第9部 隠居のつぶやき


(81) 寂しくなって・・・
  私のHPの発足当時リンクしていただいた博多のコーチさんは、大分前にHPを閉じられた。店舗改築の関係のようです。そこの掲示板に頻繁に投稿してみえた岡山のぜんちゃんもコンビニ開設のため筆をおかれたようです。大阪の中学の先生のkobeccoの部屋も現在準備中とか。
  バスケ関係ではないが癒し系のD2さん(女性)4月中旬から擱筆されている。就職されての多忙のせいらしい。多くのバスケ関係者が書き込んでおられた。各地の掲示板に素敵な投稿をされていた福島の偉丈夫ジャンボ鈴木さん、家業と学校とミニの狭間で最近彼の掲示板は消息なし。
  ごく最近私のお気に入りのトップにある北海道の「愛Love 友」のzanpaku先生がHPを閉じられた。北海道中学女子選抜のコーチもされ、素晴らしいHPを創っておられ私が尊敬する方、とっても衝撃でした。バスケの原点を求めての、自分探しの旅だそうです。そういえば富山のコーチKさんも2度ほどHPを閉じられました。真剣にバスケの指導に取り組むうえでの呻吟だと思います。家業やら職場やらはたまた指導実践の深奥を求めてHPが閉じられていきます。已むを得ないことですが日々Romしていた隠居にはとても寂しいことです。
  意欲を持ってチームをまたHPを引継ぎ健闘されていたJcoach(女性)もなぜか引退されてしまった。彼女から贈られた分厚いコーヒーカップを手にするたびに、きっと宮崎県の空の下健やかにお暮らしのことと信じています。


(82) 全日本ジュニア中学女子強化合宿資料
  今夏大治中の鷲野監督から3度も封書をいただいた。地区大会、県大会、東海大会の報告で印刷され各地に発送されたようです。3度目は全中大会後に手書きの手紙が入っていました。中身は彼の反省、悩み、決意が縷々書かれていた。私も早速率直な返事を出しておいた。
  なお地区でのクリニックの資料と同時に、表題の資料が同封されていました。9月13日から15日にかけてすでに実施された模様。 全日本女子Jr.監督 鷲野 鋭久の署名あり。彼の家は我が家の近くにあり表紙の神社の近くである。小学校も中学も高校も私の子供たちと同じ。私も先輩だが新制中学は当時はなかった。今や全国に名前を知られた監督、偉いものだ。過去尾西地区女子で県優勝したのは私の前にS先生、そして私、続いて鷲野君であった。彼の活躍は私たちの実績を土台にして飛躍できたと彼は書いています。その意味で今後の夢実現は多少の縁があった私たちにとっても自慢の種となると楽しみにしている。
  折角の資料なのでアウトラインだけでは不十分ですが一応掲載してみます。
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{ クリエイテイブ(創造的)な選手の育成 }
  1.姿勢(技・心)          2.基礎・基本技術(スキル skill)
  3.目的意識・意志(ウイル will)  4.観る(Look)  5.状況判断
  6.予測  クリエイテイブなプレー
{コーチングのポイント}   1.クリエイテイブな選手の育成   2.実践的な技術を教える
  3.ゲームの中での指導       4.テーマに対して焦点を絞った指導を心がける
{ジュニアバスケット4原則}    大治中オリジナル
  1.Look before  Think before  2.Meet the ball  3. Pass and go
  4.More will than skill
{デイフェンスの5原則}
  1.姿勢の準備・保持 2.視野の確保 3.位置の確保 4.意志の伝達
  5.目的意識・意志
{防 御}
  1.ボールマンの防御   姿勢・ステップ・足の使い方・リバンド
  2.ノーボールマンの防御(コース止め・スペーシング・視野・リバンドチエック
  3.1対1の防御(シュート・ドリブルの止め方・予測・意欲)
  4.2対2の防御 5.3対3の防御 6.4対4の防御 7.5対5の防御


