横井庄一の年譜
年号 西暦 月日
大正 4年 1915 3月31日 愛知県海部郡佐織村大字見越35番戸にて出生
 (山田庄七と大鹿つるの長男・現愛西市)
7年 1918 11月12日 愛知県海部郡神守村大字越津26番戸(母親の実家)へ入籍
 
(生後3ヶ月頃から小学校5年生まで大鹿家で育つ・現津島市)
10年 1921 4月1日 同郡神守村立神守尋常小学校入学
15年 1926 月日不明 同郡冨田村立千音寺尋常小学校へ転校(昭和2年3月卒業)
 (横井家の生活へ・
正式入籍は昭和7年・現名古屋市中川区)
昭和 2年 1927 4月 同郡冨田村立冨田小学校入学(昭和4年3月卒業)
4年 1929 4月 愛知珠算学校に入学 (約1年間在学)
5年 1930 不明 豊橋市花井洋服店(軍服専門店)に勤務、昭和11年まで
7年 1932 7月11日 横井家へ正式入籍 (昭和7年4月13日海部郡冨田村大字千音寺3983番戸横井栄次郎と母つるが婚姻届出)
11年 1936 自宅にて洋服仕立業を営む (13年4月まで)
13年 1938 5月6日 臨時召集により輜重兵第3連隊補充隊(名古屋)に入隊
9月14日 野戦重砲兵第1旅団輜重隊(北支青島)に転属し支那事変従事
14年 1939 3月25日 召集解除
4月から 自宅にて洋服仕立業を営む (16年7月まで)
16年 1941 8月5日 臨時召集により輜重兵第3連隊補充隊(名古屋)に入隊
9月5日 輜重兵第29連隊(満州奉天省遼陽)に転属
19年 1944 3月4日 グアム島に上陸 同島の防衛任務に従事
47年 1972 1月24日 グアム島タロホホで発見される
2月2日 東京に帰還 国立東京第一病院に入院
4月25日 名古屋市中川区冨田町千音寺に帰郷
11月3日 幡新美保子さんと結婚
48年 1973 2月 新居完成 (現記念館)
49年 1974 2月25日 手記『明日への道』発行 文藝春秋刊
7月 参議院選挙全国区立候補 (落選)
50年 1975 陶芸を始める
54年 1979 自宅に窯を築き六十路(むそじ)窯と命名 (全国8ヶ所で個展開催)
57年 1982 横井庄一と美女7人による『ザ・サバイバル』(テレビ朝日)出演
 58年、59年、60年(横井不参加)と番組は続く
58年 1983 8月 手記『無事がいちばん』不景気なんなこわくない-中央公論発行
59年 1984 2月 手記『横井庄一のサバイバル極意書もっと困れ小学館刊
6月 右目白内障手術 (藤田保健衛生大学付属病院)
60年 1985 3月 胃がんの手術 (国立東名古屋病院)
62年 1987 2月 帰国15周年記念パーティー (名古屋三の丸会館)
平成3年 1991 4月 春の園遊会にて、天皇皇后陛下より御言葉を賜る
9年 1997 9月22日          死去
11年 1999 12月 小動物の慰霊碑建立
18年 2006 6月24日 横井庄一記念館開館