第6部 隠居のつぶやき


(51)体育館2つ
  私が前後20年間勤務した村の中学(生徒3百数十名)には体育館が2つある。私が最初勤務していたときに最初の体育館ができた。そして数年前に冷暖房付きの大体育館が完成した。生徒数も少なく卒業式などもスペースがかなりあるようです。交通機関も皆無だが、夏の郡市大会・尾西大会の会場になっていた。旧体育館は補助金の関係で直ぐには壊わせれないらしい。 バスケもいつも室内が使えて幸せだ。でもサッカーができて部員が集まらなくなり、わが孫の卒業後2年にして男子バスケ部は廃部。
  25mのプールを壊し、50mの新プールも最近できた。50mのプールは近隣中学にはない。私が赴任したときは水泳部だけあり東側の川で練習していた。愛知県でも有名だった水泳部、今は部もなし。勿体ない。
  ところで他県はどうだろう。確かどこかの県では体育館の殆どが1面しかないと書いてあった。
  私たちの郡市で小学校の体育館は皆2面で豪華である。玄関も立派、会議室も完備している。町村が競って立派な体育館を造っている。最近では武道館を造った町もある。
  ところが県立高校の体育館は貧弱である。様式は大抵同じで玄関もなく、トイレもなかにはない。所変われば品変わる。体育館も地域差がかなりあるようだ。

(52)このシーンの是非
  昨年の高校選抜の県大会が郡内の町の体育館で行われた。女子の試合でT校は20点ほどリードしていて4コーターの半ばだった。メンバーチエンジでベンチから大きな拍手が起こった。交代選手は片足に大きなサポーターをつけ歩くのさえやっとの歩行である。彼女守備はせず相手コートで待っているだけ。T校4人で守ってボールを獲得するやいなや長いパスを送る。彼女3点を狙って打つ。見事リングへ吸い込まれた。万雷の拍手が起こる。自分の近くを相手がボールを運ぶが彼女は微動だにしない。いや動けないようだ。後2度ほど長いパスをもらって打つが不成功だった。長い療養生活の名選手を最後の試合に出してやろうとの監督の温情、さもありなんと肯定する。しかし相手チームの気持ちはどうだったのか。相手チームの子たちは最後の試合でそして負け試合。勝敗の行方は決まったとしても、動けないプレーヤーを出されては不快な気分ではなかったか。また観衆の目にはどう映じたろうか。結局私は是非を論ぜれなくなってしまった。多少私はそのチーム知っているが故に複雑な心境である。さて皆さんはどう思われますか。

(53) 井上眞一著 勝利にひそむ運と必然
  先日桜花高校で講師をしている元中学校長のIさんから一冊の書籍を送っていただいた。封を切ったら上記の書籍だった。帯には「その直径45cmの目標へ」裏側には「爽やかに、たくましく、そして華麗に! 桜花バスケットの強さの秘密」と記されている。
  早速私の掲示板に「独り言」で抜粋し紹介したところ、あちこちから本を注文したとの書き込みがあった。そこで皆さんの所へも本の一部を書き込みます。{詳しくは独り言(27)}
  参考:  六法出版社  14〇〇円
○下級生を育てる
  3年生と同じくらいの力を持つ下級生がいれば、そちらを使いたい。
○ 進路とリクルート
  夏のインターハイで試合に出られず応援団に回って一所懸命やった、そういう選手の  進路決定を私は優先する。
○油断が生む天国と地獄・高校初優勝の教訓
  余裕のあるとき程慎重にと言う教訓を得て、今もなお私は、石橋を叩いても渡らない男のままである。
★・・・思えば前半十一点もリードされ、それが後半に至っては十八点差まで開いたのだった。昭和にとっては楽々の勝ちゲームであったろう。ところが、その余裕がメンバーを下げたことによってスキに転じたのかも知れない。そこから桜花は徐々に点差をつめていき、昭和は慌てて選手を戻してきたが「勢い」というものは時として「実力」を凌ぐ。この時に私は「勝ちがはっきりと見えるところまではメンバーを落としてはいけない」ということを肝に銘じた。
○「勝ち負けは関係ない」ことはない
  試合であるからには勝たねばならない。どんな試合にも「勝ち」あるのみである。
●練習メニューをどのように組むかということも大きな問題である。昨日と同じメニューというのは意識的に避けるようにしている。今日は何の練習になるのか、選手は想像できないでコートに来るわけである。
○教えることにプライドを
  コーチのコーチたるゆえんは「こうすれば勝てる」であるべきだと思う。
○・・・コーチングというのは・・・今の私の立場でいうと、子どもが好き、バスケットが好き、バスケットを教えることが好き、となる。
○だから諦めない
  できるまでやらせるという粘り強さこそがコーチの最低条件。
○愛情に尽きる
  バスケットを教えるということは、誠に泥くさい仕事だ。しっこさと我慢を張り合わせていくようなものである。
○根性主義は終焉
  根性だけで勝てるほどスポーツも人間の身体も単純なものではない。
●スポーツ会の体質は十年一日の如し。何も変わっていないことにあらためて失望した。運動部はなぜか、旧陸軍的体質を引きずって今日に至っている。先輩・後輩に始まるあまりにも旧弊な年功序列型社会。それがそのまま「協会体質」を造りあげている。
○上下関係ない運動部に
○プロの養成期間を
  日本バスケット界をメジャーに導くスタープレーヤーを育ててみたい。
○日本女子バスケット界全体のレベルアップを
  三木がガードとして活躍するシャンソンを、大神のガードで迎え撃つジャパンエナ ジー。
(著者が中学教師時代三度も県大会で対戦して以来、ずっとその赫々たる業績に関心を持っていたが、人柄については余りよく知らなかった。しかしこの書籍を読んでずっと抱いていた彼のイメージが変わった。容貌とは異なり細心な心配り、優しい配慮、デッカイ夢など流石33回日本一の監督だと思った。彼が栄冠を重ねる度に2勝1敗の隠居は鼻が高くなる。皆さんも購読されたら。)