(83) こんなバスケットも   12月9日
  2番目の孫も今春兄の後を追うが如く東京の大学に入学した。名古屋の県立高校でもバスケをしていたが県大会は出場できなかった。180数センチあり大学でも部活をやると張り切って上京した。その私立K大学は一部ではないが高校生で全日本に選ばれた2m有余の双子の一人が入学している。かなり迷ったが理系の学部なので結局サークルの方を選んだ。サークルだけでもいくつもあるようで強い方に入った。週2回の練習。
  先日1年だけが都合で参加した一泊での大会の様子を知らせてきました。
「・・・・・・その日の夜は試合前だというのに酒を飲み麻雀を打ち予想通りの展開になっていった。しかしみんななんだかんだいって理性を保ち限界を超えることはなかった。
  2試合目は早稲田のチーム。格下の相手に思っていたが初め一気に12点差くらいつけられ厳しい展開になったが徐々に追いつきそして追い越し、それからはシーソーゲームとなった。残り1分くらいで自分のカウントワンショットの3点プレーもあった。結局残り10秒のところで1点リード。そこで仲間がフリースロー。2本決めれば3点差だから同点にされることはあっても負けることはない。
  最低1本ほしい所を彼は2本とも外した。もう守るしかないところ。自分のマークマンにボールが渡りブザーのなる寸前にシュートを打たれてしまった・・・がそのボールはリングにきらわれ僕たちの勝利となった。1年生チームとしては初勝利なので歓喜に酔いしれた。考えてみれば僕のバスケ人生においてこんな緊迫したゲームはあっただろうか!?ちなみに自分は40点中14点くらい。その日の夜は勝利の祝杯をあげドンチャン騒ぎになった・・・。
 ・・・・・・ブロック戦で再び早稲田のチーム。当然前のとは違う。試合をやりながら明らかに自分たちのほうが強いと感じつつも全然点差がつかずシーソーゲーム。最後の最後までもつれ何と残り2秒で2点ビハインド。ふつうそれは負けに値する。はっきり言って自分も負けを確信した。そこでタイムアウトをとり最後に任されたのは自分。確実に2点とり延長までいければという考えである。みんなの信頼を授かったからにはやるしかない。ローポに近い側のサイドからプレー再開。直接自分に入らないと時間がない。しかし絶好のパスをくれた。あとは自分のポストプレーのみ。ワンドリブル、ターン、シュート、ブザー鳴る・・・入った!!!!!審判の判定はカウント。やったー。みんなが僕のところに集まってきた。ハイタッチの連発。しかしそこで喜ぶのはまだ早い。延長がある。まずこっちが1点フリースローで1点リード。またこっちが2点とり3点差。最後にあいてがスリーを放ったがそれがネットを揺らすことなく僕たちの勝利となった。またまたみんなで喜び合った。あとで聞いたのだが僕のあの同点シュートを見てマネージャーは感動して泣いてしまったらしい。プレーで泣かす男、とみんなに言われた。そのマネはあとで涙で落ちた化粧の手入れをしていた(笑)」
(バスケを楽しんでいる、私はこれで良かったと思っている、ただし試合前未成年者も多い年代で酒を飲むのはいけないことだ。)


(84) 今朝の年賀状
  右上角と左下角にNO5の紫のユニホーム。中央部に可愛い坊やが白のユニホームで。上部には年頭の挨拶。中央左に「中学2年生。バスケット部副キャプテン。目標 県大会出場。」 右側に母親ヒロミさんの言葉「口数の少ない息子あっという間に背も抜かれてしまいました。試合を見に行くとつい熱くなってしまいます。バスケットを通じいろんなことを学んで欲しいと思います。私が学んだように あの時期は私の宝です。」
  私が引退する前体育館の鉄柵の外から覗いていた母と子。近寄ったらたまたま実家に来ていたヒロミ母子。まだ小学校3年生だったか。彼女私が漸く県大会優勝したときのガード。全員小さくセンター陣さえ160そこそこ。どうして勝てたか分からない。
  今朝この年賀状を手にとってしみじみバスケを指導していてよかったとあらためて痛感。できたら坊やのプレーを見たいが。隣の県伊勢神宮の方では。


