よちよち校務主任1年

昭和53年O中学校へ転任して  

(1) はしがき
  思いがけない土地で予期せぬ仕事、五里霧中の1年であった。10数年前にぶちあたった肉体的苦悩も、自分の怠惰のため未だ超克し得ない不信の徒にとり、天啓とも言える課題であった。
  毎日毎日が自己の無知への認識であり、一つ一つが発見であった。今ようやく霧が薄れ視界が若干きくようになったのは、多くの先輩、同僚の力添えのお陰と感謝せずにはおられない。
  ここに収録を念ずるはただ一片の落書きにはすぎないが、小生自身においてはひとつの生きた証かしであり、久しく惰眠をむさぼりし我が身への警鐘と考えるものである。
  
昭和54年3月20日  


  ちょっとオーバーなはしがきで今見るとはずかしい。あまり期待しないで読みすててください。

(2)洗礼
  入学式、始業式が終わって未だ何日も経っていないある日の清掃中、養護教諭が私のところへ駆け込んできた「先生来てください」と。何事かと思ってついていく。保健室の前の女子トイレだった。便器の水が流れないで溢れていた。これを修繕?してくれとの用件だった。さてどうしたら良いのか分からない。養護教諭が鉄砲を持ってきた(棒にラッパのような円錐形のゴムがついている道具)。これを押したり引いたりして直すのだと教えてくれた。まだ新しいスーツの裾を曲げ挑戦。なかなかうまくやれない。そのうち突然水が吸い込まれていった。成功。やれやれ最初の仕事がこれか。前途多難、以後トイレには悩まされ続けた。

(3)うっかり穴を掘るな
  5月のある日焼却炉の灰を捨てる穴を体育館の西側に掘ってもらうことにした。藤山先生に頼んだのである。1年4組の男子が作業をしてくれた。
  一度来てくれと呼ばれて行って驚いた。少し掘ったところに配水管がニョッキリ露出しているではないか。それも一部割れて・・・・・。あまり土が堅いので鶴はしで掘ったためと判明。故意ではないし私も責任を感じた。作業前に側溝を確かめ穴の位置を決めるべきだった。これぞ後の祭り。
  家から雨樋のあまりを持ってきて補修し穴堀りは中止。失敗は成功のもと。注意肝要。
  (現在は焼却炉は使用できないでしょうね)

(4)仕事をするときは見合った服装で
  ポプラの剪定の後始末の時だった。半袖、短パン、素手で作業をした。
  帰宅してから大変、全身がかゆくてかゆくて大騒動。毛虫の毛だろうか。翌朝手伝ってくれたバスケの女の子に聞いたらやはり同じだった。悪いことをしてしまったと後悔。庭師さんや労務者の方が長袖、手袋で作業してみえるが、やはり意味のあることだと痛感した。よくコンクリートなど素手で取り扱って皮膚を破ることがある。クワバラクワバラ。

(5)水性ペンキだって ナメチヤ イカン
  赴任早々給食室を覗いたら年増の厨婦さんが「先生ペンキ塗ってー」と言う。近々保健所が検査にくるそう。毎年校務主任に塗ってもらうとのこと。ペンキ塗りは自信があった。キャタツに乗って白ペンキを塗った。水性ペンキは初体験だがなかなか便利。あっという間に全部塗り終わった。白の体操シャツ、赤のトレパンがペンキだらけ。
  洗えば簡単に落ちると気軽に考えていたがなかなか落ちない。水性ペンキでも乾いたら水では落ちない。とうとう未だにペンキの跡点々と。

(6)よく見てから
  ある日ペンキを塗ろうと早速水を入れて塗り始めた。どうも調子が悪い。あらためて缶を見てビックリ、普通のシンナーを使うペンキだった。てっきり水性と思いこんで水を入れて・・・・。
  新米早々のほろ苦い思い出。

(7)Pタイルは水に弱いぞ
  印刷室の工事のおり職人が左官仕事に来ていた。職員室入り口の手洗いからゴムホースで水をとっていた。使用中若干水が床に貯まっていた。多少気づいていたが何でもないと思っていた。ところが2・3日するとピータイルがペロペロめくれてきた。そして10数枚ダメになってしまった。業者に話してすぐ張り替えさせた。
  接着剤が水に弱いと初めて知る。あの水害の時ピータイルがみんなはがれてしまったという話を聞いたことがあった。その後廊下で少しでも水があると神経質にすぐ拭かしたりしている。

(8)カタログはよく読め
  書架を買うことにした。あれこれ選択し木製で少し高価だが購入した。
  業者が組立をやるという。何の疑点も抱かなかった。1時間授業をやった後設置された書架に触ってアッと声が出た。この書架スチール製ではないか。木目鮮やかだが・・・。直ちにカタログを見直した。上の方にスチールと書いてあった・・・。無念!

