ルーズベルトの決断

 

 九月十一日、海軍作戦部長スタークと陸軍参謀総長マーシャルはルーズベルト大統領の要求により「米国総合生産必要物に関する陸海軍統合局予想書」を提出した。おしりもアメリカの駆逐艦グリーア号がドイツに撃沈されたのと同じ日であった。これは、ルーズベルトの仕組んだグリーア号撃沈で、アメリカの世論が反戦から参戦へ転じるかどうか解からない時期であり、日本が九月六日、日米開戦を帝国国策要綱で決定したことを受けて、ルーズベルトが陸軍参謀総長マーシャルに命じて作らせたものである。これは真珠湾以前に書かれた書類の中で最も重要なもので、世界戦略の基本的戦略が記されていた。その中の第三部後半(B)は「日本の戦略」にあてられている。

 

十八、日本の目標は「大東亜共栄圏」の樹立にある

十九、ヨーロッパにおける結果のいかんに依存しつつ、日本の戦略的行動は以下のごとくになるかもしれない。

 a;連合艦隊の援助をうけつつ、小海軍兵力と相当の空軍兵力とを使用することによって、 

  日本委任統治領に効果的なを建設し、かつそれを維持する。この行動の中には、中部

  および東太平洋における、米国海軍兵力ならびに米英の連絡路線に対する潜水艦および襲

  撃艦艇による行動が含まれる。

 b;日本の東方に向かって、作戦行動する連合艦隊による援護下で、陸、空作戦によって東

  シベリアを征服する

 c;タイ、マレー半島、オランダ領インドシナ、フィリッピン群島を征服する。成功には強

  力な空軍、相当の力を有する軽海軍兵力、むしろ大規模な地上軍が必要である。日本は装

  備と原料に不足しているから、同時に北と南方とに重要努力を企図することはありえない。

(中略)

二十、日本は今後数ヶ月以内に以上の目標のいずれかを完遂しうるかもしれない。

 この中での十九・aの中部大平洋には当然ハワイも含まれる。

 

 この予想書は後に起こる太平洋戦争における日本の作戦を見事に言い当てていた。日本の真珠湾攻撃の可能性は、アメリカの軍事専門家の中では、当然検討されていた。FBIのフーバー長官も、FBI捜査官やイギリス情報部員から日本の真珠湾攻撃あるいはフィリッピンのクラーク空軍基地攻撃の可能性を得ていた。当然フーバー長官はその事をルーズベルトに報告した。ルーズベルトは駐日アメリカ大使グルーからも、真珠湾攻撃の可能性を何度も報告されていた。

しかし、ルーズベルトは「真珠湾については他言無用。たとえFBIの内部でも誰にも話してはならない。すべて自分に任せて欲しい。」とフーバーに釘をさしていた。かつてルーズベルトはリチャードソン太平洋艦隊司令長官に言ったことがある。

「日本がフィリッピンを攻撃しても、アメリカが対日戦に突入するかどうか解らない。しかし、日本は必ず過ちを犯す。」

これは当時のアメリカ国民がいかに、反戦気分であったのかよく表している。アメリカの一

殖民地であるフィリッピンを日本が攻撃したくらいで、アメリカの世論が日本との開戦を支持するかどうかルーズベルトにも解らなかった。しかし、アメリカのハワイが日本軍に攻撃されるような事があれば、直ちにアメリカの世論も開戦に傾くであろうと考えていた。その為には日本軍が“汚いやり方”でアメリカを攻撃すればするほど、ルーズベルトにとって世論を開戦に引きずり込めるという計算があった。この事がルーズベルトをして「日本は必ず過ちをおかす。」という言葉になったのである。

