一口メモ
 海部郡 (あまのべのこおり) は、室町時代の足利将軍6代の時に、佐屋川 (現在の津島市の西部、国道155号の西 ・ 立田村との境を流れていた大河) を東西に分けて、海東郡と海西郡に分割された。
 旧佐屋川は、現在の祖父江町拾町野の木曽川から流れだし、八開村、立田村、佐屋町をとおり伊勢湾に流れていた木曽川の支流。この川から東側が海東郡で、西側が海西郡であった。
 北は中島郡に接し、海東郡の東は愛知郡に接し、海西郡は現在の岐阜県海津郡や三重県桑名郡と接していた。
 津島市は旧市内の津島村も、旧神守地区、神島田地区とも海東郡に接していた。

 海東郡と海西郡は、大正2年 (1913年) 7月1日に合併して現在の海部郡が誕生した。津島市の市制施行が昭和22年3月。旧神守村は津島市と合併する昭和30年1月まで海部郡神守村で、神島田地区は昭和31年4月まで海部郡だった。