(9)用語の鵜呑みは注意
  「スチール黒板貼り替え」
  土曜日午後1時頃一組の若い夫婦が3枚の黒板の張り替えに来た。4時には終わると言っていたがとうとう7時までかかってしまった。どうしてそんなに遅れたか。
  張り替えと言うから古い黒板を取って新しく取り付けると思ったがさにあらず、新しいのを上に重ね貼りするのである。ためにいくつかの問題点がありそれでとても時間がかかってしまった。(絵で説明するとよいが描けないので省略)
  ( 昔黒板は確か黒色だった。いつの頃か緑色になった。それでも黒板と言うの?今でも緑色だろうね。)

(10)仕事の結果は確認せよ
  保安協会の安全点検でロッカー室の配電盤のスイッチが1箇10Aが入っているので取り替えるよう指示があった早速工事屋に依頼し取り替えてもらった。玄関の水銀用のスッチである。夕方帰宅しようとすると点灯している。平素は切ってある。
  すぐに配電盤へ行って切るが全然消灯しない。工事屋が間違えて仕事をしたかと思った。翌朝電話して確かめたら別の場所に取り付けたとのこと。あのとき漏電のことに気を取られ工事の跡を確認しなかったのでミスをしたのだ。

(11)リヤカーは骸骨だけだ
  リヤカーこの言葉を入試で高校が休みで来ていた孫に聞いたら「知らん」という。昔人力で荷物を運ぶ2輪の箱のこと。最近は余り見かけない。農家にとっては大八車と並んで必要な道具だった。
  学校のすぐ近くの自転車屋に リヤカーを特注した。電話で納入すると聞き多忙だったので職員室前に置いておくようにと指示しておいた。暇ができたので見に行って驚いた。パイプの部分と車輪のみ、底板、側板がない。すぐ自転車屋に抗議。「普通リヤカーは板は無し。大工さんに作ってもらうものです」という答え。こんなこと少しも知らなかった。やむなく業者に頼んで作ってもらう。かくしてようやく無公害車完成せり。
  (頭が悪いか、教師馬鹿になったのか、なんにつけても常識が少ない気がしてならない)

(12)過去の観念にとらわれるな
  安全点検表を見ると3階のトイレの手洗いのパッキング不良とある。
  気楽にパッキングと若干の道具を持って修理に赴く。下のバブルをゆるめても水が出ない。ともあれパッキングを替えようと分解を試みるが、ねじが途中で止まってしまう。階下に降りて道具を持って来る。それでもダメ。
  構造をよく見ると、私の知っている(家庭用)器具と違っている。ようやく外してパッキングを見る。異常なし。元に戻して見ると水が出た。結局ねじが少しゆるんでいただけ。

(13)昇降口は4つだが階段は3つだった
  来年度の教室配置やら、朝礼と昇降口の段取りも、前々から図面を見つつ工夫していた。学年末も近づいたので、清書しようと思ってはっと気づいた。階段が一つ不足している。昇降口が4つだから階段も4つと信じて、入場方法はもちろん、教室移動の計画まで完成していたのが全部ダメ。
  先入観は恐ろしいもの。結局最初から皆やり直し。1年近くも勤務しながら、階段の数も知らぬとは恥ずかしいかぎり。

(14)煙の色に注意
  煙突から煙の出るのはあたりまえの話。でも煙の出過ぎ、黒い煙には要注意。燃焼物の種類によっては黒い煙が出るが、普通のゴミで黒い煙が出るのは不完全燃焼。灰が降っているはずだ。
  焼却炉と言えば、これが新設は私の初仕事だった。授業のおり無事鎮座しているのを見て愛情しきりに感ずる。女子の汚物の焼却も経験、校務の仕事は廃棄物から始まれり。
  (現在この焼却炉はまだあるかしら?もう使用できないので撤去されたかも)