大西洋憲章でルーズベルトはチャーチルと日本とは戦わず、ドイツにアメリカの全勢力をつぎ込むと約束したルーズベルトは、アメリカ国民の反戦思想が如何に強いかを知ったのである。その言葉が「日本がフィリッピンを攻撃しても、アメリカが対日戦に突入するかどうか解らない。しかし、日本は必ず過ちを犯す。」であった。そして、「日本は必ず過ちを犯す。」という言葉こそ真珠湾奇襲攻撃であった。アメリカがナチスドイツと戦うには、日米開戦を行い、日本とドイツが同盟国であり、同盟国のドイツとも戦わねばならない、と世論を誘導するしかなかった。その為には日本に過ちを犯させねばならなかった。

 

アメリカは日本の奇襲攻撃の目的が、ボルネオの油田、フィリッピンのクラーク空軍基地、そして真珠湾と予想していた。しかし、何処に奇襲するかは解らない。ルーズベルトは真珠湾攻撃に望みをつないでいたことが解る。

日本海軍の図上演習でも真珠湾奇襲攻撃は失敗に終わった。そのような無謀な新手腕奇襲攻撃を如何にして行わせるように誘導するかが、ルーズベルトの最大の問題であった。

 

 ルーズベルトが予期していたように、日本では開戦にむけて着々と準備を進めていた。

九月二十四日、それまで連合艦隊司令長官山本五十六が進めていた真珠湾攻撃に反対していた軍令部が、ホノルルの日本の吉川猛夫に真珠湾攻撃に必要な情報を集めるように暗号で打電した。この事は軍令部も真珠湾攻撃やむなし、日米決戦やむなしと決心したことであった。

アメリカは直ちに暗号を解読、解読文はスターク作戦部長、ノックス長官、そしてホワイトハウスへと送られた。

 

 十月に入るとフィリッピンに二十六機のB十七が新しく配備された。これでクラーク空軍基地には合計三十五機のB十七が配備された事となった。

十月六日、陸軍長官スティムソンは、ハル国務長官に言った。

「日本との交渉をとにかく三ヶ月がんばって延ばしてくれ。」

スティムソンは三ヶ月でクラーク空軍基地のB十七の配備を終らせるつもりであった。B十七の配備が終れば、日本軍が何処を奇襲攻撃かけようとも、直ちにクラーク空軍基地からB十七爆撃機が発進、日本本土を空襲してその軍事産業に壊滅的打撃を与える事が出来るはずであった。さらに、フィリッピンを要塞化すれば、それにより制空権、制海権を確保し日本が東南アジアの油田を中心とした資源を日本本土に輸送する事が出来なくなり、日本本土を孤立化させる事が出来ると考えていた。その為にはスティムソン陸軍長官は三ヶ月の期間を国務省に要求したのであった。

アメリカからみれば、もはや日米開戦は避けられないものとなっていた。残るのは何時開戦するのか、いかにして日本が“汚いやり方”で開戦させるかのみであった。

 

 ルーズベルトは近衛首相との会談を拒否、日本に対して中国やフランス領インドシナからの全面撤退と三国同盟の破棄を要求した。

 近衛首相はアメリカの強硬な態度に愕いた。まさか、フランス領南インドシナへの日本軍の侵攻がこれほど大きな問題となるとは思ってもいなかった。また、九月六日の帝国国策要綱で英米との開戦をも辞さずとも、既に決定されていた。

 

十月七日、自分の敷いたレールで日米開戦が現実味を帯びてきたことに驚いた近衛首相は、陸軍大臣東条英機に陸軍は中国から撤退すべきであると言った。しかし、東条英機は当然近衛首相の提案に賛成できるはずは無かった。日本陸軍が延々として築いてきた中国における利権を戦わずしてアメリカに引き渡す事は、軍人として陸軍に命令することが出来なかったのは当然であった。しかし、反面ではこのままでは日米決戦に追い込まれる。日本海軍は永野修身軍令部総長が日米戦争は遂行出来ない事を既に御前会議で表明していた。東条陸軍大臣に中国からの撤兵を拒否された近衛内閣は総辞職するしかなかった。

 

近衛首相が総辞職をしたことを知ったルーズベルトは、自分の考えが正しかったことを確信した。先に日本外務省が提案したルーズベルトと近衛首相とのトップ会談は、何等意味が無いことを証明したのである。