。(本屋でビーズ作りの本を見たり図書館で資料を借用したり)
  家内はちょっぴりご機嫌、あの450mmに熱中した隠居が今見えない目をこすりつつ1mmの穴めがけて悪戦苦闘中・・・・・。
  追伸? 男子はイニシャルを作り、特殊な生地を星形に切り、ポスターカラーで黄色に塗り、その上に貼りつける計画。(41人分七夕までに完成しなさいと娘が言う、ボケ封じに良いからと)アルファベットが難しい。元英語教師が元バスケ監督が、ABC・・・・と1mmのホールを狙って・・・。今日また手芸店へ、たまたまバスケの話題に「私もバスケやっていたよ」とお婆さんの?店員さんが得意げに言い出した。びっくり。隠居と意気投合。手芸店でのバスケ談義、この風景ちょっと珍妙。

(14)捉えてみれば吾が子なり 
  少し古い話でごめん。船越さんのトップページに「3月9日私と博多のコーチさんのHPをリンクした」と書いてあった。リンク集を見たが出ていない。まだこれからUPされると思った。以後何度見ても出ていない。自分が何処もリンクしていなくて恐縮だったが、管理人さんにメールでお尋ねした。「載っていますよ、いま一度確認して下さい」との返事。あらためて見るがやはり出ていない。博多のコーチさんに聞いたら「こちらでは載っていますよ」との連絡。
  私の方では出ていないのを証明しようと、リンク集をコピーしメールに貼りつけたら、不思議出ているではないか(外にも3ケ所)。この旨再度管理人さんへ。「奇妙ですね」の返事あり。どうも私たちのところが下のサイトの紹介に隠れているらしい。でも解決の方法が分からない。
  たまたま婿さんが来宅のおり見てもらった。上の表示を開き文字の大きさを小さくしてもらった。見事リンク集に私たちのHPが出現した。なんと原因は我がパソコンにあったのだ。お騒がせしてごめんなさい。
  (昨日文関小ミニのHPの書き込みで大御所さんが文字の一件を書いておられて、私と同じような理由だなあと思った。大御所さんまだまだ若いですよ)

(15)母の日異聞
  12日土曜日学校は休みだった。教師をやっている倅がいつものように午後小3の孫とやってきた。孫がカーネーションをもって家内のところへ照れながら持ってきた。明日は娘がもしかしたら・・・・。日曜日朝娘がやってきた。手ぶらである。開口一番「届いた?」「何が」「カードだよ」「・・・・・」「メールまだ見ていない」「うん・・今朝もう見たが・・何もなかったよ」「ヤフーで母の日のカードを贈ったが・・」
  何のことか良く分からない。早速yahooの無料グリーテイングカードを開いて説明してくれた。しかし着信していない。午後娘から電話。旦那がパソコンの設定を外していたそう。再度送信してきた。「Happy Mother's Day! ・・・・ビーズもがんばって」これは経済的なプレゼントだ。しかしこんなことまでネットではできるのかとビックリ。私もこれを今後活用しよう。ちなみに娘は東京の大学に行っている長男から、花の宅配を受けて感激、家庭教師で稼いだ尊いお金で贈ってくれたと涙を流していた。

(16)掲示板見聞録 HN???寸描
  時々「HN」というスペルを見かけていたがよく意味が分からなかった。4月23日のザビエルさんの書き込みでおおよそ理解。その後テレビからハンドルネームという声が聞こえた。観ると刑事ドラマで掲示板が画面に出ていた。犯人のHNが話題だった。念のため英和辞典でhandleを調べた。中学生用辞書には該当の訳はなかった。大きい辞書を見た。(古風、略式)(人の)名前;肩書き とあった。(久しぶりに元英語教師が辞書を開く) いつもよく見かけるHNを分類してみた。
  「カタカナ」
    ベル、ザビエル、ブンパパ、タッチ、スズメバチ、ミチョシニア、チャッピイー、ツリートップさん
  「アルファベット」
     TJ, ,zanpaku, Kobecco, Hikaru, arare, LittleFather、さん
  「ひらがな」
   ぷりん、みなみ、まつにい、さき、あすなろ、なおなお、はかせ、せーちゃん、ぜんちゃんさん
  「漢字のみ」
    直吉、松村、森田優人、姉御、茶坊主、大御所、朝日、さん
  「漢字・ひらがな」
    青葉の監督、煮干し一徹、宮ちゃん、豊中の父、花ちゃん、夢見る監督、遊々さん
  「漢字・カタカナ」
    哲也パパ さん
  「その他」
    D2,PLマジックミラクル、博多のコーチ、IDEミニやさしい監督、不二ミニKazu、ジャンボすずき、ウインズ鈴木さん