(15)ブレーカーはどこにある
  停電、「ブレーカーがとんだ!」とよく電気屋が言う。以来ブレーカーはどこにあるかと心にかけていた。どうしても分からぬ。電気屋に尋ねた。
  「現在のスイッチはブレーカー兼用」とのこと。それでは分からぬはず。昔家庭用はひもがついていた。「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」
  ブレーカー
  過大電流が流れたとき、自動的に切れる安全器

(16)職員靴箱なんで調子が悪いんだろう
  登下校の際厄介なのは吾々の靴箱である。ふたを開けようとするが簡単に開かない。つまみも小さく力が掛からない。色もネズミ色で設備一般がとても良い学校にしては、なんとオンボロな靴箱と思っていた。
  たまたま校長さんが入院中でふとその件に触れた。「それは別に悪いのでなく、中に磁石がついていて密着しているのだ。テープでも貼ると磁力が弱るよ」と教えてくれた。
  すぐビニールテープを磁石に貼った。なるほど簡単に開く。これも新米ホヤホヤの頃の恥ずかしい話です。

(17)サッシの窓枠は強いかしら
  新校舎のサッシの窓枠が共通した場所で欠陥を現した。一本のネジの部分が不良でガラスが落ちそう。工事をした関係者に連絡してもなかなか来ないので、地元のガラス屋さんを呼んで修理してもらった。
  近代建築は勿論、木造家屋もサッシの建具にみな変わってしまった。そのため木造よりサッシの方が全て強いと過信してしまっているのではなかろうか。
  材料の上から、また強度、量産の面からサッシは優れた点は多々あるが、わずか1本のネジでもろくもその機能を失うとは、はなはだ心もとない気がした。
  我が家の新設家屋を見たらトーヨーサッシ、ト−ヨサッシと言えば1979年1月号VOICEで感動した文を読んだ。
  小学校時代結核を病んだ一建具商の倅が、20歳の病身の体で父の仕事を手伝い、以後終戦を境に、建具卸商建具製造、サッシメーカーと変貌、そして苦節を乗り越え日本一のメーカーとなった。その人は大正15年生まれトーヨサッシ社長 瀬田健次郎氏

(18)柳の木は早いうちに燃やせ
  教え子のS君が言った「去年は柳の落ち葉(剪定後)で後かたづけに1ケ月かかったよ」。工事に来ていた会社の軽4輪で一気に運び、教頭さん、事務員さん、校番さんの応援で燃やす。こういう場合、役場、消防署に一報が必要。さもないと一大事が起こる。
  「柳の木は油を持っているから剪定後直ぐでも燃える。余り乾いてからは落葉して始末に困る」との学校長のご忠告を生かした。
  (今は剪定した樹木を野焼きすることは禁止されているかも?)

(19)ネジ穴を埋めるには
  5月頃1年生のクラスで教室のドアーが調子が悪いという。
  見てみると蝶番がゆるんでいる。教務主任の先生が「穴に割り箸を打って埋めるとよい」と教えてくれた。なるほど成功した。もっと小さい穴ならマッチの軸やらつま楊子で。

(20)便器がつまった
  便器のつまりと言えば酷いのがあった。2階のトイレだ。水道屋の白石さんがやっても直らない。下へ潜るにも上がり口がない。ついに役場の許可を得て一階の天井を破って修理してもらった。原因は汚物入れのふたがつまっていたのである。
  「トイレの正しい使い方 」こんな基本的なことが実はなかなか身に付いていない。