(85)新しい試み
  少し前村の後継者のK監督が自宅にやってきた。「先生の名前がかりたい」「2月25日に4年生以下の大会を始めてやろうと思います」。そう言えば昨年末の村長旗争奪大会の時、何か企画したいと言っていた。「この地域で何処もやっていないことを子供の視点で考えては」と伝えておいた。
「もしやるなら特別ルールで、楽しい1日になるような企画、また従来の枠に縛られないで子供達がバスケが一層好きになるよう工夫して欲しい」と。
地元だけで男子4チーム女子10チームとか。私の名前はどうでもよいが優勝トロフィでも寄贈させてもらうつもりで スポーツ店を訪れた。さてどんな大会になるか楽しみだ。昨年12月岐阜の美濃ミニバスが「うだつ杯」といった全く新企画でユニークな大会を盛大に開催された。手元にあったその要項をK監督に渡しておいた。
  高齢と家の事情で殆ど各大会には顔を出していないが、縁深き村と町のミニの行事には短時間でも出席して、幼い子たちが嬉々としてバスケを楽しむ姿を見せてもらいたいと、今からその日を待ちわびている。


(86) 鶴鳴の山崎監督の本を読んで
  監督の本「チームを作る」「続チームを作る」「大野慎子物語」が監督のHPに載せられている。全部を読ませていただいた。出世コースの教育委員会異動の辞令を蹴って鶴鳴学園へ。腎出血の大病での長期入院での苦悩。中村監督との関係、ボイコット4回の体験、スカウトのこと、大会での詳細、戦術戦略・・・チームづくりでの様々なことが網羅されている。
  時に部員に激しい鉄拳を浴びせ倒れたのを引き起こしてまでの制裁、その折の心情、反省。赤裸々と若気の至らなさを綴っておられる。案外有名な監督さんの書物など、醜いものなどは書かれていないのに、正直に述べられていることに心を打たれた。
ともあれ未読の方は是非一読されると良いと思います。私も想像を超えるバスケへの情熱、チームづくりへの飽くなき挑戦に、ただただ頭を下げるだけです。既刊のものをよくぞネットに公開されたものと敬服している。
http://kakumei.nagasaki-joshi.ac.jp/~yamasaki/index.htm 山崎監督のHP


(87) 第1回○○賞リトルミニバスケットボール大会
  舞台上に「 第1回○○賞リトルミニバスケットボール大会」と書かれたでっかい看板が架かっていた。自分の苗字が出ており気恥ずかしい思いで会場に入った。4年生以下のイベントであったが、上級生顔負けのゲームを展開したのには驚いた。ゲームの間にドリブルリレーや右ドリブルシュート競争があった。またユニーク賞として「よく応援できたで賞」「チームワークがよかったで賞」「最後まであきらめなかったで賞」「よく声が出たで賞」「ねばり強く守れたで賞」「保護者が熱くなっちゃったで賞」があり豪華な賞品が大きな袋で出た。ユニーク賞の効果かベンチや親さんの応援は活発でゲームは一段と盛り上がった。
  監督さん達もこの大会が部員達に及ぼす効果は絶大だと喜んでおられた。この会を企画運営したKuroda監督始めスタッフの皆さんのご努力にただただ合掌の心境です。なお個人賞として各チーム1名ずつに、私たち夫婦で作った大きな折り紙のくす玉を贈った。
  なお会場で、はからずともかっての教え子に会えたのは嬉しかった。一人はSaya中最後の部員で県2連覇のセンター、今他地区から甚目寺ミニ(大治中鷲野君の教え子が監督)へ子供を二人通わせていると。26年ぶりの対面だった。今一人は高校で10年前に教えた子、凄いプレーヤーだった。アメリカから帰国中、偶然友人に誘われ会場に来たと。
 すべてにおいて充実した1日だった。そのうえ久しく勝利から見放されていたSayaミニ(私が村に続いて創部した)が圧倒的な強さで優勝したこと、また全監督が投票で最優秀選手に選んだのがSayaミニの子だったのが一層の喜びだった。