  いろいろ工夫された名前ですね。初めてD2さんのHPを見て女性の方と直ぐ分かった。その後朝日さんを見た。お雛様が出ていて女性と思いこんでいた。最近男性と分かった。そう言えばベルさんも写真で見て女性と判明。
  みんな・・・・さんとさんがつくがお一人だけつけ辛い方が見えます。それは姉御さん?です。御が敬称なのか?姉さんなら語呂がよいが・・・。
  暇なのでつまらんことをして遊んでいます。わが気に入りのHN「愛知の隠居」は家内は嫌がっています。(全て掲載できなくてごめんください)

(17)スポーツ少年団
  各HPを見ているとスポーツ少年団加盟のところが少ない気がしますが、いかがですか。私の地方1市12ケ町村でミニバスケは女子6チーム(うちスポーツ少年団加盟は4チーム)、男子は3チーム(スポ少加盟無し)。西尾張の広範囲でも大会参加は6チーム(市町村代表1チーム)だけ。
  なぜ多くのミニは少年団に加盟しないでしょうか。日本体育協会に属し、市町村が形の上からも面倒みてくれているのだが・・・・。

(18)D2さんに答えて
  5月30日D2さんの質問「隠居さんは料理はいかがですか?」(私がビーズもやるのでそれに関連して)
  これは困った質問、それは私の弱点だから。実は13年前退職したとき現在59歳、 60歳の2人の女性(教え子)がガラス入りの翁の人形を持って来てくれた。その時「もう暇だから料理でも習ってご馳走するよ」と約束しました。ところがなかなか出来ない。毎年年の始めに誓うのだが未だに実行出来ない。家内が約束を守れと催促する。
  「男子厨房に入るべからず」の意識、「もしマスターしたら家内が安心して・・・」万一、そんな危惧から・・・やらない、やれない、と理屈をつけている。今年も間もなく年の半ばになる。ビーズの勢いで勝手場に入ろうか?????。そしてD2さんにいつか自慢をしようか。
  D2さんはバスケと無関係ですが、多くのバスケ関係者が訪問して癒しを受けています。
  D2さんのHP http://homepage2.nifty.com/kabami-d2/

(19)5月病
  ミニを引退して1ケ月経ったころ体調がおかしくなった。寝汗はかく、微熱はある。古い体温計は時間がかかるので新しいのを購入。簡単だから何度も測る。その都度若干上昇している。体はだるく午後は横になっている時間が多くなる。何回もの検温結果をパソコンで打ち込み印刷して医者へ(こんなことはいけないと思いつつも)。血液検査、あげくは老人性結核ではないかとレントゲン検査をしてもらう。全て異常なし?こんな状態が5月中続いた。これは困ったと悩んでいた。
  するとバスケ引退の要因にもなった家内までが「貴方の創った町と村の親善大会の招待がきているから行きなさい」と。(引き際が大切と全くミニには顔を出していなかった)
  幸い近いところなので出迎えは断ってバイクで会場へ。子供たちが顔を輝かせてそばにやってくる。4年生になったばかりのチビッコ軍団が回りにやってきて写真を撮ると言って次々モデルに。ゲームも両チームは白熱の闘いを見せてくれた。コーチの諸君や役員親さんたちとも久しぶりに言葉を交わした。凄く気分をよくして帰宅した。
  不思議なことに翌日から何となく体がしっかりしてきた。検温もやめた。そして元気な体に戻った。何だったろう???
  ミニで世話をしていたが実は多くの生きるエネルギーを子供たちからもらっていたのだったと知った

(20)29年ぶりの消息
  先日郡市でトップレベルの男子監督よりメールがありました。
  <メールの内容>
  ご無沙汰しております。情報をありがとうございます。目を通させていただきます。
  ところで、今日今年3月に卒業してバスケの熱心なD高校へ入学した生徒が中学校の練習に顔を出して、そのときふと「ぼくの母はS中出身で、バスケット部で県2位になったらしいです。」というので、「ひょっとしてその時の先生は隠居先生じゃない?」と聞くと、そうだというのです。「旧姓はなんと言うの?」と聞くと「江口」と答えました。なんか先生のHPで覚えがあったので、すぐ職員室で先生のHPを開くと、昭和47年度に「身長170cmでM子が・・・」とあったので、彼に見せると「名前はまきこだし、看護婦になったので母に間違いないと思います。」と言っていました。そのページをプリントアウトして持たせ、先生のHPのアドレスを教えました。3年間教えていたのに、今になって初めて知ました。縁とは不思議なものですね。

 「今昔物語 第11話 県大会2度目の優勝より抜粋」
  一方名女商へ行ったM子は170cmの長身で余り能力は高くなかったが、高校の誘いに簡単に入学を決めた。部員が数人の時代であった。部の激しさと自分の将来看護学校進学の希望との狭間で苦しんだよう。1年の途中で退部を言い出した。部員不足で試合ができないので大会終了後退部した)

  退部以来ずっと気にかかっていた。彼女やはり看護婦になったのですね。そして息子がバスケをしていたとは。昨夏の大会で息子さんが活躍していたのだな!(私は観戦していた)このメールで永年の屈託が消失しました。縁は異なもの。みんな幸せになって欲しい。