(21)浄化槽との戦い
  私が悩まされたもののうち特に大であったのが浄化槽の水中ポンプである。
  ある時配電盤の赤シグナルが点灯しているのに気づいた。スイッチを入れると警報が鳴る(平素は切ってある)。異常水位に上がってる証拠である。ここから私と浄化槽との臭い関係が始まる。鉄蓋を取ってみる。相当量貯まっている。汲み上げマスのコンクリート蓋を開ける。排水量が少ない感じ、モータを切り替える。がぜん排水量が増える。
  教頭さんに相談し水を手動で全部汲み上げ、水中ポンプをハイジャンプ用の竹竿にホースをつけて洗う。特にNo.1のポンプが弱っている様子。
  1ケ月後再び赤ランプが点灯。土曜日の朝だった。今日こそ徹底的抗戦と心に誓い、全校生徒にも該当のトイレの使用を禁止。先回好調だったNo.2がNo.1よりももっと弱っていた。ともあれ強制排水(手動)、弱ったポンプだからなかなか排水できない。日当たりが悪い場所で、風もあって寒い。勿論悪臭、格好の悪い仕事、惨めな想いにとらわれる。
  大分水量が減ったと思うと放課でまた増水、使用禁止なのに腹が立つ。こんな繰り返しで2時間有余、漸く排水完了。教頭さんが「ポンプに何かつまっている。それを取ろう」の案で竹の先に針金でカギをこしらえた。これで引っかけることにした。3mほど下にさげての仕事でとてもやりにくい。教頭さんが根気よく続けてひとつ、ふたつ、みっつ・・・・どれもこれも同じ形のもの、女子の生理用具のビニール袋だ。40枚はとれただろう。ポンプの目にびっしり食い込んでいた。
  でもスイッチを入れても一向変化が起きない。こんな繰り返しのうち、突然ゴーット管一杯の勢いで排水始めた。「ヤッター」歓喜の声、さすが教頭さん、最敬礼。でもニックイ奴は女生徒たち、この苦悩知ってくれ。
  教育とは人目のないところでいかに正しく行動すべきかを学ぶものではないか。

(22)漏電騒動記(3回目の漏電)
  新しい年が明けるやいなや、1月10日、第2時限の受業を終わって職員室へ戻りつつあった時、玄関に黄色い車「保安協会」を見つけた。西内さんが顔を出した。「先生、また漏電ですよ。」ガックリ。ともかく二人で故障発見に取り組む。例の如くトランシーバーで、私がキューピクルのメーター係、西内さんは次々と各配電盤のスイッチをonーoffして移動する。
  ようやく会議室東の配電盤系統が怪しいと判明するが、そこから2本の線が何処へ行っているか不明。3階と推定し調査「故障はこの回路だ」と彼は言う。もしこれが事実なら大工事だ。「まだ外にいっているのでないか?」と食い下がり念のため107室西の配電盤にあたる。嬉しいことに前述の行方不明の回路が来ている。
  再び検査開始、ついに発見、新館該当ブラケット回路だ。これなら一応スイッチを切っておけばよい。午後工事屋が来たので細部を見てもらう。絶縁不良があるが原因不明。翌日二人の工事屋が来たので今一度調べてもらう。
  1時間有余かかって判明。コンクリート内部で配管が破られていた。非常階段取り付けのおり、内部の電線の配管を無視してボルトを打った。1年たってへこんだ配管が腐食をおこし漏電となった。早速修理。実に校務主任は難儀な仕事だ。

(23)ケレンって何
  10月のある日校長先生が見積書を見ながら「ケレンってだ」と言われた。私は得意になって説明した。その見積書はプール塗装のものだった。
  夏休み2,3階のテラスの補強。塗装工事のおり知った用語で「錆び落とし」の意味だそう。段階に寄って第1種、第2種・・とあるそう。

(24)大切な職人さんたち
  学校を治めるには水道関係、ガス関係、電気関係が掌握できねば何ともならない。1年間で何度これらのことで頭を悩ましたことだろう。そのため私は、水道屋さん、電気屋さんを始めガラス屋さんなど職人さんを大事にした。職員室でいつもお茶を出してサービスしたものである。例えばガラスが階下で割れたり、割られたりしたら、これが元に服さない限りは校務主任は帰宅できない。平素ガラス屋さんと仲良しだと直ぐ飛んできてくれる。(25)水漏れ
  体育館の外に水漏れが見つかった。出入りの水道屋と水漏れの箇所を探した。いろいろの器具を使って調査してもいっこうに判明しない。苦労の末発見。体育館2階の滅多に使わない部屋の手洗いの系統だった。ここに手洗いがあることさえ知らなかった。誰も殆ど使っていなかった。そのため水が汚れて鉛管が腐食したのである。水は時々流さなければならないと知った。

(26)ベースはなんのためにあるの
  前年度入れた書庫と同じものを購入した。並べてみると高さが違う。昨年度のものはベースがないのである(書庫の下に敷く枠)。
  「ベース何故あるの」その答えが直ぐ浮かばなかった。事務員に尋ねたら「下の戸棚を使用する時、低くて出し入れが不便だから。」なるほどそうかも知れない。家の中の和箪笥など確かに下枠が敷いてある。こんな幼稚なことがこの年で知らないとは。