(54)昔 子供は見ていた(氏名は仮名)
  今朝(4月17日)見知らぬ女性のメールが入っていた。文面を読むうち中身はご主人のものだった。
前略
  初めまして、僕は佐屋中の、先生の言われるところの、7回生(49年度)卒業生です。子供が佐屋ミニバスに今年からお世話になり、何気なしにミニバスのHPを見ていました。すると先生の関連の記事が有ったので、開けたのは昨日、2時間くらいかけて一気に読み多感な時代の、友人、知人の知られざる話に、懐かしさと情景が浮かび涙が出るほど嬉しく面白かったので、PC初心者ですが思い切って出してみました。
  僕自身は庭球部に所属し、多分先生と話した事は有りませんが、勿論知っていました。朝早くから、シュート練習(注:当時は外で)を横目で見ながら登校し、何故ここまでやるのかなと?今想うと、一生懸命にやる者に対しての嫉妬だったかもしれませんね。
  特に1つ上の先輩の話は非常に興味深かったです。
僕たちが1年生の時に、理由は覚えてませんが2年生の試合を偶然見て驚きました。郡大会にレギュラーを入れず、勝ち進んでいったのを、それもお世辞にも運動能力が良くない子が活躍するのを見て、その時から女子バスケの1フアンになったんだと(笑)以来アンテナをより一層のばし、情報を仕入れてました。
  書かれている加賀さん、美形の日比さん、優しげな瞳の水野さん・・・・
皆、才色兼備でしたよね。それともう1つ上の加藤さんも近所で評判の美人でいい子でした。27.8年経った今でもその頃の勇姿?が浮かびます。そして県大会の理不尽な判定を知った今、僕の中では壮大なストーリーに(笑)
  同級生についても、鈴木さんの話、東海工業の山本君の話と河原君の弟の話今まで詳しく知らなかった話が、本人の性格を表し、事実を知ってより深く感じます。感想は山のように有りますが、文章表現に長けてませんのでこれくらいに。
  「先生の人脈に値するものなし」
  これからもPCと言うメディアを通じ、グロ−バルにどんどん発言してください。期待しています。
                                    早々
(子供たちはいつも見ていたんだな。一教師が夢中になって部員たちと夢を追い続けている姿を。そして30年近くなって愛娘をミニバスケに入部。そんな事実を今ネットを通じて知る。嬉しいことです。一方指導者は常に戒め真剣にコートに立たなければいけないと。)

(55)秘剣の黙示
  私がよく読む本は推理小説か時代小説である。この頃は図書館へ行っても読みたい本が少ない。好きな作家は何人も黄泉へ。若い作家のものは読みづらい。本を選ぶはやはり題名である。先日新本で目を惹いたのが「秘剣の黙示」だった。作者は多田容子知らない名前だ。いつもの癖で作者の経歴を見る。1971年生,京大経済学部、時代小説大賞に大学2年で応募・・・・。美人の女性の写真も出ている。ついでに参考文献、協力を見てびっくり。武術稽古研究会松聲館 主宰 甲野善紀氏と記載されているではないか。
  あのNHKで三度も放映されたETV2001古武術を活用した桐朋高校バスケ、その原点となった中心人物の甲野氏ではないか。早速借り出し昨夜読み終わった。過去読んだ多くの剣豪小説とは異質な感じだ。登場人物も時代背景もストーリーも従前のものとは違っていた。何となく惹きつけられ時に意外性に驚きつつ読んだ。うら若き女性がよくもこんな小説が書けるものかと驚いた。
  「練之介は、これに打ち勝つため、咄嗟に膝を抜くと、浮かび上がった全身の重みを、落とす刀へ一気に乗せた。・・・」このあたり全く達人甲野氏の説であり、バスケなど応用の基本でもある。新しい時代小説家の発見に楽しさが増した。
  読後あらためて松聲館のHPを見たhttp://www.shouseikan.com/。ここに多田容子のHPがリンクされていた。ついで彼女のHP を開くhttp://homepage2.nifty.com/tada-yoko/