(88) メールにビックリ
  今朝見知らぬ女性の方のメールを読んで驚いた。かって高校女子バスケット界であまりにも著名だったK先生からだった。私のHPをごらんになっておられたようで「第3話(註:今昔物語 バスケとの出会い)に登場していた名女商の監督のKです・・・」「・・・あのときこの時を思い出し胸高まりました」と。
  30数年前女性監督で連続全国制覇3年(4年かも?)と、実に想像越える偉業でした。K先生の後私の師匠のN先生、そしてその謦咳に接せられたと思う井上監督(当時守山中・現 桜花高校)。何か綿々と潮流が続いている気がする。
  いずれにしても私のバスケのルーツでもあるK先生からのメール、本当に嬉しく思い感激しました。


(89) 珍しい本
  暑中お見舞い申し上げます。まだ7月というのに連日の酷暑本当に大変ですね。隠居も老いの厳しさを毎日ひしひと感じる環境となり、自由に外出したり、バスケを観戦することも困難になりました。多くの方の励ましや支援でどうにか暮らしています。8月2日の県大会最終日だけは観戦したいと、準備しています。
先日図書館で珍しい読み物を見つけました。
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新世紀スチュワーデス物語 翔べ! ラビッツ   深田祐介 著 1333円+税
2004年5月30日 第1刷
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日本航空の現役スチュワーデスチームの物語で、韓国ナショナル・チームのヘッドコーチだった林永甫の招聘のこと、オリンピック出場の立て役者藪内や、矢代、堀部、柳本,畑岸等のことが書かれている。バスケそのものが物語になっているのは読んだのは初体験です。特に次の文章には驚いた。
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現在日本女子バスケットボール(WJBL)一部八チームのうち、七チームまでのリーダー、つまり監督、技術顧問が韓国の人でしょう。ジャパン・エナージのキムピョンオク技術顧問がパイオニア的存在ですが、シャンソンのVマジックのチョンジュヒヨシ監督、富士通のリオクジャ監督、デンソーアイリスの女性監督のハスンネさん、三菱電気コアラーズのイムケサム技術顧問とキムウニヨンアシスタンントコーチ、トヨタのチョンヘイル技術顧問などが代表的なケースです。そして彼らの恩師と言うべき存在がJALラビッツの林永甫先生なんですよ」(漢字がないのでカタカナにしました)
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韓国の人が何人か監督になっているとは聞いていたが,これほどまでとは知らなかった。日本も指導者の養成が急務ですね。


(90) 県大会寸描
  9時半準決勝、わが家を7時45分ごろ出発、駐車場が狭いからと早めに出発。ところが高速道路の渋滞で開始直前到着、私だけ降車してY先生駐車場探し(結局有料で)。31日ミニの監督が 外部コーチでベンチに入ったそうだが、午後のミニ練習の時私に告げた。「先生1回戦猪子石との対戦、衆目は私たちのコートに、大治、南陽の監督さんは勿論。当然猪子石に注目を。ちょっと恥ずかしかった」と。
  南陽ー猪子石のゲームはすざましかった。真剣の斬り合いのような、丁々発止の攻防、一瞬たりとも目が離せない。全中出場を賭けた一戦であり、名古屋市の大会の雪辱戦でもある南陽は父兄の応援団も激しかった。勿論決勝戦も素晴らしかったが、私は準決勝のほうに心を奪われた。リバンドの差が勝敗を分けたか。帰り南陽の監督さんに声をかけた。やはり大魚を逸し残念そうだった。
  体育館は市のスポーツセンターで観覧席は満席では無かった。女子の決勝が終わったら女子チームはもちろんだが、多くの観衆が席を立った。お目当ての日本トップレベルのゲームが終了したので。疲れていたが大治中の鷲野監督に優勝を祝う葉書を書き投函した。