(27)給食室止水栓はどこに
  水を治めるには止水栓の位置を絶対把握していなければならない。特に給食室はよく水を使うところだから、前から止水栓の位置を探していた。
  ある日水道屋さんと共に給食室の東を掘り返して漸く見つけた。平素はゴミ箱が上に乗っていて一見して分からないので注意。(図示をしておく)

(28)もし救助袋を使うなら
  救助袋は4階に1つ、3階に2つある。常時緊急に使用できるように心がけるべきだが・・・。ところがグランドの救助袋の止め金具の位置が不明だ。砂が積もって場所が判明しない。これを明らかにした。なお訓練後の畳み方だが一応全部上に上げ、しかる後順次折り畳むこと。54年度3年生全員を避難袋にて脱出訓練を実施した。

(29)もしガスが止まったら
  時々こんな故障が起きるがこれは簡単に修理できる。
  「安全ボールのこと」
  ガスが何かのはずみで強く出ると、ボールが移動してガスの口を閉ざす。ホースを何度かZ状に折り曲げ両手で強くにぎると、ガスが逆流してボールがはずれる。

(30)サイドボードの怪
  ある日の授業中事務員がやってきた「先生業者がサイドボードを持ってきたがどうする」と尋ねた。「廊下に置いておくように」と指示。しばらくするとまた事務員が教室へ来る。「あのサイドボード口が一つしかないよ?」「そんな馬鹿なことが」早速見に行って驚いた。事実口は一つしかない。
  が反対側に今一つ口があった。なるほどこれは用途の違うものだった。(私は壁側に設置して左右使用できるものを発注したつもり。しかし到着したのはボードの両側で半分ずつ使用するものだった。)
  カタログを今一度見ると確かに一方にしか手カギが見あたらない。完全にミステリ?やむなく特注にして改造してもらう。

(31)怒鳴られた
  新任早々砂場作りの工事をすることにした。たまたま来ていた設計士に図面を引いてもらい、業者を連れ伺いに言った。学校関係は役場の総務課が取り扱っていた。総務課長が私の用件を聞いて大声で怒鳴った「学校に業者選定の権利があるか・・・」役場吏員が全員私の方を注視する。何がなんだか分からない。実は業者を何処にするか先に伺って見積もりを出すのが定法だったのだ。役場には業者指定の枠があったのだ。
  知らぬが佛、教員になって28年一度も叱られたことがなかったので無性に腹が立った。私も逆らおうとしたが学校に迷惑がかかってはとじっと我慢した。この役場昔から教員をいじめるので有名だった。総務課長も月給が私たちよりうんと低かったのも原因の一つ。 総務課長後に収入役に、私の中学の同級生が大きな町の収入役と聞くと以後とても優しく接してくれた。また役場のすぐ近くの旧家にこれまた同級生が婿いりしていたのを知って一層親しくなって、酒を飲みかわす仲になった。

(32)深夜の呼び出し
  ぐっすり寝入っていたとき突然電話、役場の人から「警報ベルがなった。学校へ至急きてくれ。」警報が入ると役場へ繋がる。宿直員が近くの役場幹部に連絡、助役さんか総務課長が学校に急行する段取りになっている。深夜寒い中をバイクで駆けつける。学校まで16Kmほどある。原因は新校舎の建設で旧校舎とのつなぎの工事中、激しい雨で雨水が校舎内に入り職員室の警報機に浸水した結果だった。役場幹部は夜半に起こされ不機嫌、灰皿が捨ててないとか、通用門がカギかかかってないとか当たり散らしていた。こちらも迷惑千万だった。

(33)終わりにあたって
  どうも失敗の羅列のようで恥ずかしい限りです。しかし知らなかったことは事実だし勉強の毎日でした。実際には予算の立案、執行、備品消耗品の管理購入等々いろいろ仕事があった。また新校舎増築、武道館新設などの大きな仕事にも関わった。設計段階から設計士、役場、学校とで何度も打ち合わせをした。壁面や床の色の決定、倉庫やWCの細部まで学校側の意見を入れてもらった。難儀な1年だったが良い勉強ができたと思っている。読んでいただいた諸兄に感謝いたします。