その中に「松聲館の術理や思想展開は、作品づくりに欠かせない。 甲野先生はまた、手裏剣術の師にもあたる。」とあった。彼女は居合道3段やはり古武術をやっていたのだ。
  今度桐朋高校の金田先生は、夏頃古武術をいかにバスケに活用しているかのビデオを出す決心をされたと聞く。これは楽しみだ。もしかしてこれを契機に日本のスポーツ界に革新的な好影響を与えるかも知れないと隠居は期待している。

(56)輝く部員たち
  インターハイ地方予選1回戦で敗退した部員たち、2日の日訪問。新キャプテン、副キャプテンも決まっていた。木曜日は7時間授業で開始は平日より遅い。体育館では準備運動が始まっていた。ゴールデンウィークで休暇中のミニの後継者がコーチに来た。新校長もやってきた。私と2人椅子を並べて練習を見ながら会話。試合後の出校日新正副キャプテンを校長室に呼んでいろいろ今後のことについて話をしたとのこと。もちろん試合には応援に行っていたそう。
  準備運動が終わったら校長さんがコーチをするという。手動のホイスルを貸そうかと言ったら校長さんポケットから笛をとりだした。ボールを2個持ってコートに立つ。シェービングを行う。少しずつステップアップ、デフェンスをつけスピードアップ、声を出して気迫のあるコーチング。部員の目の色が変わってきた。元気いっぱい喜びに満ちたプレーぶり。さもあらん遙か雲の上の学校長が声を枯らして教えたくれるのだ。
  さすが昔取った杵柄、東京教育大バスケの出身者、経験豊かな指導ぶりに感心した。いま時こんな校長さんがいるだろうか。1年前崩れかかった部に元気溌剌な一年生が入部、再び覗き始めた隠居の助言でチームはどうやら普通の状態になった。そして新校長の赴任。
これできっとチームは上昇気流に乗るだろう。教育とはやっぱり汗をかかなくては実らないものだと思った。

(57)久しぶりの優勝
  S中のS監督よりメールで尾西大会優勝の報告あり、彼女にとって初優勝の喜びが文面に溢れていた。天下に有名なO中の主力選手が女子で高校No.1の学校の招待試合に参加していたそう。そのため準決勝で敗れ第3位だった。優勝確実のO中の主力が不参加でも優勝は優勝である。そういえば彼女が新任した頃よりO中全盛時代でS中はいつも2位に甘んじていた。
  後日応援に行っていた父兄(ミニの会長)からのメールにこんなことが書かれていた。顔見知りのH監督さんが「おめでとうございます。これが本当の中学校の大会ですよね。O中もほとんど地元の子ですし・・・」と声をかけていただきました。優勝は、久しぶりですよね。事情はどうであれ、子どもたちと一緒に喜びました。
  O高校には全中制覇を狙う遠来の中学も参加するだろう。O中のW 監督が主力をつれて名古屋へ行った気持ちも分かる。でも郡市代表としての尾西大会に2軍を。会場ではそれを非難する声もあったそう。いずれが是かは論評は避ける。
  私はあのH監督の言葉がずしりと心に響いた。ともあれこれでバスケの教え子S監督(高校)が間もなく安心してお産でき、生まれでる新生児に良い贈り物ができたことを心から喜ぶ。

(58)月・月・火・水・木・金・金
  島根のmocchin先生の掲示板に下のような書き込みがあって愕きました。
投稿者:[岩手西南佐藤寿彦]  投稿日:[2002/05/23(木) 08:04]
  愛知のご隠居さま、できることなら一日中お話を伺いたい思いです。私は岩手の山あいの小学校で、全校児童20名という小規模校で教員をしながら、土日だけ家に戻って、バスケの指導のお手伝いをしております.学校から自宅まで片道160キロもありますので・・・。バスケに限らず、今の子どもの育ちや、社会の状況をみると、気持ちも暗くなりますが、だからこそスポーツやミニバスも必要なんだと思って、自分のできることをつづけております。ご隠居様の提言は、私たちにとって、灯台であり、道しるべでもあります。・・・・・省略。
[411-1] 西南の佐藤先生、こんなところで!
投稿者:[長町南のベア]  投稿日:[2002/05/21(火) 23:45]
ここ何年か岩手県が強い原因は、ミニバスの一関の鬼コーチ(休眠中)と西南の佐藤先生のライバルにあると思う。全国に目を向いている強さを感じています。それが周りのミニバス、中学、高校に続いています。

  この佐藤先生、ベアさんの説明で岩手県屈指の指導者のようです。折角の土・日を160km離れた自宅まで戻るだけでも大変なのに、ミニを指導して見える。山の小さな学校さぞ道も悪いだろう。凄いパワーと熱情を感じる。我が町から名古屋まで20km,かなり遠く感じる。その8倍、往復320Km。ああ戦時中の月月火水木金金を想起した。
  おそらくこんな方があちこちにみえるだろう。それぞれ勤務や家業をこなし疲れた体に鞭打って子供たちのために。このような指導者が撒かれた種はきっと子供らの心身に根付き大きく育っていくに違いない。日本の未来に明るさを感じた。佐藤先生ご苦労様、そしてバスケ指導の皆さんガンバッテください。

(59)中庸を求めて
  いつも注目しているTeam4UのChallenge Diaryで小林信也氏がにサッカーワールドカップについて書いておられた。なるほどと感銘するところがあった。一部抜粋します。できたら見てください。http://www.team4u.jp/
6月3日
  チケット問題に関連して、宮城県の浅野知事が、「開催地の自治体として、損害賠償も検討する。『責任者、出てこい!』と言いたい」と、激しい口調でFIFAや組織委員会を非難した。その様子が繰り返しニュースで放送された。これを見ながら、「責任者って誰だ?」、僕は開いた口がふさがらなかった。
  チケットを買えなかったファンを代弁し、激しく非難する浅野知事はまるで正義の人だが、浅野知事こそ「責任者のひとり」じゃないのだろうか?
  僕がずっとワールドカップに否定的な発言を繰り返してきたのは、これを実現させたカラクリがあまりにごまかしと詭弁に満ちていたからだ。サッカー協会はとにかくサッカーを日本一の人気スポーツにするために、自治体はそれぞれの地域の経済的な活性と地域振興のために、これを切り札にしたかった。両者の思惑が合致してワールドカップ招致作戦を展開したのだが、これを正当化するお題目は、スポーツの持つ漠然としたイメージだ。爽やかさ、友好、国際親善、平和の祭典、子どもたちに夢を!
  ワールドカップは、実はそうしたイメージとは別の次元に存在するのをサッカー協会の首脳たちは声高に語らなかった。各自治体の推進担当者たちも、少し調査すればワールドカップがオリンピックとはまた違うイベントであることは理解できたはずだ。それでも彼らは、日本人が漠然と持っているスポーツに対する平和的、道徳的なイメージを利用し続け、自分たちの利益追求を優先させたのだ。
6月1日
  この一カ月、韓国に滞在して取材するサッカー・ジャーナリスト、大島裕史さんに電話で聞くと、「韓国では、日韓共催というムードはほとんど感じられません。日本は参加国のひとつ、32分の1にすぎないという印象です」という。それを聞きながら、日本人はどこか勘違いしていないか? すっかり思い上がっていないか?ふと足下の危うさを感じた。
6月10日
  日本代表がロシアに勝った。大騒ぎする日本列島の熱風に乗り切れない僕は、なぜ自分が日本代表の勝利を無邪気に喜べないのか、ずっと問い続けていた。 みんな単純で羨ましい。 サッカー日本代表から「勇気をもらった」と、若者たちが言う。 人生って、そんなに単純だろうか

(60)良き時代だった
  私がS中でバスケを素人監督で10年間過ごした頃は良い時代だった。私はミニバスケが存在していたことさえ知らなかった。練習試合も皆無に近かった。私立のT高校へ年数回行った程度。日曜日は休みもかなり取っていた。たまたまT高校へきていた三河地区の中学の話を聞いて驚いた。三河地区はどんな種目も尾張部を遙か凌いでいた。バスケでも県大会よりも地区を勝ち抜くのが大変だと言っていた。のんびりした私の練習の様子を聞いて驚いていた。「どうしてそんな楽な練習で毎年県の上位におれるの?」と不思議な顔をしていた。平日も学校の終了時間を厳守していた。最近読んだ桜花高校の井上氏の著作で、そのころ休みには毎回県外に遠征していたと書いてあってびっくりした。生徒に恵まれ県大会でかなり良い成績を納めれた。9年目・10年目と運良く2連覇できた。地元の子ばかりで。最後の東海大会準決勝で静岡のチームと対戦したとき、1年生が登場しこちらの3年生が苦しんだ時初めてミニの存在を知った。
   引退した翌年から井上氏の守山中が県の連覇を続け全国も制覇する。それ以後の優勝校T中、I中、N中、O中すべて地区外の選手が起用されている。もう純粋チームでは勝てない時代となっている。私はよい時に引退したと思っている。